大学時代は左SB、ベンゲル時代の名古屋からCB、その後も順風満帆な選手生活だったが監督が元鹿島のジョアン・カルロスに変わってから激変。

監督に嫌われ望月、平野と共に追い出される事になったが同監督はプロ選手経験の無い監督によくあるエリートコースの選手を嫌っていて、事実鹿島時代もジョルジーニョが身を引く形で鹿島を辞めている。

その後磐田に移籍するが今一つフィットせず鹿島に移籍する事になる。

しかし大岩ボールなど彼を見ていて鼻につくようなエリート意識など感じられず、若手DF陣を束ねて堅守鹿島に無くてはならない存在になっている。