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▲左側から時計方向に、安重根義士が1909年中国ハルビン駅で伊藤博文を暗殺した当時に使用した拳銃に対して日本高等裁判所長が送った記録公文書(2018年8月日本外交資料館から発掘)と現在ソウルの安重根義士記念館に展示されているアン義士のブローニングFN M1900拳銃の複製品。最後の写真は日本憲政記念館2階に展示されている、義士が暗殺のために発射した7発の弾の中の1発。


「安重根義士が1909年10月26日、中国ハルビン(哈爾濱)駅で伊藤博文を射殺するのに使ったベルギー産ブローニング拳銃の真本(※オリジナル)が日本東京参議院から3分の距離である憲政記念館地下収蔵庫に保管されているものとイ・ジョンゴル共に民主党議員と日本の有力人士たちが推定しています。拳銃還収は韓・日和解の象徴として当然推進しなければならないです」。

安重根義士遺骸探し中国支部長として2006年から13年間、韓国・中国・日本を行き交ってアン義士の遺骸探し活動とアン義士の思想講演などをしてきたキム・ウォルベ(52・写真)中国ハルビン理工大教授は14日、文化日報との通話でアン義士がハルビン駅で射った弾の中の1発が憲政記念館2階に展示されていた事実を確認したと、このように話した。キム教授は「去年8月に日本外交資料館でアン義士がハルビン駅で使った拳銃の押収文書などを確認した」と、関連書信も公開した。この書信は平石氏人日本関東都督府高等裁判所長が大島義昌関東都督府民政長官に送った手紙だった。書信には『アン・ウンチル(アン義士の幼名)ブローニング製拳銃の銃番は262336、禹徳淳の所持銃番は263975』と書かれている。

キム教授は「東京憲政記念館2階の展示館にアン義士が狙撃時使った弾1発が展示されていたことを確認した」と、写真も公開した。キム教授は「展示されていた弾は伊藤博文のそばにいた田中清次郞南満州鉄道会社首席理事の右足くるぶしに当たった弾で、中間に十字の形が鮮明だ」と説明した。キム教授は「弾3発が当たった伊藤博文はこれを全て身体に持ったまま死亡して、彼の遺骨を調査すればこの弾も残っているものと見られる」と話した。当時銃創を負った田中は南満州鉄道理事を辞めた後に作成した回顧録で「当時遭遇したアン義士の眼光に圧倒されて、銃を打たれた事実さえ分からなかった」としてアン義士を最も尊敬する人物に挙げた。彼は回顧録で「当時事件現場で10分間余り、安重根と向い合うことができた。彼が銃を射ってからも毅然として立っている姿を見た瞬間、まるで神を見ているような印象がした」として「それも陰気な神ではなく、光明のように輝く明るい神だった。彼は本当に泰然として凛々しかった。彼のように立派な人物をかつて見たことがない」と記述した。

イ議員も日本の進歩性向雑誌の世界を通じて日本憲政記念館に銃と弾がある事実を確認したとして韓国展示を推進している。イ議員は今年始め「当時崔在亨先生が最新型のベルギー製拳銃2丁を購入して1丁は禹徳淳、1丁は安重根義士に伝達した」として「蔡家溝駅に行った禹徳淳は伊藤博文の射殺に失敗したが安重根義士は成功して、義士は最初の弾を発射して誰が伊藤博文なのかを確認した後、再び2発目の弾で彼の心臓に命中させた」と明らかにした。安重根義士記念館にはその複製品が展示されている。


拳銃還収は韓・日和解の象徴として当然推進しなければならないです

朝鮮王室儀軌返還のときの大騒ぎを見れば、「和解の象徴」になんてなるはずがない。