インド37日目 メラクの町〜レーから南東に約150km トゥサガの町
ラダック18日目。せっかくならパンゴン湖をバックにテントと星空を入れた写真でも撮りたいと思ってたのだが、疲れ切ってたのでそんなことする気にならず。というか湖の際まで行かないとそんな写真はなかなか撮れない。
湖畔にテント張りたくてもなかなか難しいというのが現実だ。ラダックは治安が良く野宿が簡単な土地だと思っているが、そもそも地形的にテントを張れる場所を探す方が難しかったり。
お世話になった食堂はバイク乗りの団体客が宿泊していたようで、私の朝食タイミングと重なってしまい長時間待たされること必死。ということで別の食堂にて食事済ませて走り出したの8時40分。
昨日はこのポイントで凄まじい水が流れていたのに今朝は水が全く無かったこと。恐らく雪解け水による川なので、夜の間は気温が下がり雪から溶け出す水がなくなるのだろう。ラダックは日中の寒暖差が大きい地域であるが、ここまで見事に水量が変わるとは。
ここで一気に坂を登って湖から離れていく。パンゴン湖と道路を挟むようにして立ってた山脈がここで終わりを迎えるようで、標高が下がったのを利用して道路を通しているのだろう。
と書いたところで、砂漠の条件は年間雨量が200mm以下の土地だから年50mm程度のラダックは疑問の余地なく砂漠だったことに気づいた。どおりで乾燥してるし唇がカサカサになるワケだ。
11時にはチュシュルの町に到着す。ちょっと早いが昼食とするのは食べられる状況で食べとかないと、後になって「食堂がない!」と痛い目みるから。なにしろ昨日思い切り実体験した。
パンゴン湖より先はそれほど観光地化されてる土地のイメージ無いのだが、レーマナリハイウェイと違って食事の種類が豊富だし、電気等のインフラもしっかりしている。別地方への大動脈となる幹線道路の方が開発遅れているというの不思議な気が。
ここからバッチリ未舗装路になってしもうた。情報がほとんど無い中でやってるので全く予想してなかった訳ではないが、これはかなりの誤算である。ここから暫く町出てこないの怖いな。
中途半端に未舗装が混じっていたショック川沿いの道と違い、覚悟さえ決めてしまえば未舗装路も悪くはない。特に遥か遠くまで続く景色に道の色が合わさっているのは一体感あって良いものだ。
それと環境的に厳しい道になるとツアーで団体客を引き連れ何十台も車両が続くというのが減る。というか交通量そのものが極端に減るのであり、悪辣な運転がストレスになるインドという国では他に車両が出てこない道というだけで気持ちが良かったり。
オマケに軍隊の人に誘われてお昼(2回目)を一緒に頂いたりした。軍隊あるあるで記念撮影したが「ネットにデータ上げないように」と言われたため写真はお見せできないのがやや残念。
地味に峠を越えるルートであり、緩やかにではあるが坂を登っていく。未舗装路で上り坂だとそれだけで労力倍増するのだが、今回はそれに加えてちょいちょい深砂で自転車が埋もれたりコルゲーションという凸凹の地形が多くて走行に支障をきたす。
ただし川の深さがついに膝上まで達するほどになっており、何とか渡り終えた直後チェーンからの異音がサッパリ無くなって驚いた。渡河中にチェーンも全て水没したのである意味で水洗浄したような効果があったのだろう。恐らくオイルも流されており、30分後にはまた嫌な音が鳴り始めたが。
5000mを越える高山が多々あるラダックではそれほど目立つ峠ではないが、30km以上かけて未舗装路を走り越えた峠だからか割と印象深い。やっぱ苦労すると思い出深くなるもんなんだな、苦労したくないけど。
当初予定ではもういっこ先の町まで走る予定だったが未舗装路ではこのトゥサガの町が精一杯。一応下調べで食堂がある町だと把握していたが、見つけた食堂入ってみたら「マギー(インスタント麺)しかないよ」とのこと。
どうしようかと迷いつつ、ラダック地域の道路建築を一手に引き受けてるBRO(Boder Roads Organization)という会社の仮設住宅あったので近くにマトモな食堂ないかと聞いてみる。
なお軍の方から貰った食事もダル(豆)ライスだった。こういう出来事が続くと私にとってダルライスは「インド人と一緒に食べたメニュー」というイメージとなってゆき、それはとても嬉しことだなって。
なおちょっと先にマトモな食堂があり、そこの敷地でテント張らせてもらい本日終了に。流石にもっかい食事するワケにもいかず、ジュースとお菓子を買いました。
2024年7月3日(水) 走行距離74km 累計152905km