(前回までのあらすじ)

仕事中、急に目まい、吐き気、手足のしびれに襲われ、
動けなくなってしまい、救急車を呼んだのであった。

ほどなく救急車は最寄りの救急病院へ。

救急病棟のベッドに寝かされ、
新たに計測機器を装着され、点滴をされる。

救急救命士から申し送りを受けた医師が
名前・年齢・症状など、先ほどと同じことを聞く。
私はひとつひとつの質問に答える。

「らりるれろと言えますか?」
「ぱぴぷぺぽと言えますか?」
「がぎぐげごと言えますか?」

すべて最高の滑舌で答える私。

「私の指先を触れますか?」

すべて正確にトレースする私。

「口角を上げてニッコリ笑えますか?」

満面の笑みで応えてみせる私。

「右手と左手で感じ方の違いはありますか?」
「発汗はありましたか?」
「胸の痛みはありましたか?」
「耳鳴りはありましたか?」

すべての質問に「NO!」と答える私。

しかし、この頃になって私は一つの違和感を覚えていた。

先ほどまで感じていた吐き気や手足のしびれがまったくない。
目まいに関しては、横になっているのでほとんど感じない。

あれ? おかしい。

どこかおかしなところがないですか? という医師の質問に
私があまりに何もないと答えるため、医師としても
原因を突き止めかねている様子が見てとれる。

なんだか申し訳ないような気分になってきた。

「お加減はいかがですか?」

自分の全身を一瞬のうちにスキャンし、
見つけた小さな不調を大切に拾い上げ、
まるで宝石のように医師に見せる。

「えーっと、まだちょっと目まいが残っている……かな?」

実は最初に病院に電話した時に
「今日は忙しい」と言われたのももっともな話で、
なぜかこの日に限って救急の患者が
次々と運ばれてきていたらしい。
後で聞いたら、私が病院に到着した時も
救急車が3台並んでいたらしいし、
私がいる間もひっきりなしにドクターヘリが
離発着する音が聞こえてくる。

この「救急の特異日」のようなややこしい日に
どこも悪いところはありませんなどと言ったら、
対応してくれた医師に申し訳ないではないか。

「うーん。はっきりしたことは分からないので
一度CTを撮ってみましょうか」

繰り返される心電計の電子音の向こう側に
救急病棟の緊迫した、そして物騒な会話が聞こえる。
文字に起こすのさえ憚られるような単語が飛び交う。

待っているうちに、どんどん体調が回復するのが分かる。
比例して、ますます申し訳ない気分が高まってくる。

CTの検査室に通されたときには、
わらわらと集まってきた病院スタッフを手で制し、
「あ、大丈夫です。自分で移れますから」と、
自力でストレッチャーから検査台に乗り移る始末。

その後、CT画像をつぶさに調べた医師から
「脳に出血はないようです」と言われたあげく、
「原因は分かりませんねえ」と匙を投げられる。

とりあえず脳でなかったようで安心する。

しかし、医師も医師としての意地があるのであろう。

「念のため、耳鼻科で診てもらいましょう」

耳鼻科の医師の手が空くまで、再び救急救命病棟で待つ。
もちろん、多少のふわふわ感が残っている以外、
どこにも悪いところはないように思われる。

ああ、申し訳ないなあ。

しかし、本当の地獄はこの後だということを
私はまだ知らないのであった。

(つづく)