パチスロで最高のパフォーマンスを!

勝利に徹しつつも熱く打ったパチスロ、日本一周、株式投資、小説、世界一周、世界遺産マイスター

3代目

三仏堂を出ると、東照宮の参道に出る。東照宮は後回しにして、輪王寺に属する大猷院へ向かう。ここは3代将軍徳川家光の霊廟である。三仏堂からはわりと距離があり、雨の中を歩くことになった。大猷院には門が幾つかあり、それを越えるごとに家光公の墓所へ近づいていく。階段を上り、門をくぐると体感温度が下がるような気がするのは、ただ単に標高が高くなったからというだけではないような気がする。実際に二天門という門より先へは10万石以下の大名は進むことが出来なかったという。まさに結界である。古来、門の両脇に恐ろしい顔をした像が置かれているのは、何らかの悪いもの、魔の侵入を防ぐためだとも言われている。
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最初の門である仁王門の両脇にも金剛力士像が置かれている。右側の像は口を「あ」の形に開いた「阿形(あぎょう)」、左側は「うん」の形に口を結んだ「吽形(うんぎょう)」である。これが「阿吽(あうん)の呼吸」の語源となっているらしい。沖縄のシーサーも雄は口を開け、雌はおしとやかに口を閉じている。何か関係があるのかも知れない。
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2つ目の門、二天門は修復中で足場と灰色のビニール製の覆いで覆われていた。こうして継続的に修復工事を行うことにより、伝統的な技術を継承していくことが出来るのである。ふと気が付くと家人が消えている。さっきまで「阿吽の呼吸」に感心して仁王像の写真を撮っていたのだが、何処にもいない。探し回っても見つからないので入ってきた方へ戻ると、既に外で待っている。修復中の二天門へは左折する進路で階段を上っていくことになり、正面の一帯へは立ち入り禁止という札があったので、ここでゴールと勘違いしてしまったという。「あんな立派な門があるんだから、立派な本殿があるに決まってるだろ」と頭にきて説教し始めたのだが、気を取り直して再度拝観料を支払い出戻ることにする。微々たるものだが、建物の保護保全に役立てて貰えると思えば安いものである。

修復中の二天門、夜叉門、唐門と階段を上って門をくぐる度に、やはり気温が下がるというか空気が厳かになっていくような気がする。家人にそう言ってみたものの、反応は薄い。しかしここまで付き合って貰っただけでも感謝すべきであろう。祖父であり神となった家康公の廟所を凌ぐことのないようにという家光公の遺言のため、大猷院廟は東照宮本社よりも規模が小さく造られてはいるが、同じ権現作りという建築様式である。
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奥の本殿と手前の拝殿を相の間という部屋がつなぐスタイルである。この本殿は鬼門である北東を向いている。これも家光公の「死後も東照大権現にお仕えする」という遺言によるものである。通常の寺院は本尊が南を向くように建てられるため、大猷院の本尊も実は、本殿の奥の壁の裏の部屋に釈迦三尊画像が南を向くように掛けられているという。浄土思想に基づく寺院の場合は西方浄土という考えから本殿は東を向き、本殿の背後に日が沈んでいくことになる。家光公の墓所はこの伽藍を出た外の皇嘉門という竜宮造りの門の奥にあるのだが、一般には公開されていない。
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偉大な祖父を持つ3代目の廟所は、奥ゆかしいまでに神君家康公の廟所を中心に設計されていた。家康の鶴の一声で将軍になることの出来た家光は祖父を敬い、東照宮を最高の技術で改築し、死後も家康公を尊崇する姿勢を残した。だがちょうど我々が本殿にいる頃に一旦雨が上がり、後で行った東照宮の陽明門や二荒山神社の本殿が修復中だったことも含めて、結果的に今回は大猷院が一番バランスのとれた良い空間だったように感じられたのだった。これが3代目の持つ賢さなのかも知れない。
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ご間限定動物園

朝食を食べたあと、いよいよ日光へ向けて出発する。朝食の時の箸がやたらと使いやすいなと思っていると、お土産として販売されていたので購入する。竹の箸。
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大雨の中、日光白根山を越える。日光へ向かう途中にあった、行きたいリストに残留しているスポットは大雨と時間の都合でスルーし今回も残留となった。東洋のナイアガラ「吹割の滝」、昔々神々が戦ったという「戦場ヶ原」、有名な「華厳の滝」、中禅寺湖の「中禅寺」、同じルートをもう一度辿らなければならないのかも知れない。それにしてもひどい雨で日光の社寺を周ることが出来るだろうかという気分になってくる。ちょっとヤケな気分で「いろは坂」を下る。いろは坂のいろはだが、カーブ毎にい、ろと平仮名がふられているのでいろは坂と命名されている。「や」のカーブで「YAGIのや」とヤケ気味に言っていると、家人が大爆笑していた。「ヤケのや」である。

いよいよ日光に到着する。世界遺産「日光の社寺」には日光山内の二社一寺に属する103棟の建造物が登録されている。それらの建造物は人類の創造的資質を示す傑作であり、また寺社建築の発展を示す遺産として、そして自然信仰と神仏習合という日本独自の宗教空間としての普遍的価値が認められ、世界遺産として登録されている。

二社一寺とは一番有名な徳川家康を祀った「日光東照宮」と「二荒山神社」の二社、「輪王寺」の一寺である。もともとは二荒山神社に男体山、女峰山、太郎山の三神が山の神として祀られ、輪王寺の方にも同じ三神が仏や菩薩の姿で祀られている。仏教が伝来し、古来の日本の神々は仏が日本バージョンに姿に変えたとする日本独時の神仏習合の考え方である。このおおらかな考え方のもと日光という聖地が近年まであった訳だが、明治維新直後、維新政府が神道を国教として政治を行おうとしたことから神仏分離令を出し、厳密に二社一寺に分割されることになった。

この二社一寺だけはスルーする訳には行かないので、家人を伴って動き出す。傘が手放せない大雨である。まずは輪王寺の三仏堂へ。三仏堂は輪王寺の本堂で前述の三体の本尊が祀られている。東日本最大の木造建築物である。
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見ての通り修復中であり、素屋根という修復期間用の建物で覆われている。素屋根の外観には一応、実物大の三仏堂の絵が描かれている。逆にこういった機会はチャンスである。修復中の現場を見ることが出来るし、文化財自体が今しか見ることの出来ない状態にあるからである。家人曰く「動物園のよう」な感じで修復の様子が公開されていた。プラスチックの檻の中で職人の方が作業を行っている。本尊の三体の像も解体され修復中だった。姫路城でも最近まで修復の様子が公開されていたが、伝統的技術の継承と広報のため、あるいは収益を維持するためにこういった企画を行うのはとても良いことだと思う。作業用の素屋根を出ると未だに大雨だった。一向に止む気配がない。

三仏堂の背面に周る。素屋根の背面には三仏堂の絵が描かれていなかった。手前に見えるのは相輪塔である。
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相輪塔は五重塔などの上部にある相輪や内部の柱だけを建て、周囲の4本の支柱で支えたものである。この塔は江戸時代の作で、内部には1000冊もの経典が納められているという。この相輪塔の後方に無機的な素屋根に覆われた三仏堂の姿が見られるのは平成30年の修復完了までの現在だけである。

M夕鞍

四万温泉の積善館に到着する。案内された部屋は「松風」、確かに部屋の窓からはだいぶ大きな松の枝が見える。下の階の部屋は「梅枝」だったし、ラウンジからは竹林が見えた。もしかして松竹梅の由来は木の育つ高さなのだろうかと思ったりしたのだが、この順位付けには大した意味はないらしい。

相変わらずの雨だが館内や付近を探索することにする。そもそもこの積善館は国の登録有形文化財や県の重要文化財に登録されているような建物である。床のきしみや揺れが建物の歴史を足元から伝えてくる。一部、工事中の建物があり、そのため割安な宿泊料金だったのだが、工事している音もカンカンカンカンと暗闇の中から聞こえてきて、不思議な感じがする。
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暗くなって、さらに雰囲気の良さが増したのだが、相変わらずの雨と写真の腕が悪いのか、そんなに良い写真が撮れなかった。
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そして家人と二人宴会へ突入。シャンパン、ビール、日本酒。就寝。家人が先に寝たので余った日本酒を飲みながらぼんやりと外の景色を見ていたのだが、窓の外の光が揺れるのである。海に浮かぶ船のように船団の光が波に揺れているかのようである。酔っ払っていた訳ではなくて、よく見てみると手前の松の木の枝が揺れて、その奥にある別の建物の灯りが揺れているように見え隠れしていたのである。私は高原や山頂から遥か下を見るとそこに(雲の下に)海があるようにいつも錯覚してしまう。常に海がそばにある、海のそばに生まれた者の感覚なのかも知れない。しかし「雲海」という言葉もあるので、これは日本人共通の感覚なのだろうかとも考えながら、眠りについたのである。

しかし、案の定、午前3時くらいに起きてしまうことになる。家人を起こして「ビール飲もうぜ」と行きたい所だったのだが、明日は運転しないといけないし、日光山内をさんざん歩かせることになる家人の体力回復を優先させ、布団の中で大人しくしていたのだった。友人のガンド氏の地元では例年この時期に祭礼が行われるため、今年も勧誘のメールが来ていたのだが、今年もスケジュール調整と腰の補強が追いつかず再来年は是非にという回答をしていた。その祭礼に行っているミサイル氏から酔っ払い気味のメールがちょうど宴会中に来ていたことを思い出す。丑三つ時に静かな温泉宿で起きだして、夜中にビールを飲むという”非”様式美をミサイルと私で確立した数年前のことを思い出した。夜中に開ける缶ビールの爽快な「プシュ!カシャ」という音とミサイルと私のボソボソ声、安らかな眠りを脅かす木の道具を使った湯もみ、貴重な私の温泉宿の記憶遺産である。

△Δ覆とシャンパン

いよいよ四万温泉へタイムスリップという所で出現したのが、「メロディライン」という路面上を凸凹にさせてタイヤとの摩擦音で音を発生させる道だった。曲は『千と千尋の神隠し』の『いつも何度でも』。

この出来が見事で一旦Uターンし、撮影による録音を試みる。なかなか上手くいかず、空気の振動による音でなくタイヤの振動が車のボディに伝わって音を出しているのかも知れないという仮説のもと、ハンドルにカメラを接触させたり、はたまた窓を開けて録画してみたりしたのだが、上手くいかない。謎は謎のままでここを後にする。最近では能登無料道路(のと里山海道)にNHKの朝ドラ『まれ』の音楽が鳴る道があったりして全国に結構あるようで、特許にも登録されているようだ。

ようやく四万温泉の温泉街に到着し、予定していた「蒸しうなぎ」の店へ行ってみる。雨の昼間の温泉街は誰もいなくて、雰囲気は良い。しかし「くれない」といううなぎの店はお休み、不定休らしい。残念ということで、違う店を探す。今回は台風に見舞われ、なかなか上手くいかないのだが、これが旅行の醍醐味である。最近は食べログでさっと探せてしまうので、ランキング2位のうなぎの店へ向かうことにする。2位の店だと「蒸しうなぎ」じゃなくて普通の「うな重」なんじゃないかとか色々言いながらも、再度、街に戻り2番手の「青木屋」という店へ到着。ドアを開けようとするとカギが閉まっている。うなぎの生け簀のようなものの上に掛かっている札は「配達中」。もうすぐ土用丑の日か。この丑の日ビジネスは発明王の平賀源内が編み出した仕組みだとか違うとか。10分ほど待っても配達から帰って来なかったら、違う店にしようということで家人と検討する。ランキング3位の店がさっき通り過ぎた所にあったことに気付くも、こうなったら「うなぎ」じゃなくてもということになり、すぐ近くの蕎麦屋へ行くことにする。結局うなぎ屋さんが出前から帰ってこなかったので、「そばきり吾妻路」という店で蕎麦をすする。だいぶあっさりと昼食が終わったので、家人が出発前から提唱していたシャンパン予算が可決され、夜は温泉で懐石にシャンパンを合わせることになった。

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今回は四万温泉、日光、鬼怒川温泉、富岡というツアー。世界遺産を2件絡めたのだが、四万温泉で宿泊する積善館は『千と千尋の神隠し』の舞台とも言われているということで家人を説得する。いろいろと予定が立て込んでいて、このタイミングしか無かったので台風到来が騒がれる中での出発となった。出発前に念のため『千と千尋の神隠し』を見ておいた。やはり豚になるシーンが良い。朝6時、自家用車で出発する。

高速道路を信州中野ICで降りて、とりあえずイオンへ。使い捨てじゃない傘を2本購入する。ワンタッチで開くこのビニールの透明の傘は日本の生み出した文化の極みなのだとか、違うとか・・・。少なくとも人類の生み出した文化であることは間違いあるまい。何処の地方都市にもイオンがあって牛丼屋があってハンバーガーショップがあって、そんなことが言われているけど、イオンの中で「からし稲荷」という稲荷寿司を発見し、朝食にする。長野県ではからし入りの稲荷寿司の方が好まれるらしい。油揚げの裏側にからしが塗ってあるようだった。

草津白根山を越え、草津温泉を素通りする。雨がひどい。途中、四万温泉付近の四万湖というダム湖へ立ち寄るも天気は曇りで、湖面の色は事前に調べていたコバルトブルーというような色では無かった。後で行った奥四万湖も同様で、天気のいい日にまた来ることが出来ると良いのだがと思う。四万湖の横にあるトイレの構造が後ほど行った重要文化財の薬師堂の前にあるお籠堂(おこもりどう)を模して作られていた。薬師堂で本物を見て気付いたのでトイレの方の模擬建築の写真はない。ただ嬉しそうにトイレの写真を撮るというのも何だか悪趣味なのでこれはこれで良かったのかも知れない。
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お籠堂は慶長19年(1614年)に建てられたもので、昭和60年に解体修理がされているということだ。1614年といえば大坂冬の陣の年で、建物の中央に通路を配した建築様式は珍しく貴重な建築物だということだ。町の重要文化財に指定されている。一方、国の重要文化財に指定されている薬師堂の方は慶長3年(1598年)の建築で、真田信幸の武運長久を祈願して建てられたものらしい。群馬県で唯一、国の重要文化財に指定されている寺院建築である。1598年は豊臣秀吉が亡くなった年で、幸村の兄である真田信幸はこの頃は沼田城主として付近の沼田領を治めていたようだ。
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来年の大河ドラマの毎週最後の歴史紀行みたいなコーナーで扱われたりするのだろうか。

旅行地理検定

6月に受験した旅行地理検定の結果が届く。4階級全て合格していたので次は年末の国内・海外それぞれの1級試験に挑戦。名古屋で受験ですかね。
国内2級113点/120点
国内3級74点/90点
海外2級88点/120点
海外3級90点/90点(満点!)

『街道をゆく(1)』

“武力というのはそれそのものがエネルギーで、エネルギーに方角さえあたえればみずからの意思で去ってしまう”(147P)

”湖西のみち”では織田信長の逃走劇から英雄像を紐解く。”竹内街道”、”葛城みち”では太古の風景を望み、”長州路”で長州人の本質を探す。太古、戦国、幕末と街道をゆくことで時代を遡る一冊。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

"人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついている"(307P)

海外に行くなら巡礼でなくただの休暇で行きたいものだ。

『世に棲む日日(四)』

"戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛び出すことだ、思案はそれからでいい"(282P)

革命期の英雄論、その最終巻。

『世に棲む日日(三)』

"国際環境よりもむしろ国内環境の調整のほうが、日本人統御にとって必要"
"これが政治的緊張期の日本人集団の自然律"
(182P)

前半で吉田松蔭は死んでしまい、後半は高杉晋作の話になる。私の友人が十年ほど前に黒船来航の危機を謳い、夜な夜な勉強会と称して酒を飲む集まりを始めたことがあった。たしか黒船というのは彼の会社に新しく入社してきた人だったような気がするのだが、とりあえずは彼の先見の明に今宵も乾杯したい。

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