tt222のブログ

脳内出血発症からの23年にわたる闘病記録

雑記帳 (326)

 今週のことわざ(273)    「生を視(み)ること死の如し」
 解説:生死に執着せず、天命に安んずる。 『広辞苑』
 感想:私が45歳で脳内出血を発症したとき、私には中学3年の娘と大学1年の息子がいた。
 このとき私は自分の名前も書けぬ大ぼけ頭になったが、二人の子供を社会へ送り出すまでは絶対に死んではならないと強く意識していた。
どうやら責任感や義務感は発症によって消えずに頭に残ってたようだ。
もちろん長いリハビリ期間中に私がこの覚悟を忘れたことはない。
 そして私のリハビリ生活も来月で33年目に入るが、今の私は気楽な「365連休の身」である。
つまり私にはもう何の義務も責任もなく、目標さえないのである。
そこで最近気が付いたのだが、こんなだらしない生活を続けている私は「認知症」へ一直線ではないだろうか。
やはり人が生きるには目標を定めることが必要なようだ。
だから私は命のある限りブロガーを続けることに決めたのである。
ひょっとしたら、それが私の天命ではないだろうか。

雑記帳 (325)

 今週のことわざ(272)     「青天の霹靂」

 解説:(青天ににわかに起こるかみなりの意)突然に起こる変動、または急に生じた大事件。『広辞苑』
感想: 昭和61年9月20日の朝だった、45歳の私の身にまさにこの言葉どおりの大事件が起きたのである。
 というのは私が自宅トイレの前で突然倒れて、以後一か月間の昏睡状態に入ったからだ。
 これは生まれつきあった私の脳の奇形血管が破断して、脳内出血を発症したせいだ。
 ところがである、「虫の知らせ」だろうか私は起床後すぐに何かを感じ取ったようである。
 だから当日の出社予定を有給休暇へ切り替えたのだが、お陰で私が命拾いをしたのは確かだ。
 つまり私がいつものペースで家を出ていたら、通勤途中で脳内出血を発症して命を落としていたのは間違いないのである。
というのは発症から開頭手術までに要する時間が生死を分かつからだ。
どうやら日頃の行いの良い者は神様が守ってくれるようである。

雑記帳 (324)

 今週のことわざ(271)     「清濁併せ呑む」
 解説:善・悪のわけへだてをせずに、来るがままに受け容れること。度量の大きいことをいう。 『広辞苑』
 感想: 自分で言うのも気が引けるが、私は若い頃から相当な「お人よし」だった。
 だから周囲の者からあなどられることも多かったはずだ。
たとえば若い頃に友人に頼まれて貸してやった「お気に入り」のレコード数枚は未だに戻って来ない有様である。
 これはもう半世紀も前の話だが、私が家で留守番をしていたときに、「百科事典セット」のセールスが訪ねてきたことがある。
そのとき私は彼を部屋に入れて説明を聞いただけでなく、なんと彼のために冷えたカルピスを作ってやったのである。
 そして私は結局この高額な商品を買わされることになるから、自分の「お人よし」ぶりに余計に腹が立ってくるのだ。
 また今でも時々妻はこのエピソードを持ち出して私を「オッチョコチョイのお人よし」と呼ぶが、いつも私は「だから俺はお前と結婚してしまったんだ」と言いたいのをグッとこらえているのである。
 
 
 
 
 
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