記事翻訳

AKR20180410087500005_01_i
京都宇治川で開かれたユン・ドンジュ送別会の写真。現存するユン・ドンジュの最後の写真として知られている。前列左側から2番目がユン・ドンジュ。


詩人のユン・ドンジュ(1917~1945)が日本の福岡刑務所で人体実験を受けて死亡したという説を100%断定するのは難しいという主張が出てきた。

日本のNHKでプロデューサーとして働いて、KBSと共同でドキュメンタリー『空と風と星と時:尹東柱、日本統治下の青春と死』を製作するなど、長い間ユン・ドンジュ関連の資料を調査してきた多胡吉郎氏は新刊『生命の詩人尹東柱』(ハヌル)で人体実験死亡説の過ちの可能性を提起した。

彼は「歴史に対して厳粛な姿勢、より厳密な客観性を持って働こうとすれば、論理の根本となる『仮定』に先立ち、依然として越えなければならない幾つかの障壁が立ちはだかっているということを認めざるを得ない」として「まず、これが最大の『壁』になると思われるのが、遺体に死斑のような疑問死の痕跡が残っていなかったという事実だ。ユン・ドンジュの遺体を引き取ったユン・ヨンソク(父親)とユン・ヨンチュン(従兄弟違い)の2人は遺体が綺麗だったと証言した」と指摘した。続いて「例えば代用血液として海水を注入されたのが死因ならば、それによる痕跡は遺体に現れないのだろうか」と疑問を提起した。

また「戦後に米軍など日本占領軍が執行した戦犯を裁く極東国際軍事裁判中、主にBC級裁判が開かれた横浜軍事法廷では九州大生体解剖事件と関連して、福岡刑務所にも疑惑の視線が集まった。なぜならば福岡刑務所にも少数の米軍捕虜(生体実験の事件とは無関係)が収容されていたためだ」としながら「その執拗な審判の場でも、福岡刑務所は有罪を受けなかった」と強調した。

AKR20180410087500005_02_i

著者は人体実験説の主要な根拠に挙げられるユン・ドンジュの従兄弟ソン・モンギュの証言内容に関しても、異論の余地があると主張した。ユン・ヨンチュンはユン・ドンジュの遺体を引き取りに行った当時、同じ刑務所にいたソン・モングギュが面会で「あいつらが注射を受けろといって受けたらこのザマになって、ドンジュもこのザマで…」と言ったと1976年に発表した『明東村から福岡まで』という文で回顧したことがある。これに関して著者は「ソン・モングギュの証言で後世の人たちは完全に朝鮮人を対象にしたジェノサイド(集団虐殺)としての人体実験に目を向けているが、ソン・モンギュはそれが朝鮮人を対象にしたものとは言わなかった。ここには明らかに後世の人たちの先入観が介入している」と指摘した。

そして1944年4月28日、刑政文書に腸チフスなどのワクチン注射を実施せよと通知した記録があるとして「ソン・モンギュが言った名前の分からない注射が刑務所内でなされた医療行為の一環だった可能性を完全に否定することはできないだろう」と話した。

続いて「ユン・ドンジュの死の真相は今もなお謎だ」としながら「しかし、これまで手探りしてきた検証の過程で、巷で簡単に話題にされやすい様々な『説』に対して細部ディテールの過ちを不確実性を指摘してきたつもりで、真実に向かう道を開いてきたつもりだ」と付け加えた。

著者はまたこの本でユン・ドンジュの同志社大学同級生の森田ハルさんの言葉を借りて、当時日本人の教授がユン・ドンジュに『スパイ活動をしている』という風に言うと、ユン・ドンジュが「そのような気持ちで学校に来たのではない」と反論したという内容を紹介した。そしてユン・ドンジュが文学を学びたいという真摯な気持ちで日本留学を来たものと見なければならないと解釈した。

同時に『空と風と星と誌』自筆詩集の原稿表紙に『病院』と書いてから消した痕跡を発見したとして、ユン・ドンジュが深い苦悩を通じて到達した場所が『死』ではなく、それを超えた『生命』だったと説明した。

前NHK PD"尹東柱詩人人体実験死亡説断定難しい" [聯合ニュース] 2018/04/10 11:48

「ソン・モングギュの証言で後世の人たちは完全に朝鮮人を対象にしたジェノサイド(集団虐殺)としての人体実験に目を向けているが、ソン・モンギュはそれが朝鮮人を対象にしたものとは言わなかった。ここには明らかに後世の人たちの先入観が介入している」

『大韓独立マンセー!』…日帝が独立の意志を折ろうと柳寛順烈士に加えた『性拷問』
にもあったけど、日帝は悪じゃなければならないからなぁ。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

生命の詩人・尹東柱 『空と風と星と詩』誕生の秘蹟 [ 多胡吉郎 ]
価格:2052円(税込、送料無料) (2018/4/10時点)