オペ前後

2007年04月02日

オペ前後(16)

祝紅白饅頭2006年4月2日は日曜日であった。土曜日は開設記念日(施設)である、午後4時になると「いまごろやってるべかな〜・・・」などと呟いていたものである。
「ちょっと飲みたいなぁ」と兄貴(七歳上)言うが「飲みたかったら早く治せ・・・」「その首動くな・・・カラーが取れる、マジックテープが甘くなっている・・・」などと言われる始末。
それでも3時頃に寿司を買ってきてくれた。もちろん胡麻せんべいも買って来てくれた。
ありがたい、憎まれ口を叩くがユニークな兄なのである。みみが痛かった。

はちのへ市民病院の4階でのはなしをちょっと。
3月の21日のレントゲンの結果が順調だとのとだった。
病棟の婦長さんに言われた「いつ退院する?」「いつでもいいよ」と。その婦長の顔が微笑んでいるが目が笑っていなかった。ぼくは目を見て話す癖がある、その時は何故か怖く冷たく感じ取った。

「退院してくれないと後がつっかえているからね、考えておいて!」
びっしりといわれた。これには「困惑するばかり」である。
このままでは野辺地の施設に帰られないし、どうしようか・・・友人は自宅に帰っていった。

まだカテーテルをしておしめをしていたからなおの事・・・。
土・日曜日はリハビリが休みなので暇を持て余す。
面会も着替えを取りに来るだけである。それでも身内が来るとたのしいい。

きょうの担当看護師はだれかと思案し期待もして待っている。
看護師の性格が読めるようになっていた、ドクターはめったに来ない。

・起こす人起こさない人も居て看護  、危ないらしい・・・。

「おお、きょうはRさん」だ!やった!
Rさんの4階での看護はきょうで最後となる、3階に移動するという。
実は先週のお風呂、Rさんの腰痛が酷くって入っていなかったので
「きょう入ろう!」とさりげなくいってくれた。
「きょうで最後のお風呂だよ、用意しておいてね」「迎えに来るから・・・」
Rさんはアウトドア派の活発な腕も確かに巧かった。

新たなる動く骨をつけて活き

※開設記念の紅白餅である。やっぱりビールは出なかった。出さなかったのかも・・・。

赤飯がおいしく箸もがぶりつく
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2007年03月06日

オペ前後(15)

2002年の年明けそうそう義兄が姉のカードをすべて折り刻んでしまった。
これ以上借金が膨らまないようにするためであった。
だから、姉がぼくにいくらでもいいから貸してと泣きついてきたのである。
その「貸してくれない」が曲者で大金を貸しても約束の分割が滞り、また次に貸してと来る。
姉の東京生活時代から続いている借用金も塵積もっての結婚である。(後の話から推測する)とこうなる。

身の丈を知らぬキャッシューカードかな

金融業に大人のマナー守れたら


よくテレビCMに「借りる時も大人のマナー・・・」のキャッチフレーズが踊っているが、マナーがあったら借りないし、利子だけが膨らむ一方で元金が減らない。払えたら・・・。

そこで、ぼくはバンクカードを差し出して「いくら入っているのか確認してみて」といってやった。
姉は現金を持つと足も手も早く行動する、ほんとうに現金主義者である。
さっそく近くの「無人君(みち銀行)」で調べて回ったらしい。系列銀行でないと使えないし引きおろせないからだった。
「五万が10万になり・・・50万に」なった。
「そんなに・・・あったの?」と
貸す方も貸す方だが・・・借りる方も手加減がないのである。
姉いわく
「手術に必要なものがあれば送るから」
「その前に栄養つけなくちゃ・・・ね!」
「景気付けに買出しと支払いしまして来るから・・・」
という。
ぼくは
内心心配であった。
「大事に使ってくれよ!」を何度なく念を押して言ってやった。
姉は、軽く
「わかってるって・・・」

スキップを踏んで玄関閉じた姉

なんか嫌な予感がしてくるのである。ぼくの姉弟は「金を貸してって言うことは貰ったという意味にもなる」ので危険地帯の言葉である。 その後が・・・
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2007年02月20日

オペ前後(14)

傷ついた昨日の服を着てしまう

ちょうどその頃、地元の病院で診察を受けていて頚椎の痛み・痺れを取る為に弱電気やマッサージ・注射を受けていた。
MRIは無理だと断られた。全麻でなら撮れるだろう!と言うことであった。大掛かりなものごとにただ唖然としてた記憶がある。
先生曰く
「それでも命を張れる?」
「自信は?・・・」と訊いてくる。
痛いのは分かるが・・・
「なんだそれと内心」
おもってた。
「家族の同意書」が必要だし、そこまでMRIを撮る必要があるのか!と先生の弁であった。
激痛が走りまくっていたのだ。それでも笑って日々を過ごすしか手は無かった。
毎晩、首を悪い方の手で固定して「のんだくれて」いた。
それで姉に相談がてら正月を越すことにしていた。

傷置いて銀河の旅を楽しんで

年末年始になるとどこでも金の工面が必要不可欠になるので、この年にバンクカードを作っていた。
ぼくのネットショッピングにも有効活用できていた。
カードがあってもふとつ決算(通帳引き降ろしになってから又次の品を購入する)が済んでからでない限り別の品を求めないのである。

さすがにバンクカードを持って行ったのが運のつきである。
催促の電話が鳴るのである。ぼくが出ると「・・・他の方と変わってください。」
だれも居ないから「・・・居ない・・・」
「また掛け直します・・・」ツーツー・・・。
どこなの酔っぱらいでも居るのだろうと相手が思ったに違いない。
それとも「相手がダイアル違いしていたのかも?」と思ったことだろう。
姉が帰宅すると言った、「お金貸して・・・」
「なんぼよ?」
「5万円・・・」ぐらい・・・かな?
そのころ、ぼくは姉の団地に居た。「手元に無いよ」と言葉を濁して言った。
「元旦そうそう銀行が開いてるわけないじゃんか」と言うと、
カードが有るじゃない?と来た。たすけてくれ〜・・・。
相談する気で来たのに逆に相談されたのである。

こんな、お馬鹿な姉弟がいるだろうか・・・ワオ〜・・・。

※姉のクレジットカードは姪(長女)が管理していた。
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2007年02月19日

オペ前後(13)

限度額すべてが姉の使用額

と思い込んでいる。姪も「かあちゃんはサラ金の限度額を自分で使えると思っていない?」
と口喧嘩になる。

ぼくはコツコツ溜めて欲しいもの一括で購入するほうである。
その方が割安で買えるし借金が無いという精神面での安堵感を保てる。
年金だけが唯一の収入源で、精神的不安定に居ると決まって緊張が来るのである。
次女は違っていた。それは当然といえば当然だが・・・
おふくろが同じでも違う。

バブルの時期に土地を買ってまでは良かった。本人は老後の貯蓄のために購入していた。
それが生活の重荷になってサラ金に手を出して利子だけを払っていたのだ。
どうにも首が回らないから義兄の家族会議に掛けられすべての借金チャラにしてもってた。
ところが又夫妻でサラ金に手を染めている。それを姪が義兄の財布管理し握って返済している。
姉にとっては夫の財布を娘に握られる事が不満である。それはそうだろう、なんのための妻が居るのか・・・

「後3年で定年だよ!とうちゃん」
その内に返済と貯金して置かないといけないんだよ!と言う。
「かあちゃんの入院費も溜めているのに」
ぼくは上京するたびに、何度も姉と姪の押し問答を傍で聞いていた。

でも、仕事は出来るのだ、が派閥を嫌う。弱い者いじめは絶対に許さない方なので敵も多く居る。
そのたびに上司へ直談判ないし同僚のへそを上手く丸め込むのである。
そんなこんなの道である。

いじめの手ほどきは姉のへそを借り

米 姉は不器用であり「男勝り」な一面を兼ね供えている、金食い虫。(PC並み?)ぼくにとって身近な存在である。
 しかし、5年前の正月は痛い思いで・・・ノートパソコンを購入する計画・入院準備を兼ねて溜めた・・・
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2007年02月18日

オペ前後(12)

「あの7万円」とは東京の姉に手渡した大事な金である。
また「来る新幹線:往復切符」のことであった。
自分ひとりでベットに寝ていることが心配であったのだ。
それが、長女と義兄が入院している間はちょくちょく来てくれることになった。

内心、「やられた!またもや・・・・」と心穏やかでない有様でいると。
三男が来て
「あきらめろ、あきらめろ!」
「ほんだと、動けない者から巻き上げること自体おかしい・・・」
「だが、姉も一週間仕事を休んで付き添ってくれたんだからさ」とさらり言った。
「それは、分かっている・・・」
「・・・」
長女も「電話で来なくてもいいと言って置いたから」
「また来るとなれば7万で済む訳ないでしょう!」
「介護料だね・・・」
「安心して寝ていろ」「早く治して野辺地に行こう・・・」
といって慰めてくれた。

ある日、病院棟宛てに荷物が届いたと看護師が持ってきてくれた。
長女が「なんだろう?ね」と開けて見ると
「孫の手・タオル・・・米櫃・・・など」
ああ〜・・・7万が・・・こちらで用意したものばかり・・・
それもこちらで安く買えたのばかり・・・。
三男の貸したお金は嫁さんが睨みを利かしている手前返すのである。
でも、僕の貸した軍資金は闇金の利子だけで食べていけるだけの金額が流れている。

小銭でもぼくの命の綱となる

米櫃に命の分量注いでく

ポッキーを噛んで生命を確かめる


しかたがなく、長女は「米櫃」で洗濯盥がわりに使ってくれた。

次女に財布を持たせたくはなかったのである。だが・・・
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2007年02月14日

オペ前後(11)

携帯ラジオのダイヤル回すとスイッチ・ボリューム調節が出来るタイプである。
姉は眠れない時に聞いて眠るそうである。
「イヤホーンする?」
「いらない」
いらなっていうのも訳がある、直ぐ外れてしまうからだ。

まだ、8日しか経ってないので体が熱っぽかったりしていた。
脇の下にアイスノンを挟まれている。おでこに冷たいタオルがのっている。
そのタオルが問題であった。
頭がピックピックと動くたびタオルがおでこから五厘頭に乗りかかるのである。
以前に書いたと思うが、その五厘は電気髭剃りで剃ったものである。
個室、「どうせ剃るなら・・・やるか!!」と開き放たれた扉を閉めて刈り上げていった。大鏡の前で・・・。
髭も剃った、そうとな時間がかかっていたが。気分は爽快である。
階下の床屋さんで顔や髭なども剃って貰いないままで部屋に帰ってきたのだから直さらで。
「手術する前に私たちわたじが傷つける訳にもいくめ・・・」
それはそうだが、せめて
顔の毛つらけを剃ってくれてもよさそうな・・・」
と思うと無性に腹ただしくなっていたのである。
50代ぐらいのおばちゃんと娘さんと南部弁の漫才を繰り広げてきたのである。
腹と顔は違う性格。たまに同調することある。

勿論、ドアのカギをかけてである。

姉が寝息をたててから1時間過ぎた頃看護師のラウンド(電灯持って見回る事)する各病室のドアの開閉する音が聞えてくる。

ぼくの五厘頭をみながら
姉は 「まったく、もう・・・」と笑いながら五厘をポンと指で突く
   「タオルを目元まで上げて・・・」とストローを吸う。

何回と聞かれて困る尿袋

カテーテルが入っているので回数を訊かれても・・・こ・ま・る・・・

ストローも吸うタイミングや口の角度具合によって吸うちからが変わるから厄介である。
それにしても「あの7万円は・・・どうなっただろう??」
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2007年02月13日

オペ前後(10)

「あっそれね、・・・・」
家から取って来させた茣蓙を敷きながら話してくれた。
「私たちの母親が死んでね、親父まんまひとりで3人の面倒見切れないので嫁を貰うことになったの」
「わたしが2,3歳で母方の実家で生活していたの、それは淋しい年頃だったんだよ」
「長男も、次男坊も淋しい思いしたんだよ・・・」

ぼくはそれまで全く家の事情なんどとんと聴かされていなく、それが当たり前だと思っていたのである。
「うん・・・」とうなずくほかがない。
消灯の時間はとっくに過ぎていた。仄暗いベットサイドで長女はつづけた。
「それで、村一番の美顔という評判だったのがお袋ばばで、その生まれた子が又めんこい顔しているから・・・」
「村をおぶって歩いてたのよ」
「親戚も、めんこいめんこいって」
言うものだらついつい
「甘やかされた感じだったね」
と言って
「コツコツ溜めるほうじゃなかったね!」
「誰に似たのか・・・な!!?」
廊下の明かりに眼線を遭わせ言った。

そういえば、親父まんまも気前が善い処があるね。

前向きに進むベットで揺られてゆく

「よく溜めたね、入院費・手術に費用は要らないけれどさ・・・」
「介護する側してもらうにはどうしても金がつきまうし」
つづきは明日にて寝るか・・・
「眠れないならラジオかけるよ」

*ほんとうに有り難い姉のバトンタッチで・・・
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2007年02月12日

オペ前後(9)

入りたての人は学園の規則として三ヶ月は面会禁止である。
おやつもお金も本人に持たさせないのである。
その理由はレスで答えている。
オペ前後(8)http://blog.livedoor.jp/tukasa_123/archives/50853524.html


それはそれで楽しい思い出である。

そうそう、きょう丁度1年前、入院日(はちのへ市民病院)の最終持ち物チェックでお知りの座り心地が悪かった。建国記念日で日曜日でもあった。
それでも3月の句会の宿題をクリアしていたような気がする。

姉(長女)は付き添い用の寝具(簡易ベット)が痛いと言い出して一晩で返してしまった。こちらとしても助かった、なにが?って一日400−のレンタルである。
次女は簡易ベットを見て「便利だね」「400−は安い」と言って「今なんでもあるから便利だわ♡」などと抜かして行った。会計はこちらなのに。

ぼくは「なぬ、なぬ・・・」と複雑なおもいで介護してもらっていた。
洗濯・乾燥が毎日でる、これにも頭が痛かった。
普通、施設では100−、200−使う。それ以上は溜めていた。
ところがだ、なにをするのにもカードである。一気に千円のカードが吹っ飛んでゆくのに・・・

入院しぼろぼろカード泣いた月

その事を長女は見抜いていたに違いない。あんまり金を掛けない性分であった。
家を全焼させている。それも新築して間もない頃だそうだ。姑の最後の世話をしながら水産業の仕事をこなしてきた人で、コツコツと溜めるひとである。
に、しても金の価値観が違う姉ふたりである。

なんで「ねちゃんは金使いが荒いのかな?」と親子ほども違う姉に聞いてみた。
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2007年02月05日

オペ前後(8)

「えぇぇ〜・・・」
 聞いていないのであった。

そこで改めて自分自身に納得するものがあった。
「なんか違う」「空気の流れ」「歳の離れ方」とか・・・肌で感じるのもかも知れない。
そして検査も無事に?終えて検便の容器を持たされて労災病院の丸い車寄せへと歩いた。
何も無かったように歩いた記憶が微かにある。
おふくろに聞きたいことは何も無いって言えばうそになるがーーー
その時はホントに無かった。子供時分から理屈っぽくごねてもいる(南部のじょっぱり)。
白金と言えば次男の住むアパートがある、来たついでに寄って行こうとなってトラック一台通れるくらいの道幅をくねくねと歩いた。
大通りに面して建っている、二階建ての1階に住居がある。
義姉(次男の嫁)さんが「よく来たね」と笑い顔で迎えてくれた。
「お昼、まだよね?」とエプロンをしながら聞いてくる
「これから・・・」だと言うと「カツ丼作っているから食べて行って・・・」
これが美味しいのである。このアパート暮らしは長くつづいていたが、やっと一軒家を建てて2,3年だろうかーーー主を失いそこで葬儀を行っている。
ぼくのオペしたときもお見舞いに来てくれた。苗字は変えないでいた。
長男の嫁さんも料理の味はなかなかの腕前であった。
義兄弟の結婚式にも姉・兄の式にも出席していない、ただ家で顔を見るくらいだだったのである。
小さな町に身障者が居ること自体おかしいと思われる時代であった。

母が来るバス酔いぼくの面会に

料理下手母の十八番の菜っ葉汁


入りたての人は学園の規則として三ヶ月は面会禁止である。
おやつもお金も本人に持たさせないのである。
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2007年01月25日

オペ前後(7)

そして数日後の夕方に永眠することとなった(おふくろ)。
親父のがらぐでんはちゃめちゃの行動により添って80歳で幕を閉じる。
親父は60過ぎまで出稼ぎや村仕事に没頭して来ただけの人生である。
その反動かは本人に聞くしか術がない、(くそ真面目であった)と誰もが認めるのである。
真面目な親父も趣味に走ったから実の息子にも手に負えない一仕事が待ち受けていた。
それは、家計を省みないで好きな網の束を買い込んで家の中で作る作業、作業小屋があるにも係わらずに持ち込んでは兄嫁と衝突する、また海に出て遭難騒動を起しとありとあらゆる騒動を起している。とにかく海が好きな人で容姿は気にしないのでカッパとあだ名まで頂いていた。
そのたびにお袋が着替えさせても直ぐ汚してくる始末に終えない状態。
その当時「貧乏人働ける内は華である」と言うらしい?との時代の流れで現代はその逆かも・・・

枯れ枝の流動食が咽ている

ぼくの入院する事によって自ずと長女の関係が、家系図画が浮き彫りになってゆくのである。
やっと長女と話を持てる機会が得られた物も運命の絆の悪戯かもとおもう次第。(30年の時を越えて)
長男・長女・次男は母親と死別している。次女・三男・四男(ぼく)は後妻に入った子供である。
その事を知ったぼくの年代は10代、ほんとうにシンプル(成り行き任せ)・・・
小学校を1年遅れて入学し、小4(落第につき:緊張が強くなって日赤に入院していた)をもう一度やり直す為には、はまなす学園に入園するほかになかった。
その入園手続きの検査で判明するのだが・・・
なにしろお袋は尋常小学部の出だけであった。話はべらぼうに美味い・ごまかしの天才でもあった。
村一番の三姉妹の末っ子、美人姉妹と言えたようだ。
でも、この息子の生年月日は記憶にございませんに尽きた。
旧労災病院:整形外科で
 「どころで今日は・・・」
 「先生の診断書いてもらうにきました」
 と言う母
 その先生は学園を回り県外の病院にも回っている
 「息子さんの生年月日は・・・」
 と先生
 「さぁ〜なんねんだだったかのう・・・?」
 と来てつづけた
 「誕生日は夏だだったな〜・・・」
 とぼくの顔を覗き込んで
 「その後はこちらに聞いてくれ」
 「そのほうが確かだから」
 と受け流し・・・
 「随分歳が離れている兄弟ですね」
 先生が言うと
 「後妻ですから」と言い放ったのである。
 「えぇぇ〜・・・」
 聞いていないのであった。

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