●戦争証跡博物館
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探訪日時:2015年12月
入場料:15000ドン

【どんな場所?】
ベトナム戦争の歴史を戦争遺物や写真で展示する博物館。
1975年開館。

メモ:
パネルや写真を中心とした展示だが、フランス・アメリカとの戦争の
背景や被害の状況がわかりやすく展示されている。

歴史的意義 :★★★★
規模    :★★★★
アクセス  :★★★★
個人的満足度:★★★★

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第二次大戦後、ハノイに掲げられた「独立か死か」のスローガン。
フランスからの独立をめざし、インドシナ戦争が起こる。
インドシナ戦争 1946~54
日本の降伏直後ベトナム民主共和国が成立したが、フランスが植民地支配の回復をねらったためにおこった戦争。解放勢力は農地解放を行って民衆の支持をうけながら戦ってフランスを破り、ジュネーヴ会議で休戦協定が成立した。

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インドシナ戦争の際、実際にベトナムが戦った相手はフランスであったが、
戦費のグラフを見てみると、アメリカの支援(緑グラフ)が多いことがわかる。
インドシナ戦争にフランスが敗れ、アメリカとのベトナム戦争へと突入することとなる。

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ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した爆弾のトン数の推移。
1968,69年がピークであり、ベトナム戦争での爆弾の総数は
第二次大戦の2倍以上の1430万トンであった。
ベトナム戦争 1965~73
南ベトナム政府軍と南ベトナム解放民族戦線の間での内戦に、アメリカが介入して始まった戦争。1965年の北爆以降アメリカ軍は介入の規模を拡大させ、最盛期には53万人の軍を派遣し、最新兵器を駆使して大規模な地上戦・空爆を繰り返したが、ソ連・中国の支援を受けた北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線の激しい抵抗で戦争は泥沼化した。その後アメリカは、内外の反戦運動、財政赤字の拡大などで困難に陥り、68年、平和会談に臨まざるを得なくなった。戦火はさらにラオス・カンボジアにも拡大したが、アメリカは73年パリ協定に調印して撤兵した。75年解放民族戦線の猛攻によって南ベトナムの首都サイゴン(現在ホーチミン市)が陥落し、翌年北ベトナムによる南北統一がなしとげられた。

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南ベトナムを支援した各国軍の動員数。
アメリカがずば抜けているが、次いで韓国軍も多い。

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ゲリラ戦に苦戦したアメリカ軍は枯葉剤を散布する暴挙に出る。
この博物館の上のフロアは、枯葉剤の被害やアメリカ軍の
民間人への暴挙の数々がひたすら続く。写真は割愛します。

日本人の写真家、石川文洋の写真は日本語の解説付きで
わかりやすく、戦争をリアルに伝えていた。

アメリカの立場としては、ベトナムが社会主義陣営に入ってしまっては、
ドミノのように東南アジア一体が赤化してしまう恐れがあったので、
いかにベトナムを重視していたのかはわかるが、
力尽くの支配では結局ベトナム人の反発を生むだけで、
自由・独立を掲げる北ベトナムの追い風となるだけだったのだろう。

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日本共産党の展示。反戦運動は日本にも広がった。
ベトナム反戦運動
ベトナム戦争へのアメリカの介入に反対する運動。アメリカ国内のみならず、ヨーロッパ・日本などでもさまざまな立場から激しく展開された。この結果、アメリカは国際的に孤立した。

【地図】