海外での滞在中は多くを夜営して過ごす・・・という行為を年単位で続けていれば、そりゃアウトドアに関して深遠な知識と経験を併せ持ち、たとえ明日文明社会が崩壊しようとも卓越したサバイバル能力で生きていける・・・そんな人物を想像したくなる。

 確かに私は自転車旅行で人口希薄地帯や人が住み着くには過酷すぎる土地でもキャンプをしつつ走行してきたのだが、サバイバル技術はおろかアウトドアの知識だってそんなに自信はない。

 本ブログでも繰り返し語っているが、私の旅行は多くの人に助けられ支えてもらい成立している面があり、そうした旅行であることを感謝し嬉しく思っている。

 なので「サバイバル技術」を「困難な状況を乗り越えて生き延びる技術」という意味で語るならば、そんなの一般人と変わらないですよ茶壺さんは。せいぜい鳥を解体することができる程度。

 ただ純粋な意味でサバイバル、つまり生き延びる能力というのならば、多分海外を経験している自転車旅行者は「サバイバル能力が高い」(一応私も含めて)と思っている。

 先に「海外を経験している自転車旅行者」と前置きをしたのはこの点が大きいからで、なんだかんだ日本という国は恵まれているしインフラの整い具合から様々なサービスの手厚さまで高いレベルで揃っており、何かをミスすることで旅行中に野垂れ死ぬ・・・というビジョンが見えない。

 この点、海外はシビアさを感じさせる土地や国も散見されるが、そうはいっても究極お金さえ切らさなければ都市部や観光地ならいくらでも対処できるといえる。少なくとも2度と日本の地を踏めず死ぬとは感じない。

 要するに近くに人がいる・・・というのは危険性がある一方で、頼る術を失っていないともいえるのだ。そうした状況で助けを求められる力もサバイバル能力なのだという意見もあるだろうが、私に言わせると見知らぬ土地でトラブルに遭遇した大抵の人はとりあえず助けを求めるものであり、普通のことだと思う。

 では海外サイクリストは他の人と何が異なり、サバイバル能力があるといえるのか?この答えは非常に、非常に残念なのだが一重に「悪辣な環境に慣れているので一般人より我慢が効くから」だといえる。

 衣・食・住と生命維持に必要な要素が、辺鄙な土地に行けば行くほどレベル低下するのは仕方がない。この低レベルというのは「物資がない」という意味なので、金銭の多寡で解決できる問題ではなくそこに留まる人間全てに影響するのがポイント。

 そうしたマトモに食料を調達することも難儀するような集落というのは交通インフラも脆弱で、つまり訪れる旅行者なんてのが物好きなサイクリストや徒歩旅行者しかいないのだ。訪れるというか通り道なので止むを得ずというべきか。

 ともあれそうした環境に割とよく遭遇する海外自転車旅行。レストランはおろか商店の1つもなければ食事はあるもので我慢するしかないし水分も極力消費しないよう努める。

 宿もないような町ならば野宿することになるのだが、治安に不安が残る国ならばなるべく人が寄り付かないような(悪環境な)場所を探してテント設営するのも致し方ない。

 川がなければ身体を洗うこともできないし、衣服だって1日走り回ってドロドロだろうと洗濯することもままならない。仮にあっても気温10度を下回る中で冷水シャワーだったり。

 そんな日常の側面があるため、まぁ限界となる閾値が鍛えられて高くなっているのはあると思う。シャワーを浴びないことを声高に語らう人はダメ人間だと私は思うが、シャワーを浴びれないことに我慢ができない人は海外自転車旅行には向いてない。

 さてこの話にオチをつけるならば、サバイバル力なんてのは結局後進国のクソ田舎に住んでいる一般人の方が我々より遥かに優っているということだ。

 どうか明日も地球の文明が滅びませんように。