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●独立記念塔
(インドネシア ジャカルタ)
【歴史】
1975年 独立記念碑として完成

探訪日時:2019年12月
入場料 :10000ルピア 
地図  :

歴史的意義 :★★★
規模    :★★★★
アクセス  :★★★★★
個人的満足度:★★★

インドネシアの独立記念塔。「Monument Nasional」の略称の「MONAS」とも呼ばれる。
初代大統領であるスカルノの計画によって1961年に建設が開始され、75年に完成した。

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塔のふもとからの眺め。周囲のムルデカ広場には多くの人が集っている。

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記念塔内部の1階は、インドネシアの歴史博物館になっており、
ミニチュアのジオラマが展示されている。
(以下、ジオラマを淡々と上げます)

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やはりインドネシアの歴史はジャワ原人から始まる…。
ジャワ原人
ジャワ島のトリニールで発見された原人。1891~94年にオランダ人デュポワが、頭蓋骨の一部、臼歯2個、左大腿骨を発掘した。脳容積は現代人の約3分の2の約900ccと推定される。直立歩行が確認されたのが学名となった。

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シュリーヴィジャヤの港市(7-14世紀)
中国とインドの交易路に位置し、東西からの交易品がもたらされた。
シュリーヴィジャヤ⑪ 7~14世紀
マレー人らがスマトラ島島南部を中心に建てた王国。中国名は室利仏逝・三仏斉。パレンバンを中心に海上交通の要衝を支配して反映した典型的な港市国家。7世紀末、唐僧義浄がインドからの帰国途上に訪れ、大乗仏教の隆盛を伝えている。11世紀以降は衰退し、記録もほとんど残されていない。

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シャイレンドラ朝時代に建てられたボロブドゥール(824年)
ジャワ島での大乗仏教の隆盛を伝える遺跡である…!
ボロブドゥール
ジャワ島中部にあるシャイレンドラ朝時代の大乗仏教の石造遺跡。1辺111.5m、全高31.5m。6層の方形壇と3層の円形壇がピラミッド型に重なった大ストゥーパで、装飾の仏像群にはグプタ様式の影響が強くみられる。

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マジャパヒト王国に訪れた鄭和(1405年)
鄭和は海洋博物館にもいましたね。
マジャパヒト王国⑪ 1293~1520頃
ジャワ東部に成立したヒンドゥー教王国。14世紀が全盛期で、支配領域はインドネシア全域とマレー半島の一部に及んだ。インド系文化を持つジャワ最後の王朝で、15世紀後半からのイスラーム勢力の進出で滅亡した。

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オランダとのマカッサル戦争(1654年)
17世紀にポルトガルに代わりオランダ東インド会社が進出し、香辛料貿易の拠点とした。
以降インドネシアでは20世紀までオランダの支配が続く。
ジオラマもオランダとの戦いの様子が並ぶ。

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アチェ戦争(1873-1904年)
オランダの支配は、スマトラ島のイスラーム国家のアチェ王国にまで及び、
30年にも及ぶアチェ戦争が展開された。
この結果アチェ王国は滅亡し、オランダ領東インドはほぼ現在のインドネシアの領域となった。
アチェ王国⑧ 15世紀末~20世紀初
スマトラ島北端にあったイスラーム王国。ポルトガル占領下のマラッカに対抗して胡椒貿易で栄えた。その後オランダの圧迫などで衰え、20世紀初頭に滅びた。

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カルティニの私塾(20世紀初頭)
カルティニはインドネシアの民族運動を行った女性で、
女性教育による社会変革を目指した人物である。
女性解放運動の先駆者として知られ、現在のインドネシアでは彼女の誕生日は祝日となっている。
カルティニ② 1879~1904
インドネシアの民族主義者。若くして亡くなったが、女性解放運動で先駆的な活動をした。

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日本統治下の強制労働(1942-45年)
第二次大戦下の1942年に、日本はジャワ・スマトラを占領し軍政をしいた。
この時代のジオラマが強制労働のシーンであることは興味深い。
ジャワ・スマトラ占領⑨ 1942年3月
日本軍は占領に成功し、とくに石油資源の確保に努めた。

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独立宣言(1945年8月17日)
第二次大戦の終戦に伴い、スカルノとハッタはインドネシアの独立を宣言。
しかし旧宗主国のオランダは独立を認めず、4年に及ぶ独立戦争を戦うこととなる。
インドネシア共和国成立
1945年8月、スカルノを中心に独立宣言を発表し、共和国憲法を制定した。しかし、オランダは独立を認めず、4年間にわたる独立戦争が展開された。1949年のハーグ協定で独立が承認された。

ぐるっとインドネシア史を追える、興味深い展示であった。

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ムルデカ広場にはカルティニの像も建てられている。