天部

2022年11月05日

仁王像

944

だいぶ、主要体幹部が組みあがってきた。
作業してみて阿形と吽形で内刳りの感じが少し違うのがわかってきた。

阿形の内刳りは全体に薄く、部分的に貫通しているところもある。かと思うとほとんど刳らないところもあり、丁寧にやる意識はあるが行き当たりばったり感が少しある。

吽形像は全体にある程度、均一の厚みで刳ろうとする意識が感じられる。
こちらの方が手馴れている感じが少しする。
彫った人間が違うからなのか、2度目で慣れたのかまではわからないが。


tukiou1 at 06:45|PermalinkComments(0)

2022年10月01日

仁王像

939仁王像。そろそろ体幹部を組み上げているところ。

主要体幹部は基本的に前後左右に接合した四つの材からなっている。これが首元から足ホゾまで通っているのだが、節なども入っており、経年変化もあってそれぞれに歪んでいる。単純に一ヶ所一ヶ所接合していくと、最終的につじつまが合わない場所が出てくるため、歪んだ部分を調整しながら組みあがりを確認して接合していくことになる。

tukiou1 at 06:40|PermalinkComments(0)

2022年08月20日

仁王

934吽形像。解体を終えたところ。

大きい像なので、随分と時間がかかった。
胎内に幕末の修理銘札が入っており、その際に漆の塗り直し修理が施されたことは分かっていたが、その後も何度か修理を受けていたらしい。

隙間には、おそらく石膏を埋め、全体に塗られた赤い色は、どうやら合成塗料のようである。
その下地として塗られた白い色も合成塗料で、水や有機溶剤ではなかなか落ちずに、剥がすのに大変苦労した。

また、大きな穴には、スチール缶を切り抜いたものをあてがって塞いでいたりしており、こういった修理は初めて見た。おそらく物がない時代の修理だったのだろうが、ともあれ工夫を感じる。

tukiou1 at 07:21|PermalinkComments(0)

2022年07月16日

仁王

928仁王像。少しづつ解体をすすめている。

海に近いこともあってか、鉄釘が錆びて錆びてほぼ原形をとどめていない。やはり、海の近くだと潮風の影響があるのだろうか。また、江戸時代末におこなわれた漆の塗り直しについても、胡粉の下地がえらく硬い。小さな欠失個所ぐらいであれば、この胡粉を盛り上げて埋めてしまっているぐらいなのだが、石膏のように固く、水をかけてもなかなかゆるむ気配がない。たまにこういう下地はあるのだが、仁王サイズで全体だとさすがにつらい。


tukiou1 at 19:39|PermalinkComments(0)

2022年07月02日

仁王

926仁王像の台座。解体したところ。

本体も含めてすべての部材を解体すると、部材の置き場に困る。そのため、部分ごとに作業を分けて進めていく予定。まずは台座から。山中の仁王門に安置されていた割には虫食いが少なくて驚く。部分的に腐朽があるものの、部材としては比較的しっかりとした状態であった。

tukiou1 at 11:37|PermalinkComments(0)

2022年06月04日

仁王像

923仁王像の移動風景。

千葉県一宮町、山中の仁王門から仁王像を運び出しているところ。

像は破損がかなり進んだ状態となっており、吽形像に至っては部材の脱落もはげしく、自立すらできない状態であった。解体し、部材ごとに運び出すことも可能であったが、急な石段が続くところであったため、固定して一気に運び出すことに。内刳りが丁寧に彫られた像であったため、この法量としては比較的、軽量で助かった。移動には筑波大の学生さん4名と地元の方3名に手伝っていただいた。

大きい像は、移動する際の準備に本当に頭を使う。何度も頭でシミュレーションするのだが、無事に事故なく怪我無く移動できて安心した。

tukiou1 at 07:08|PermalinkComments(0)

2021年05月22日

仁王門

874仁王門。仁王像の修理を考えているので見てほしいとのことで、千葉県一宮町まで。200段はありそうな石の階段の先にある仁王門。市の調査で胎内に墨書と修理銘の入った木札が確認されており、元禄に江戸伝馬町の「善慶」が制作したことが記されている。かなり上手いという印象で全体によく整った作風。阿形像はぐらつくもののまだ自立していたのだが、吽形像は主要部材の多くが外れてしまい、壁に寄りかかっている姿がノックアウト寸前のボクサーを想像させた。幕末に修理は受けているものの、この時は漆の塗り直しが中心であったらしく、であれば構造的には手が入れられないまま300年たったということになる。状態としてはすでに全壊状態で、今回、修理が決まるかどうかは別としても、どちらにせよ修理の時期が来ているのは間違いないようである。

tukiou1 at 21:34|PermalinkComments(2)

2021年04月21日

達磨大師

870だいぶ消えかかっているものの達磨大師の曲録の背面に文字が書かれている。多分、真鍮粉で蒔絵のように書かれていたのだと思うが、退色したのだろう。
かろうじて「豫洲吉田城下法華津屋遊濟 洞山主人 玉洲置焉」と読める。豫洲吉田藩は今の愛媛県宇和島市。法花津屋は御用商人の屋号で、宇和島ではかなり有名な商家であるらしい。「国安の郷」という施設には、安政6年(1859年)に建てられた店舗が移築され残っている。

調べると紙の専売をめぐって「武左衛門一揆」とよばれる打ちこわしの対象になったりと、結構、興味深い歴史が出てくる。この像は元文五年(庚申)(1740年)に造立なのだが、一揆はこの約50年後の出来事。

像自体は、かなり豪勢な作りで彩色が細かい。ふつうは背面など見えないところは省略するものだが、そうした手抜きが全くなく、背面迄かなり細かな彩色が施される丁寧な作り。なるほど御用商人だとここまでの造像ができる資金があるのかと納得した。

法華津屋遊濟が何代目の当初かはわからないが、法華津屋の当主には俳諧を嗜む人が何人かいるようなので、「遊濟」はその雅号なのだろう。対して奉納されたお寺についても「洞山主人 玉洲置焉」と名乗っており、何代目住職と書かずに洞山主人と書く感じが、俳諧仲間だったのかな?と感じさせる。ともあれ、調べていろいろわかることが出てくる文字類は面白い。

tukiou1 at 20:28|PermalinkComments(0)

2021年04月10日

大権修理菩薩

869大権修理菩薩の右膝付近。こんな感じで全体に彩色が剥落しており、触る度に細かな彩色片が剥離していく。まずは彩色の剥落止めから。部分的に部材が外れたり、隙間が開いたりしているが、とにかく剥落を止めないと怖くて触ることもできない。
彩色はかなり上等のもので、盛り上げ胡粉をふんだんにあしらったデザイン。背面まで省略することもなく豪華に仕上げている。

tukiou1 at 21:47|PermalinkComments(0)

2021年04月02日

曲録

868大権修理菩薩像の曲録の一部。ないので桧材で新造しているところ。対になる達磨大師の部材は残っているのでこれを参考にする。

両端に牡丹。中に宝相華を表す豪華なもの。手が込んでいる。

tukiou1 at 20:08|PermalinkComments(0)