tt222のブログ

脳内出血発症からの23年にわたる闘病記録

2011年02月

脳内出血からの24年  (91)

再びC社へ    このへんで話を本題へ戻そう。
 平成7年の末に55歳での定年退職を言い渡された私を会社は嘱託として残すことにしてくれた、まあ準社員というところだ。
 しかし「嘱託とはいえ決まった仕事を持ってるほうがいいだろう」とアドバイスしてくれた友人の考えに沿って、私は自力で出向勤務先を探し出すことにした。
 そこで心に決めたのが京都のアルミ表面処理会社C社である。
 といっても当時の私には他に当てがなく、C社が唯一の頼みの綱だったというのが正直なところだ。
 実は7年前にも私はC社へ出向してるが、そのときは勤務中に脳の発作を起こして皆に大きな迷惑をかけている。
 そんな前科を持つ私を再度働かせてくれとは頼みにくいところだが、
 得意の「ダメ元精神」を発揮してC社の意向を打診してみた。
 すると意外にも色よい返事が得られ、すぐにC社と人事部との間で出向条件の打ち合わせがなされた。
 そんなわけで私は平成8年の4月から技術顧問としてC社の研究室に勤務することになった。
 ここで不思議に思う人もあると思うが、ピンボケ頭の私がC社やD社で技術顧問として活躍できたのは自分の専門分野である「アルミの表面処理技術」についての知識が完全な形で頭に残っていたからである。
 脳内出血の発症によって多くの記憶が消え失せたが、この分野の記憶だけが消えなかったのは不思議だ。
 そのお陰で復職後の私が二社へ出向出来たということになる。
 どうやら発症前夜の麻雀で生まれたバカヅキは、発症の瞬間まで続いていたようだ。
 
 

脳内出血からの24年  (90)

「ネコの日」    このブログでの私の名は「tt222」となっているが、これは私の名前と誕生日を組み合わせたものである。
 つまりこの22日は私の誕生日に当たり、前に言ったようについに私も70歳になる。
 これで文句なしの「お年寄り」になった私だが、脳だけはやっと25歳になったかと思っている。
 というのは私が45歳で脳内出血を発症したとき、脳がリセットされたと思ってるからだ。
 つまり発症によって多くの古い記憶が削除され、それ以後に得た新しい記憶が蓄積されて現在の私が出来上がったのである。
 たしかに私の開頭手術を担当した脳外科医も手術前の私がほとんど脳死状態だったと証言しているし、私を乗せた救急車が最初に寄った病院の医師も、私を「すでに片目の瞳孔が開いており、おまけに脳に5センチ大の血腫が出来てるようではもうダメでしょう」と診断している。
 そんなわけで私の人生は45歳で終了し、以後の25年は「付録の人生」だと考えているのが現在の私である。
 しかし世の中には付録のほうが本誌より面白いということもあるから、私も楽しくて充実した「付録の人生」を作っていこうと考えている。
 話は変わるが2月22日は「ネコの日」だと聞いたことがある、「ニャンニャンニャン」というわけだ。
 24年前の開頭手術を終えて危険状態が続く私が夢の中で8匹の「白いネコ」に遭遇したことがある。
 私は眠ったままでそのときの様子を妻に伝えてるが、どうやら「白いネコ」たちは「三途の川」を渡りかけていた私をつかまえてこちら側の岸へ連れ戻してくれたようである。
 私の誕生日と「白いネコ」との間に因縁話めいたものがあると感じるのは私だけだろうか。
 
 
    

脳内出血からの24年 (89)

古希    先月のことになるが、元旦に配達された年賀状の束を順にチェックしていた私はびっくりする一枚を見つけた。
 それは私が熊本県水俣市の中学校に通っていた頃に、3年の間ずっとクラスメートだった友人からのもので、新年の祝いの言葉に面白い句が添えてあった、
  「大台に ヒザ・腰・肩もコキコキと鳴く」。
 これを読んだ私は、彼もきっと今頃は私からの年賀状を見て大笑いしてるはずだと思った。
 というのは私が彼に送った年賀状にも川柳もどきの句を書いてたからだ、
  「コキコキと 首を鳴らして 古希迎え」。
 そうです彼も私も今年で70歳になり、共に古希にあたるのです。
 ところが期せずして二人とも「コキコキと」としゃれたつもりで、一句を作っているところが面白いと思う。
 しかし私は彼から届いた年賀状を眺めてるうちに、しだいに目頭が熱くなってきた。
 なぜならあのひどかった私のピンボケ頭が彼と同じ発想が出来るまでに回復したことを確認したと思ったからである。
 どうやら私はもう以前の「ダジャレ人間」に戻ってるようだ、24年間もかかってしまったが。
 

脳内出血からの24年  (88)

投稿100回目   ライブドアから届いた「ブログデイリーレポート」によりこの投稿がちょうど100回目に当たることを知った。
 しかしちょっと勘定が合わないのではと思った私は過去の記録を調べてみた。
 すると今までに私は闘病記だけでなく、テーマを決めてけっこう投稿してるのが分かった。
 たとえば私はこんな題の文も投稿している、
 「UFOを見た」
 「ウソの三・八」
 「たまにはとぼけてみよう」
 「おかしかったら腹から笑え」
 「彼も人なり」
 これらを見ると私がずいぶん気楽に作文してることが推測できる。
 しかし脳内出血を発症するまでの私は研究レポートや業務報告書しか書いたことがなく,作文が大の苦手だった。
 ところがそんな私が今はブロガーの端くれである。
 そして私がこんなに変化したのも発症のせいだと言うことが出来よう。
 というのは後遺症のせいでアルファベットの文字順が記憶から消えて英和辞書が使えなくなった私が、苦し紛れにチャレンジした「英語翻訳」の通信教育講座が私を大の作文好きに変えたのである。
 この大きな成果は、発症後も消えずに私の心に残っていた「ダメ元精神」によるものではないだろうか。
 「ダメで元々、まずはやってみよう」である。
 
 
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