


・・・というのは某有名巨人漫画のワンシーンなのだが、旅行する動機なんてのは、要するにこういうものではなかろうか?
人が一生のうちに体験できる出来事は有限であるし、1つの物事を深く突き詰めてゆくプロフェッショナルと呼ばれる世界の人達を私は素晴らしいと思う。
世界は広大でありながら深遠だ。全てを見るなんて時間がいくらあっても足りない。だから、やりたいことをやればいい。
世界は広大でありながら深遠だ。全てを見るなんて時間がいくらあっても足りない。だから、やりたいことをやればいい。
そうした中で旅行や自転車というのは、私にとって幾多ある趣味の1つ過ぎず、そこに知らない世界を走って回るといった発想は当初、存在すらしていなかった。だから旅行も自転車も楽しい趣味でこそあれ、私の人生に大きな影響を与える存在にはならないと思っていた。
石田ゆうすけの「行かずに死ねるか」という自転車世界1周紀行の本を読んだのは24歳の時。一応、自転車で日本1周をするような人がいることは知っていたし、読了後も感動はしたけれども自分とは縁遠い世界だと感じていた。
ただ、知らない世界を自分の力で進むことができるということを「知って」しまった。そこに、限りない自由を「感じて」しまったのだ。
そもそも旅行が好きなのだ。ガイドブックや旅行会社のツアーに従い名所を回り、土地の有名料理に舌鼓を打つような旅行には、いつの間にか興味を覚えなくなってしまった。
面倒でも大変でも、自分の決めた道を自由に進む。そんな旅行がしたいと思っていたし、そんな人生でありたいと思っていた。
自転車で旅行する。それはそれは車や飛行機といった乗り物と違って、自分の力でペダルを踏み出さないと進むことができないということである。だけど、そうして自分の力を振り絞って地面にタイヤの轍を刻んでいくことが、その土地を感じ、その国を知るということなのではないだろうか。
そうしてゆっくりと、自転車で世界中を走るということが、自分の中での立場や社会的責任、今後の人生の収入といった様々なものを合わせても、心の天秤の針が振り切れるほどに大きく育っていった。
自転車での旅行のことを考えない日はなく、関連した書籍やネットの情報を見ては心が飛び立つ気持ちになるのを感じていた。おぼろげに将来自転車で世界を走るために準備をしておこうと思ったのは、本を読んでから1年後のことだった。
それまで海外へは1度も行ったことがない。これは大きなアドバンテージだと感じた。全く知らない世界を自由に新鮮な気持ちで体験できる。何でもいい、まだ見ぬ景色や異なる価値観で生きてきた人々。灼熱の大地に広大な砂漠。
「面白そう」と感じられて、心が震えるような感動があるなら。その好奇心に付き従って、自由に世界を巡ることができるなら。自分の人生を掛けてみたいと思った。
旅行を始めて、今日で1年。世界にはまだまだ未知があふれている。