ただでさえ、タイトなフライトスケジュール。

成田空港では、次々と離発着を繰り返す飛行機に、管制官達が的確な指示を出していた。

たった一つのミスが、多くの命を失う恐れがある仕事。

新月の夜、空は漆黒に塗り込められ、滑走路の灯りが、やけに明るく見える。

緊迫感に耐えながら、研修中の新人管制官浅倉は、先輩達の背中をじっと見つめていた。

見たことを忘れぬように、必死にメモを取りながら。

そこに、突然、ブザー音が鳴り始める。

ビービービー

騒つく現場。

皆、普段以上に厳しい顔で、空港の片隅に視線を向けた。

浅倉も、つられて同じ方向に視線を移せば、そこは、プライベートジェットが集められた一角。

飛行機を格納する為の巨大倉庫、ハンガーのシャッターが、ゆっくり、ゆっくりと上がっていく。

姿を現したのは、鮮やかな深紅の機体。

尾翼部分に、艶を敢えて消した重厚な金色で、なにやら家紋のような図柄が描かれている。

「あれは、何ですか?」

教育係の上杉に聞けば、

「何でも質問するな。そういう事は、肌で感じ取れ」

と、たしなめられた。

浅倉は、この状況を見定めるべく、必死に耳をそばだてた。

小声で交わされる先輩方の会話に、何度も、『道明寺』の名前が入る。

だが、誰もが首を傾げ、乗客名簿を確認していた。

道明寺家所有のジェットは、四機。

一機は、椿の結婚後、嫁ぎ先である綾小路家へ寄贈された。

そして、もっとも頻繁に使われる二機は、楓と司の渡米により、NYにある。

残る一機は、不測の事態に備えての予備であり、メンテナンス以外には飛んだことの無い新品。

それが、今、道明寺家の血筋以外の人間を乗せて、悠然と滑走路を進んでいく。

こんな事は、今まで一度もなかった。

個人が、ジェットを飛ばすだけで、莫大な金が掛かることは、ここに居る全員が知っている。

特に、あの朱塗りは、超が付く特注品。

『空飛ぶ豪邸』と言っても過言では無い。

あの乗客は、道明寺家にとって、余程の重要人物なのか?

一人は、八十を超える老婆。

もう一人は、二十六の女。

その他大勢の男達は、彼女達を守るSPだろう。

管制官達は、不手際がないよう、特別機に道を開けるべく、離着陸の許可を待つ他のジェットへ、待機命令を出した。

この世には、都市伝説と呼ばれるものがある。

聞くには、面白いが、信じるには、馬鹿げているものばかり。

では、何故、そんなものが、実しやかに語られるのか?

それは、時折、こうした真実が紛れ込むからだ。

浅倉は、ペンをメモ帳に挟み、ポケットに入れた。

マニュアルには書ききれない現実を、その脳裏に焼き付ける為に。












つくしが家を飛び出して、三十分と経たずに、一台の大型ワゴンが、大通りに停まった。

素早く降りて来た三人の男達は、ボロアパートへと続く細道を足早に進む。

ポケットから取り出した黒の目出し帽を一瞬で被り、足音も無く歩く姿は、金で雇われたプロの匂いを纏っていた。

シルクの手袋は、これから不法侵入する部屋に、指紋を残さない為であり、

量販店などで山積みにされて販売される安物の靴は、ゲソ痕(靴底の跡)から、犯人特定に結び付かないようにする為である。

誘拐は、時間との勝負だ。

人目につかぬよう、最短の時間で事を運ばねばならない。

男達は、目配せをしながら、階段を上がり、つくしの部屋の前まで来た。

住人は、寝ているのか、灯りは、点いていない。

一人の男が、しゃがみこむと、鍵穴に細長いピックを差し込み、慣れた手つきで解錠しようとした。

だが、一見なんの変哲も無い穴は、自身にピッタリとハマる鍵以外の物を突っ込まれて、ヘソを曲げたらしい。

ビリビリビリビリ

突然、鍵穴に激しい電流が流れ、一瞬スパークで、辺りが青白く輝いた。

ピックを通して感電した男は、声を上げる間も無く、白目を剥いて倒れる。

仲間達に、緊張が走った。

この部屋は、見た目からは想像もつかないセキュリティに守られている。

このまま押し入るには、リスクが高過ぎた。

元より、雇われ仕事。

自分の命を賭ける気など、さらさらない。

逃げを打とうとした彼等の背中に、硬い何かが、グリッと身を抉るように押し当てられた。

「オット、ウゴカナイホウガイイ」

背後から、流暢なイタリア語が聞こえた。

人の気配は、感じなかった。

だが、ゆっくりと首を捻り、振り返ると、銀縁眼鏡をかけた初老の日本人と、黒服姿の男達が、数名立って居た。

「ワタシ イガイ ミナ タンキ ダカラネ」

微笑みを描こうと、微かに口角を上げるのは、階下に住む、マスター。

しかし、いつもの紳士然とした雰囲気はなく、眼鏡の奥にある瞳は、冷徹さそのもの。

少しでも変わった動きをすれば、引き金を容易に引ける男。

後ろに控える古見都すら、緊張で唾を飲み込んだ。

「コチラハ キミタチノ スベテヲ ハアク シテイル。

ニゲタケレバ ニゲレバイイ。

ビアンカ・・・ダッタカナ?

カワイイ オジョウサンダ」

淡々と告げられる言葉に、犯人達は、凍りついた。

今まで、数え切れぬ『仕事』を請け負ってきた彼等だが、常に『影』で有り続け、その尻尾を掴む者などいなかった。

しかし、この日本人達は、違う。

ビアンカ

リーダーの愛娘であり、今、床で倒れる男の恋人でもある。

「Chi sei?(オマエハ、ダレダ?)」

「タダノ、『Barista(バリスタ)』サ」

誘拐犯が最後に見たのは、ニタリと笑うマスターの白い歯。

頭に鈍い痛みを感じると、そのまま意識を手放した。

「小人、後は、頼んだ」

「小人じゃなくて、古見都(こみと)ですって。ったく、現役離れて何年経っても、貴方は、恐ろしい人だ」

マスターが、誘拐犯達を殴ったのは、すりこぎ棒。

背中に押し当てた時、ただの棒が、銃のように感じられたのは、マスターが醸し出す空気が、それ程鋭いものだったからだろう。

「貴方が、上司じゃ無くなってくれて、どれだけホッとした事が」

「そんな昔の事、忘れたよ」

マスターは、クスクスと笑いながら階段を降りていった。

その背中に、黒い羽が見える古見都だった。
















真っ暗な井戸を覗き込む。

生温い風が頬を撫でる。

耳を澄ましても音は聞こえず、自分以外、誰一人存在しない。

これは、夢だと、司は、分かっていた。

何度も、何度も、小さい頃から見てきたから。

井戸から、ヌメヌメとした手が出てきて、司の手首を握った。

この後、どうなるか、嫌という程分かっている。

井戸の中から自分を見る少年。

それが自分自身だと分かり、悲鳴をあげる。

グラリ

体が揺らぎ、

ヒュルリ

頭から、真っ逆さまに落ちていく。

しかし、今日の夢は、いつもとは違った。

「司さん!」

白い手が伸び、しっかりと自分の手を握り締めた。

その、か細さからは想像も出来ない力強さで、司を井戸から引きづり出した。

「ま・・・きの?」

眩しい光の中、司は、ゆっくりと瞼を開けた。














そこは、楓の病室だった。

点滴を受けたまま、長く眠ってしまったらしい。

暗闇で、殆ど何も見えないが、既に針は抜かれていた。

代わりに、自分の手を握る小さな存在が、直ぐそばで眠っていた。

椅子に座ったまま、上半身だけをベッドに預ける彼女の肩には、ブランケットが、掛けられている。

「なんで・・・居るんだよ」

震える声。

堪え切れぬ涙が、頬を伝う。

司は、乱れたつくしの髪を、そっと撫でた。

たった二ヶ月離れただけで、身をもがれたような痛みを感じ、一日が、永遠のように思えた。

「牧野」

軽く揺するも、深い眠りに落ちる彼女は、起きる気配がない。

司は、つくしを、ベッドの上に引きずり上げると、腕の中に囲い込んで目を閉じた。

「あったけぇ」

無意識に、丸まり、司に寄り添うつくし。

司は、再び目を閉じると、つくしの呼吸に合わせて、息を吸った。

東京の部屋に残してきたシャンプーの香りが、つくしから漂う。

遠く離れても、自分の香りに包まれてくれていた事が、何よりも嬉しい。

「おやすみ、牧野」

目覚めたつくしが、悲鳴をあげるまで、あと二時間。

安らかな眠りは、身も心も、司を満たしてくれた。



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