tt222のブログ

脳内出血発症からの23年にわたる闘病記録

2012年01月

脳内出血からの25年 (140)

『独行道』より 〔18〕   「一、 わが身に至り 物忌みすることなし」
 この言葉には意味不明の語句が含まれてるので、いつもの『広辞苑』で調べてみた。
 すると「忌む」とは避ける・拒否する・嫌うことをいうとあった。
 そうすると「宮本武蔵」がここで言ってるのは、俺はどんなときでも逃げないぞということではないだろうか。
 ところがである、危ないところで気づいたがこの解釈はどうやら間違ってるようだ。
これはおそらく私の生まれつきのオッチョコチョイのせいだろう。
 
というのは『広辞苑』でもっと調べてみると「物忌み」にはちゃんとした意味があって、ある期間、飲食・行為を謹んで身体を清めることをいうが、また縁起をかつぐことも指すと知ったからである。
 だからここで「宮本武蔵」はただ自分は縁起かつぎなど一切しないんだと言ってるだけではないのか。
私はおそらくこちらの解釈のほうが正しいのではないかと思う。
 なぜなら合理主義に徹した「宮本武蔵」がいかにも言いそうな言葉だからである。

脳内出血からの25年 (139)

『独行道』より (17)    「一、 老身に 財宝所願用ゆる心なし」
 「宮本武蔵」は62歳でこの世を去るが、彼が病床でまとめたのがこの『独行道』である。
  だから私には今回の言葉が人生を悟りきった彼の本当の気持ちを表してるように思える。
 なお『広辞苑』によれば「所願」とは願ってる事柄をいうそうだ。
 従って「宮本武蔵」がここで言ってるのは、「自分も老いたからもう金も物もいらんし、また他に何の望みもないぞ」ということではないだろうか。
 だから今回の言葉は前に言った「一、 一生の間 欲心思わず」の延長線上にあるようだ。
 人間も枯れてくるとこんな心境になるのかもしれないが、「宮本武蔵」が亡くなったときの年齢をとっくに過ぎた私の場合はちょっと違う。
 というのは私も彼のように「俺の欲しい物はもう何もないぞ」と周りに宣言してるが、実を言うとこれは負け惜しみなのだ。
 なぜなら年金暮らしの身では、ボーナスがないせいで絶対に大きな買い物が出来ないからである。
 最近のデジタル技術の発展には驚くものがあるが、私にはまったく関係のないことなのだ。
 つまり魅力的なデジタル製品が続々と新発売されても、金のない私はそれらを指をくわえて見てるしかない。
 これは非常に悔しいことであり、私はとても「宮本武蔵」の心境には届きそうにもない。
そんなわけで今も私はしつこく「ジャンボ宝くじ」を買い続けているのである。

脳内出血からの25年 (138)

『独行道』より (16)    「一、 身を捨てて 名利を捨てず」
 「名利」とはあまり聞かない言葉だったので、いつもの古い電子辞書で調べてみた。
 すると「名利」とは有名になることや利益を得ることをいうとあった。
 しかし「宮本武蔵」は先に「無欲に生きろ」と言ってるぐらいだから、ここでは有名になることを指すと考えるべきだろう。
 そんなわけで彼がここで言ってるのは、真剣勝負には命を捨てる覚悟で臨むべきだが、勝負に勝って世間の高い評判を得ることはとても大切だぞということではないだろうか。
 平和な現代に生きる私たちにはちょっと理解できない「宮本武蔵」の感覚だが、これが当時の武芸者たちの心意気だったのだろう。
 それにしても「一、 一生の間 欲心思わず」などと格好いいことを言ってた「宮本武蔵」が、かなり強い名誉欲を持っていたのには驚く。
 彼には理知的な合理主義者をイメージしてた私だが、意外にも人間くさい一面もあると知ってより身近に感じるようになった。
 また彼は家名を残すことにも執着していたようで、後年養子を迎えて「宮本伊織」と名乗らせている。
 それならばいっそ、「一、 恋慕の道 思いよる心なし」などと固いことを言わずに若くて元気なうちに妻帯すべきだったのではないだろうか。
 生涯を「剣の道」一筋に生きた彼だったが、本当に心から満足してあの世へ旅立ったのだろうか。

脳内出血からの25年 (137)

『独行道』より (15)     「一、 一生の間 欲心思わず」
 ずいぶん前に私はテレビで「宮本武蔵」の自画像らしき絵を観たことがある。
 絵の中で彼は両手をダラリと下げ二本の刀を構えてまっすぐ立っている。
 彼の顔には立派な口ヒゲが見えるが、両の眼差しの鋭いのが印象的である。
 この絵は剣聖と呼ばれた「宮本武蔵」の風貌を迫力たっぷりに表してるが、私は今回の言葉を読んだとたん反射的にこの絵を思い出した。
 というのは彼の自分にきびしい生き方がこの絵によく表れてるように感じるからだ。
 ところで今回の「欲心」という言葉だが、意味はなんとなく分かるが念の為に『広辞苑』で調べてみた。
 すると「欲心」とは欲しがる心や貪ることをいうが他に愛欲の心もあるとあった。
 だから「宮本武蔵」がここで言ってることを言い換えてみれば、「死ぬまで女には惚れるな」ということになるのではないだろうか。
 そういえば彼は前にも似たようなことを言ってた覚えがある、
 「一、 恋慕の道 思いよる心なし」である。
 どうやら「宮本武蔵」が厳しく自分を抑制していたことは確かなようだ。
 もしそうでなければ彼が『独行道』21ケ条の中で二度も同じことを言うはずがなかろう。
  このように彼が厳しく自分に色恋沙汰を禁じたのは、もちろん武芸の修行の邪魔になるからに違いない。
 つまりもし惚れた女がいれば真剣勝負の際に命が惜しくなって「捨て身の攻撃」など出来るはずがないと考えたからだろう。
   しかし生きてる限り女性のことを考えるなとは、なんと色気のない人生を送ったのだろう「宮本武蔵」という人は。
 私はこんな生き方は嫌いである。
 やはり男なら周囲から助平呼ばわりされるぐらいに女性に関心を持たねば、人生を生きる価値がないのではないかと考える私である。
 
 
 
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