NPO補助修理

2021年08月07日

地蔵菩薩像

885地蔵菩薩像の解体風景。一木造り。内刳りなし。在地の仏師さんの作だけあって個性的な造形。江戸時代ぐらいの像だと奥行が小さいイメージだが、この像は最大幅と最大奥行がほぼ一緒。奥行が深いせいか堂々とした雰囲気に見える。

tukiou1 at 16:14|PermalinkComments(0)

2021年07月17日

地蔵菩薩像

882地蔵菩薩像の頭部から見つかった造立銘。それによると
「宝永元年」(1704年)の作。およそ320年前に造像されたことが判明。仏師は「高岡村仏師右京」高岡村は今の真岡市の一部。この「右京」さんが68歳の時に作ったとのこと。

安置されていたお寺は宝蔵院。宝蔵院というお寺はおそらく廃寺となり、記録も出ないため詳細は分からない。現在は共同墓地の一角にお堂が建てられて安置されているのだが、この共同墓地の敷地が過去には宝蔵院の敷地であったのかもしれない。

また、造立銘の他に修理銘が2つでた。明和二年(1765年)に「相州鎌倉八幡前 大仏師玄□隼人作」。この時の修理は台座の新造であるとの旨が記されている。本体に比べて台座が一回り小さいのを見ると、鎌倉まで仏像を送って修理したというより、仏像の簡易的な法量を知らせて、台座だけ新造してもらったように思える。当時の主流の作に比べてこの地蔵菩薩像はかなり深い奥行があるため、高さの指定だけでは充分でなく、いざ安置してみたらお尻が出てしまったのだろう。

最後に明治二十八年(1895年)の修理銘。この時は関係者の名前が記されるものの、すでに宝蔵院の名はなく、この時点で廃寺になったいた可能性が高い。記録に残る修理はこの修理が最後となる。このように今回は、いろいろと文字が出てよかった。作られた時代や安置されていたお寺の名もわかり、やはり文字情報は大切だと思う。



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2021年05月30日

地蔵菩薩像

875
2021年度は栃木県、真岡市にある共同墓地の御堂に安置される地蔵菩薩坐像の修復をおこなっています。御堂は本来、名前があったと考えられますが、そうした名はすでに伝わっておらず、今では単に「御堂」と呼ばれているようです。この御堂については数年前に老朽化のため新しく建て直されています。

地蔵菩薩像は座高で約30cm程ですが、岩座もいれば70僂鯆兇┐泙后A芦鵑量師如来像同様にかなり個性的な雰囲気の像です。頭部に造立銘が記されており、それによると宝永元年(1704年)に造立されたことがわかります。また、造立銘のほか、修理銘も記されています。それによれば、蓮台は明和二年(1765年)。岩座は明治二十八年(1895年)にそれぞれ新たに作り足されたもののようです。それぞれの時代で大切にされてきた像であったことがうかがわれます。今回で明治におこなわれた修理から126年ぶりの修理となります。


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2021年02月27日

薬師如来像

863薬師如来像の堂内安置風景。日光、月光の両菩薩と十二神将も現存している。とはいうものの自立は難しいため、壁によりかかるように安置されている。いずれも一木造りの素朴な作で江戸時代の後半の作か。

今回、堂内に安置しているところを写したが、薬師堂自体が杉林の中の人気のないところに建っていることもあり、通常は別の場所で保管し、祭礼の日に薬師堂に安置するという形になるようである。防犯の問題はどの御堂や寺院にもあるが、あまりのんびりともできない世の中になったものだと思う。

今回の像は、制作年代、制作者も判明していることもあり、在地の仏師の資料としては興味深いものだと思う。次の世代、次の世代へと引き継いでいくのは難しいものだが、後世に伝えていってほしいと思う。

次回の修理予定は栃木県の真岡市、共同墓地にある御堂の仏像の予定です。
また、ある程度決まりましたらUPします。







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2021年02月14日

薬師如来像

8622020年度のNPOの活動として修復した像。薬師如来像。修復作業が完成したところ。本体は約32cm、総高で66cm程。

胎内の右肩内刳り内部に墨書があり、寛永十三年(1636年)造立の銘が記される。仏師は「かまくら住たかやす」。仕上げは「かうさき村岩瀬九兵衛」。願主は「用長」。

願主の「用長」については詳細不明。僧侶の可能性もあるが、在家の信徒であったかもしれない。この墨書は願主「用長」が主体となっているようであり、「用長」が67歳の時に堂宇と薬師如来像を造立したとの内容である。

「かまくら住たかやす」については「かまくら」は鎌倉だと思われる。鎌倉に住む仏師「たかやす」が制作したと読めるが、鎌倉を本拠地としていた仏師としては、作風がかなり独特であり、主流から外れたものとなっている。また「たかやす」、「高安」は茨城、千葉に多い苗字であり、鎌倉で修業をした仏師という意味で書いた可能性もある。想像ばかりでよくわからない。「かうさき村岩瀬九兵衛」については、「かうさき村」は現在の千葉県神埼町のことか。以上のことから、この像は茨城県内か千葉県内の在地の仏師の手によるものと考えて良いかと思われる。

作風としては、丁寧に彫ってあるものの、かなり異質な造形感覚である。こうした像にはあまり光が当たらないが、年代がはっきりわかる近隣の在地の仏師の作として興味深い像かと思われる。


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2020年11月07日

薬師如来像

849無くなっていた場所の新造が大体できたところ。台座の部材はあまり残っていなかったのだが、同時代頃の他の作例があったので参考にできた。蓮弁ついては、制作当初のものか不明。葺き直しされた痕跡もあるし、背面の蓮弁と作風も違うため、よく分からない。後補の可能性も高い。まぁ、ほぼ400年前の像であるから、だいぶ修理の手も入っていて当然かと思う。

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2020年10月01日

薬師如来

844薬師如来の光背。結構、欠失個所が多いが、それでも片側が残っているのでありがたい。残っている痕跡から、デザインは左右対称でないことがわかるので、残っているのを参考にアレンジする。違和感なくデザインをまとめるのはかなり大変。意外に時間がかかる。

tukiou1 at 20:08|PermalinkComments(0)

2020年07月22日

薬師如来像

835膝前材を接合する前の状態。少し変わったデザインの仏像で、台座の蓮肉部分が垂下する裳裾ですっぽりと覆われるような形となっている。また、この垂下する両袖材も左右各一材から彫り出しているのだが、袖の内部の異様な深さの彫り込みなど、どうやって彫刻したのかと不思議に思う。胸や衣の単純な衣文と、部分的に見せる異様な部分とが相まって不思議な雰囲気の像になっている。

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2020年06月23日

薬師如来坐像

832今年度、当NPOで修理補助をする薬師如来像。本体は座高でおよそ30冂の像。古くは集落管理の像であり、この像が安置された薬師堂なども明治の時期の再建の棟札などが残り、地元の関係者の方々の名が連なっている。現在は、そうした方々も関係が薄くなり、お堂の建つ土地の所有者の方が主に管理するお堂となっている。

本像は両手先がないため、それだけでは単に如来形坐像ということになるのだが、薬師堂に安置されること、他に十二神将があることからも薬師如来像であるのは間違いないと思われる。胎内に墨書があり、読み難いものの、寛文十三年(1636年)とはっきりと読め、400年近い昔に作られた像であることがわかる。作風は在地の仏師によるもので、中央の作風と比べるとかなり異質な雰囲気を持つ像。こういった像はなかなか評価されないのだが、造立時期もわかり、在地の仏師の作風がわかる興味深い像だと思う。

tukiou1 at 19:34|PermalinkComments(0)

2020年04月24日

地蔵菩薩像

824
地蔵堂の本尊。地蔵菩薩像。2019年度、当工房で修理補助した像。1月に祭礼があり、無事に納めることができた。地蔵堂については、資料がほとんど残っておらず、どういった寺院であったかもわからないのだが、公民館となった敷地内には、僧侶の墓と思われる石塔なども残っており、元は住職もいる寺院であったようだ。

本尊の地蔵菩薩像は、造立銘などを記した墨書は出てこなかったものの、作風や古風な構造などから戦国期ぐらいまで遡る可能性があるように感じる。仏像本体は一木造りのため、大きく部材が脱落して壊れるようなことはなく、修理としては光背や台座が中心だった。

およそ江戸末から明治ぐらいに修理を受けたと思われるが、現代にまでよく残ったと思う。今回の修理で、同じ程度100年から200年は残っていってほしいと感じる。


825
お厨子に安置したところ。 扉は木製だが、本体部はブリキ製。ブリキでこんなものまで作っていた時代があったんだなと驚く。まだ、破損した仏像が何体か残っており、他の像も時間をかけて修理していく予定になっている。

tukiou1 at 21:41|PermalinkComments(0)