●中国科挙博物館(江南貢院)
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探訪日時:2019年3月
入場料:50元

【どんな場所?】
夫子廟にある江南貢院は、南宋時代の1168年に建築された中国最大の科挙試験場。
博物館として2014年に開館した。

メモ:
殿試再現コーナーはアツイ。

歴史的意義 :★★★★
規模    :★★★★★
アクセス  :★★★★★
個人的満足度:★★★★★

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館内は地下4階建て、想像以上の広さ!!

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科挙前史として、官吏任用制の歴史にも触れている。
後漢の光武帝は、優秀な人材を求め自ら行脚していた。
ここでは高齢の卓茂の元を訪れ、太傅に任命した様子が再現されている。
劉秀(光武帝)⑪ 前6~後57
後漢の初代皇帝(在位25~57)。漢室の一族。南陽(河南省)に勢力を持ち、赤眉の乱に乗じて挙兵し、農民や豪族とともに王莽を敗死させ、新を滅ぼした。皇帝となり、漢を復興したのち、赤眉の乱を平定した。豪族と結んで外戚を退け、儒教の奨励を行うなど、内政の充実に努めた。

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漢代から行われた官吏任用制度が郷挙里選
有力者が官吏に推薦されるシステムで、
個人の能力よりも家柄が重視された
魏代から始まる九品中正も、同様に推薦による官吏任用制度であった。
郷挙里選
武帝が制定した官吏任用制度。有徳者を地方長官が中央に推薦して官吏とする法。のち豪族の子弟が多く推挙され、弊害が生じた。

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科挙が採用されたのは隋代から。
科挙によって学科試験による官吏任用に切り替わり、
以来、科挙は1905年の清末まで1300年余り続いていく。
科挙
隋に始まる学科試験による官吏任用制度。楊堅が598年中正官を廃止し、学科試験に基づく選挙(本来的には官吏を選択推挙するという意味)を始めた。貴族の高級官僚独占を防止し、官吏への道を能力に応じて平等に開き、君主権の強化をめざした。宋代に完成し、元代に一時中断されたが、清末の1905年までつづいた。

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宋代の科挙。右には初代皇帝の趙匡胤の肖像が見られる。
趙匡胤は皇帝自らが試験官となる、最終試験の殿試を導入した。
殿試
宋の科挙の最終試験。太祖が創設した。省試合格者に対し皇帝自らが施行する試験。上位合格者は皇帝の門下生として忠誠を誓い、高級官僚への道を与えられた。

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殿試の様子がCGで再現されている!
動く趙匡胤がかわいい。

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上の階は科挙の試験についての展示となっている。

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お!殿試の様子が再現されている!

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科挙の激戦を潜り抜けた、最終選考者たち。
辮髪と紫禁城の背景を見るに、清代の再現であろうね。

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こちらは1817年、清代に行われた殿試の解答用紙。
字上手すぎでしょ。

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解答用紙の裏面を見ると、8人の採点者の評価が「○」「△」とつけられている。

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こちらは「金榜」と呼ばれた、殿試の合格発表の掲示板。
現代の大学入試とも似ているね。

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金榜を見ると、36番目に李鴻章の名が見える!
李鴻章⑪ 1823~1901
清末の政治家。曾国藩の命を受けて安徽省で淮軍を組織し、太平天国軍や捻軍を鎮圧した。両江総督・直隷総督・内閣大学士を歴任し、洋務運動を推進して、最高実力者として内政・外交を担当した。

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次の部屋には歴代の科挙同格者が並ぶ!
「詩聖」と謳われた杜甫
杜甫⑩ 712~770
盛唐の詩人。一生不遇で生涯流浪の生活を送った。「春望」「兵車行」など社会の現実をうたった作品が多い。李白と並んで中国詩人の最高峰とされ、後世、「詩聖」と称された。

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宋の宰相王安石
神宗に仕え、新法による改革を行ったことで知られますね。
王安石⑪ 1021~86
北宋の政治家・文章家。唐宋八大家の一人。神宗の信頼を受け、1070年宰相となり、新法を実施した。旧法党の反対を受けて、76年に宰相を辞任した。

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陳独秀も科挙受かっていたのか!
17歳の頃に院試に合格して秀才と称されたが、その後科挙を放棄した。
近代化が迫られる清末において、科挙はもはや時代遅れの試験であった。

陳独秀はその後、文学革命の指導者となり、
中国共産党の設立者の一人ともなった。
陳独秀⑪ 1879~1942
中華民国初期の思想家で、文学革命の中心的人物。上海で1915年に『青年雑誌』(翌年『新青年』と改題)を創刊、17年北京大学教授となったが、五・四運動中にマルクス主義に傾倒して保守派から反発され、退官した。その後コミンテルンからの援助を受けて21年に中国共産党を創設し、初代委員長(1921~27)となった。27年国民政府側との妥協的な姿勢を批判されて、29年に党から除名された。

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総統府に続いて、ここでも林則徐に会える。
もちろんアヘンを取り締まっている。
林則徐⑪ 1785~1850
清末の政治家。1838年にアヘン厳禁を主張して欽差大臣に任命された。1839年広州に着任し、アヘンの没収・廃棄、中国人密貿易者の処罰、イギリス商館区の封鎖などを強行した。アヘン戦争が勃発すると、イギリス側の強硬策に動揺した清朝に解任され、さらにイリ地方に追放された。その後許され、地方の総督を歴任した。

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康有為(右)と梁啓超(左)の2人。
康有為は会試のために上京し、その際に皇帝に上書して改革を直訴したという。
その後康有為が登用され、変法運動をおこない近代化に努めたが、
西太后ら保守派に弾圧されてしまった。
康有為⑪ 1858~1927
清末の学者・政治家。広東の出身。中国の古典をはじめ西洋の学問にも通じ、公羊学の立場から「変法自強」を提唱した。1888年から皇帝に上書して改革論を述べ、98年光緒帝に登用されて変法を実施した。戊戌の政変で失脚し、日本に亡命した。その後も、光緒帝を中心とする帝政維持を主張し、孫文らの革命派とは対立した。

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最後にこの1枚。光緒帝による光緒新政の一環として
1905年に科挙が廃止された。
日清戦争の敗北、義和団事件、中国分割と、
列強の侵入を受け、ついに廃止にふみきった。
科挙の廃止
1905年、袁世凱や張之洞などの意見で、断行された。


【地図】