tt222のブログ

脳内出血発症からの23年にわたる闘病記録

2010年01月

脳内出血からの23年  ( 39)

「白いネコ」 9   前にも言ったが、この20年間に私が出会った5匹の「白いネコ」は、大昔に水俣のいなかで遊んだ黒ネコと仲間たちの霊だったような気がする。
 しかし2匹目の白い子ネコには確かな手ごたえを感じたから、子ネコに実体があったことは間違いなかろう。
 だからあの子ネコは「白いネコ」の力が働いた本物のネコだったのではないだろうか。
 話は跳ぶが、世の中には霊を見やすい体質の人がいると聞く。
 実を言うと、私も二度文句なしの霊を見たことがある。
 最初のは脳内出血を発症する直前だったから、もう23年も前のことになる。
 私たちがこのマンションに引越してきた翌日のことである。
 朝早くに私が洗面所で顔を洗っていると、ふと背後に何かの気配を感じた。
  そこで目の前の鏡を覗き込むと、驚いたことに私のうしろに一人の男の子が立っているのが見えた。
 その少年は小学生らしく、薄青色のユニフォームに黄色の野球帽を横っちょにかぶっている。
 彼が私に何かを訴えているようには見えないが、ちょっと悲しそうな表情に思えた。
 私がなおも鏡の中を見てると、彼の姿は一瞬で消え失せた。
 後に知ったのだが、このマンションは打ちっぱなしのゴルフ練習場の跡地に建てられたそうだ。
 ひょっとしたら、鏡の中に見た少年は昔ここで何かの事故に巻き込まれたのかもしれない。
 二人目の霊には腰が抜けるほど驚かされた。

脳内出血からの23年  (38)

「白いネコ」 8   私にはやっと「白いネコ」の正体が分かってきたような気がする。
 そして開頭手術後の昏睡状態が続く私の頭に現れた8匹の「白いネコ」や、退院後20年間に遭遇した5匹の「白いネコ」はいったい何者だったのかも少し見当が付いてきた。
 そうです、あの「白いネコ」は私が60年前に水俣のいなかで可愛がっていた黒ネコだったのです。
 私の推理が正しいことは、私のこれまでの人生において縁のあったネコといえばあの黒ネコ一匹だけではないかということからも分かるはずだ。
 私が思うに、あの黒ネコは遠い昔の懐かしいご主人さまの危機を知って、向こうの世界つまりあの世から私のもとへ仲間と共に駆けつけてくれたに違いない、私の命を助けるためにだ。
 だから「白いネコ」がからむ一連の出来事も、黒ネコの私への恩返しだったのだろう。
 だが黒ネコがなぜ「白いネコ」になるのかと疑問に思う人も多いはずだ。
 しかしその疑いは昔の銀塩写真フィルムにおけるネガとポジの関係を考えれば消えるのではないか。
 というのはネガフィルムでは黒色が白色に映るからである。
 つまりこの世の黒ネコはあの世で「白いネコ」になってるというわけだ。
 話は変わるが、私はずいぶん昔に「死後の世界」を扱った一冊の本を読んだことがある。
 著者は外国人だが、内容に例証が多くてとても説得力のある本だった。
 本の要点をご紹介すると、人は死んでも住む世界がこの世からあの世へと変わるだけで、決して消え失せるわけではないということだ。
 そしてこの本の末尾に書かれてたのは、「可愛がっていたイヌ・ネコ・ウマなどが死後にこの世に現れた例は数多くある」である。
 これが事実とすれば、私が小学4年生のとき可愛がっていた黒ネコはやはりあの世で「白いネコ」となって生き続けてたということになるのではないだろうか。
 

脳内出血からの23年  ( 37)

「白いネコ」 7   私が小学4年生のとき、家族は熊本県水俣市の街から離れた山あいの村に家を借りて暮らしていた。
 その借家で私は一匹の黒ネコを可愛がっていた。
 これは父が子供たちの遊び相手にともらってきたものだ。
 この黒ネコの姿は今でもはっきり思い出すことが出来る。
 全身真っ黒で毛並みが美しく、いつも目を光らせてる小柄な体はまるで黒ヒョウだった。
 私は学校から帰るといつも、夕食の時間まで黒ネコとじゃれあって遊ぶのが習慣だった。
 父は「新日本窒素肥料(現・チッソ)」に勤めていたが、一年もせぬうちに私たちは街の社宅へ引っ越すことになった。
 しかし社宅ではイヌ・ネコの飼育禁止と分かり、両親はかわいそうだが黒ネコを借家に置き去りにしていくことに決めていた。
 いよいよ引越し当日の朝となり、両親と私を家財道具の見張りのために荷台に乗せたトラックが家を出た。
 するとそれまで庭にうずくまっていた黒ネコが急に起き上がって、荷台にいる私の顔を見つめたまま懸命に走りだしたのだ。
 そして黒ネコはトラックをどこまでも必死に追いかけてきたのである。
 今年90歳になる母もこの黒ネコを憶えていて、「あれは可愛そうだったねえ」と言ったことがある。
 当時のトラックはスピードが出ないし、また村道もひどい凸凹道だ。
 だから子猫の足でもゆっくり走るトラックに長くついてこれたのだろう。
 ついに見かねた父がトラックを停車させて道路に降り、黒ネコを拾い上げて荷台にあった火鉢の中へ放り込み板でフタをした。
 ひどい凸凹道を長時間揺られて、狭くて真っ暗な火鉢の中で黒ネコは恐怖に耐えていたに違いない。
 やっと新居に着いた私は、真っ先に火鉢のフタを外してやった。
 すると中から黒ネコが一気に跳びだしてきて、全力で走って近くの植え込みへ姿を消した。
 それ以後私は黒ネコに会う機会はなかった。
 ところがである、あるとき私はハッと気がついた。
どうやら 「白いネコ」がからむ事件の真相がわかったのだ。 

脳内出血からの23年  ( 36)

「白いネコ」 6   私が昔からネコを嫌ってきたわけは、その顔や仕草にある。
 いつもスキを窺ってるような目付きや、敏捷な身のこなしがあまり好きになれないのだ。
 一方イヌは好きで、子供の頃に二度ほど飼ったことがある。
 数日間一緒に遊んだ愛犬「コロ」を、母の言いつけで捨てに行かされたときの悲しみは今も心から消えない。
 そういえば学生時代の友人に「イヌと赤ん坊はすぐお前になつくなあ」と言われたこともあったが、私は生まれつきの単純人間だから、一瞬で彼らと心が通い合うのかもしれない。
 しかしよくよく思い出してみたら、私はこの68年の人生で一度だけネコと暮らしていた時期があることに気がついた。
 しかしあれは「白いネコ」ではなかった、本当に「白いネコ」とは大違いのネコだった。
 


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