総統府その2。
林則徐関連の展示が豊富!

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総統府内にある陶林二公祠。
ここには林則徐(左)と陶澍(右)が祀られている。
この2人は19世紀に活躍した清の官僚で、地方行政の改革につとめた。
特にイギリスから輸入されるアヘンの取り締まりを行ったことが有名である。

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出口付近にいた林則徐像。
林則徐もかつては両江総督に就任し、この地で活躍した人物だ。
林則徐⑪ 1785~1850
清末の政治家。1838年にアヘン厳禁を主張して欽差大臣に任命された。1839年広州に着任し、アヘンの没収・廃棄、中国人密貿易者の処罰、イギリス商館区の封鎖などを強行した。アヘン戦争が勃発すると、イギリス側の強硬策に動揺した清朝に解任され、さらにイリ地方に追放された。その後許され、地方の総督を歴任した。

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1839年、欽差大臣として広東に到着した林則徐は、
イギリス商人が持っているアヘンを没収し処分した。
イギリスはこれを口実として、翌年から清とアヘン戦争を引きおこして圧勝し、
不平等条約である南京条約を締結するに至る。

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お!イギリスから輸入されたアヘンを処分している!!
アヘンは燃やして処分できないので(吸って中毒になってしまう)、
アヘンを水の中に沈めて、石灰を混ぜて海に流したとされる。
この様子は映画「阿片戦争」にも描かれている。

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おお!!なんとアヘン貿易に関する展示がある!!!
総統府を一通りみて「そろそろ帰るか」と出口へ向かっている途中だったので、
思わぬ収穫だ!!

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アヘンの原料であるケシの花が並ぶ…。(もちろん造花)
アヘン
ケシの乳液からつくる麻薬。中国では古くから鎮痛剤などとして知られていたが、連用によって強い中毒症状に陥る。吸飲の習慣は、18世紀頃からさかんになっていたが、清朝は禁止していた。

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アヘンは医薬品として古代から用いられてきた。
明の薬学書である「本草綱目」にもアヘンの効能が書かれている。
『本草綱目』
薬物に関する総合書で、1596年刊行。52巻。李時珍著。古今の関係書をもとにし、1898種の薬物とその処方8161例が収められている。

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清の国内にアヘンが大量に流入するようになったのは、
19世紀にイギリスと英領インドとの「三角貿易」が行われるようになってからである。
この図ではインドから中国へアヘン、中国からイギリスへ茶、イギリスからインドへ紡績品、
がそれぞれもたらされている。
三角貿易(アジア)⑩
18世紀末から19世紀にかけてイギリスが行った中国・インド・イギリス本国間の貿易。18世紀以降イギリスで喫茶の習慣が流行し、中国からの茶の輸入量が激増して大幅な輸入超過となり、代価として銀が一方的に中国へ流出した。これを是正するため、インド産のアヘンを中国へ、中国の茶をイギリス本国へ、本国綿製品をインドに運ぶ三角貿易を確立させた。しかし、1830年代になると、中国のアヘン輸入量が茶の輸出量を上回り、中国から逆に銀が流出した。その結果、中国国内では、銀価が高騰し、アヘン吸飲の害毒も広まった。

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三角貿易の結果、中国のアヘン倉庫には大量のアヘンが並ぶ。
棚が天井まで届き、さながらアマゾンの倉庫である…。

アヘンはボウリング玉ほどの黒い玉で取引された。

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アヘン窟の様子も再現されている!
中毒者は焦点も定まらず、脱力状態…。

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中国内で蔓延するアヘンの取締りを行ったのが林則徐である。
アヘン処分の様子も再現されている。

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アヘン処分を受けて、イギリスが起こしたアヘン戦争
以降、アロー戦争、日清戦争、義和団事件、中国分割など、
列強の中国進出が加速していく。
アヘン戦争⑪ 1840~42
アヘン密貿易取締りを強行した清に対し、イギリスが行った侵略戦争。1839年の林則徐によるアヘン厳禁策の強行に対して、40年イギリスは外交・貿易の打開を目的にして宣戦し、軍艦16隻を含む40数隻の遠征軍を中国に派遣した。イギリス軍は厦門・寧波などを攻略し、42年には上海・鎮江を落し、南京に迫ったため、清は降伏して南京条約に調印した。