2018年06月05日

2018年 スーパー耐久第3戦 フジ24Hレース観戦 つづき

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話を少し戻して、絵は右端の立ちかけてるドライバーが、
2000年タイサン996GT3Rで初参戦したルマン24Hで、
クラス優勝した余郷敦さん、、。
今回、最年長ドライバーギネス認定の石原さんの助っ人として。
車両は、ケイマンGT4です。
何とリヤフードには、ケイマンMRと明記してあって、
これはマンタイのコンプリートカーであります。
本来は、石原氏が1台注文してあったそうですが、間に合わなくて
国内に持っていた方から譲っていただき、本人さんには、後で
新車をお渡しするんだとか、、。
豪気であります!

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こちらの野郎は、ゲンロク誌RCFロングタームで取材を
したいただいてる山田弘毅さん、、。
アクセラのディーゼルターボ参戦のティームからお誘いが、。


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宿泊した旅館の離れ、、!
特別に宿泊させて頂きました、、。
翌朝、宿泊したコテージ!のご主人に起こされ、7時起床!
朝飯を食べた後、何となく、その富士カントリークラブ内の
旅館(といっても操業50年)のご主人2代目勝野さんと
お話を、、。

彼は、67歳とアタシより2歳先輩!
何と生沢徹氏が、ポルシェカレラ6で、1967年、第4回
日本グランプリで、滝進太郎氏と同じカレラ6で激戦した当時、
他に御殿場には、ホテルなる物が殆ど無く、この旅館”東山ロッジ”
に宿泊したんだそうです。
くしくも、1967年はそう、富士24時間耐久レースも開催
されてました。

50年前で言えば、当時の建屋としてモダンな外装、室内も
今でもシックな感じで、ホテルといっても過言ではありません。

当時は、政財界の重鎮が、運転手付きの自動車で多くの方が
宿泊されたそうです。

そう、富士カントリークラブは、御殿場では最初に出来た
ゴルフ場だったそうです。

で、ご主人は、学生時代、これも凄いですが、先輩が所有していた
初代ハコスカGTRを持っていて、それが何回もポリさんに
捕まり、免許書が無くなった為、安く穣って頂いたんだそうです。
5年くらい乗っていたが、30Zに交換したそうです。
100Lタンクだったので、無給油で、四国まで600km走行
出来たそうです。
その後、転売した後、関西のKSCCクラブの方が、GTRを
と、いうお話があったそうですが、後の祭り、、。
当時も希少車であったのであります。

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翌朝サーキットについて、各所を回りました。
兎に角、キャンパーが多く、まるでルマン、ニュルを彷彿させ、
施設も各所にあり、今後の運営も問題無く、後は地域住民の
方々が協力されれば、連続開催もそう、難しくないかと、、。

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富士山も、奇麗な姿を、、。


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ゴール10分前、、。

ピットでは、皆がモニターを眺めて、、。

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ルボーセの坪松監督です。
一睡もしてなく、ズーッとピットウォールで見守って。
安堵の表情です、、。

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助っ人の石浦選手左と平手選手は、すかさず、ラインを、、。

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スタートからズーと見守っておられました、嵯峨君の
お父さん!
ハイブリッドや、レースではルマン24Hなど、数々の
修羅場を経験された猛者ですが、今は職務も離れ、後輩の
監査役といったところで、、。

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コースには、タイヤカスが、24Hレースの痕跡を、。
これが、ルマンですと、レース終わったあと、コースが解放され
一般の観客がワーと入り込み、アタシも記念にタイヤカスでも
拾おうかと、30分位たって行ってみたら、1コーナーから
ダンロップブリッジ付近でしたが、全くありゃんせん!!
皆さん、お持ち帰りになられて、、。
掃除の手間が省けますが、思うことは皆一緒です。

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ゴールした車両は、パレードラップのあと、逆走して
ピットレーンを皆に祝福されながら、、。

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ドライバーも含め、坪松監督オーナーは、今回クラス優勝
すれば、4回連続でしたが、、。

埼玉トヨペットさんのGRX113のマークXの、688ラップ
と、2ラップ差で完敗、2位という残念な結果(フロントフード
が空いて修理に)に、皆泣いてるところでありまする!

優勝したニサンGTR GT399号車は、1周4、563mを
759ラップ 3,463kmでした。

ST3クラスの我がルボーセティームのRC350は、686ラップ
3,130km走行しました。

1967年の富士24Hレースで優勝したトヨタ2000GTは、
3,234km走行しました。

ま、当時は、6kmのコースですから単純に比較は出来ませんが、
2000GTが、現在のRC350より多く走ったということは、
脅威であります。
それも、当時、夜間照明の少なく、おまけに夜中雨とガスが、、。
これが、ルマンとなると、1970年代のポルシェ917K(
クルツ、ショートテールの意味)で、5,335km、
最高速362kmでした。

今回、ピットで8分間の作業時間が与えられました。
その間に、ブレーキローター&パットなど交換してましたが、
ルボーセティームの交換したフロントローターの消耗具合を
見ましたけれど、まだ、使えそうでした。
ま、安全の為にですが、、。
しかし、48台中リタイヤは、4台という完走率です。
リタイヤした車両も、不慮の事故が原因で、故障車両は
少なかったのです。
昔は、耐久レースというと、生き残りゲームでした。
ルマンなど、半数近くがリタイヤして、、。
ま、車両の完成度、サービスの充実など、進歩してるのです。

また、1967年の参加ドライバーは、トヨタティームなど、
殆ど車両が、2名です。
ま、体力、気力で乗り切り、健康や、安全面など二の次でした。

ということで、、。
皆さま、お疲れさまでした。
そして、色々ドラマのあった貴重な体験を現場で味わい、
清々しい気分で、豊田に帰りました!

銭と体力付けて、アタシも参加したいと妄想が始まりました。

つづく。

















turuta_s_room at 10:35
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