tt222のブログ

脳内出血発症からの23年にわたる闘病記録

2018年01月

雑記帳 (297)

 今週のことわざ (244)     「上手(じようず)の手から水が漏れる」
 解説: 上手な者でも、時には失敗することがある 『広辞苑』 
 感想: 私は来月末に「喜寿」を迎える文句なしのオジイチャンだが、これまでの人生を振り返ってみると、趣味を多く持ったせいで結構楽しい生活を過ごしたことに気が付く。 
 これは私のオッチョコチョイな性分のためと思うが、面白そうなものには何でもダボハゼのように食いついてきたせいだろう。
 ここで私の人生で比較的長く楽しんだ趣味を列挙すると、囲碁・ゴルフ・映画や音楽の鑑賞・エレクトーン演奏・アマチュア無線・電子工作・ドライブなどがある。
 ところが私は何をやってもダメなようで、常に万年ビギナーの域を出なかったというのが実情である。
 特に体を使うスポーツやゲームがまったく苦手で、鈍感なヘタクソというしかない。
 なにしろ小中学生時代の運動会で、「徒競走」のときに私の後ろを走ったのが一人もないのだから私のひどい運動オンチぶりが分かると思う。
 ところが長い間にわたって多趣味な生活を楽しんでいた私から、31年前の脳内出血発症はいくつかの趣味を奪い去ったのである。
 たとえば囲碁やゴルフ・ドライブ・エレクトーン演奏などは、種目特有の感覚や知識が脳から消失したせいで二度と楽しめなくなったのが悔しい。
 そんなわけで私は今後も金のかからぬ趣味を探さねばならないというわけだ。.

雑記帳 (296)

 今週のことわざ (243)   「小心者は損をする」
 解説: 小心とは気が小さくて臆病なことだが、小心者は他人を押しのけて自分の考えを通したり利益をつかんだりすることが出来ないので、いつも損な立場にまわるものである。
 感想: 私は子どもの頃から気が小さくて神経質なほうだったが、成人後も変わらずで思い切ったことが出来ない性格だった、常に慎重な心があったのだ。
 だから高価な商品を購入するときは必ず「スペック一覧表」を作成して、候補数機種の比較検討をするのが習慣だった。
  ところが脳内出血発症によって私の性格や嗜好が変わったのは確かなようで、たとえば慎重な心が私から消えたらしい。
その結果私の「衝動買い」がいやに多くなり、買い物は「一期一会」の縁だといって気に入った品を次々に買いまくったのである。
 なにしろ今はネットで何でも買える時代だから、衝動買い」にブレーキをかけられないのが悩みのタネだった。
 だから現在の我が家には買ったがあまり使ってない商品がゴロゴロしてるというわけだ。
 こんな事情があったので、妻は今でも私にクレジットカードを持たせてくれないのである。
 しかし「金は天下の周りもの」だから、今も私は「代引き」で買い物を続けているので不満はない。
とはいえ私が買うのは本や雑誌に限られていて、価値観が変わってしまった私にはそれでいいと思う。
 
 
  

雑記帳 (295)

 今週のことわざ (242)    「小事は大事」
 解説: 大事もまず小事から起こるのだから、小事もゆるがせにしてはならない 『広辞苑』 
 感想: 私は脳内出血の発症から半年後に退院してるが、そのとき主治医から厳しく注意されたのは脳の異常ケイレンを予防する「抗てんかん薬」の服用を毎日忘れないことだった。
 ところが私は退院後長い間にわたって「異常なし」の体調が続いたので、いつしか薬の服用がいいかげんになっていったたようだ。
 つまり「抗てんかん薬」の服用を忘れる日が多くなったのである。
 その結果、発症3年後に一回目の「てんかん発作」が起きた。
 そしてその後遺症として私の右手足にマヒが残ったが、今も右足の軽いマヒは消えてない。
 これは主治医の指示をなおざりにした私にバチが当たったのだと思っているが、やはり医師の指導にはマジメに従うべきだろう。
 とはいえ医師だって人間だ、時には判断を間違うこともあるから要注意である。
 というのは私が31年前に脳内出血を発症したとき、もし医師の診断を素直に受け入れていたら現在の私は存在しないからだ。
つまりあのとき妻が強硬にごねてくれたお陰で、私の命はなんとか助かったのである。
 まあ人の運命なんてこんなものだろう、自分ではコントロール出来ない部分もあるようだ。
 

雑記帳 (294)

 今週のことわざ (241)     「正直の頭(こうべ)に神宿る」
 解説: 正直な人には神の加護がある 『広辞苑』 
 感想: 個人情報を明かすのはあまり好きではないが、私の氏名の名前のほうは「正」である。
 つまり画数5のきわめて簡単な文字が私の名前だが、驚くことに開頭手術後の私にはこの文字が書けなかったのである。
 というのは漢字の多くやひらがなの一部が私の記憶から消えていたからである。
 話は変わるが、私は子どものころから常に自分の名前を意識して生きてきたような気がする。
 つまり私は絶対に悪事を働けない人間に育ったというわけだ。
 「正直」の意味は心が正しくすなおなことだが、私は気づかぬうちにバカ正直人間になっていたようだ。
 ところがである、この正直な私を神が助けてくれたとしか思えない事件が現実に起きたのである。
それは31年前の脳内出血発症のときであり、まさに発症が絶妙のタイミングで起きたと言えるだろう。
 もし私がこのタイミングを逸しておれば今の私はないはずで、本当に神のご加護を感じる。
 ここで私の発症がグッド・タイミングだったと考える根拠を述べよう、
  ・当時の私には愛知県にある関連企業への出向辞令が下りており、まさに赴任寸前の発症だった
  ・発症当日の私は出勤の予定だったが、前日の徹夜麻雀の疲れを感じたので有給休暇にした
  ・発症後に両眼の瞳孔が開いていた私だが、非常にきわどいタイミングで開頭手術に間に合った
 
 しかし神のご加護を強く感じるのは、「二歳児用テスト」に不合格だった私がここまで回復したことではないだろうか。
 やはり神は存在するのである、正直者に対してだが。  

 
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