世界史の旅 -探訪記と歴史グッズ-

世界史好きの旅行ブログやってます。現地で買ってきた土産物などをアップしてます。

カテゴリ:<探訪記>国別 > カンボジア

●独立記念塔
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探訪日時:2014年8月
入場料:なし

【どんな場所?】
1953年に宗主国フランスから独立したことを記念して1958年に建造。
アンコール・ワットの中央塔をモチーフにしている。

メモ:
プノンペン中心部は整っていて過ごしやすい。

個人的満足度:★★★★

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カンボジア独立60周年のポスターか。
クメール語読める方教えてください!

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シハヌーク前国王像。

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カンボジア・ヴェトナム友好記念碑。
両国は長年対立を繰り返していたが、
90年代に入り、友好を記念して作られた。 

●キリング・フィールド(チュンエク大量虐殺センター)
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探訪日時:2014年8月
入場料:5ドル(オーディオガイド付き)

【どんな場所?】
ポルポト政権時代の刑場跡。トゥールスレン収容所に付属し、述べ2万人が殺されたという。

メモ:
トゥールスレン収容所からさらに南へトゥクトゥクを進める。
オーディオガイドが大変わかりやすく、理解が深まった。
幼児を殺したキリングツリーは本当にいたたまれない。

同胞を200万人殺してまで作りたかった国家とは?
インテリ層を消して、国民を鈍感で従順な農民をつくり変えるなど、
ポルポトは果たして本気でできると思ったのか。

政権樹立から3日以内にプノンペンから全員退去させ、
農村で一日12時間働かせ、クメール・ルージュには絶対服従させ、
農民同士を監視させ、反体制的であればキリング・フィールドへ。
こんな抑圧された社会で、本気でうまくいくと思ったのか。


個人的満足度:★★★★★
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当時の建物は全て壊されている。
地表には人骨のようなものや衣服のようなものもみえるが、
定期的にまとめて埋葬しているらしい。 

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 弾薬を買う金がなかったため、農具などを使って撲殺されたという。

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 慰霊碑。内部には人骨が納められている。

●トゥール・スレン虐殺博物館
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探訪日時:2014年8月
入場料:2ドル

【どんな場所?】
クメール・ルージュ支配下の政治犯収容所。
2年9か月の間に述べ2万人が収容されたとされる。


メモ:
かつての高校の校舎を収容所として利用したようだが、無機質で重々しい空気であった。
収容所として使われていた当時の写真が壁にかかっており、生々しい。

クメール・ルージュの蛮行は、現在はこうして語り継がれているが、
当時他国は正式にカンボジアの政権として彼らを承認していたというから、皮肉な話だ。

沖縄の平和祈念館との共同の展示も見られたが、
性質が全く異なるので、なかなか同質には見ることはできなかった。
しかし、国家が誤った方向へ進んだことが悲劇の原因という点は
共通しているかもしれない。

見学中は「なぜこの政権は樹立されたのか」「なぜポルポトが権力を握れたのか」という
ことばかり考えていた。社会的不安が強いときこそ、極端な独裁を許すことが多く、
国民もまたそれを望んでいることがある。この先の時代も変わらないかもしれない。
(当時のカンボジア国民もクメール・ルージュへ期待する声が多く、
当初はプノンペンに来た兵士たちを歓迎していた。)

ただ、主権在民にある以上、権力を誰に委ねるかを選ぶのは自分たちである。
歴史から学ぶことの本質的なことは、このようなことなのかもしれない、と感じた。

個人的満足度:★★★★★

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A棟の拷問部屋。

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 プノンペンを強制退去された人々は、農村での強制労働にかられた。
教師や医師などのインテリ層や都市民は「新しい人々」と呼ばれ、
収容所へ送られた。
クメール・ルージュ政権が目指す「原始共産社会」は
知識をもたない従順な農民のみが必要であったため、
インテリ層の抹殺が図られた。

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 B棟の独房。レンガが積まれただけのものすごい簡素なつくり。

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 ポルポトのプレートは削られている

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クメール・ルージュの幹部、キュー・サムファン。
ヒトラーをなぞらえたちょび髭、「Killer」「Fxxk you」の落書きがされている。

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 犠牲者の慰霊がされている。

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