タイトルを変更した。
事実、今年で小学五年生になる息子は、自分がライトノベルを書いていたことを知らないのだ。自分も妻も話していない。いつか彼が自力で気が付く日まで話すつもりはない。

息子にとって自分はサラリーマンの父親である。
朝起きて職場に行き、夜遅くに帰ってくる。それこそラノベや漫画の主人公の家族の設定にありそうな、汎用型お父さんである。かつてライトノベルを書いていたことなどつゆ知らずである。
ただ、いつかは気が付くんじゃないかと思うのだ。

息子は恐らくオタクになるだろう。最近はまっているのは推しの子である。ヤングすぎる。血は争えない。そして、ヒントは家中にあるのだ。
まず、やたら緑の背表紙の小説がいっぱい転がっている。しかも同じ本が何冊もある。処理しきれない献本が残っているからだ。そして、なぜか中国語版やハングル版まであるのだ。中高生にもなれば、何らかの疑問を持つことだろう。
また注意深く毎日ポストを見ていれば、時々家にも届く、角川とか一迅社と書かれた封筒やはがきにも気が付くはずである。そこには過去出版した小説のデジタル化の許諾やら、印税やら、最近はやりのインボイスがどうのこうの書いてある。私も妻も中身を見ると、無造作にその辺においておくタイプである。ふと目につくこともあるだろう。
そして、引き出しの中や本棚に無造作に転がっている月見草平と書かれた名刺。なぜそんなものが家にあるのか? しかも複数枚あるのか? ワトソンやヘースティングズでも不思議に感じるはずだ。

以上のヒントを統合すれば、自ずと結論を導き出せるのではないだろうか。全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であってもそれが真実となる、と名探偵も言っている。
そして、自分の父親がかつてラノベを書いていたことは、そこまで奇妙なことではない。