July 04, 2007
「できない」と言える責任感
この仕事をしているといろんな人と出会う。
個性も十人十色なら、ビジネススタイルも様々だ。
社内の人間も取引業者の方々もすべて仕事でご縁のある方々を観察して思う事。
「なんでも引き受ける」ことが責任感の強い人間なんだろうか?
そういう人に限って、もう手の打ちようのない段階になって「できませんでした」ということが多い気がする。
なんでも自分の得意領域だけで仕事して新しい仕事に挑戦しないのも困るが、
「できない」と言えないのも同じくらい困ってしまう。
まあ、私的な暴論を恐れず言うと、
「できない」と言えない人は、
自分に酔っているか「使えない」と思われるのを怖がっている気がします。
どんなに忙しくても、明らかに力量以上でも、頼まれれば「仕事」を引き受けることが、『頼もしく、責任感の強い』ことだと考えているかもしれないが、
実は逆であったりすることの方が多い。
「できる」ものとして任せたことが「できない」と土壇場になって分かると、
困るのは上司や同僚や周囲の仲間、そして依頼主であるお取引先様であったりする。
顧客や取引先に迷惑をかけ、信用を損ね、会社に大きな損害を与えかねない。
これまで、そのやり方でやってきた人は、必ずといっていい程
「それが私のやり方だ。そうやってきた」というだろう。
でも、考えて欲しい。
そのやり方は実は、常にいつ周囲に大迷惑を掛けるかもしれないという大きなリスクと表裏一体であったことを。
そして、彼らは得てして「できない」という言葉を発することが「使えない奴」と直結すると思っている。
これまた逆ではないか。
「こういう理由でできません」とか
「こういうやり方ならできます」とか
「このぐらいの期日をもらえばできます」とかいうように、
現状を把握し、できる方法を考えたことを伝えてもらうと逆に信頼感は上がるものだ。
そうして、指示した側や発注した側は対策が新たに考えられて、最善の手を打つことができる。
だから、任されたことは最低限、完璧なまでに仕事を行ってくれる人の方が計算が立ち、信頼を築きやすいのも事実だと思います。
チャレンジすべきことは勇猛果敢にチャレンジし、
きっちりと役割を果たすべきところは完璧なまでに役割を果たす。
そんな仕事も見極めとメリハリ。
このあたりの管理が大事になってくる。
我々はみな一人で生きているわけじゃないし、一人で仕事をしているわけではない。
一人じゃないから、一人じゃできない大きなことや喜びを味わえる。
そして一人じゃないからこそ、周囲への配慮が必要になる。
(配慮はしても遠慮はしてはいけない!)
「できること」と「できないこと」を仲間で話し合い、
求める結果を達成できる各自の責任領域のバランスを探っていき、
皆が自分の与えられた仕事をきっちりと行うことが組織で行う「ビジネス」というものだろう。
何でも「できます」と安請け合いするのは、幼稚な気もする。
だから、「断る」勇気を失ってもいけないし、恐れてはいけないと思う。
その前に最大限の努力をするというのが最前提の話だが。
と、朝仕事前のスポーツジムで曇り空の渋谷を眺めながら考えていたり。
蛇足ですが朝からジムに行くと、
いつもの正面ゲートが空いてないので
写真のカフェの脇を通って裏から入るのですが、
いつか寝ぼけて落ちるのではないかと
いつもオドオドしてしまいます。
今日は天気がぐずついてますが雨の日は雨の日で気に入っている傘を開けるチャンスだったりしますよね。
今日もフルスロットルで頑張っていきまっしょい!
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コメント一覧
・・・・・・・
いろいろな事情がからみあってということもありますが、
今まさにそんな感じでもがいています。
各方面に迷惑かけ続けているし
今後はもっとかけるであろうことも
かなりリアルに重く認識しています。
どうしたらいいかわかりません。
かなりタイムリーなネタですね。
私をモデルにしているのでしょうか。
今の環境、状況での私という人間、人材の
崩壊・破壊は目の前にあります。
でも関わるあらゆる方々の迷惑、傷等々を
最小限に抑えるたいので
近々に現時点での答えがでるよう働きかけ
自らも答えが出せるようにしていきます。
・・・・・・・・
ツインターボさんってすごいね。
・・・・・・・・
いろいろ整理できたら
また相談にのっていただけたらと思います。
なんか最近うまく行かない理由が見抜かれてましたね。
そういうことだったんですね。
肩の力が少し楽になった気がするので明日からまた頑張ります!