世界史の旅 -探訪記と歴史グッズ-

世界史好きの旅行ブログやってます。現地で買ってきた土産物などをアップしてます。

カテゴリ: <探訪記>ジャンル別

国立ミュージアムその2です。


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国立ミュージアムといえば…

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レンブラントの「夜警」!
こんなに大きいとは…!
自警団の肖像画として描かれたものだが、
情景や物語性はレンブラントの想像によるもので、
依頼主の理解が得られずに当時の人々にも不評であったという。
この作品以降レンブラントは人気を失い、失意の中亡くなった。

まあ普通の肖像画を依頼してこれ描かれたら、
「え、何この絵?」「なんで俺こんなポーズしてるの?」
「というかこの人誰だよ、勝手に描くなよ…」となるのは想像に難くない。

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おなじくレンブラント「織物商人の人たち」
17世紀のオランダでは名もなき市民たちの肖像画が描かれ、
美術史の転換ともなる動きが見られた。
当時のオランダの市民階層の勢いが感じられる。

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フェルメールも!
名画を美術館で見るときは、
「本やメディアを通じて見慣れてきたものの本物がコレなのか」
という感動を常々感じる。
「寄り」の写真はネット上にも氾濫しているので、
最近は「引き」で美術館の雰囲気を撮る方にハマっている。

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長崎出島の模型!
鎖国下の江戸時代、1641年に平戸から出島にオランダ商館が移された。
オランダ東インド会社は日本の他、バタヴィア、セイロン、台湾などを拠点に
交易を行い、中継貿易で富を得た。
17世紀のオランダの繁栄は東インド会社なくして語れまい。

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「バタヴィア城」(1661年)
オランダ東インド会社の拠点のバタヴィア(現在のジャカルタ)を描いたもので、
この絵はアムステルダムの東インド会社のオフィスに飾られていたもの。
ジャワ人や日本人、オランダ人などが市場にあふれている。

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オランダ領ギアナ(現在のスリナム)での綿花プランテーションのジオラマ。
アメリカ大陸ではオランダ西インド会社による奴隷貿易が行われていた。
西アフリカから連れてこられた奴隷と主人が見られる。

いやあ、オランダ史が追えますね。見どころが多い!

●国立美術館
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探訪日時:2017年8月
入場料:17.5ユーロ

【どんな場所?】
1800年にハーグで開いた展覧会を基礎に、1808年にナポレオンがアムステルダムに移転。
1885年に現在の場所に移動した。

メモ:
アムステルダムと言えばまずココでしょう。
時代ごとに展示作品を追っていると、17世紀に覇権を握ったオランダ史を実感できる。

何回かに分けて書きます。

個人的満足度:★★★★★

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開放感のあるエントランス。

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ラオコーンのコピー。ヨーロッパのどこの美術館にもあるけど
毎回つい撮ってしまう…。

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「皇帝カール5世の退位の寓意画」

1555年に神聖ローマ帝国皇帝カール5世が退位し、帝国を2分割した。
中央の王座にはカール5世、
左には神聖ローマ皇帝を継承する弟フェルディナント、
右にはスペイン王を継承する息子のフェリペ2世が描かれる。

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こういう絵の解説は嬉しいね。
ネーデルラントはスペインの支配下に置かれ、
フェリペ2世によるプロテスタントへの弾圧は、独立の機運を高めることとなる。

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「ミュンスター条約締結を祝うアムステルダム市警備隊」

これまたデカい絵だ…!
ミュンスター条約とはすなわちウェストファリア条約(1648年)のこと。
三十年戦争の講和条約ですね。
この条約によりオランダの独立が承認された。

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海洋国家オランダは制海権をめぐって、
イギリスと3度にわたり英蘭戦争を行った。
1653年のテルヘイデの戦い(スヘフェニンゲンの戦い)を描いた絵。
相手はクロムウェルの時代のイギリスだね。

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同じくテルヘイデの戦いの絵。
夥しい船の数から、戦いのスケールが伝わる。

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第2次英蘭戦争の講和条約、ブレダの和約(1667年)
オランダが優勢に戦いを進めていたが、フランスの南ネーデルラント侵攻に対処するため、
イギリスとの和約を結んだ。
これにより北アメリカのニューアムステルダムをイギリスに割譲することになる。
イギリスはこれを「ニューヨーク」に改称して支配をした。

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仏王ルイ14世のオランダ侵攻(1672年)
南ネーデルラント継承戦争の報復として、ルイ14世はオランダ侵略戦争を開始することとなる。

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ルイ14世の胸像もある!
度重なる周辺への侵略戦争は大きな成果を挙げられず、
イギリスとの覇権争いに敗れてしまう。

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フランスの侵略を撃退したのがオラニエ家の総督ウィレム3世
彼はイギリスのジェームズ2世の娘メアリを妻にし、
イギリスに乗り込んでジェームズ2世を亡命させた。いわゆる名誉革命(1688年)である。
その後権利の宣言を受け入れて、イギリス王ウィリアム3世とメアリ2世として共同統治を行う。
このペアの陶器、ロンドンのV&A博物館にもあった記憶がある。

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時代は少し飛んで、ホラント王ルイ・ボナパルト。
ナポレオン1世の弟で1806年にオランダの統治を任せられた。
オランダ人思いで人気もあったようだが、
兄ナポレオンは1810年に退位させ、オランダもフランスに併合されてしまう。
ちなみに彼の息子がルイ・ナポレオン、のちのナポレオン3世である。

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ワーテルローの戦い(1815年)
ナポレオンのヨーロッパ支配を終わらせた戦いですね。
中央にウェリントン将軍が描かれている。
この戦いはイギリス、プロイセン軍が中心であったが、
オランダからも援軍が戦ったという。

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壁一面!


近代のヨーロッパ史をここまで追える美術館もそうなかろう。
もちろん世界有数の美術館なのだが、歴史博物館に近い充実感も味わえる。

●市庁舎
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探訪日時:2017年8月
入場料:無料(内部入場不可)

【どんな場所?】
マルクト広場の中央に立つ市庁舎。1664年完成。
1992年にEUの創設を定めたマーストリヒト条約が調印された場所でもある。

メモ:
訪れる前は、
「マーストリヒトってあのマーストリヒト条約の?」という感じであったが、
街並みも整っていてとても綺麗な街である。
条約が調印された市庁舎を観にマーストリヒトを訪れたのだが、
市庁舎は外観のみ。若干の消化不良。

個人的満足度:★★★

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駅からマース川を渡ると旧市街に行ける。

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市庁舎。
対になっている階段が特徴的。

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市内には城壁も残る。
こちらは1229年建造の「地獄の門」。
ここの門の先にはペスト患者を隔離するペストハウスが
18世紀に並んでいた。

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