世界史の旅 -探訪記と歴史グッズ-

世界史好きの旅行ブログやってます。現地で買ってきた土産物などをアップしてます。

カテゴリ:<探訪記>国別 > ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

●トンネル博物館
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探訪日時:2013年8月
入場料:10KM

【どんな場所?】
ボスニア紛争の際に、セルビア軍にサラエヴォが包囲され、
市民が外部との通用のために掘られたトンネル。
全長800mほどであるが現在は20mほどを公開して博物館としている。

メモ:
紛争下の市民たちの生活の過酷さが、このトンネルの存在からも想像できる。
館内の当時の映像では、物資を外部から運ぶのにこのトンネルが重宝していたことがうかがえた。

ここの博物館には当初歩いていこうとしたが、標識の示すところには何もない。
タクシーのおっさんに「博物館は歩いていけねえぜ。俺のベンツに乗りな、学生なら安くしとくよ」
と言われ、学生ではないのだが安くしてもらった。

日本から来たと伝えると「ヒロヒト、ナガサキ!」と言われた。
大体日本のイメージなんざ「ニンジャ、ゲイシャ」のイメージだろうとタカをくくっていたので
若干驚いた。

個人的満足度:★★★★

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博物館の展示。

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紛争当時のサラエヴォ。オレンジ色の箇所がセルビア軍が包囲している場所。
上方部のわずかな隙間の箇所にトンネルが掘られた。

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トンネル内部。非常に狭い。

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オーランド・ブルームも来たらしい。
他にもトラボルタ、モーガン・フリーマンら著名人が多く訪れている。

●ボスニア紛争の跡

探訪日時:2013年8月
入場料:なし

【どんな場所?】
1992-95年に起きたボスニア・ヘルツェゴヴィナ独立をめぐる紛争。
ユーゴスラヴィアの解体に伴い、独立をめざすムスリムのボシュニャク人クロアティア人と、
独立を阻止するセルビア人との間で起き、3年にも及ぶ内戦は、
第二次大戦後ヨーロッパ最悪の紛争となった。
現在も紛争の爪痕は街角に残っている。

メモ:
サラエヴォの中心を走るスナイパー通りをトラムで通ると、
あちこちの住宅に弾痕が残っているのを見ることが出来る。
かつてスタジアムであった場所が、内戦により墓地になっており、いたたまれない気持ちになった。
帰国後、「ウェルカム・トゥ・サラエヴォ」と「サラエボの花」という
いずれも紛争を背景に扱った映画を見て、実際に歩いた街に思いをはせた。

個人的満足度:★★★★★

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サラエボは集合住宅が多いのだが、砲弾跡が残っているものも多い。

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スナイパー通り沿いの建物。廃墟になっている。

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ホリデイインホテル。紛争時に多くのジャーナリストが滞在していた。

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多くのムスリムの墓。ほとんどの墓石が92、93年に亡くなっている人たちのもの。

悲惨な過去であったが、現在はセルビア人はスルプスカ共和国を連邦内に建てて、一応共存している。

●ボスニア・ヘルツェゴヴィナ歴史博物館
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探訪日時:2013年8月
入場料:5KM

【どんな場所?】
スナイパー通りに面した博物館。サラエヴォの近現代史、特にユーゴ内戦の展示が豊富。

メモ:
内戦のときの銃痕が建物に残っており、廃墟かと見間違える。
あえて当時のまま残しているのか、或いは修復しなくても問題ないからそのままにしているのか。
2階は撮影不可のため写真がないけど、ユーゴ内戦についての経緯、
当時の市民の様子や当時の報道、現在も続く責任者の裁判など、多面的な展示がされてあった。
学校に爆弾が投げ込まれて先生が亡くなった、という当時の記事はショッキングであった。


個人的満足度:★★★★★

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壁には銃痕が残る。

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内戦の時と現在の様子の比較。
スナイパー通りを歩いていると、現在の町並みは寂しくも感じたが、
それでも当時よりは復興しているのだとわかった。

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ティトー像はなぜか差し押さえ状態
あらゆるものに黄色のテープが巻かれていたが、意味がつかめず…。

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戦車で遊ぶ子供。

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