天部

2021年05月22日

仁王門

874仁王門。仁王像の修理を考えているので見てほしいとのことで、千葉県一宮町まで。200段はありそうな石の階段の先にある仁王門。市の調査で胎内に墨書と修理銘の入った木札が確認されており、元禄に江戸伝馬町の「善慶」が制作したことが記されている。かなり上手いという印象で全体によく整った作風。阿形像はぐらつくもののまだ自立していたのだが、吽形像は主要部材の多くが外れてしまい、壁に寄りかかっている姿がノックアウト寸前のボクサーを想像させた。幕末に修理は受けているものの、この時は漆の塗り直しが中心であったらしく、であれば構造的には手が入れられないまま300年たったということになる。状態としてはすでに全壊状態で、今回、修理が決まるかどうかは別としても、どちらにせよ修理の時期が来ているのは間違いないようである。

tukiou1 at 21:34|PermalinkComments(2)

2021年04月21日

達磨大師

870だいぶ消えかかっているものの達磨大師の曲録の背面に文字が書かれている。多分、真鍮粉で蒔絵のように書かれていたのだと思うが、退色したのだろう。
かろうじて「豫洲吉田城下法華津屋遊濟 洞山主人 玉洲置焉」と読める。豫洲吉田藩は今の愛媛県宇和島市。法花津屋は御用商人の屋号で、宇和島ではかなり有名な商家であるらしい。「国安の郷」という施設には、安政6年(1859年)に建てられた店舗が移築され残っている。

調べると紙の専売をめぐって「武左衛門一揆」とよばれる打ちこわしの対象になったりと、結構、興味深い歴史が出てくる。この像は元文五年(庚申)(1740年)に造立なのだが、一揆はこの約50年後の出来事。

像自体は、かなり豪勢な作りで彩色が細かい。ふつうは背面など見えないところは省略するものだが、そうした手抜きが全くなく、背面迄かなり細かな彩色が施される丁寧な作り。なるほど御用商人だとここまでの造像ができる資金があるのかと納得した。

法華津屋遊濟が何代目の当初かはわからないが、法華津屋の当主には俳諧を嗜む人が何人かいるようなので、「遊濟」はその雅号なのだろう。対して奉納されたお寺についても「洞山主人 玉洲置焉」と名乗っており、何代目住職と書かずに洞山主人と書く感じが、俳諧仲間だったのかな?と感じさせる。ともあれ、調べていろいろわかることが出てくる文字類は面白い。

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2021年04月10日

大権修理菩薩

869大権修理菩薩の右膝付近。こんな感じで全体に彩色が剥落しており、触る度に細かな彩色片が剥離していく。まずは彩色の剥落止めから。部分的に部材が外れたり、隙間が開いたりしているが、とにかく剥落を止めないと怖くて触ることもできない。
彩色はかなり上等のもので、盛り上げ胡粉をふんだんにあしらったデザイン。背面まで省略することもなく豪華に仕上げている。

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2021年04月02日

曲録

868大権修理菩薩像の曲録の一部。ないので桧材で新造しているところ。対になる達磨大師の部材は残っているのでこれを参考にする。

両端に牡丹。中に宝相華を表す豪華なもの。手が込んでいる。

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2019年12月20日

十二神将像

608十二神将像の最後の三体、寅神、戌神、亥神を1月の祭礼前、年内に納めることができた。これで薬師三尊も含めて15体、5年かかった薬師堂の修理計画が無事に完了。途中、けがや入院など滞ることがなくてよかった。また、最後の亥神の修理の際には体内から修理銘がでたのも運がよかった。

この修理銘が書かれた以前にも修理の痕跡があることから、造像は江戸時代の中頃の後半ぐらいまでは遡ることが可能だろうと思われる。きけば新田開発で人口が増えたのもその頃であるらしいので、豊かになってきた頃合いに薬師如来の眷属として十二神将像を造像したのだろう。地域の歴史の一片を象徴する像としても、大切に守り伝えていってほしいと思う。

tukiou1 at 19:23|PermalinkComments(0)

2019年08月30日

十二神将

592十二神将の内、亥神。他に寅、戌神と同時に3体作業しているので、なかなか進まない。写真は足ホゾを新たに作り、自立するように調整しているところ。どの像も重心が後ろにありすぎるので、二本足でバランスよく立つのにはなかなか無理がある。

tukiou1 at 20:41|PermalinkComments(0)

2019年08月23日

十二神将

591修理中の十二神将の胎内から紙片が出てきたところ。納入されていたのは修理のことが記載された墨書きで、修理した日付、仏師の名、住所などが記載されていた。今回の修理については4年継続で作業中なのだが、4年目の最後の年まで何の墨書も出ないため、何の記録も像に書き入れなかったのかなと考えていた。今回、十二神将の最後、亥神の胎内から出たということで、最後の最後で墨書が出たなぁという印象。造立銘ではなく修理銘ではあるが、それでも文字情報が出るというのは嬉しい。

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2018年12月09日

十二神将像

557十二神将像。先日、無事に三体納めることができた。子神、卯神、未神の3体。頭部が入れ替わっているのもあり、相変わらず部材の確定には苦労した。来年も3体の予定でその3体が修理が終われば十二神将像の修理作業が完了する。もう少し。

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2018年11月04日

十二神将

552十二神将のうち子神と卯神。この2体は後の修理で頭部が入れ替わっていた。頭部の干支の標識がなくなると、ばらばらになった際にどの像のものか決め手がなくなってしまいがち。頭部はまだわかりやすいが、足先とか手先になってくると判断に苦労するものもある。

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2018年10月19日

十二神将

550十二神将の内の三体。子神、卯神、未神像。今年も3体修理中。欠失、亡失個所を造り、光背に関しては金箔まで貼ったところ。年内には納めたいところ。

tukiou1 at 19:51|PermalinkComments(0)