なんとなく書きたくなったので。小保方氏のSTAP細胞の論文の話が盛り上がっているのでそれについて。

ネイチャーの論文の画像流用と博士論文のコピペ疑惑は、全然、別次元だ。
ネイチャーの方は、STAP細胞の生成が真実なら、一度取り下げて改めて出せば良い話し。
もし、誤りならばそれまでだ

博士論文のコピペ疑惑の方は、博士号剥奪とか、今の疑惑の内容だけならないだろう。学士や修士、博士の資格をもらうための学位論文は学術論文に比べて少し特殊なのだ。

学位論文ははっきり言って長い。1000ページ書く人もいる。分厚いほど、重いほどよしとされる。学士、修士、博士の順、厚みは増していく。必ずしも厚みと研究成果が比例するわけではない。論文の終わりについている引用も多ければ多いほどよいとされる。

小保方氏の博士論文について疑惑をもたれているのは、論文冒頭の背景説明だ。この部分が多かれ少なかれ、コピペ的であることは学位論文を書いた人間なら知っているはずだ。
たとえば、機械系の論文は、昨今の地球環境、CO2の話から入る。CO2から実際に行った研究内容までのつなぎを、永遠と書く。正直、誰が書いても似たりよったりにはなる。

背景の後には論文に使用された基礎式を載せたりする。その導出を載せたりもする。たいてい、先輩の論文を写したりする。それが脈々と受け継がれて、何年にも渡って卒業生が誤った基礎方程式を論文に書いていた、という例が実際にある。しかも、査読するべき指導教官も気づかない。

お尻の引用文献もそうだ。とにかくいっぱい書く。引用文献の引用文献も書いたりする。とにかくページ数が大事なのだ。それを一つ一つ確認する人間などいないからだ。

一方、学術論文では、あれほど前段とお尻にボリュームを取らない。あくまで研究の成果を書く。だが、学位論文は厚みが勝負だ。
学位論文の前半と終わりは、「かさまし」だ。喫茶店のジュースに入っている氷みたいなものだ。喫茶店で頼んだ手絞り生グレープフルーツジュースに入った氷が、近くのコンビニで買ってきた市販品であっても、ジュースが手絞りの生なら、そこまで問題はなかろう。ジュースまで濃縮還元なら詐欺だが。

もちろんコピペは褒められるものではない。真面目に書いている連中は、背景部分は何年もかけてコツコツ書いていく。論文のメイン研究とは並行して、背景は少しずつ積み上げていく。そういう人に比べて、コピペはあまりに楽している。参考にしたとしても、多少は文章を変えたりするのが普通だ。
特に、学位論文が冒頭の背景を大切にするのは、この論文が教育的な一面を持っているからだ。博士ともなれば、学術書を執筆する機会も出てくるだろう。それなりの文章力が必要となる。今度こそコピペは許されない。

学位論文は学術論文的な研究成果を示す側面と、誠実な科学者としてのあり方を示す側面を持つ。誠実な人間は、氷は近くのコンビニで買ってこない。小保方氏は少し横着な性格で、後者の点が足りないかもしれないが、前者に問題がなければ博士号を剥奪されることはないだろう。もし、今後、研究成果についても問題が発生すれば、わからないが。

もう一つつけ加えるとすれば、もしSTAP細胞のあの常識を外れた作成方法が真実だとしたら、恐らく、誠実な科学者は発見できなかったのではないか、と個人的には思う。