February 03, 2007

議論。

下の記事を見逃しても構わないのですが、いきなりドカンと来ても挨拶なしかよと思われるのもちょっと悲しいので、続きです。念のため。下の記事から先に読むことを若干オススメします。読書に嫌悪がない方に限り。それ以外の方は一行目だけ読んでさらりと流して頂ければ幸いです。

さて。

まずは私の現在の身分でも軽く明かしてから本題に入りましょうか。わたくしは、成人し専門学校卒業したのにも拘らず定職に就かず、睡眠と趣味とバイトで日々を過ごしているフリーターです。……胸を張れる事実でもないのですがね。睡眠も趣味の一環になる以上二つかもしれませんが。それは別の話としておいて置きましょう。

そう言う所から、鋭くはないけれどもジワジワと切り込んでいきましょう。私が断固として主張したいのが、ニートでは無いという事。アルバイターというだけでニートの烙印を押される事に遺憾を感じるのです。そもそも、ニートって言うの言葉にこんな負のイメージが盛り込まれてる事に疑問を感じる訳ですが、それは今のマスメディアが生み出した錯誤の産物なので、今更とやかく言うのも無駄でしょう。学んでいるようで居て、あいつらは全く進歩しない(中には例外も居る。当然の話だ

そもそも労働意欲が無い、という意味合いはニートには無い。有るのは学生、主婦(主夫)を除く非労働力人口のうちの若年層(15〜34歳)という定義だけである。意欲という言葉は好意的に見られるのは分からないでもないが、それが無いからニートっていうのは安直過ぎて笑うしかない。給料ドロボーといわれる様な、定職に就きながら怠惰を貪る社会人のほうが、よっぽど糾弾されるべきだ。労働しないという部分も責められて然るべきだとは思うけど。そこにアルバイトの人間も入り込むのが如何ともしがたい。

こちとら国民年金はちゃんと納めてる。選挙にも行っている。税金も納め、アルバイトであろうと労働はしてる。国民の義務は大方果たしている。なのに差別を受けるこの現状は一体何なのだろう。胸を張りたいわけじゃない。フリーターなんだよって威張りたい訳じゃない。だけど少なくとも、「フリーター? うわ、もしかしてニート?」みたいな視線が癪に障る。如何言うこと? 定職ってそんなに偉い? いや、偉いんだろうけど、それって他人を見下せるほどなの? 労働者として、権利を惜しみなく主張できるって意味であって、別に定職に就いたから他人を蔑む権利が得られる訳ではない。

私はニートにされるのが途方も無く嫌だ。ニートといって蔑む人間も大嫌いだ。というか、学生だけど、「あはは、授業休んじゃったー、だりーんだもん」とか笑いながら遊びに行く学生の方がニートに相応しい。

そんな世の中だから──と話は非常に飛躍するが──忍耐が無い。蔑まれれば蔑まれるほど、それを擁護しようとする人間がどんどん現れるのだ。そしてその存在がニートに現状のままでもいいかな何ていう妙な余裕を生み出す。蔑まなくすれば良いだけなのに、擁護するから付け上がる。捨てる神あれば拾う髪あり、みたいな。

如何考えても被害妄想なのに人間関係が最悪なんて称して逃げる。結局自分の思うように行かないからで、そもそも自分の主張を一切出来てないのが原因なのを棚に挙げて、被害者ぶっている。悲劇のヒーローorヒロインぶってれば、誰かが助けてくれるとか思ってる。ヒーローorヒロインなら逆境を跳ね除けろって感じである。もっとも、本当に人間関係が最悪な所が無いとは言えない。だからこそ、耐えるのではないか。耐えて見極める。見極める為に耐える。勘違いだったなら歩み寄ればいいし、勘違いでなく蔑まれていたのならば、その時初めて行動に移せばいい。その決定までの時間が今は短い気がする。たったのそれだけで一体何を君は見たんだい? と思わず問いたくなる期間で退く人間もちらほら見受けられる。

挫折が無いっていうのは致命的だと思う。

私なんかちっさい頃から挫折ばっかりだ。大きくは無く、小さい物ばかりだけどその度べっこりと凹んだ物である。被害妄想が酷かったら何ていうか、多分私って今生存しているかも危うい。幼稚園の頃の親友の親から嫌がらせを受けて絶交させられたし、聞き流してたはずの悪口の首謀者が私になってたりした。でも私は被害妄想気味だけど、振り回されるのが嫌いなマイペースな人間だから、その嫌がらせは嫉妬だと思い込んで、小学校・中学校。高校で、悉くその母親の息子より学力の歴然の差を否応無しに見せ付けてやった。見る目無いねと見返すように。悪口の首謀者にされて、陰口叩かれても、全部戯言だと聞き流して、その悪口の対象だった子と仲良くした。誤解だって分かって貰うように。

みみっちぃ積み重ねは存外莫迦に出来ない。
一つの大きな壁にぶち当たる時、小さな壁すら見たこと無い人間は如何避けていい物か迷うだろう。登るにも天辺に手が届かず、回り込むにも端が見当たらない。
でも小さな壁でも、壁を知ってる人間は登るにも梯子を用意する。踏み台を用意する。助走をつけてジャンプするかもしれない。回り込めないなら壁を壊すツルハシを用意するかもしれない。もしかしたら、地面を掘って、下から潜り抜けるかもしれない。そう言う応用ができるか出来ないかは、小さくても経験の差である。

護りすぎる体制には、いつかきっと思わぬ時に凄まじい反撃に遭うだろう。それが仮に明日来て、この世の中でまだ自分の足で地に立てる人間は、どのくらい居るのか。少なくは無いだろうが、多くもないだろうなと私は思う。

等身大って大事だなって思うよ。

私はフリーターだから自分の身分に胸を張れないし張らないけど、その分見下さない対象も、定職についてる人間よりは格段に多い。僥倖を沢山知っているのは幸せな事だろう。でも不遇を沢山知っている人は必ずしも不幸では無いと私は考える。不遇が日常になれば、他人にとっての普通が幸福だよね。他人にとっての幸福は最大級の僥倖になりうるなんて素敵だな。耐えるのは苦しいけど、明けない夜は無い。

『日はまたのぼる』(byヘミングウェイ)で如何?

そういやこの本は最後まで読んで無いなぁ。
……何処行ったんだろ?(知るか

議論と書きながら、
私の主観しかないので議論では無い。not議論です。
ワケわかんないですね。久々でテンパったという事で。

ではまたお目にかかりましょう。

twilz at 23:00│Comments(0)clip!

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔