●香港歴史博物館
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探訪日時:2019年6月
入場料:無料

【どんな場所?】
1962年に開館した「香港博物美術館」を前身とし、その後1975年に美術館と分割、移転。
1998年に香港政府の出資で規模を拡大し、現在地に開館した。
有史以前から1997年の中国返還までの民族文化や生活様式などの歴史を展示している。

メモ:
アヘン戦争関連は見ておきたかった!

歴史的意義 :★★★★
規模    :★★★★★
アクセス  :★★★★★
個人的満足度:★★★★

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「4億年前」から展示はスタートする…!
南京博物院もそうだったが、先史時代は自然科学の分野とのクロスオーバーぶりが興味深い。

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1階は香港の民族エリア。文化・風習や農業など、人々の生活についての展示。

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おお!ジャンク船に乗れる!
子どもたちがはしゃいで乗っている中、私も紛れて乗船。
ジャンク船
中国で開発され、おもに中国商人が海洋交易で使用した船。丈夫な構造でつくられ、大量の荷物を遠方まで運ぶのにも適していた。

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このジャンク船は、船上で生活をする「水上人」たちの船を再現している。

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客家(はっか)の邸宅も再現されている。
客家
本地に対する「よそ者」の意味。4~12世紀にかけて、広東・広西・江西・福建などの山間部の僻地に移り住んだ人びと。多くは小作や炭焼き・きこり・鉱山労働・運輸労働に従事したが、差別・圧迫を受け、海外への出稼ぎや移民する者も多かった。

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2階は近現代コーナー。まずはアヘン戦争期の19世紀から!

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こちらは1807年の広州の外国商館の様子。
清は外国との貿易を広州1港に限定し、
自由貿易を求めるヨーロッパ諸国と対立が生まれる。
広州
中国南部の珠江河口の港市。対外貿易の伝統も長く、1757年以来、中国唯一の外国貿易港とされた。

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1820年ごろのイギリス東インド会社の帆船の模型。
イギリスは茶や陶磁器などを清から輸入したが、
イギリス製の綿製品は清で売れず、銀の流出をまねいた。

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アヘンと吸飲器が展示されている。
貿易赤字となったイギリスは、英領のインドからアヘンを清に輸出し、
三角貿易を展開した。
その結果、清にはアヘン中毒者が急増することとなる。
三角貿易(アジア)⑩
18世紀末から19世紀にかけてイギリスが行った中国・インド・イギリス本国間の貿易。18世紀以降イギリスで喫茶の習慣が流行し、中国からの茶の輸入量が激増して大幅な輸入超過となり、代価として銀が一方的に中国へ流出した。これを是正するため、インド産のアヘンを中国へ、中国の茶をイギリス本国へ、本国綿製品をインドに運ぶ三角貿易を確立させた。しかし、1830年代になると、中国のアヘン輸入量が茶の輸出量を上回り、中国から逆に銀が流出した。その結果、中国国内では、銀価が高騰し、アヘン吸飲の害毒も広まった。
アヘン
ケシの乳液からつくる麻薬。中国では古くから鎮痛剤などとして知られていたが、連用によって強い中毒症状に陥る。吸飲の習慣は、18世紀頃からさかんになっていたが、清朝は禁止していた。

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アヘンを取り締まりを行う欽左大臣の林則徐
彼の像は南京でも見かけたな。
林則徐⑪ 1785~1850
清末の政治家。1838年にアヘン厳禁を主張して欽差大臣に任命された。1839年広州に着任し、アヘンの没収・廃棄、中国人密貿易者の処罰、イギリス商館区の封鎖などを強行した。アヘン戦争が勃発すると、イギリス側の強硬策に動揺した清朝に解任され、さらにイリ地方に追放された。その後許され、地方の総督を歴任した。

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これは!!アヘン処分の様子のミニチュア!!
林則徐はイギリス商人から没収したアヘンを、
海水に入れて石灰を混ぜて化学反応を起こして処分した。
このシーンは映画「阿片戦争」でも見ることができる。

アヘン取締りを受け、イギリス議会は清への派兵を決定、
両国はアヘン戦争を行い、イギリスがこれに勝利する。
アヘン戦争⑪ 1840~42
アヘン密貿易取締りを強行した清に対し、イギリスが行った侵略戦争。1839年の林則徐によるアヘン厳禁策の強行に対して、40年イギリスは外交・貿易の打開を目的にして宣戦し、軍艦16隻を含む40数隻の遠征軍を中国に派遣した。イギリス軍は厦門・寧波などを攻略し、42年には上海・鎮江を落し、南京に迫ったため、清は降伏して南京条約に調印した。

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こちらは南京条約のレプリカ。
この結果、香港はイギリスに割譲されることとなる。
その後、1862年の北京条約では九龍半島をイギリスが割譲、
1898年には香港・九龍半島を99年間租借することが決まった。
南京条約⑪ 1842年8月
南京で調印されたアヘン戦争の講和条約。江寧条約ともいう。(1)広州・福州・厦門・寧波・上海の5港を開港、(2)公行の廃止、(3)香港の割譲、(4)没収アヘンの補償費600万両、賠償軍事費1200万両の支払い、(5)関税の協定、(6)対等国交の原則などを認めた。戦争原因のアヘン貿易についてはふれておらず、以後もアヘン密輸はつづいた。清に対する不平等条約の先駆となった。
 
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イギリス統治下の香港セントラルの港の様子。

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イギリス統治時代の建物が再現されている。

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1941年に太平洋戦争が勃発、香港は日本の侵攻によって占領される。
この後、1945年までの間は日本の統治下におかれる。
香港攻略
1941年12月、日本軍がイギリス軍の拠点である香港を占領した。

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香港でも日本語教育が行われていた。
「日華提携ハ日語カラ!!」

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博物館は1997年の香港返還で締めくくられる。
イギリスから中国に返還された現在、中国の内政干渉が続き、
民主化を求めるデモ活動が行われているのは前述のとおりである。
香港返還⑨ 1997年7月
アヘン戦争の南京条約以来155年ぶりにイギリスから中国に返還され、香港特別行政区となった。社会制度は一国二制度のもと、今後50年は資本主義体制が保障されている。
一国二制度

【地図】