2017年08月10日

開眼供養

834開眼供養の様子。お檀家さんも入りきれないほど見に来られて盛況。とても大切にされている雰囲気が伝わってくる。お盆前に納めることができて安心した。

千葉県市原市のお寺。像高65cm、総高120cm程の阿弥陀如来立像。なんとなく古風な雰囲気が漂う像でおそらく室町末から江戸の初めの頃の造像だろうか。光背に5体の化仏の取り付け箇所があり、密教系の阿弥陀如来とわかる。造立銘はなかったものの「大田大学」の修理銘がある。大田大学は市原市近辺の造像や修理に関わった仏師さんで200~250年程昔の人。3~4回程度全体塗り直しがおこなわれており、そのため、のっぺりとした無表情な像であった。今回の修復で後補漆層をすべて除去したところ、肉身部については堅下地の漆層がほぼ残っていたため、造像当初の姿にだいぶ近くなったのではないかと思う。






tukiou1 at 20:45|PermalinkComments(0)仏像修理の行程 | 如来

2017年08月06日

辰神

833十二神将、辰神。なくなっている左腕を彫り始めたところ。腕や頭部など大きな部材がなくなってしまっている像の場合、なくなった部分を新たに造るのは結構大変。今回は運よく右腕が残っているので、その右腕の形に似た腕を持つ作例を探し、左腕の形を決めることに。独特の手の形から、多分、矢を持った像と思われる。もし、これが両腕共になくなっていた場合、完全に想像して作ることになってしまう。片腕だけでも情報量があり、残っているのはありがたい。

tukiou1 at 20:25|PermalinkComments(0)仏像修理の行程 | 天部

2017年07月30日

十二神将

832十二神将 丑神の玉眼押さえの和紙。崩してあるとあまり読めないのだが、それでも、どうやら手紙の一部であるらしいことはわかる。紙も貴重だったろうから反故紙の再利用ということは理解できるが、どうせなら玉眼の押さえぐらい新しい紙を使ってほしい。他の像についても同様に反故紙を利用している。一応、写真で記録だけはしておく。

tukiou1 at 10:49|PermalinkComments(0)天部 | 仏像修理の行程

2017年07月21日

十二神将

831十二神将、巳神の台座。十二神将それぞれの部材がかなり混ざってしまっているので、台座にしてもホゾ穴が確実に合うかどうかを確認しながらの作業。足ホゾの位置なんてそうそう間違うことなさそうだが、それでも、十二体もあるとかなり微妙なものもあり、判断に苦労する。

tukiou1 at 19:48|PermalinkComments(0)仏像修理の行程 | 天部

2017年07月15日

天狗

830天狗像。はっきりしないが江戸時代も後半になってからの製作か。金毘羅神の脇侍として製作されたもので、大天狗と烏天狗で、それぞれ阿吽の対となっている。彩色の剥落止めまで作業を終えたところ。写真は大天狗。

持物について、大天狗が持っているものが一部欠損した状態で残っているのだが、これが何なのかよくわからない。
大雑把な彫刻ではっきりはしないが、稲わらを束ねたものである可能性が高い。
束ねた縄、稲穂と思われる彫刻がごく単純な彫刻で表現されている。
また、仏像でこうしたものを持つものは存在しないと思われ、堂内の他の像を見ても対応するのは間違いなさそうである。
天狗の持物というと、剣、羽団扇が有名なところで、他は羂索、鉾ぐらいしか思いつかない。
今のところ、稲穂を鉾で貫いたものか?と想像しているが他に類例を見たことがなく、想像の域を出ない。
もし、詳しい方いたらご一報を。

天狗の資料ということで、神奈川県立博物館の特別展図録「天狗推参」を眺めてみたものの、特に参考になるものはなく残念。

ところで、今年は天狗のあたり年で、いずれも大きくないものの、面も入れると天狗関連で7体も修理することになる予定。


tukiou1 at 13:38|PermalinkComments(0)その他の像 | 仏像修理の行程

2017年07月07日

部材やらなにやら

829お預かりしてきた仏像の部材やらなにやら入った段ボール箱。

仏像の修理の前にお堂の修理が先に始まったため、堂内の仏像やその他、すべての部材を大工さんが段ボール箱に詰めておいてくれたのだが、時間ができたため、それを整理し始めたところ。
金毘羅堂という御堂。祀られているのは金毘羅権現。像容のはっきりしない像なのだが、こちらのお堂では天狗の姿で現されている。大きくても1尺程度の大きさなのだが、天狗像5体、不動三尊に神像…と完全にばらばらに細かな台座の部材で、部材の仕分けにかなり手間取りそう。


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2017年06月30日

毘沙門天像

828毘沙門天像の開眼供養の様子です。

毘沙門天像ですが、震災で本来、安置されていたお堂が壊れたため、今現在は他の像と一緒に近隣の寺院に仮安置されています。お堂が再建できればそちらに移動される予定ですが、集落管理のお堂ですから、すぐに再建するのは難しいようです。

今回の像については、理解あるご住職によってお寺に置かせてもらえましたが、被災した像をどこに安置するかというのはケースバイケースで、特に処置もされずに壊れたお堂に安置されたままになるということもあるだろうと思います。管理者次第です。

できればお堂も復興してそのお堂に安置される日がこの像にとっても本当の復興の日になるのかもしれません。しかし、そうならなかったとしても、この像の歴史は続いていきます。古い像です。この像自身にたってみれば、こうした震災のごたごたも今まであった危機的な状況の一つに過ぎないのかもしれません。

しかし、修復を依頼し、安全な安置場所を確保するといった、集落の方々の努力がなければ、この像自体、震災のどさくさでなくなっていた可能性もありました。仏像が後世に残っていくのは、ただ残るのではなく、周囲の人々の残していきたいという想いによって残っていくんだなということを実感します。

tukiou1 at 07:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)NPO補助修理 | 天部

2017年06月28日

毘沙門天

827続いて、毘沙門天像を厨子に納めたところ。厨子はかなり大きく立派なものです。江戸時代に作られたものと思われます。実はこの像の台座、岩座部分より下には框を接合した痕跡がありません。本来であれば岩座の下に框など何らかの構造がないのはおかしいのですが、岩座とこの厨子の台座部分がぴったりと形が合うようにできています。

つまり、修理で台座や邪鬼を新造した時期と厨子を作ったのは同時期のようです。右手に執る剣も同時期に作られたものなのでしょう。毘沙門天は本来は戟を執り、今回の修復でも可能であれば戟にしたかったのですが、戟にすると長さが必要になるため、厨子に入らなくなってしまうので断念した経緯があります。実際、剣にしても厨子の天井部分との隙間は1cm程でぎりぎりです。

どうして江戸時代の補作で戟を剣に変更して補修したのかを考えると、正直、厨子もこれ以上大きくなると移動が困難になってきますし、戟にして柄を長くした像を厨子に入れた場合、厨子の大きさに対して像が小さく見えるということも考えられます。単に修理者が好みで剣にした可能性もありますが、こうした幾つかの理由を元に剣に変更したと考えるのが自然だと思います。その時の条件で効率的と思われる作業を選択した当時の修理者の様子ががうかがえます。

tukiou1 at 08:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)仏像修理の行程 | NPO補助修理

2017年06月24日

石井真弓/写真家

石井真弓/写真家

Mayumi Ishii PHOTOGRAPHY

何年か前に、「ANA国際線機内誌WINGSPAN」の取材を受けたのですが、その時、撮影してくれた写真家、石井真弓氏のHPです。リニューアルしたと連絡をいただきました。
私もイケメンに撮っていただいております。
数年前なのですが、はるか昔のことのように思います。
写真を見て若いなぁ…と感じました。




tukiou1 at 20:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2017年06月23日

毘沙門天

826NPOで補助した毘沙門天像。修復が完了した。
総高で150cm。像高は105cm程。カヤ材の一木造り。修理前は近代の補修による彩色や漆箔のせいもあって博物館の調査では、江戸時代末の作と考えられ、実際、私も江戸時代かなと思っていた。

今回の修復によってある程度本来の姿を取り戻すことができたかと思う。
修復完了後のこの像を江戸時代制作と考える人はまずいないだろう。
それくらいに雰囲気が大きく変わった。古い像であることを伝え、市の教育委員会の下見が一度あり、再度、県の博物館の調査が入ることが決まったようでよかった。

中世に遡ることに博物館のお墨付きが出れば、この地方では最古級の仏像になるとのこと。
残念ながら、墨書類、銘文の類は出なかったが、修復によって地域の文化財を掘りおこした良い例となった。
修復について寄付をしていただいた方々にお礼を申しげます。

納めた時の様子もいずれUPします。お待ちください。


tukiou1 at 08:07|PermalinkComments(2)TrackBack(0)仏像修理の行程 | NPO補助修理