ゆうあい寮

2007年02月01日

ゆうあい寮(11)

卒業証書は医院のベットでの授与である。実感がまるっきりでない。

ーーーそこで医院の回想閉じるーーー

やっと起きて座って立っての練習の毎日であった。
もともと立って歩いていたから自分では自信がある、無い訳ではないのである。
と親父も兄貴も信じていた。この時に姪が僕と四つ下、で甥っ子も3人居た。
しかし、この時の緊張は喉を攻め立てるのだ。
歳を取るにつれて緊張の症状も激しさの面を変えてくるのである。
首を振るのは致し方が無いとしても頭の仰け反りをどうクリアするかが問題である。
そこで、甥にレーシングゲーム機を頼むことにする。
ちょうど家庭にゲーム機が入り始めた頃で、甥に頼んで街{はちのへの三日町}にある玩具のタンタン{現在は無い}に走らせたのである。

ブルースカイブルー喉の奥開く

そのテレビゲーム機はアンテナ端子に繋ぎVHF−1チャンないし2チャンネルで起動できる仕組みになっていた。
はちのへのチャンネルはATV{UHF−53}を除いてVHFである。
岩手テレビ:めんこいテレビもUHFである。昔だから同軸ケーブではない。
三男のテレビを無断で拝借してレーシングゲームを楽しんで頭の仰け反りをコントロールしていく方法を取って行ったのである。

レーシングゲーム機でタン吹き飛ばす

そうすると神経の回路も和らぎ緊張もタンも出てき難いのだ。
単純な遊びから学ぶ訓練であった。ぼくの回路も至って単純であろうーーー
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2006年12月16日

ゆうあい寮(10)

この頃の人間が自己自転している気がする。
ここに時代を創世し政治にもメスを入れた人が
徳川義宗である。
歴史が皆目である、わたしは「暴れん坊将軍」で学ぶのである。
あるいは、漫画歴史館で学ぶ、ちょっとでも役立てばいいのである。

そう、中学校は入退院の繰り返しで終了であった。
はちのへ:種差方面の学校へ編入である。勿論、自宅が白浜(全国的に名の知れた海岸)からである。
出席日数がほどんど足り無かった、落第は避けな無ければならない理由があった。
緊張のアップダウンが激しいのであるからーーー
校長の一声で救われる、3度の保健室通学である。
けれにも問題を含む、、タクシーを使用する訳だが起きて居れない状態での登校であった。個人医院からーーー
卒業証書は医院のベットでの授与である。実感がまるっきりでない。

勉強が遅れに遅れていたがたのしい社会見学が出来て悔いは残っていない。

ゆく年くる年わたくしの獅子舞い踊る

でありたいっす^^)。
ゆうあい寮・久々である、タイトルを獅子回生ではと思ったがやめた。
「オペ前後」の後編もスタンバイ中ーーー
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2006年11月21日

ワープロを手に

ワードプロセッサーを手に入れるまでの時間が長過ぎたようにおもう。
その当時写植の研修をしていたのだ。
漢字が読めないのでトロクって参っていた。
福祉に申請してやっと貰えた電動タイプライター(ひらがな)なんで楽に打っていった。
タイプアートに熱中して、ワープロは34歳ぐらいで、その5年後念願のWie-Meとの出会いであった。
40歳で頚椎悪化、もうタメだなぁと諦めてかけている矢先にハタと思ったもので。
「パソコンを未だやっていない」
このまま終えることは廃人に等しいし、金を溜めても無意味な虚しさが残るようで心にぽっかり穴が見えてい気さえした。

療護施設に申し込みもしていたのである、が相談してから考えが変わる。
他人に金を任せて生きている位なら「やりたいことを果たして」から廃人になろうや
ほんとうの精神面でのどん底状態であったのだ。

おんな友達が通販でWin98ノート(ネットは繋いでいない繋ぐと配線面と
金銭面の負担になるから、言い換えればケータイの料金で一杯一杯であったようだ)持ち出したのを封切りに施設内で話題に上っていった。

八戸にある、赤十字系列団体:はまなす学園(未就学・小学部・中学部{現在は高等部})学びながら訓練を受ける施設でライオンズクラブの寄付により逸早く最先端の玩具や医療器具を購入していたようであった。

学校側も当然でその恩恵を受けていた。
だから、教科もワープロ・キャリキュラムが組み込まれていた、ぼくはその前に退院していたので分る筈もないでのある。
10年も違えば技術革新は自ずとズレが生じる、年齢的にも反比例してゆくのだ・・・
当然ながらワープロなるしろものを「かもった{触った}ことなどマタックない」から学園の卒業生に教えてもらっていた、恥掻きながら(笑)
青森の高等部からシフトしている学友が2/3も入所していたので楽でもあり腐れ縁が切れないで悩む人もいたのである。

柴さんにレスをとおもって書いたのだが、なんだかぼくの話だけで面白くなく
長文になってしまったのブロブで感謝の意を表したい。
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2006年07月18日

ゆうあい寮 9

つめ(ちり紙)を鼻からちょっと抜いてみた。
息苦しいさは、いくらかおさまてっいた。
しかし、今度は鼻づまりである。
口呼吸は得意ではある
{眠り込んだら口呼吸に切り替わるらしい}が、
鼻呼吸は起きていても苦手である。
始末が悪いのである。
これで生きて来たのだから致し方ない。
人間の七不思議のひとつであろう。

血は早く止まる方であるが、この時だけ
中の鼻毛までにヌルヌル・ガサガサの
溶岩よろしくってな感じで半生に固まったので
「鼻がいずくっていずくって{(動)心地悪い。
どっちかというと「窮屈」に近いニュアンスか。いんずいとも
言う。}ならいのである。

どうしただべと、玄関から「だだ」が上がってきた。
だだ:父さんのことである。

本当に南部弁は難しい、自信喪失した。
ネット検索で調べている。

どうした言われても、わ{おれ}にもわかんねじゃ〜
とねこぜった{反発}のである。

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2006年07月15日

ゆうあい寮 8

玄関から駆け上がると首に掛けていた手拭をぼくの鼻にあてがった。
ぼくは、「しっこ、しっこ(おしっこおしっこ)」と左手で前を押さえて指していた。
横になったままで桃缶にしていた。手っ取り早い話、その桃缶は見舞えで貰った最後に食べた缶である。
大概昔だから、その桃缶は大きい方に値する。台所で濯ぎ立てであった為に甘酢ぱい匂いとアンモニーアの臭いの湯気があっていた。

鼻血といえば、酢を嗅がされている、がなかなか止まらない。焦ったとにかく焦っていた。
鼻の穴にちり紙でつめをかった。(扉のねじを掛けるとも同じで鼻につめ{カギ}をかけるのである)

尿器を買うよりも、パイ缶、桃缶、洋なし等の缶類を綺麗に切って使っていたのでる。
色物カーペットの血がのごった(拭いた)後もベタベタしている。それがあった為10条間の畳は無事であったのだ。
敷いていてよかったと言えた。取り替えたばっかりであったのだ。

その頃の缶詰め類は贅沢品であった。貧乏でもある。
つい最近に、ついこの間聞いたことである。頚隋の手術をして1週間付き添ってくれた長女に・・・
ぼくが生誕した頃も自給自足の生活だったらしい。

まんま(父さん)の若い頃の話とか、まんまの再婚劇のことを話してくれた。
まんま(ごはん)と言うことにも使うが、そのときのニュアンスで分けている。これも不思議と通じるのだからおもしろい。

生理的自爆から解き放されたトイレタイムであった。

開放されたものの喉がイガイガし息苦しい、鼻にちり紙で空気を塞がれたから・・・
もともと呼吸が不規則であったのだ。

ちょっと、つめを抜いてみたら・・・
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2006年07月14日

ゆうあい寮 7

出る・・・とおもった瞬間に身体が斜めになりはじめる。それも利き手ではなく右肩から崩れたのだから止めようがないのであった。
丸めてあった轍(ふとん)を乗り越えて左足は突っ張て別の轍(ふとん)をふんじゃらけって(蹴り上げて)いったのである。
顔面からカーペットへおおいかぶさったのだから唯では済まされなく鼻血ぶ〜である。(拡張した訳じゃない)

コタツとさくり(壁)との板ばさみで身動きひとつ出来ない始末、その上カーペットに血の海が広がった。顔面にである。

おしっこもピークに押し迫っている、うううっうううっ・・・唸るばかり・・・
かろうじて出た言葉が「あっぱ〜・・・」3度呼ぶので疲れ果てる。

「あっぱ」とは{おふくろ}を意味する。「あわ」も{おふくろ}である。
一番用いる言葉は「あっぱ」である。
別の呼び名がある、怒ったときに出るおふくろの名称「ばっへ」であった。
特に兄貴が使っていた。
よくもこんなに、母の呼び名があるとつくつくおもうのである。
はまなす学園は、ほとんと標準語で、ぼくが訛っていたのは語尾に「だべ」だけだった。
訛りがあるとするならば、東京に嫁いだ姉だけが未だに抜けないと姪が言いますね。

その「あっぱ」がどうした?と玄関から顔を出して言った。

*方言は使っていないと忘れて行きますね。
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2006年07月13日

ゆうあい寮 6

着実に訓練の成果が現れてきたのである。
わんつかづつ(すこしづつ)座ることに慣れてくると次のステップに進んでいけるように気持ちも軽くなってくる。それは当然といえば当然であろう。
こころに余裕と自信を付ける為には「テレビとにらめっこ」が大事であった。

その、「にらめっこ」の延長戦が足を組む・胡坐をかいたり曲げ伸ばしだった。
これが結構、しんどいし「へちょかく(汗をかくくらいに大変)」である。
訓練士は自分だから・・・
苦しいとか痛いとかの感覚が無かったように思う。
ただ、立てて当たり前とおもっていたから・・・両親もそれが普通だべと考えていたらしい。

進学まで後残り2ヶ月半である。
焦りはあった、おふくろは、ぼくに朝食をあづかって(たべさせて)から親父の手伝いに庭にでる。
そうすると家の中に誰一人居ないのである。
姪や甥たちは学校に・・・

一番困った事といえば「トイレ」で。喰えば・呑めば、下から出るのが生理的現象。
尿器すら無い買っていないのである。おかわ(おまる)はかろうじてあった。
勿論自分では出来なかった。

あっ ああっ 出る出る・・・

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2006年07月11日

ゆうあい寮 5

コタツで座る時間を長くしてゆくことは、ある程度の腰と頭のバランスを保つために必要不可欠であった。

緊張が強くなる2年ほど前に、労災病院の整形外科の先生(はまなす学園に居た)に、言われた。
「そんなに歩きにくいのだったら・・・首の筋を切るか?そゆう方法があるぞ」
「切れば食べ物も食べ易くなるし・・・」と言われた事がおもいだされて来るのであった。
お袋が、やめておけ、、、実験台になるつもりか?やめれやめれ!!

その頃は、2種3級でしたが・・・突然に1種2級になるんだもんな・・・
頑固そのもので、

「先生、おれ青森の高校にいくんだよ ちっと軽くしてくれ・・・障害手帳をさ・・・」

「なに言ってるんだ、これから重くなるんだから・・・1種にしておいた方が無難だべ!?」

「だってさ、就職の問題でな軽いほうが良いってよ。みんなが言っていた」

「なに馬鹿のこと、くちゃべっているんだ? あのな、よく聞けよ、みんながみんな
同じだと想うこと事態おかしいんだよ!」

と一括された経験談がる。しかし、昔からエピソードが尽きないのである。

両脇に布団を丸めて起き後ろにはベニア板のさくり(壁・仕切り)によりかかりながらテレビ見ていた、
これももうひとつの訓練でね、頭を動かさないようにするって言う、はまなす学園の応用編の訓練方法である。

予断であるが、「ATVテレビ番組で{訛るが勝ち}15分番組がある」が津軽方面と南部方面では聞き慣れないと「かちゃくちゃなくなる=混乱状態になる」と・・・
いなかっぺ氏がつがる弁、さとちゃんが南部弁の代表格。方言を盛り込んでいけたらおもしろいだろうね。
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2006年07月10日

ゆうあい寮 4

頭のふんぞり(方言:反り返す)がコントロールでれば、もう食事も余裕であずかって(食べらせて)もらうことも可能になる。
だが、首振りだけはコントロールできない。あちゃ〜・・・

かぁちゃんの手のなるほうへ行かぬ口

標準語しゃべってみても分らぬわ

言語とは訛れば分るケアの人


麺類が好きですと言いたいのだが、緊張が強くなるとそうも言っていられないのだ。口も堅くなり言葉も発し難い、どもりがちになるである。

ぼくとしては、飯が多いほうが食べるに都合がいいし、口と首のバランスが取りやすいのでだが・・・
しかし、食べさせている方はそうとも言えないからね、こ匙で来る、気管にでも入ったら危険をともなう。

食べさせ方のマニュアルが無いだけ指示飛ばすんですよね。はやくはやくって・・・
ラーメンなんか凄いのなんの・・・長く口に入れればそこらじゅうに汁を飛び散らししね。

餅つきの両々でぼくの首の軌道を見計らって入れるのです。
慣れてる人でも失敗はつきものですね。
これも持って生まれた才能だとおもえば納得もする(笑い)。

話が脱線ぎみ、ぼくの第一の訓練はコタツに座り足を赤外線でほぐすことにある。
なにしろ寒いし、まぁあたたまりながらのリハビリがつづくのである。
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2006年07月09日

ゆうあい寮 3

自力のリハビリとは、八戸:はまなす学園の訓練の応用を元に
して行うのもだった。(学園の訓練が身になっている)助かった。

父は60代にしてオート車輪の免許を目指して勉強である。
その傍らで、ぼくの起きる事から訓練、最初の時間は1分も持たない。
持たない理由は幾つかある。

1、緊張(身体全体の硬直)があった
2、頭が後ろへ後ろへとうんぞる(反る)
3、その頭を自分で戻せない
4、呼吸が不規則になる
5、タンを出ない、飲み込めない
  などなど・・・あげたら切がない。

その訓練を自己流でやるのだ、
それも冬場であったため、隙間風がぴゅうぴゅう・・・
雪が無い降らない分、空風で身体が硬直してしょうがなかった。

この年を明ければ19才(8月)になろうというころであった。
決して「がんばる」って意識は持っていない、持ってなかったのでる。
甥っ子も姪っ子もみな、「これが普通」だと見ていたらしい。(自分でも笑えた)

次第に頭を前屈みにコントロールでるようになってくるとしめたものに。

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