2008年03月

2008年03月20日

ポルシェ997ターボ 12

5943cb5a.JPG996ターボは、2001年に発売された当初は高価ですしポルシェファンとしてやはりあのなみだ目が印象的が、、、で、売れないだろうと言われてました。

しかし、やはりお金持ちの方は、そんなの関係ねー!なんてディーラー車はすぐに売り切れ並行車も好調でした。
大体が、販売台数の割りにご希望者がたくさん増えましたので、、、。

自分も初めて996ターボに試乗した時は、どんな車両もそうですが”これ以上、何をチューニングすればいいの???”なんて思いながら悩んでしまいます。
ケチをつけれるようなところを改造、改良していけば良いのだからと自分に言い聞かせます。

まあ、そのうち3日、4日、1Wと続けて試乗してれば何がしかの不満が出てきます。
もちろん、概観からはホイール、エアロ、エクゾーストマフラーと、お決まりのコースが成り立ちます。しかし、この996ターボという車両は、やはり落とし穴がありました。
当初、すぐに993までのチタンEXマフラーからステン製のEXマフラーに戻りましたが、特にティプトロ車では、2000から3000回転の間でボケーと運転してますと、こもり音がひどいのです。
その当時は、製作に殆ど手作りの有名な下請け(皆さんご存知の)さんで作ってましたが、3セット、4セット目と試作を作っていただきテストするのですがいっこうに解決できません。

その当時は、斬新であったバルブ式も試しましたがやはり満足できません。
また、そんな時他社ブランド(有名な外国製)装着の方から相談有り、あまりにこもり音がひどく、助手席の妻が乗りたくないと嫌われてしまったと70代くらいの男性から相談ありました。
で、自分はその車両に乗り、判断しました!”これでは弊社のマフラーも同じような状態ですのでノーマルに戻すしか方法はありません!”と、、、。

まあこんなことがあってマフラーに関しては今もヨソサマのをお付けになってすぐに外した!という苦情は良く聞きます。
これがその後で発売されました996GT2ですとノーマルでもその回転域でこもっておりました。もちろん排気効率は、ターボに比べ音量もでかいので、、、。
ポルシェ社もこのこもり音を解決していないのだと内心はホッとしたものです。
このEXマフラーに関しては何時も悩まされますが、それはそうです、メーカーだって凄いお金と時間をかけて開発しているんですから、、、。

今はどうしているかといいますと、お客様にまず、そのことをお断りするか体験していただき決断していただいてます。
チューニングという心地よい結果の代償としてこの996ターボシリーズは、こもり音というお土産がついてくるのです。
もちろん、こもり音は振動ですのでどこかでそれを打ち消す対策をすれば良いのですが、弊社ではこれ以上は出来ません。

現在までそう!10種類以上の他社メーカーのターボ用マフラーを経験しましたが、ノーマルに勝る物はまだありません。
ノーマル以上に弊社では、消音した試作も作りましたがノーマル音量以下であるのにこもり音はちゃーんと出ました。威張るわけではありませんが、、、。
兎に角、当面の課題であります。
それ以外の方は、3000回転以上は、逆に静かになりますのでもっとやかましくしろと苦情がでてるくらいです。10人十色であります。
つづく。
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2008年03月16日

ポルシェ997ターボ 11

a691bc4b.JPG993ターボシリーズでは、延べ300台以上のチューニングをしてきましたが、未だにそれが原因でエンジンを壊した車両が1台の無いのが自慢といえば、、、、。

もちろん、車両自信のセフティ機能が作動していたことも起因します。
兎に角、丈夫なエンジンであります。
そして、1998年暮れから、996の水冷時代に突入します。
ターボ車両は、2000年以降の登場となりますが、、。
最初に試乗した印象は、やはりマイルドな乗りやすさでしょう。
993ターボの衝撃的な印象もイメージにありましたので、993GT2が430PSくらいでしたので、996ターボの420PSは、とてもおしとやかな貴公子っていう感じでしょうか、、、。

もちろん、メーカーから出される車両が荒々しいはずもありませんが、ますます乗りやすく乗り手を選ばなくなったことは確実であります。
ましてや、販売率90パーセントの日本販売ディーラー車は、ティプトロであります。
他社のスーパーカーも軒並み2ペタル方式に移行してる中、マニュアル車自体を発売しているポルシェ社は、やはり頑固なのでしょう。
弊社のお客さまで、996GT2をお買いになりクラッチ操作が面倒くさいのとターボ車に比べ、アシストが付いてないので市外地のストップ&ゴーがしんどいと500Kmも走らないうちに転売されました。

このような事実が、示すようにスーパーカーでも乗りやすさは、重要な要素になりつつあります。
自分達のように、シフトレバーにこだわってる事は時代遅れでしょうが、これまで携わっていたチューニング世界の変遷は、車両の進化と共に30数年の経験で激変しました。
もちろん自分も高齢化社会の一員になってきました今日、20代の若いお客さまと会話していまして、自分の若い時代と比較しましてそんなに変わってないと思います。気分は、、。

ただ、車両が進歩してる為若い方々がそれに付いていけてないような気がします。
ましてや、高校生時代に現在では、オートバイに乗ってはいけない、免許も取るな、それに乗っての通学など持ってのほか、、、。

オリンピックの強化選手をはじめ、全ての練習にいまどきは3歳だの4歳だのと英才教育することが最重要といってるのに、誰もが取得しないと乗れない単車を16歳からと決めるのは、、、、。100歩譲りますが高校生での免許取得を禁止したり、通学を許可しないとは何事ですか、、、。
それで18歳になって急に4輪自動車の免許をとり、いきなり昨今の交通戦争といわれる最も危険な一般道路に出れば、いくら優秀な成績で自動車学校を卒業しようが、実務経験の少ない若者を自殺させるようなもんです。

第二次大戦末期に練習経験の少ない15,6歳の少年兵のゼロ戦がアメリカ海軍などの優秀なパイロットにバッタバッタと撃ち落されるのと同様ではないでしょうか、、。

まあ、こんな話しか出来ない自分が情けないですが、、、。
絵は、最近、筑波での取材時も物です。
天敵R35GTRに弊社530PSの996ターボが負けるの図であります。
言い訳するなら、あまりの寒さでA048のタイヤがグリップせず、後で確認しましたら前後のタイヤ共、3分の一くらいが路面と接触してませんでした。
オマケに土屋圭一さんが最後の試乗中、信じられないことに片側のターボホースが抜けました。
よく、金具が外れることはあるのですが、ホースがかしめられたアルミのわっかからいきなり抜け落ちておりました。
まあ、こんなことをあるんですね。
つづく。






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2008年03月11日

ポルシェ997ターボ 10

b85dfaca.JPGレースの話ばかりで恐縮ですが、そんなことしか覚えてないツルタです。
そして993時代の写真が一番多いのでついネタもこれに集中してしまいます。
ストリートの方はというと、やはりその当時付き合いのありましたローク社のECUを流用したりしてました。
この当時、アイメックでは、2種類のECUチューニングをやってましてよりハイパワーなエンジンには、それ対応の物を採用しなければなりません。

大容量タービン、ハイカムシャフト、3,8ピストン、などです。
もちろん、チタニウムエクゾーストシステムや国産で特注した大容量インタークーラーなど、殆どのパーツを開発しました。

そのECUは、ドイツに技術者を派遣したり、スズカ1000Kmレースに参加したときにドイツの技術者に来社してもらったりして、技術交換してました。

やってることは、国産ターボチューニングと大差はありませんので、少しも気になりませんでしたが、なんせパーツやテスター、冶工具など周辺機器がお高いので、利益はそのまま還元じゃありませんが、それらに消えていくのです。
このスタンスは、今も続いております。
まあ、それが自分達の売りなんですが、、、。
兎に角、ドイツ本国では、差ほど問題にならない問題でも、日本では大問題になるのです。
ましてや、ポルシェディーラーでは素早く情報は入り、対策や細かい指示が出ますが、
自分達は、その車両に問題が発生してからの処理となり、ドイツに問い合わせて事の次第が判るという何時も一歩遅れるのです。

どんな小さな情報でも欲しいのです。993ターボ、GT2時代も大きな問題が色々出ました。そんな失敗談だけでも本になると思います。
そう、本で思い出しましたが、自分の本”ポルシェ最強メンテナンス”という題名も色々取りざたされまして批評を受けましたが、前向きに考えまして都合の悪いことは気にしないようにしてます。
それが、次の改善に繫がると思うようにしてますです。
言いたいことの半分も書けなかったですが、感激していただいてる読者もおられたのですから、、と。

絵は、そんな中でGT2バージョンにしたその当時500PSを超えたエンジンチューンとサスペンションなど、殆ど全てにわたって改造した993ターボを友人でありお客様(本人もポルシェオーナー)である名古屋在住の舞踊家三代真史(みしろまさし)氏が、ご自分のダンスカンパニー主催のショーで使いたいということでお貸しした時のものです。
三代氏は、今では世界中にファンを持たれてるすばらしい方で、ダンスを目指してる方なら知らないと、その方はもぐりでしょう、、、。
オリンピックに本来であれば出場されてた凄い人です、、。
これ以上説明すると長くなるので、割愛しますが、、。
これを鑑賞したその時の方がたは、今ではもうお子さんもおられるでしょ、、。
そうある地域の成人式でのことでした、、。
つづく。




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2008年03月10日

ポルシェ997ターボ 9

75e0a6dc.JPG993GT2レーシングエボがGT1クラスのルマン24HでマクラーレンF1に惨敗することになる前の同年、ノベルト、ジンガー氏率いるポルシェバイザッハのグループは、次期GT1クラスのマシンとしてミッドシップでありながら911のモノコックを使用したマジンガーZみたいなストリートとレーシングカーを合体した車両を開発、製作しました。

この車両は、初代ポルシェGT1と命名されました。
この年、96年のルマンテストデーが終了した翌日からポールリカールでポルシェ社のGT1におけるテスト走行がありました。
そのテストに自分は、同時に並行して開発途上のGT2エボのテストにルーク(ロークとも、、、)ティームと参加してました。
ちょっと威張るツルタであります。

GT2エボの方は、ラルフ、ケレナースと往年の元F1ドライバーのJ,P,ジャリエ氏がテストをしてました。
色々やってましたが、油温の異常上昇に手をやいてました。
650馬力の発生する熱量をフロント両サイドの現状のラジエターインテーク形状では、油温が適正値まで下がらなかったのです、、、。
GT2レーシングは、当時450PSが標準でしたので、同じ形状のフロントバンパーとオイルクーラーでは、やはり無理があったのでしょう、、、。
これは、その後対策されましたが、、、。

同時にそこでテストされてたGT1を間近で観察してましたが、外側のボディは、フルカーボンですが、ドアを開けると911のスチールモノコックボディが見えます。
何か違和感ありました。
エンジンは、リヤ座席部分が隔壁で仕切られ丁度962Cの911版って感じです。
この年は、ルマンデビューレースでしたが散々でした。この後、相当シェイプアップした2代目が翌年のルマンを制し、屈辱を果たしました。
どれだけ失敗をしても必ずそれを糧として、その後必ず結果を出すことがポルシェの凄さだと思いました。

この当時、ニッサンも、またトヨタなどはGT1クラスにTS010、TS020などF1みたいな車両を投入してもルマンを制してないんですから、、、。
トヨタさんが、TS010で参加されてた時は、そりゃもう、ここは豊田市かっと思うくらい、多くのトヨタ関係者が参加されてました。

絵は、そのテスト中の初代GT1と後方にはその開発者、ノベルト、ジンガー氏が写ってます。このおじさん、どこにでもおられるようなやさしいおじさんで、自分のアホな質問に”そやなー、これでタイムアップしたら安心して寝られるんやけどなー!”
なんて答えてたと、思い出されます。
つづく。
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2008年03月07日

ポルシェ997ターボ 8

9dda08c6.JPG1999年のルマン24Hにエントリーする為には、その当時事前のルマンテストデェーに参加してある程度のタイムを出さないとエントリー出来ないという暗黙の怖い了解がありました。

で、我らローク混生ティームは、日本人2人が参加することになったのですが、織戸選手は、テストデーが5月5日だったのですが、日本でのGTが5月3日に富士でありますので参加不可能、もう一方PCJのクラブ員の方ですがその方とイギリス人、イタリア人の3人でタイムアタックということになりました。

その当時は、それでも精一杯やったのですが車両がアメリカからの飛行機が遅れ資材と車両がギリギリに到着したり、ローク自信がその当時すでに金欠病で首が回らない状態だったことも災いしてか、全て結果論ですが運悪くエントリーから外されてしまいました。
この時は、本当にまいりました。自分のスポンサーからの事前のお金をロークは、結局返金してくれず、参加されたPCJの方は泣き寝入り、自分も他のスポンサーに平謝り、、。
この時は、オーガナオザーのACOの会長に手紙をだして真相を説明して欲しいと懇願したり、フランスのACOに親しい日本人ジャーナリストにお願いしたりしましたが、所詮どうしようもなかったのです。
フランス人は、自分が辞書ですから、、。
ニッサンがやはりそんな問題で講義したことがありましたがACOの回答は、”そんなに不満なら出なければいいでしょう!”っと、一蹴されたそうです。

まあ、しかしこういう状態が続くと、参加者はスポンサーに対し出れない場合、お金を返さねばならないなど、やはり問題となり最近は、テストデー参加イコール許可されることと変更になりました。

まあ、レースは水物といいますが本当に苦しい経験をさせられました。
このときロークは、前年度に出た初代のポルシェGT1を購入、その年のルマンなど年間レースに参戦してましたが、このGT1が曲者で大変な大金食いでして、これで一挙にロークは、お金を使い果たしたのでした、、。

993GT2には、そうした色々な思い出がある車両となりました。
絵は、そのテストデーのワンシーンですが、その時他の車両のどんな奴が出てたか殆ど覚えてないくらい、それに没頭してました。
後で、色々な写真など見てそうそうたる車両が出てたなと思ったくらいでした。
つづく。
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2008年03月06日

ポルシェ997ターボ 7

22a5b519.JPG1996年あたりから自分のレース活動は、タイサンさんのアルバイトからアイメックの独自のスポンサー活動によるルマンなどの海外参加を目指して行動してました。
そのころポルシェ993GT2レーシングで1994年あたりからBPRシリーズとしてインターナショナルGTレースがヨーロッパを中心に行われ鈴鹿1000Kmレースもその一部として利用されてました。

そのセミワークスとして当時台頭していたのがルークレーシング(ROOCK RACUNG)で、ケルンを本拠地とした新進気鋭のティームにジョイントして何戦か世界で参戦してました。
1998年11月には、最初で最後の富士ルマン1000Kmレースが開催され、その当時から狭き門であったルマン出場枠がこのレースでクラス1位になると取れるということでルークティームと合同で参加しました。
1996年の鈴鹿1000Kmレースでは、わがルーク混生ティームは、クラス優勝と4位を得ていました。

残念ながら富士1000Kmレースでは、GT2クラスは、タイサンさんがゲット、われ等がGT2クラスは、ステェファン、オルテリ(その後のルマン総合優勝者)などで挑みましたが、途中リタイヤ、GT3クラスとして993RSRで出場をお願いした織戸さんとはクラス2位でした。

で、翌年のデイトナ24Hもルークと一緒に993GT2で出場しましたが、やはり途中リタイヤ、その1999年は、デイトナで996GT3RSRがデビューしました。
その後、その年、6月のルマン24H出場の為、織戸選手のテストも含め、一路アメリカ東南部ジョージア州、アトランタのロードアトランタサーキットに行きました。ここは、ルークアメリカの拠点となったところです。
絵は、その時のテスト走行です。織戸選手は、初めてのロードアトランタですが、動物的勘ですぐにコース要領を覚え、ルークのワークスドライバーである女性のクラウディア、ヒュートゲン選手に劣らぬタイムをたたき出しました。

なんせ、当時は自分も若かったものですから怖い物無し、ルマンだろうがデイトナだろうが、鈴鹿だろうがお金も無いのに何とか回してました。
993GT2レーシングは、世界中でその性能と耐久性を誇示してましたね!
つづく。
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2008年03月04日

ポルシェ997ターボ 6

f1c56083.JPG993ターボは、その性能が400PSを超えたことと、4WDになったことで964ターボから格段に走行性能は良くなり、速くて楽で操作しやすい魔法のクルマに生まれ変わりました。

その分、電子制御やサスペンション、エンジンメンテナンスなど全てにおいて改善されたので発売当初は、自分も途方にくれました。
ECUは触れない(今では簡単にやってしまいますが、、)、エンジンはタペット調整もいらない、メインマフラー、触媒マフラーなど複雑になってしまい改造が難しいと、チューナー泣かせと思っていました。

でも、そんなことは言ってられないので少しずつ手を入れていきました。
本当にそのころは、全て手探りで他の世界中のチューナーの例も殆ど無くエアクリーナーからはじめたのです。

マフラーは、チタニウム材を使用してその当時としては破格の60万円もする物を製作し、販売しました。
ECUチューニングも、最初はサブコンでした。

で、これをゲンロク誌で取り上げてもらい矢田部の最高速テストにも何度か挑戦しました。今思えばやはり笑い話ですが、、。
この車両は、色々な取材をしてもらいました。
アイメック時代のポルシェチューニングを代表する稼ぎ頭でした。
あるときは、テレビの取材で他のスーパーカー同士で、茂木のストレートを使用して0−200mをそれもかわゆい女優さんのドライブで1等賞になってしまいました。
ディアブロのチューニング車に、、、。
くやしがってましたそのボクシング世界チャンピョンさん、、、。

そして同じベースの993GT2、今では伝説の車両となり1500万円くらい平気で取引されてますが、この車両当時並行車は、アートさんあたりで1600万円でした。
新車価格と変わりません。
この車両も多分トータルでは、20台以上チューニングさせてもらった記憶があります。一時期は、弊社のGT2預かり車両が同時に4台くらいあったように思います。
つづく。
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2008年03月02日

ポルシェ997ターボ 5

507bc7df.JPG993ターボの時代には、多くの経験をさせていただきました。
その一つが、レースの世界でのものです。
すでに1995年に993GT2レーシングがデビューし各地で目覚しい勝利を勝ち取ってました。

ルマン24Hでは、その名のとうりGT2クラスでは競合他社は皆無で、殆どGT2の独壇場でした。そして、衝撃的なマクラーレンF1GTRが登場し、GT1クラスを独占しだしたとき、対抗馬として苦し紛れに登場したのがGT2EVOであります。
生産台数は、96年から97年の間に確か11台だったと思います。
現在弊社のお客様が1台、山口県の方が1台と日本に2台もあります。
この車両は、GT2の450PSに対してエンジン、ターボ、ウエストゲートを変更して650PSを無理して搾り出してました。
その為、油温の上昇や回転数の上げすぎなどによりルマンでの戦績はあまりかんばしくありません。

さすがのポルシェ社も柳の下のどじょうは、そんなに多くはありません。
やはり無理があったと言わざる終えません。簡潔無比のポルシェ社でもこのような無茶をたまにやらかします。

その為、同時にGT1という911のモノコックを利用したミッドシップの車両を同時進行で製作しました。

絵は、1996年その当時、行動を共にしてましたドイツ人ティーム、ルークレーシングのテストに参加した時のものです。
場所は、南フランス、マルセイユ港に近いポールリカーサーキットです。
長いストレートがルマンに似ていることで多くのティームがテストしてます。

この時も、テストしてるドライバーは、ルマン優勝ドライバーのラルフ、ケレナースですが、油温の異常上昇に手を焼いてるところです、、、。
つづく。



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2008年03月01日

ポルシェ997ターボ 4

6109d65a.JPG997ターボを996ターボと比較されてますが、自分の私見を少し述べたいと思います。

まあ、これは、時代をさかのぼって1970年代の930ターボからお話した方がよりわかり易いのでそうします。
自分が初めてポルシェターボと遭遇したのは、いきなり934であります。
サードにいた1977年ごろ、名古屋の方が所有されてた物でナンバー付きです。
まあ、こいつの加速は、そのころでは想像つかないくらい強烈なものでした。
で、この感覚が今日のターボ崇拝ツルタのルーツと今頃気がつきました。

1100Kgの車重で420PSくらいあったのでしょうか、、。
タイヤは、スリックでしたが一般道での試乗で加速を試すのに身構えた覚えがあるくらい、そりゃすごかった!の一言でした。もちろんドッカンパワーで4,000rpmを超えたあたりからまさに異次元の加速でありました。
多分、いまでもあのような加速は、やはり危険であります。

そしてロードカーのそれも乗りました。当時1970年後半の時代にすでに新車価格1,600万円してました930ターボのなんとマイルドなことか、、、。
964ターボになってから車重も少し増えたのか、そのマイルドさにさらにやさしくなった感じの加速感でした。
あいかわらず、3,500RPM以下は、何ともならない、、、。

で、964ターボ3,6Lになり低速からの加速が幾分良くなりました。
そのころは、すでにブーストアップチューン真っ盛りでしたので、かなりの台数のチューニングをやりましたが、インタークーラーがやはり容量不足で0,9以上ブーーストを持続して使用したら、空気温度が上昇しすぎて温度センサーが反応し点火時期を遅角しまして、いきなりパワーは、落ちてしまいます。
サーキットなどでは、顕著に表れます。

まあ、対策は、インタークーラを大きくしたり、カムシャフトをハイカムにして低いブースト圧でもパワーを出してました。もちろん、ターボを交換ですが、、。

993ターボに初めて乗ったのが1995年発売されて半年たった頃です。
大阪のお客様から預かり一路豊田までの約200Kmを名神高速を利用して帰りましたが、それまでのドッカンパワー(ドッカンといっても逆に3,500ROMまでが加速してなかっただけですが)からスムースかつクイックな加速を全回転域で実現しました。
この時は、感激しました。兎に角、アクセルレスポンスが格段に向上しました。
その当時の表現でもまるで国産車のターボのように低回転から鋭い加速を実現したと、、、。
ポルシェもやりゃーできるんじゃけー!
この車両のチューニングもたくさんやらしていただきました。
コンピューターチューニングが重要で、このころからドイツと技術のやり取りが始まったのです。
つづく。
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