2023年12月02日
十二神将

江戸時代後半の作。在地の仏師さんの手によるもので、とてもユニークな作風。
漫画っぽいなぁと思っていたが、他の人からも同様の感想をもらった。
仏師は大木半兵衛。
他にも作例が出てくれば面白いなと思う仏師かもしれない。
年内に納めることができてホッとした。
2023年11月26日
薬師如来像

複雑な改変を繰り返した像だけに納入品や墨書を期待したのだが、特に何も見当たらず。
一ヶ所、おそらく仏師名と思われる名が書かれていたが、部材的にはおそらく江戸時代のもので、それ以前に遡るようなものは見当たらなかった。
ともあれ解体することによって、多少、様子がわかってきた。
2023年11月12日
薬師如来

薬師如来の台座の一部。
千葉県山武市のお寺。
あちこちのお寺を兼任しているようで、その兼任されているお寺のご本尊。
厨子も含めて、かなり破損がすすみ全壊状態。
おそらく江戸時代の像だが、台座の蓮弁などはしっかりしたもので、或いは各時代の部材が混在しているのかもしれない。
ここのところ破損の程度がひどい像が立て続けで、結構大変。
2023年10月29日
薬師如来像

薬師如来像の移動の様子。
集落管理のお堂。
公民館脇に小さく建てられている。
元は近隣の大寺院の末寺だった寺のようだが、修理銘札を見るとその寺院の名が記されているのは江戸時代までで、明治、大正、昭和の明治以降の修理銘札には寺院名も住職の名も記されていないことから、明治には廃寺になっていたようである。
おそらく、廃寺後に寺院の敷地は共有地のような扱いになり、集落で管理するようになったのだろう。
中の薬師如来像はかなり大きなもので、光背がお堂の天井にぶつかって入りきらないため、本来の位置より低い位置になんとか取り付けられているほど。
光背を本来の位置に戻したいが、天井板まではどうにもできないので、ちゃんとした位置に戻せそうにないのが残念。
2023年10月22日
薬師如来

中に納められていた修理銘によると、破損した仏像の頭部の一部を再利用し、江戸時代に体を新造したとのことが書かれている。
頭部はかなり継ぎはぎなので、おそらくその通りなのだろうが、体についても立像であったものを座像にしたり、坐像であったものを立像に戻したりと、ただの書き間違いなのか、実際にそうであったのか、かなり複雑な修理の経歴を持つ像のようである。
2023年10月15日
薬師如来像

大きい像なので2年ほどかけて作業をする予定。
胎内に何枚もの木札が納められており、ある程度の修理の経歴を知ることができる。
もっとも古いものが寛文十二年(1672年)で修理銘の木札。
その後、享保十五年(1730年)。
明治、大正、昭和と各時代の修理銘札が揃っている。
ある時代には、それらの銘札板をいつでも見られるようにとでも思ったのか、背面に取り出し口をつけ、いつでも胎内から板を取り出せるように細工が施されていた。
今回はどうしたものか。
2023年09月30日
納入品

こうした納入品はまれに出ることがあるのだが、今回のものは変わっている。
像を解体すると木製の小箱が出てきたのだが、納められていたものは、この像を修理したときに出た破片や切りくずなどであった。
顔の一部や手先の一部などが入ってることはあるのだが、修理の際に出た破片や切りくずは初めて。
箱の周囲には文字が書かれており、お寺の名前、仏師の名(木原左近)、延享二年(1745年)、木屑を仏像の腹に納めることなどが記されていた。
屑でも仏像から出たもので、無下にはできなかったのだろう。
当時の信仰の一端を見たよう。
2023年09月16日
観音及び勢至菩薩像


仁王像と同時期に作業を進めていたこともあり、普段よりだいぶ時間がかかってしまったものの、先日、無事にお寺に納めることができた。
阿弥陀三尊像としての脇侍像。
おそらく中尊の阿弥陀如来と思われる像も残っているが、はっきりは分からないようである。
複数の破損仏も含めて、今はすでになくなってしまった他のお堂から持ってきたものであるらしく、それが古い時期であるため、よくわからない。
勢至菩薩は江戸の中頃の作。
観音菩薩はそれより下った時期の作で、おそらく在地の仏師が勢至菩薩を参考に作ったものと考えられる。
2023年09月09日
光背

不動明王尊の光背。
光背の部材が外れているということで、光背のみの小修理であずかったもの。
預かったときは、実際に外れている個所は3カ所程度で、他に4~5箇所遊離しているかなという印象だった。
作業を始めると、大きいところから細かいところまでかなりの部分が複数材で接合されており、少しでも触るとその箇所が外れてくるという、かなり面倒な代物だった。
一材で作れるところはそのように木取すればそんなに壊れないのだが、当時、作ったときにはその時の苦労があったのだろう。
ともあれ、うかつに触れない。
2023年09月03日
十二神将

背面に戌と墨書きされており戌神とわかるが、この墨書きが元のものかは不明。
この像だけ墨書きされ、なぜ他の像は書かれていないのかかが解せないと思う。
とはいえ、他に根拠もないので「戌神」ということで作業を進める。
十二神将は別に干支の動物に対応した雰囲気で作るわけではないが、雰囲気としては申のほうがしっくりくる。