2021年04月21日

達磨大師

870だいぶ消えかかっているものの達磨大師の曲録の背面に文字が書かれている。多分、真鍮粉で蒔絵のように書かれていたのだと思うが、退色したのだろう。
かろうじて「豫洲吉田城下法華津屋遊濟 洞山主人 玉洲置焉」と読める。豫洲吉田藩は今の愛媛県宇和島市。法花津屋は御用商人の屋号で、宇和島ではかなり有名な商家であるらしい。「国安の郷」という施設には、安政6年(1859年)に建てられた店舗が移築され残っている。

調べると紙の専売をめぐって「武左衛門一揆」とよばれる打ちこわしの対象になったりと、結構、興味深い歴史が出てくる。この像は元文五年(庚申)(1740年)に造立なのだが、一揆はこの約50年後の出来事。

像自体は、かなり豪勢な作りで彩色が細かい。ふつうは背面など見えないところは省略するものだが、そうした手抜きが全くなく、背面迄かなり細かな彩色が施される丁寧な作り。なるほど御用商人だとここまでの造像ができる資金があるのかと納得した。

法華津屋遊濟が何代目の当初かはわからないが、法華津屋の当主には俳諧を嗜む人が何人かいるようなので、「遊濟」はその雅号なのだろう。対して奉納されたお寺についても「洞山主人 玉洲置焉」と名乗っており、何代目住職と書かずに洞山主人と書く感じが、俳諧仲間だったのかな?と感じさせる。ともあれ、調べていろいろわかることが出てくる文字類は面白い。

tukiou1 at 20:28│Comments(0) 天部 | 仏像修理の行程

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