授業で日食や月食について取り扱っていたときに、


とか考えたんです。
で、やっぱり「知る」ことって生きるために必要なのではなかろうかと。

日食や月食の不思議さ



日食や月食がどうしておこるのかは、教科書を読めばわかりますし、
説明しても「へー、影に隠れるんだ」ぐらいの扱いなんでここでは割愛。

魅力的というか神秘的な現象だからこそ、
テレビ画面ではなく、肉眼で見てみたいという欲求が情報化の進んだ現代社会でもわくのでしょう。

1000年も昔であったら、テレビもねぇ、ラジオもねぇ、それどころか新聞も情報ソースが何もなかった時代でしょう。そんな時代において、自分の家族だけに伝えられている天体現象の秘密があったとしたらどうなるんだろうかと。
例えば、ある時期になると「満月が急に欠け始め、やがて消えてしまう」現象が起こるという確かなデータが○○家代々の秘伝として書き残されており、明日その現象が起こるとして、自分だけが知っていたとしたら。
生きていくのも困難な時代であれば、「明日、満月が急に欠け始める。不吉なことが起こる予兆であるので、ワタシはこれから供養を始める。もし満月が欠け始めたら供物をもってきなさい」とか周囲に言っておけば、予言があたり、不吉に感じたものたちが供物をもってくるだろうし、時間が経てば満月に戻るので、供養も効果的だったと信頼される。月食は1年に1度ほど起こる現象なので、毎年言い当てれば、周囲の信頼が得られ、権威を持つことも可能だったんだろうなと。

実際に、「暦を知っている」「気候を知っている」ことは特権階級のみに伝えられていた情報だったようです。占星術やまじない師なんていたのも、こんなことを元にしたんじゃないかなと。

で、現在の社会では情報はオープンになっているものの、その情報があまりにも膨大すぎるので、真実にたどり着くのは困難である。なので、現代においても、上手に情報を利用して人々の心を掌握している人はいるだろうし、悪用する人たちも少なからずいてるのだと。

そんなことを授業で伝えてみたけど、伝わったんだろうか。

奈良の大仏の恐ろしい一面



上記のような話を歴史の先生にしていた流れで、奈良の大仏の金メッキ技術の話になった。教科書だか資料集にも書いてあり、自分も知っていたが、いま振り返ると恐ろしいなと。以下、話の内容のまとめ。

奈良の大仏を金でメッキするために「金アマルガム」を利用しています。金アマルガムというのは金と水銀の合金のこと。水銀に金は溶け、溶かした水銀を蒸発させれば金が残りメッキができる仕組みを利用して、奈良の大仏は金メッキされていたのだよ、と教科書などに書かれいます。

現代の中学生でも、あまりピンときていないようですが、「水銀を蒸発」させたわけでして、小学生のころ学んだであろう水俣病の情報と関連させれば、危険な技術であることがわかってもらえますかね。水銀の蒸気って有毒ですよ。人を死に至らせる程度の毒性がありますよ。

資料によれば、使われた水銀が2トン強。それらを蒸発させて大仏様を金メッキ。奈良に都があった時代にあの場所で、水銀を蒸発させていたんで、少なからず被害はあったはず。いや、だいぶ被害はあったはず。なんですが、歴史書には被害の詳細は一切書かれていないそうです。一切書かれていないってのが恐ろしいですよね。おそらく、その時代の権力者なり技術者は「水銀が人を死なせるほどの毒性がある」ことは知っていたんでしょうねぇ。犠牲も折り込み済みで大仏を建立して、被害が出ることも予想し、被害情報を伏せるところまで計画してたのではなかろうかと。 

そんなことを考えていたら、やはり「知ること」って必要だなと。「知」の信憑性は確認する必要はあるんだろうけど、「知らない」ことで悪意あるものから狙われる・巻き込まれるってのは歴史を振り返ってみてもたくさんあったことなのだろうなと。「勉強って必要なの?」と子どもから問われることは多々あるのですが、「知らない」ことがデメリットであることはきちんとした方法で伝えていかないといけないなぁと。「知らない」人を相手にするほうが、支配しやすいものでもあるのだなという陰の部分をきちんと伝えておかないといかんな。

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