2006年08月

2006年08月28日

EXマフラー

9e65b8b5.JPGEXマフラー
今月から強化月間ではありませんが今まで薦めてきた“アイスポルト マフラーシリーズ”に少しづつですがラインナップが揃い始め、手前味噌になりますが希望小売価格も以前の物に比べ大幅コストダウンしました。
各方面より価格が安いぶん中身も薄いんじゃないのとやっかみ半分、多くの質問をいただいてます。

アイメックというブランドは、設立依頼16年があっという間に経過し当初は価格は高価だが、中身は信頼できると信頼していただいてますし、そのように努力してきました。
特に今回のEXマフラー部門は、自分の過去の経験から色々な材質、内容と試行錯誤し手作りの良さを前面に押し出してきました。
チタニウム製のハンドメイドマフラーはその成果であります。
993モデルの時代まではおかげさまでそれなりに売上を上げました。

しかし、この5〜6年くらい前から996の時代からお客様の層が変わってきたというかポルシェの販売作戦でもある購買層を広げました。
その為、一部の高額所得層でポルシェを何台も乗り継がれてる方が、ディーラーの対応が来店客が多くなった為とはいいませんが、粗雑になり浮気されだしたと聞いてます。
まあ、これはしょうがないことで月販100台以下(日本全国で)、ディラー単位ですと月に10台も販売できなかった時代は、1日の来店数一人とか二人とかで、ゆっくりコーヒーでも飲みながら趣味の話に花がさいていたのです。

現在は、月販300台以上年間4,000台にもなろうかとしてますので、ディーラーも増や増販体制を確立しようとしてますが、いかんせん供給が需要に追いつかな状態です。
で、お客さまの層はもちろんすそ野に広がり世代も若くなり、自分達もそれらの需要に合わせ高くて良い物から適正価格で良い物へと変更せざるをえません。
また、チューニング業界は隙間産業で趣味の世界です。昔から潜在人口は増えてません。

逆に減っているといっても間違いないでしょう。
そこえ国産のチューニング業界のもっと冷えた方々が参入してきましたので雑誌などは本も多く創刊されユーザーにとっては嬉しいことですが、自分達は食い合いになります、
おっとり刀で武士が商売をしてるようなやり方でした。
そう、自分達も変わらなきゃ!!!  何かのキャッチフレーズのごとく、、、。

しかし、このEXマフラーに関してはお客様のなかでの極限状態の使用の頻度が高い為、いい加減な構造や消音材では半年もしないうちに中の吸音材が排気ガスとともに吸いだされ、考えようによってはよりスポーツサウンドになります。
要は音量が大になります。もちろんそれに従い低回転でのコモリ音が必ず発生しだします。
サーキットなど走行した車両はてき面です。
この耐久テストに自分達の商品は実際ドイツやフランス、イタリヤの高速道路でテストし販売したものを採用してます。

物はすでに2年位前から実際にヨーロッパで販売した実績あるものを製作して、日本で販売を始めたのです。
ヨソ様の物でお客さまの苦情で外し、ノーマルに戻した物も多くあります。
特に996,986などの液冷式になってからは助手席に奥様や女性を乗せられる機会が多くなりました。
その方がは別にポルシェがお好きでなく、主人や彼氏のお付で乗っておられるのです。
ブオーとこもりながら乗ってますと自分でもそうですが、年配の方々は特に頭が痛くなります。
特にTipなどのオートマティック車は、2000から3000RPM付近ではもう本当に不快なです。又その回転域は、速度で60〜80Kmの市内低速走行時なので余計体感します。

まあ、本人は嬉しいばっかりですから何とも無いという方が大半ですが、、、。
しかし、996ターボのオーナーは大体ポルシェオーナー層でも高額所得者であり、年配の方が多いのです。とても耐えれません、、、。

これらの実情と自分も高年齢の仲間に入る者として、そろそろその方々の気持が解るようになってきましたので、その辺は自分の思考に添えない物は除外します。
若いバリバリの方々は、音がかっこよければコモリ音なんて何ともないでしょうが、、、、。
そのような元気のいい方々は、どうぞご遠慮ください。

多分自分がリタイヤすれば、部下の希望でバリバリになるかもしれませんが、現状はコレで決まりです。
但しバリバリの方、ご安心ください。一応スポーツタイプ(消音器の中身が無くて直管タイプ)は、従来どうり高価ですが用意してあります。
ということで、十分納得する説明になったかどうか解りませんがこの度のマフラーシリーズは、他の追従を寄せ付けないよう努力しました。

しかし、他の同業社の方々もそんなにあまくないのは重々承知しておるつもりです。
更なる企業努力でより良いものを適正価格でご提案しつづけます。
お膝もとのトヨタさんには及びもしませんが、幸か不幸か身近におりますのでその徹底したトヨタ規格は、肌で感じております。
そう、あのポルシェ社でさえトヨタ改善を取り入れての今の結果なのですから、、。
つづく

turuta_s_room at 17:33|この記事のURL

2006年08月26日

お詫びと訂正

お詫びと訂正します。

8月20日の自分のブログ ”モデルカー3”で謝った説明をしました。
ここにお詫びとそして訂正します。

訂正文  メッサーシュミットbf110(実際は双発の爆撃機)

実はこのドイツの単発液冷式戦闘機を上記のように知ったかぶりで表記しました。
戦闘機ファンをはじめ、皆様に不快な思いをさせましたことをお詫びします。

正確な名称は メッサーシュミットbf109(この後にアルファベットが付きます)
であります。

この機体は、自分はガキのころはゼロ戦に続きドイツを代表する有名な機体として大小いくつか作りました。
あらためて、自分の記憶力の無さと脳が萎縮してきているといい訳をさせていただきます。
まあ、こんなノーテンキのツルタのしたこことお笑いください。

H18年8月26日
                                鶴田昭臣


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夏の行事2

夏の行事2
10時すぎ、観客席のほとんどもうまり皆さん今か今かとお待ちかね、、。
観閲の為、各方面のお偉方がぞくぞく付隊車両で目の前を通過しながら閲覧席にご到着、
最後に防衛庁長官の代理の方が到着します。
9時過ぎから自衛隊マーチングバンドの一糸乱れぬ華麗なる演奏が終わり、さあ、演習開始です。

右手奥には戦車、自走砲車など隊列組んで行進の準備待ち状態、、、、。
先頭の戦車(さすがに自分はこの方面はうとく型式を知りませんが、最新鋭であろうことはわかります、、)の、砲手より指揮官らしき人と運転手は顔を出してますが、自分のところをその車両が通過するのですが、その距離約20mくらい、、。
顔を迷彩に塗った、ちょうどアーノルドシュワルツネッガー出演のコマンドみたいな感じです。地面の火山灰の黒土をキャタピラーが蹴り上げていくのですがあまりに近いので
臨場感バリバリであります。

演習が始まり各兵器の実演が始まります。会場内のアナウンサーの説明が会場をこだまします、、、。
遠くからは高射砲軍がドンドンと発射音がすると数秒遅れて前方奥5キロくらい離れた山の中腹に命中、ドカンドカンと爆発音、、、。

ヘリコプター軍は、タンデム乗りの攻撃型(またこれも名前を知りません)がミサイルや20mm重機関銃でタンタンタンと前方500mくらい先の目標に向かって打ち込みます。
まあ、この辺の発射音は花火を真下で聞いてるくらいのすごいね!と余裕をもった感想が言える位なのですが、後半戦車隊(確か6台、、、)の砲射音は、最初の時、体が半分くらいちじまったような衝撃で、その後は、発射のたびにずっと両耳に人差し指をすこしつっこんでました。
そうしないとわかっててもドキンとするのです。
戦車は前方50mくらいのところで左右に動き、車体を停止してすぐ発射するのですが耳に指を突っ込んでてもその音量と周囲の大気を揺るがす圧力で体全体が震えるのです。
たかが100mm位の砲弾で、、、。戦車の中ではどうやってこの音量と圧力に耐えてるのか知りたい気持になります。

戦時中、空襲で自分の近くに300kg、500kg等の爆弾が落ちたの経験された方々はどんなに恐怖を感じたことでしょう、、、。
そう思うとこの自衛隊の演習が平和への足がかりであると、自衛であると思いたいです。
自分は右翼、左翼とは無縁と思っております。
しかし、自衛隊の存在について意見を言うつもりはありませんが、自分をまた自国を守る為の手段として準備しておくことに異論はありません。
実際、日本の自衛隊員の方々が災害などで活躍する機会はたびたびあるのですから、、、。
それと火気演習とがどう結びつくのかは、個人の判断に任せます、、、。
経験しないより経験して、自衛することが悪いこととは思いませんが、、、。
自分も20、又は10代でこのような日本国を愛して守るという基本的教育を正しくうけることは大賛成です。今時軍国主義ではないでしょうから素直に規律を守った団体生活を
若い世代に受けることは、自分が小学生から経験したボーイスカウトにもつうじるものがありますし、それを経験して自分に合うか合わないかは先輩たちと意見しあって指導を受けたり、疑問を問いただしたりすることが重要であると思います。

今時、年少の男女が親を殺したり、他人を傷つけたりすることは自分を主張してることを他人に理解や認めてもらえない不満を行動で表してるのではないでしょうか、、、。
友達や先輩、後輩が1人でもいればその悩みなどを相談することで他人を傷つける行為にまで発展しないと思うのです。
まあ、自分もその人を殺したいくらいと思ったことは小さいころは何度となくあります。
特に母親ですが、、、。でも実際にはそんなことしませんが、、、。
その気持を沈めるのは、人それぞれでしょうが今になって思い出してみると自分に対する自信でしょうか、、、。それとノーテンキなところか、、、。あまりクヨクヨしないようにしてましたし、、、。飼ってるイヌやネコを見ていても何か癒されてたようなきがします。

で、話は戻って約2時間の演習はあっという間に終わりました。
さあ、おうちに帰る時間です。 本当はお昼からは目の前の会場に演習で使用した各兵器が展示され、実際に見て手に触れられるのですがそんなことはもうしません。
はやく帰るのです。が、そうは問屋がおろしてくれません、、、。

来た経路を思い出してください。途中仮設のつり橋が道路を横断してまして、その幅が10人くらいだと述べました。
そう、その仮設のつり橋を一挙に3万人が渡ろうとします。
また。つり橋の手前側の通路の幅も仮設テントの露天あるので地道の通路はやはり5mくらい、それを左右から一挙に人々が押し寄せます。

会場から通路、そしてつり橋を渡りきるのに約2時間、そして駐車場で自分たちの車のある駐車場に移動するバスに乗るのにまた兆打の列、、、。
ここで約1時間半、、、。
ようやく愛車のドアをあけたのが12時に出発して4時であります、、、、。
まあ、中日球場や万博会場トヨタ館見学みたいなもんで経験してますから発狂はしませんが、これから豊田まで2時間半(250km)かけて帰らねば、、、。
スタートレックのあれが欲しい、、、。“転送してくれ!”
つづく。



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2006年08月25日

夏の行事

98291e53.JPG夏の行事
夏の自分の行事予定というものがありまして、変更は自分のことですからしばしば変更するのですがボーとしてるとノーテンキなオツムが余計に収縮してカランコロンと鳴り出しましたので、広島帰省以外に計画してます。
この度は、そのすじの方々にはF1チケットより入手が難しいといわれている“自衛隊主催の富士総合火力演習”に行ってまいりました。

友人の紹介で自衛隊OBの方から無理言って入場券を手配してもらいます。
数年前までは(特にアメリカの9,11事件以前)、結構いい加減で入場も駐車券も偽造されて入られたんだそうで、それではいかんだろうということで今ま券も精巧になり偽造しにくいものになりました。
それでも1回の演習で約3万人収容できる野球場のスタンド席の一周を半分にしたような野外スタンドがその演習場を囲い堪能するのですが、いかんせん希望者は年々増え続け一夏の演習は計4回行われ最後の日曜日には、防衛庁長官を招いた最終日となります。

ということは12万人が見学できるのですが、僕の知り合いのその又友人は、毎年応募しているのですが当たったことが無く、自分のことを聞きつけ今回何とか2枚調達しましたが、何時の日が取れるか解らなかったのでその日が決まって平日だったのですが、これで見れると喜んでたのもつかの間で、勤めてる会社が急な仕事が入りどうしても休めなくなりました。残念無念ですが、まあ人生ってこんなもんですよね、、、、、。
で、ざっと行きかたから説明します。したいんです!!!!

裾野インターを出て20分くらい走行して、まず自分の車両を止める大きな駐車場にたどりつきます。もうその週辺は白いヘルメットと白手袋のカッコイ、イケメンが揃ってるというか道先案内をする自衛隊員がピシとした格好で誘導していきます。
もうこの辺から、なんか特別な気分になってきます。
そして、広大な芝生の仮設駐車場に誘導されながら駐車していきます。

なんせ国内の北は北海道、南は沖縄を含む九州からバスの団体で来られます。その大きな駐車場は2箇所に分散されてます。それから徒歩で誘導され演習場に行く専用バスに乗るのです。バス乗り場まで自分の場所から大体300m歩きました。
で、そこで入場券をチェックされおもむろにバスに乗り込みます。

バスは兎に角何台いるのか解りませんがピストン輸送で片道約20分かけて会場のこれまた大きな地道の駐車場に着き、15m位の幅の道路を大きな仮設つり橋を通って反対側の演習場に迎います。
演習場に行く道中は、例の富士の演習場(富士山のすそ野)の地道の道路を通って行くのですが、森や木立の中を通っていくのであの戦国自衛隊の場面そのままです。
嫌が上でも興奮しだします。

そのつり橋は大きいといっても横に10人くらい並べるくらいの幅ですので、これが帰り道でネックとなるのはあとでお話します。
つり橋を渡るともうすぐ前は丁度野球場の裏がわという感じの仮設アルプススタンドのスチールパイプのやぐらが丸見えで、その下にお土産屋さんとか飲み物軽食を売るテントの売店が200mくらい連なってます。

迷彩色のTシャツや戦車のオモチャとかありとあらゆる商品が山積みされてまして、真昼の縁日と言う感じです。
橋を渡って左に曲がり100mくらい歩いていくと入場口というかアルプススタンドの割れたところがあり、入っていきます。

もう皆さん60%くらいうまってまして、自分はアルプススタンドで無く、スタンドの前側にある青いビニールシートが敷き詰めてある腰を落として地面に座る、演習場かぶりつきに行きます。一番前側3列くらいはもうすでに全域にわたりうまってますので、その後ろの出きるだけ防衛長官の座られる特設スタンド近くに陣をとりました。

これはまあ何回か経験してますので、どの辺が良い見所か解っておりますので、、、。
で、今回の場所は、戦車軍団が砲撃する一番近場に確保できました。
演習はAM10;00〜12;00の約2時間行われ、最初の1時間は、各装備の説明と実践が披露されます。後の1時間は実際の攻撃を想定した全体の流れがある演目構成されてます。

今回は、あっぱれな程快晴である為、浜松の航空自衛隊よりF15戦闘機の軍団も上空を飛行できました。
自分はその席を確保するとすぐ入場口にもどります。そう景気付けのための燃料が必要です。缶ビールとおつまみであります。そうです、お酒も売っているんですよ、、。
まわりは、家族連れやアマチュア写真家、自分みたいな若者????など老若男女といろんな方がおられます。ご婦人も若い女性も含め多いのです。
小学生、中学生、などのお子さんも、、。
まるで、野球観戦状態です。

もちろんアルプススタンドなどはバスで遠くから遠征されたOBや年配の方がもたくさんおられます。もちろん各地の自衛隊の学校から来られた若い生徒さんたち、、。欧米人の軍服を着たアーミー達、、、、と、兎に角和洋折衷、万博会場をも思い出されました、、、。
つづく

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2006年08月22日

盆休み2

盆休み2
計算すると(しなくても、、、)夜の1時にスタートして今朝の9時半に吹田パーキング、、、。
約200Kmを8時間半、時速にすると時速24kmちょっと、、、。
自転車で来れたかも、、、。
過去にこんなに渋滞にはまった記憶はございません。

オマケに吹田パーキングでちょっと仮眠して大回りして又中国道に入った時は、AM11;00であります。
京都過ぎて朝の6時ころから大阪付近からの帰省も始まったらしく、この大名行列が殿様行列に膨張した感じでした。
ええときを選んでストートしました。どんぴしゃりのタイミングです。
この33年間最大の貴重なるロングディスタンスレースに参加させて頂きました。
過去の広島から豊田に上京中、まだ高速が名神しかなく、国道2号線を上ってて行ったときは、18時間かかりましたが、そのときはまだ覚悟ができてましたし、普通でも10時間かかってましたし、まだ20代でしたので何とも思いませんでした。

しかし、今回は違います。歳も53歳、なぜなぜと思いながらの、、、。
ちなみに広島の田舎に着いたのがPM3;00であります。なんと14時間の耐久一人レース(忍耐がどこまでもつかレース)でありました。
まあ。世の中には“そんなのでビックリしてちゃいけねーよ!”といわれるつわものもおられると思いますが、、、。走行距離 600kmあまり、、、。
いままでの最短記録は夜中の1時に出て朝の6時には、田舎に到着してましたので、
本来なら、Uターンしてそのまま豊田に着いて、一風呂浴びてカンビールをブシュと空けて、そして飲んだ後に一発ゲップとオナラをかましてウトウトしてるところです、、、、。

よくテレビの渋滞中継で何々間渋滞45kmとかアナウンサーが言ってるのを見ていて“なんでそんな混んでるところにわざわざ出かけるの、、”と思ってましたが、、。
今回(何回もこの言葉がでます、、)は、このようすで正直に報告されますと“ただいま渋滞200kmであります、、!”などと言われたら、、、、、、。
“みなさん我もと思わん方、どうぞこの渋滞ショーにご参加くださいー!”
チクショー! 皆さんにもあの楽しいレースを経験して、、!!!!!
多分、甘い甘い恋人どうしだとどうなるか、、!、大きなお世話であります。ハイ!

ということで、その夜はビールかっくらって、そのあと焼酎のお茶割りと、そうそう、、、
自分はこの歳になりましたら、やはりあまり油分の多い肉とか食べなくなり、もっぱら野菜、魚と鉄分、カルシウム、マグネシウムなど体に良いと自分で信じてる物が主となってきました。もちろん、焼肉でカルビやたん塩、ホルモンと出されたものはくっちゃいますが、一回の量は極端に減りました。

で、田舎に来てののお楽しみは、自然の恵み物です。
もちろんお袋さまのつけた漬物も絶品ですが、この季節田舎の庭や畑のすみに自然に毎年生えてくる“みょうが”がたくさん摘み取れるのです。
ミョウガは、スーパーではオールシーズン売っておりますが大体3ケくらいパッケージされていて180円くらいす。
また、商品は薄いピンク色していまして一度買って食べましが、天然物の苦味はとても比べ物になりません。そして、大きさはスーパー物の方が大体大きいですが、天然物は色も地表から出てる部分が濃い緑がかっていて茎の部分は真っ白なきゅっとしまったプリプリなのであります。

ちょっと日差しの弱いしめった場所に群生しておりミョウガ自体は先端から白い花を咲かせそれがしおれており地表に突き出ていますが、、1メートルくらいの背丈の緑色の茎に丁度笹のようなハッパをつけたもので、昔はどこでもあったように思います。
子供のころは、それをおじいさんが酒のつまみにきゅうりの千切りにミョウガも千切りにしてポンズなので食べておりまして、ちょっとつまみ食いするのですがとても苦いので吐き出した思い出がある、そんな質素な植物なのです。

それが今では、豊田の自宅の庭にも少し生えてくるのですが(2メートルくらいの中で)、毎年楽しみにしてるのです。大体それでも延べ15コくらいしか取れませんが、、。

それが広島の田舎(それでも去年からこんな田舎が郡から東広島市になりました、、不思議)では、朝、昼、晩、自分の分も含め大皿にこんもり、、。食べ放題です。しまいにはクチに中はにがり、舌はヒリヒリですが、それでも食べ続けます。

このミョウガには、逸話がありまして高校の国語のテストに出たのですが、たまたま自分はその高校時代に数日前にのそのストーリーをラジオかなんかで聞いてまして、自分でも予想以上の高得点を取ったのを覚えてます。
たしか、お金持ちとわかった旅人にどうしても急にお金が必要になった村人が自分の旅籠に止めて歓待し、その時のその旅人が自分のお金を持ってることを忘れさす為、ミュウガをご馳走するのですが、反対に宿代を忘れて旅立たれたという落ちの古典落語だったと思います。
で、このミョウガは自分にとって忘れられない幸運のしるしなのです。

うちの長女は、なぜはただ一人これが大好きで自分とせって食べます。
うちの庭の物など、うっかりすると食べらてしまいます。
しかし、そんなときにスーパー物は食えないので口げんかになります。
“どうして食べた?” “おとうさんにも分けたのよ!”、、、。
“そんなもん食べた覚えは無い!”
“昨日の晩のあれよ!” “???????”
“あれって、あんなちょっとか!!!!”
“そう!あれでおしまい!”
そういえば、たしかきゅうりの上に何か糸くずみたいなのが乗ってたような、、、。
で、ごまかされます、、、。

今回は、もう4日間ミョウガ三昧で、落ち着きました。
そして、お土産に自分が取った最後の全部(30個くらい)を豊田に持って帰りました。
今、それを娘が毎晩、薄く切って1つづついただいております。
豊田でもどこか群生してると思うのですが、なかなか縁がありません。
きっと探し出します。

広島からの帰りは15日の深夜でしたが、こちらは順調で6時間くらいで到着しました。
なんとも思わなかったので広島での証拠写真が一枚もありません。
想像してください、、、、。
田舎の方々は、なんだあんな物、何処でもあるし、だれも食べん!などと思われるでしょうが、田舎を経験して今町で生活してる自分達はそれが懐かしいのです。
ですから、自分はどちらも経験してる者として毎年帰省するのは最近しんどくなりましたが、友達にもあえないし、、、でも、600kmもヒイヒイしながら運転し、オマケに大渋滞にあい、散々でしたがもう2度と帰らないとはゼンゼン思いません。
これが、故郷を持つ幸せと思っております。

ただ、“いつまでもあると思うな親と金!”じゃありませんが、親のありがたみを感じてる今日この頃です。
つづく。



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2006年08月21日

盆休み

盆休み
弊社は、現在基本的には年中無休で頑張っております。
が、自分の個人的都合が一番大きいのですが盆と正月は以前より会社全体で数日休ませていただいてます。
まあ、通常も社員は交代で休みを取っているのですが、、、。
今年もその連休を利用しまして自分は広島に帰省しました。
もうこれは、愛知県に就職いたしまして以来、31年間自分の年中行事の中で一番の行事であります。

レースをやってました時は、それでも何とかして休みをもらってましたし、東京勤務時代も何とか片道900キロを走り続けました。
家族も一緒に連れていったときもあります。
若いころはお金も無くたしかスターレットのEP71に一家5人で帰省したこともあります。まだ、子供3人(男二人、女一人)は一番上が小学生でしたので後ろの座席を前に倒し3人川の字に寝かせて真夜中1時くらいに豊田をスタートして明け方6時ころには、その田舎に到着という強行軍であります。
まだ、自分も30代のバリバリでしたから何ともありませんでした。

今回もそんな感じで夜中の1時に豊田をスタートしました。
家内も含め、家族全員は何かと用事があり一人旅であります。まあ、最近はだれか連れて行くのですが、この度は、、、、、。
豊田インターから東名高速に入り、もうそこそこ渋滞してましたが時速80Kmくらいで流れてはいました。
しかし、名古屋を通過して中央高速ジャンクション過ぎたあたりから止まったり動いたりが断続的に続き、岐阜県に入ってから本格的に時速5キロくらいになりだしました。

用賀パーキングを通貨するころはもう2時間を経過、普通なら京都を越えるころです、、、。
AM3;00多賀パーキンでたまらずパークイン、20分ほどトイレタイムと仮眠していざ出発、、、。しかし駐車位置から10mも移動しないうちに車が渋滞、パーキングから車両が本線に出れないくらい渋滞してるのかとあきれながら20分ほど待ってましたら、前の方で大型バスが少し動き出しました。
おお!やっと動き出したかと思ってたら又、止まりました。
しかし。そのうち二重に並んでた車両の自分の反対の右側に一部が動き出したので何とか移動し、ゆっくり動き出しました、右側だけ、、、。

訳が解りました。出口付近にココはガススタンドがありますが、その給油に並んでる車両が全ての通路をふさいでたのです、、。
スタンドの連中は給油に忙殺され、渋滞を交通整理できてなかったのです。。・
で、やっと本線には入れても全く動きません。せいぜい10m進んで3分止まって、、。

そうこうしてるうちにAM5;00ごろ、まだ天王山トンネル手前、、。
夜空もしらみだし、あたりは明るくなります、、。
時速5Kmくらいで動いたり止まったり、、、。
この辺から異常事態を体験しました。
そう居眠り追突の連続ショーが始まりました。
遠くパトカーか救急車のサイレン音、少しづつ前方に移動してますと路肩に2台止まってます。
後ろの車は、ボンネットをちょっと持ち上げたり、中には90度曲がったり、、、。
車両は、軽4輪、普通車、大型バスと多用です。
加害者と被害者、両方ともそんなに深刻な顔はしてません。あくびなんかして、どうしてここにいるんだ!なんてまだ、寝ぼけてる方も、、、。
家族4人くらいが呆然と路肩に座ってたり、、、。

もうこれが本当かと思うくらい連鎖反応か、100mおきくらいにやっちゃってんです!!!
もうパトカー、覆面パトと、総動員で事故処理にあったてる感じ、、、。
AM9;00 茨木インター通過あたりでやっと渋滞緩和、、、。
しかし、その先の中国道、山陽道への分岐点の1キロくらい手前から左側1車線はまた渋滞です。

もう、そのまま直進して、御腹も減ったし次の吹田パーキングに入りました。
ここはパーキング内もわりとすいてました。
朝定食を食べながら、なぜいまごろここにいるんだろうとボーとしながら考えてました。

なんせ、普通なら夜の1時ごろから岐阜を通過するまでの1時間くらいしか名古屋系FMが聞こえず、栗東をすぎるころまでFMは良く聞こえません。
大津付近から大阪系FMがラジオから聞こえてきますが、それも1時間以内に宝塚インターを越えるころにはもを、、、。

それが今回は、何処のFM局も何時間も聞きました。
しまいには、ラジオを飽きて自分で独唱会であります。眠気覚ましもかね、、、。
天王山トンネルを越えたころからの追突ショーに自分も加わらないよう、歯をくいしばりながら大声で歌ってましたが、フっと瞬間居眠りしてるのです、、。
何度も追突しそうになるので、自然に車間距離が開きます。
つづく

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2006年08月20日

モデルカー3

モデルカー3
FRPカーといえば、このポルシェレーシングカー904から917まで殆んどFRP製でアルミパイプフレームをシャーシとして、それを又FRPで包み込むようにボディを作ってます。
これは当時としては最新の手法ですが、クラッシュしたときの部分修理するにも切り繋いで再生できます。
イギリスのローラ社は、アルミモノコック、フォードGT40はスチール製モノコック、
フェラーリも330P3ではアルミモノコックですので、モノコック全盛時代にFRP&パイプフレームは、ドイツらしい独創的手法です。

ちなみにトヨタ7は、このFRP&パイプフレーム製でした。何故知ってるかと言うとそう小さな自慢話ですが、20年くらい前以前の会社でそのトヨタ7のフロント周りの修理を経験しましたし、その会社の先輩たちは、その7の製作者たちでしたので色々きかされてました。トヨタさんのその当時のレース撤退でそれらのパーツが放出され、そこにもたくさんありました、6mmのチタンボルトやマグネシウムのラジアスロッドとか、、、。

1977年の936までこの手法でして、1981デビューの956からやっとアルミモノコックとなりました。
自分が在籍していたシグマオートモーティブ(現サード)は、1973年デビューのGC/MC
73がアルミモノコックでしたので、その1970前後はF1ではパイプフレームなど存在せず殆んどアルミモノコックでしたので、908、917、936等ポルシェ社は頑固なまでにその伝統的手法を崩さず、FRP&パイプフレームに固執するところなんざ、とても他社では真似の出来ない芸当です。
空冷エンジンは諦めましたが、スポーツカ理想では考えられないリヤエンジンで成功をおさめております。

まあ、こんな頑固なところがファンを引きつけて離さないのでしょうが、、、。
話は飛びますがそういつも飛びます、思いついたら話さないとすぐ忘れるので、、、。
第2次大戦時のメッサーシュミットbf110という名機は液冷式のエンジンを搭載してましたが、大体空冷星型の日本の航空機もそうですが現地での整備や換装などの整備性は圧倒的に空冷が有利なのです、これは993までの空冷も含めて部品数が少ないので、、。

しかし、このbf110という戦闘機を日本の陸軍が参考の為購入して、それを基本にキー1型という“飛燕”を液冷式エンジンも含め国産化しましたが、その当時の整備士たちがこのメッサーシュミットbf110を分解した時、なんと簡素にそして短時間に分解、整備ができるように作られていることに狂気感嘆したそうです。
現地の又、屋根の無い青空のしたで簡単な設備あれば、熟練者でなくても簡単にエンジンが脱着で来たのだそうです。そして驚くことにこの液冷式V12気筒倒立エンジンは、日本の技術屋がうらやむほど耐久性を考慮し、短い時間でオーバーホールの時期が指定してあるのだそうです。もひとつすごいのはこの重いエンジンを機体に支える為の懸架装置をマグネシウム鍛造で製作されてるのです。
飛燕では、クロモリ鋼管でしか対抗できませんでした。これだけでも相当重くなったそうです。そうマグネシウムなど材料も日本になかったので、、、、。

ドイツと日本の考えの相違があるとしても、この整備性の良さと耐久性の考慮、材料の豊富さ、どれをとってもその当時のドイツのレベルの高さを物語ってます。
そして当時、飛燕は故障の多い(これは整備性の悪さも影響してます)又、良い作戦やパイロットなどに恵まれない悲運の運命をたどったのです。土井さんという中島飛行機製作所(現スバル社)の日本を代表する優秀な技術者を有しながら、ゼロ戦の堀越氏と比較されました。
また、海軍と陸軍の軋轢の中で良いところを共有するということが出来ないまま、海軍のゼロ戦の良いところを陸軍の飛燕は利用できず、変ないがみ合いのなかで敵と戦っていたのです。あんたらアホじゃないのとノーテンキのツルタでさえあきれちゃいます。

こんなアホンダラで自己中心的発想しかできない軍部の上層さんたちは、戦争中は部下に“お国の為に死をも恐れず、最後まで戦え”と号令しておいて、敗戦になれば責任転嫁して真っ先に降伏、または身を隠しました。このような卑劣な野郎と一緒に靖国に合祀されたくないと思うのは自分だけでは無いと思います。

もちろん勇猛で果敢な、そして部下思い優秀な上司もおられたことも事実ですが、、、。
実情はそんな簡単なものではないでしょうが、毛沢東さんが中国人民は多すぎるので少しくらい間引いても問題あらへんで!と、大量虐殺したのとあまりかわりませんかね、、、。

いつの時代も犠牲になるのは、平民そうオイラみたいな純真な方々であります。
8月6日という広島の原爆に少しですが関係ある自分としては、事実を多少なりとも誤解して理解してるかもしれませんが、この戦争で多くの方が祖国と家族の平和の為に大事な命を引き換えにしたことは事実です。
ただただ合掌であります。

現在の日本は、“遠い日の出ずる国”なのであります。あらゆる国から羨望され一度は行って見たい国のひとつです。敗戦より立ち直り大きく復興しました。
トヨタ自動車さんは今に世界一になりそうですし、あらゆる分野で先頭を走ってます。
しかし、それも多くの先輩方の悲しい体験が基となっていると思います。

話が、そうとう横道にそれましたが、この章を書いてるときはこのような結末になるとは夢思いませんでしたが、自然とそうなってしまいました。
個人的感情の思うがまま書き綴っていることをご了解ください。
つづく。

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2006年08月08日

モデルカー2

0bcc8b64.JPGモデルカー2
ポルシェAGというところは、とても肖像権に対し敏感なところで、もちろん他のカーメーカーがいい加減とはいいませんが、ポルシェデザインの良く似たワンオフ車を個人で作成してそれを何処かのモーターショーに展示したとしますと、そんなに時を待たずポルシェ社(日本の、、、)より、そのデザインで販売することはまかりならないと通達が来ます。

その場面に自分は出くわしました。素人のちょっとした遊びにです、、、。
まあ、気持は解らんでもないですがもう少し穏便というか、穏やかに、、、。
大きなお世話です。ハイ!
自分がその立場になったらやっぱり神経質に怒るかも、、。真似するな!、、て。
これが東南アジア、特に中国、韓国でしたら、バリバリですが、、、。

やはり日本人は甘く見られてるんですかね!威圧的態度で怒ったら日本の皆さんは大抵、ごめんなさい!と、謝ります。
アジア諸国でしたら、“ナニユウトンネン!カッコイイカラマネシタンヤ!ドコガワルイチュウネン!”と、一蹴されそうです、本人に、、、。

だから、ホンモノは諦めてモデルカーで我慢してます。
これも商売して派手にやったら、ヤッパリ抗議されますです。ローヤリティを払わんと、、。
トヨタさんはこれらについては、結構おおらかです。やった方はご存知で、、、。
でも最近はこの肖像権とかコピー商品について、生産者は徹底的にやられてます。
先進国では、やはり死活問題ですので、、、。
これがアフリカのマサイ族とかエスキモーの方々が作って喜んでいても、あまりメーカーさんは気にしないと思いますが、、。個人的に、、、。でもやっぱりだめですよね!

弊社も及ばずながらオリジナルの商品を製造、販売してますが東南アジアより出ました、、。
バッタモンといいますか、要はフルコピーですが、自分としては余り気にしてません。
そのうち、世界に冠たるアイメックとなる商品となった暁には、“ヤメテ!”と叫んでる自分を想像しております。
907や908をコピーして作りたいなんて叫んでるうちは、自分もその同じムジナかもしれませんね!
ようし!910にしよう!  自分のレベルはこんなもんです、皆さん、、、。

アメリカ、ニューヨークにある“OCC”という会社を御存知ですか、、。
OCC “オレンジカウンティーチョッパー”といいます。
デスカバリーチャンネルでよく放映されてますが、この親子の会社はオリジナルチョッパーを製作、販売してるのですが、その1つのモデルを製作していくストーリーです。
時々、親父と長男が製作する過程で意見が食い違うのでしょうが、それはもう演技してるのではないかと思うくらい、クチげんかします。大体、オヤジのものすごい迫力に遠慮してか息子は仕事を中断して外へ出て行くのです。それらを面白おかしく撮影されてるのですが、最後には、仲直りしてて一緒になって完成させて、楽しみに待ってるカスタマーが来社し、初対面して感激してるのを皆で出迎えます。

涙もろい自分は、時々感激してカスタマーと同じ気分になり涙ポロリです。
ここは、シャーシいやフレームからオリジナル、エンジンも色々あり、タンクも自作、ホイールそしてハンドルバー、又タンクやフェンダーの塗装も抜群のオリジナリティで完成されます。
先日、名古屋の方が来社されこのようなカスタムバイクを名古屋で作ってもらってるとのこと、約1年かかるんですって、、。そしてその下々の自分はすぐにお値段をお聞きしましたら、なんと800万円ですって、、、、。

このOCCカンパニーは、全米はゆうに及ばず、全世界的に知れ渡ってますが、また支店もありますが、日本にはありません。だれか個人的に輸入されてるのは別として、、、。
理想の形ですが、工場やショールームが画面に写りますがとても規模がでかいです。
エンジンも1,600CCとか当たり前なんです、、、。

弊社もこういう真似なら最高なので一丁やってみたいですが、じゃ、なにのカスタムでいくか、、、。ポルシェチョッパーなんて想像もできませんが、案外アメリカーナの方々に受けるかも、、、。

今、お客様のロータスエリート(1961年車)のレストアというか修理を頼まれてるのですが、他のショップでやってたものを途中からある事情で引き受けました。
が、あるパーツが不良で英国から取り寄せ、結局日本国内で加工修理したのですがその期間が昨年11月英国からパーツを持って帰り、完成したのが先月であります。
とても楽しい作業です。
このエリートは、エランやヨーロッパと違いXシャシーの無いフルモノコックFRPですものの本によりますとその当時キットカーというのもあり大きく6つのパートに分けられ、主要部分は25時間で組み立てられ、完成車を買った場合に比べ650ポンド(当時のレートで65万円)節約できると言ってます。
しかし、現実とは程遠い程そんな簡単には、、、とこの作者は言っております。

モデルカーとキットカー、大きさは違いますがポルシェのキットカー出ないでしょうか、、。
ポルシェ社から、、。ものすごくリーズナブルプライスで、、、。
でもって907か910で、、、。
タミヤさんと共同でもいいですから、、、。
どうですか、皆さん賛同されません???
どうも今回は、皆さんを引きずり込むお話が多くなりました。
つづく。


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2006年08月05日

スロットカー4

45060614.JPGスロット4
“じゃ、何かい!発売と同時に完売で売るものが無いなんてサギと同じじゃないか!何とかしろ!、、、、”

冒頭から激しいやりとりですが、、、じゃあ無い、一方的なお怒りですが、そりゃ無理もありません、客にとっては発売開始日に買いたいモデルがその年に予約出来ないなんて、、、。
まあ、セールスするディーラーからのいい訳もありますが、要はその年の販売計画台数をポルシェジャパンさんは、ドイツの本社に申告しその台数を生産します。
だから、思いのほか売れすぎると先程みたいな発売開始前に完売というおかしな現象となります。 セールスマンいらねージャン!!!

皆さんこれはどういうことかお解かりでしょうか、、、。
そう、ポルシェジャパンさんが予想した販売台数をお客さまの需要が上回ったといえば聞こえはいいですが、そうでもなさそうです。
想像するに販売計画はどこの分野でも大変難しく、あらゆる情報を元に予想をたて“これなら売り切れるであろう”過小評価の数値と前年比をゆるやかな右肩上がりの表で示せるような理想線を維持しなければ、ポルシェのようなドイツ経営陣を納得させれません。

もちろん、皆さん経験者の集団ですから大方の予想はつきますが、本当のところは誰にも判らないのです。たくさん売って成績を上げ、給料アップを期待したいですがそれでも売れると判断し、前年比を大幅に越える台数を注文し、“さあ、気合入れて売り飛ばすぞ!”と、、、、。
しかし、実際ふたを開け、販売すると思いのほか売上伸びず、その年の暮れに売り切れなかった車両を投売りしなければならない状態を彼らは過去に経験されてるのです。

そりゃ、実際自分が雇われ社長で計画出せといわれたら、経験値からかたい線を選択するでしょう、、、。
ましてや、ドイツ本社からも品薄状態を意図的に行っているといううわさも流れてます。
まあ、これは事実でしょう。無いものねだりは、良い販売成果を過去に幾度もあげているからです。でももへちまもありませんが。お客さまにとっては納得出来ないところですが、、。

お膝元のトヨタ自動車さんも、途中でよく新聞やテレビに生産調整で上方修正したと嬉しさをかみ殺して発表してますよね!!!!!
極端な例ですが、コーンズさんに行ってフェラーリを注文すると大体いつでも2年から3年かかりますと申し訳無さそうに返答されます。
で、何故か自分に電話がかかってきてツルタ、“おまえに頼んだらもっと早くならんのか!”と、無茶な相談を最近よく受けます。  もちろんポルシェさんも、、、。

トヨタさんのプリウスは、現在注文すると3ケ月くらいかかるそうです、、。関係ないか、、、。
オマケにBBSホイールを注文すると遅い奴はやはり3ヶ月くらいかかると解答がきます。
皆さん2とか3という数字がお好きなわけではないでしょうが、弊社でもし納期に3ヶ月かかりますと返答したらどうでしょうか、、、。
“え!比較するレベルが違う!”ですか、、。 ですよね!!!!

スロットカーの話題に戻って、この前3〜4件のご意見が来ました。この件について、、、。
皆さん本当にお好きです。レベルがすごいです!自分の経験なんかカスです!!!
と、へりくだっておいて、、。でもやはり世の中広いです。当たり前ですが、、、。
でもこれはどうでしょう。自分が、もし“FLY”さんにコネがあって日本の代理店であるキョウショウさんを通じて、オリジナルフライ製スロットカーを作っていただいたら皆さん買っていただけるでしょうか、、、。もちろん限定数百台で、、。それも日本だけの限定販売で、、、。何を作るかはアンケートを取って、、。
917か、907,908か、それとも生沢さん910か、、。チョッと古いですか、、。
どう、どう、どう!!!!

エボロさんも1/24シリーズのスロットカーを試作されてましたね。ホビショウーで見ましたが、、。

スロットカー人気が今確か昭和38年ごろブームになり10年周期で再燃し、3回目あたりの一昨年くらいから又、盛り上がってましてマニアのあいだではまたまた忙しくなってきたそうです。
クラッシクモデルも価格は上がってますし、、、。
これもそのポルシェを含む最近のスーパーカーブームに拍車をかけてますね!
ガソリンはこのままでいくと150円を通り越して200円時代になるとウワサされてます。自分も今、軽トラを中古で購入し、キャビンと荷台を外しシャーシだけにして2座席の通勤スーパーカーを作ったろか!!!と思う今日この頃です。

この案、自分だけではなく考えてたという奴がいましてオレのマネするななんて言いあってます。レベルの高い話でしょ!
スーパーカーなんて宝くじ当てるか、自分の死亡保険金を前借するか、ユメみたいなことが実現しないかぎり買えない者として、せめてスロットカーでニヤニヤしてるのは幸せなことだと思うのは、、、、。
絵は、スロットカーではありませんが自分の好きな車両の1つです。
907/908ですが、現存する車両は少ないです。917に改造されたことも希少車にしたひとつですが、、、。
僕の友人にマッドハウスの杉山さんという奇人(失礼、自分もその一人です)がいますが、彼はあの紫電改を復活させた男ですが、予算あれば彼にあれを軽トラか作らせたいです。
だれかスポンサーになりませんか、、、。彼は軽トラでチャパラルを1/8で作った男です。
つづく。




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2006年08月01日

スロットカー3

スロットカー2
その当時のスロットカーの種類は、メインが1/24シリーズで1/32シリーズもあるにはありましたが、自分は、1/24シリーズしか集めませんでした。
もちろん、大きい方が迫力もあり国産は種類が多く、最盛期には50種類くらい会ったと思われます。 自分が集め台数は延べで30台くらいありました、、、。
オプションパーツは、今の時代みたいに何でも発売されてる訳でもなく、たしかソリッドタイヤに変わり、スポンジタイヤ、スロットガイド、ブラシ、ベアリング、ギヤ、
と一応ありましたが、購入したのはタイヤくらいでした。

あとは、自分で工夫するのです。そうそう一番問題のモーター、、、。
現在の電動ラジコンカーレースでも、バッテリーとモーターはやはり重要ですよね、、、!
このモーターは、その当時マブチ製が圧倒してました。
マブチイコールモーターという代名詞であり、ゆるぎないものでした、、、。
FT27、36と2種類あり、あとでもっと強力なDタイプが発売されました。

その当時、皆さんは最初はそのまま使用してましたが、やはり物好きというか探究心旺盛というか当然のごとくモーターをバラシ、ニクロム線の巻きなおしを初め、マグネトの削り加工や軸受けの改造などそれはエスカレートしてました。
自分は、ニクロム線の線形を変えたりしたチューニングくらいしか思いつきませんでしたが、涙ぐましい努力をされてる方々はいるもので、自分が他のサーキット(プラレールの組み立て式ではなく、パーマネントのもの)などに遠征し、小手調べに走行しても地元の彼等には、ストレートでぶち抜かれコーナーで外側レーン(大体6〜7レーンありました)から、かぶせるように抜かれました。実力の差と、金の差を見せ付けられました、、、。
その当時から、、、。スロットカーレースの小さな世界でもやはりテクニック&マニーであります。

でもこのレースの世界を体験したことが今に通じてると思います。
もちろん相手は殆んど自分より年配の方ばかり、、、、。
耐久レース(約60分)のときなど、速い敵は途中ピットインしてスポンジタイヤを交換してる間にモーターをすぐ分解出来るようにカバーのつめがカットしてあり、ローター目掛けてシンナーのような揮発性のスプレーを拭くのです。そうローターを気化熱で冷却してるのです。こちとらタイヤは替えますが、モーターまでは、、、。そして挙句の果てはタイヤのまで何か粘着性のスプレーを掛けてるのです、、、。
当時は何でもありでした、、、。

で、自分ら低学年の貧乏人は自然にサーキットから遠のき、小さいながも自宅の畳の間にプラレールを買い込んでコースを作り一人で走らせてました。しかし、所詮一人の遊びではなく勝負する相手がいないと飽きてきます。
自然にストットカーから離れるのです。
その当時、全国の小学校の御触れが回ったのでしょう、広島市内のサーキットに小学生は出入りが禁止となり、親同伴でなくては走れません。
それが引き金となったのか、スロットカーは急速に衰え殆んど消滅したように思います。

最近のあの一斉を風靡したミニ四駆は、品薄でこぞってその特定車種を親と一緒に捜し求めているころは、販売売上も絶好調でしたが販売拡張をもくろみ何処のショップでも簡単に買いもてめられるくらい増産したものですから、得意になって品薄機種をサーキットに持ち込んで得意になってる親子は、その興味が失せると子供のことです、熱中してたことがウソのように引いていきまして、あっという間に在庫の山になってしました。
ミニ四駆の終焉、氷河期にでも入ったようにブームは去りました。

時代は繰り返すといいますか、老若男女何時の時代にもブームというのがありまして勢いというのは、物凄いパワーを持っています。品薄となればなるほど欲しくなる物でその法則を利用して過去に数々のヒット商品が生まれました。
クルマの世界では、ポルシェ、フェラーリはその双璧でありましてこれらはある程度の金額を出さないとオーナーになれません。が、最近は中古車の価格も安い物ですと100万円台からありますので、購入しやすくはなりました。

これらスポーツカーには、スーパーカーブームというのはありましたが、所有してなんぼの世界では遠い夢の世界でした。
しかし、現在ではちょっと頑張れば“ドリームカムツルー”となります。
そして、964/993最後の空冷シリーズは、空前の需要ブームで1年前964RSの中程度ものは500万以下で取引されてましたが、今では600万出しても買えません。
一般市場では更に価格が跳ね上がります。
エアコン無し、パワステ、パワウインドウ無し、エンジン、ミッション音バリバリ、バケットシートで、思わず舌を噛みそうな乗り心地、普通では考えられません。

皆さん血眼で捜しておられます。993RSなどは、650万円で4年前に下取られたのが今では900万円でも買えないのです。プロフェショナルカージャーナリストも含め、皆さん当時の993スタイルをバカにしておられたのに、、、。
ポルシェディーラーは、今2006年モデルを8月にある機種を発表したとします。
来店者、“じゃ、これオーダーしたるがや!”と、いきがって言います。
すると営業マンは申し訳無さそうに言います“もうすでに06モデルは完売でございまして、今オーダー頂くと1年以上かかりますです!”、、、、。
オーナーいわく、“なんでぇ、今日発表だというので張り切ってわざわざ豊田から来たのに、、”
“すみません、なんともなりませんのです。キャンセルでもでないかぎり、、!”
つづく。




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