2004年05月

2004年05月27日

「あなたとの夜の生活は最低の新婚生活だったよ。」

どうしてそこまで言われなきゃいけないのだろう。
2週間夫婦の営みがないというのは
それほど重要なことだろうか。

私の知る限り
いくら新婚でも毎日毎日やる人はまずいない。
友人の間で話してみると
だいたい1〜2週間に1回というのが相場である。

別に相場で決めるものではないのは分かるが
それがわりとふつうの夫婦間の状態であると感じる。

毎日顔をあわせて生活をともにしているわけで
ちょくちょく結ばれなくてもいいと思うのは
私の勝手な感情なのだろうか。

きっと男女間では
この面で食い違いが生じやすいのだろう。

彼女の場合
ただ怒るだけでなく
営みがないのを私が浮気をしているからだと
結論付ける。
浮気しているならしょうがないと思えるが
していないからこっちも逆ギレする。

そんなことを言われて
おとなしく仲良くやっていける男が
この世にどれくらいいるのだろうか。


私たちはけんかばかりの生活である。
ひどくなると3日に2日は険悪ムードである。

私がもっと大人になるべきなのか
あるいはもっと別な道を二人で考えたほうがいいべきなのか。

自分の思い描く幸せな結婚生活なんて夢のまた夢である。

こんな関係になるなんて思いもしなかった。


(21:03)

2004年05月18日

世の中には難しい病気がたくさんある。
みんなで知恵を出しあっていっぱい考えても
一つの体の中で起こっているできごとが
全然わからないときもある。

人の体はとても不思議である。
そんな不思議なものを相手にしているのだから
ときには挫折もある。
ときには大きな喜びがある。

なんだかよくわからなくてもよくなることがあるし
やはりよくわからないまま帰らぬ場合もある。


人と触れ合うことが人を成長させるものだとしたら
長年人と接することのできるこの職業は
自分のためにはプラスのものである。

しかしプラスとかマイナスとか成長とか立派とか。
抽象的な表現ばかり。
確実にいいことってなんだろう。
自分にとって確実にいいことってなんだろう。

そんな質問も抽象的だから
答えはかならずはっきりしないものなのかも。


自分が最後に頼るのは
自分の心の底にある抽象的な感覚。

一つの生命体としての感覚。


この一つの不思議な生命体の中で
いろんなことを考えられる。


なにもかもがいやになるくらい
うちのめされるときもあるけれど
そんなときも自分の感覚を頼って生きていきたい。

さまざまなできごとを楽しんでいたい。


(22:14)

2004年05月16日

なんと声をかけていいものか
いつも悩む場面がある。

病院で最後の時を迎えた方。
その後だいたいは葬儀屋さんを呼んで
おうちへと帰ることになるのだが
そのとき私たちもお見送りをする。

このお見送りのとき。
ご家族にはなんと言って見送ればいいものか・・・。


もちろん、他の患者さんが帰るときのように
「お大事にどうぞ」
では決してない。

「ご苦労様でした」
長い闘病生活をともに送ってきた
分かり合えるご家族であればこの言葉でもいいかもしれない。

「お疲れ様でした」
いっしょうけんめい看病をされていた家族の方には
心のこもった口調で言えば気持ちが伝わるかもしれない。
しかし一歩間違うと、なんだか仕事が終わったときの
事務的な表現にもなりかねない。

「ご愁傷様です」
言葉は間違ってないと思うが
なんだか人事と思っているような言葉にも
聞こえてしまう。


結局いつもいい言葉が思い浮かばず
無言で頭をさげるしかない状況である。


言葉は難しいものである。


(07:42)

最近、金持ちの番組をみるのが好きだ。
月収何千万だとか、何億円の家だとか・・・
すごいな〜。
そんなにお金があったら何に使おうか逆に悩んじゃうかもな。
使っても使い切れないのかも。

自分にはできない夢のような生活を
垣間見れるのは面白い。
そして自分にもいつかそんな生活ができないかなと
夢を想像するのが楽しい。
どんなことをすれば大金を稼げるのかといろいろ
考えをめぐらす時間も好きだ。
自分もどうにかしてブラックカードをもてるように
なれないものかと考える。

でも現実的には無理なわけで
楽しい気持ちと一緒にむなしい気持ちも感じる。

そしてその後に皮肉っぽい考えが浮かんでくる。

お金があまるほどあったとして生活は楽しいんだろうか。
たとえば30歳までに一生遊んで暮らせるような
お金が手に入ったとしてその後はなにをやって暮らせばいいんだろう。
多趣味の人はいろいろやることがあるだろうが
あまり趣味のない私のような人間には時間を持て余してしまう。
きっとぼーっとして過ごす時間が多くなって
早くからボケてしまいそうだ。

その点、毎日やることがある状況というのは
ある意味幸せなのかもしれない。

それとただお金を手に入れればいいというものでもないだろう。
短期的にはほしいものが買えるようになったり
生活に不自由がなくなりいいのだろうが
長い目で見るとただお金を稼ぐというだけでは
人は満足できないだろう。

たとえばちょっとした思いつきと偶然で莫大なお金を
手に入れた人を周りの人はどう見るだろうか。
強烈にうらやましい、とは思うものの、
その人を尊敬するとか頼りにするとか、
そういう気持ちにはならないだろう。

昔の番組で外国でロトのようなくじが当たったために
莫大な財産を手に入れたが、それが原因で友達を
なくしたという夫婦を放送していた。
ともすればお金だけ手にいれても他のものをなくす結果にもなりかねない。

人はないものねだりだからいろんなものがほしくなる。
お金がないときはお金。
お金を手に入れたら今度は他に自分の心を満足してくれる
なにかを必要とするのだろう。

それよりも地道に努力してそれなりに稼いでいる人のほうが
どれだけ周りの人に恵まれ、周りから尊敬されるだろうか。
どれだけ毎日の日々が充実しているだろうか。


億万長者になる夢は捨てきれないが、
地道な努力はそれ以上に大切なものを手に入れるために
必要なことなのだろう。
努力嫌いの私には一番それがむずかしいのだが。


(00:05)

2004年05月11日

私の職場の先輩は、大学時代の部活の先輩と結婚した。
奥さんの方はしょうゆ顔のあっさりした顔立ちで
きれいな人の部類に入るだろうが
旦那さんのほうはお世辞にもかっこいい人とは言えない。

去年子供が生まれて以前に一度見せてもらったことがある。
それはそれはあっさりとした顔立ちの子供で
そのあどけなさがとてもかわいかった。
お母さん似でよかったねといいたいが、
そのうちお父さんに似てしまうのかもしれない。
言葉はまだしゃべれなかったが、人を見ると
じーっとみつめてそれからプフ〜ップフ〜ッと唇で空気をだして
遊んでいた。

なんの意味もないわけのわからない行動だが
妙に子供らしくてかわいかった。


なんとなくその子のことを思い出したら
ちょっと幸せな気持ちになった。

そういえば私の悪友である先輩も
早く帰らないと2歳の子供が寝ちゃうからと
ときどき急いで帰っている。

他人の子でもかわいい子はとてもかわいい。
しかし甥っ子や姪っ子はもっとかわいい。
少しは血がつながっているからか・・。


自分の子はどんな顔をして生まれてくるのだろうか。
ちゃんと私の家庭に子供ができるのか、
ちゃんと元気に生まれてくるのか、
今はそんなの全く分からないでいる。
でも親ばかの気持ちというのにもいつかはなってみたいものだ。


(22:40)

2004年05月08日

世の中がつれなくなってきたためか
あるいは豊かになりすぎて
心に余裕と隙間ができてきてしまったためか
現代には心をわずらった人が増えている。

今の職場に私宛に電話が来たようだ。
電話をとってくれた人が○○はおりませんと答えてくれたようだが。

電話の主は数年前に私が担当した患者。
悪性の病気がかなり進んでしまい
ひどいおなかの症状で入院した。
内科である程度の対処を行い
その後なんとか手術を行うことができた。

手術はうまくいった。
なんとか普通に生活できるようになった。
今は外来通院をしているはずである。

その彼女は退院後は外科に通っていたが
たびたび内科の私のところに来た。
そして感謝の手紙などをおいていった。

初めはわざわざそこまで感謝してくれる
人情の厚い人なんだろうなぁ、と漠然と考えていた。
しかしその反面、話をしていて少し
話がずれる感じがあった。
あまり深くは関わらないように・・という思いもあった。

その後、外来だけでなく
病棟で仕事をしているときにも
わざわざ病棟に現れて私に一言声をかけていくことがあった。

そこまでくるとちょっとやばい感じがしてきた。
周りの人たちには、彼女が来たら
私はいないと言って下さいと伝えていた。

その後1年くらいたって私は県外に転勤した。
その患者のこともほとんど忘れていた。


あるとき職場の電話が鳴り私は呼ばれた。
聞き覚えのある名前に私は耳を疑ったが
やはり電話の相手は彼女だった。

私は居留守を使い電話にはでなかった。
その後も何回かかけてきたようだがすべて留守ということに
してもらっていた。

そして昨年はまた違う職場へ転勤。
4月から再び1年前の職場に復帰した。

そこでかかってきた昨日の電話。


さすがにもう異常だろう。

直接特別に害を与えてくるような人ではないのだが
あまり気分はいいものではない。

あれだけの大病をして元気でいることがまずすごい。
もちろん元気でいてほしいが、
私の知らないところで元気でいてほしい・・・。

世でストーカーというとふつう20歳台から40歳台くらいの
人を思い浮かべるが
70歳近くでもいるものだ。


周りの友達をそんな話をしていたら、
その彼にもちょくちょくやってくる、
以前担当した患者さんというのがいるらしい。
非常にくどくて大変らしい。

多くの人に会っていると
たびたび出現するものなのだろう。


ほかの同僚には
「ストーカーはされる側にも原因がある」
という名言じみたものをいわれたが、


私のせいなのか。。。


(14:17)

2004年05月06日

いまでも同級生の独身の友達は
コンパをときどきやっているようで
ときには私にも声をかけてくれる。

さすがに周りには
既婚者が多く参加者を集めるのにも
毎回一苦労のようだ。

そんな飲み会に参加してみたい気持ちはある。

昔のように仲間で集まって
わいわいと盛り上がる飲み会を
またしてみたいとも思う。

でも行きたい気持ちの反面
行ってどうする、というような気持ちにもなる。

その場はきっと楽しめるのだろうが
その後にむなしさが襲ってきそうだ。

だいたいたとえばものすごくタイプの
女の子がいたとしても
その先はどうするんだ。

結局自分の首を絞めるだけになるだろう。

相手にとっても失礼なものだ。


さすがに今更いろんな人に会ってみたいという
そういう欲求はなくなってきた。
昔はそれが一番の望みだったように思うが。

そんな時間があったら
打ち解けた仲間と親睦を深めたほうが
何倍も有意義な時間になりそうだ。

心の中を話せる人と
ちょっとした会話を楽しむほうが
何倍も楽しい時間になりそうだ。


人間関係を少しずつでも温めていこう。


(22:09)

2004年05月05日

薬にはかならずといっていいほど
副作用がある。
効果の強い薬ならば尚更強い副作用をもっているものだ。

70歳の男性。
昔、地方の議員をやっていたとのことだが
昔のプライドがあるのかあまりこちらのいうことに
納得はしない人。

得てして先生と呼ばれる職種の方は
とくに頭が固い人が多い。
もちろん自分たちも含めてのこと。

若い頃は無理をしたのか
田舎の病院にかかっていたためにろくに
ちゃんとした治療を受けてこなかったのか
体の中はなかなかの病気の倉庫である。

今回はむずかしい病気にかかってしまった。
なかなかめずらしい病気であり診断するのも難しい。
ひどい場合には亡くなって病理解剖して初めて
わかるようなことも数多い。

そのため治療法も一つに決まっているというものでもない。
しかし今の段階でもっとも効果があるだろうという
治療法を選択して治療を行っている。

開始の際には薬の副作用についても
説明している。

その後薬の効果がある程度みられ
私は内心喜んでいた。
しかし一時的に効いてもまた悪くなることもあり
本人たちには過度に期待させないように話していた。

副作用の一つが目立ってきた。
こちらは注射などでうまくコントロールできることが多く
病気の重要度とすればどう考えても
もとの病気をよくしたほうがいいと考える。

しかし今になって
本人、家族は反感を抱いている。

そんな副作用がでるくらいなら
治療をやらないほうがよかったというくらいの
気持ちのようだ。

立場の違いや知識の違いのためか。
私の説明が不十分なのか。

こちらの考えることをすべて理解してもらうのは
難しいものだ。

医療者と患者さんの間の壁というのは
小さくなってもなくなることはないのかもしれない。


(14:50)