他の自転車旅行者から「茶壺さんって何でそんな現地の人家にお泊まりすること多いの?」と言われたことがあって、それまで自覚の薄かった事柄だなと思ったことがある。

 旅行における他者との出会いというのは偶然性における場合が多く、この点を突き詰めると「私が運良く親切な人と出会う機会が多かったから」という結論になるっちゃなる。だけど知らない土地を旅行するにおいて、そういった偶然に相対するような行動を取っているかという違いは大きい。

 例えば海外におけるタクシー配車アプリ(UBERとかGrabみたいなヤツ)が普及したことにより、ボッタクリや悪徳な業者に腹を立てたり騙されないかと神経すり減らすこと減ったのは間違いない。だがそれは安心確実なルートが構築されたことにより発生する「偶然の出会い」を減らしている・・・ということでもある。

 これは良し悪しの話じゃなくて、旅行に何を求めているか?という話がしたくてさ。そうしたこと考えるとストレスの少ない快適な旅行に沿う形のサービスというのは歓迎されるべきであり、海外旅行という大きなジャンルで見ると至極真っ当な方向に向かった進化だと思う。

 だがその陰で旅行の価値に「他国の文化」や「他者との出会い」といったポイントを快適さや利便性よりも重要視するタイプの旅行者が少ないけど一定数存在する。ちなみに自転車旅行者の大多数は後者。そうでなきゃわざわざ自転車使って旅行なんかしない。

 そんで自転車旅行者は「自力で移動する」という性質上、バックパッカーみたいなスタイルの旅行者と比較して利便性高くて予想外の出来事やトラブル発生しにくい各種サービスの利用が難しい。オマケに全体的な数も少ないため情報において数も精度も低く、必然的に現地の人から話を聞いて教えてもらうといった機会が増える。

 こうした違いが結果として人との出会いを増やし、様々な人と出会った結果が私の旅行をより豊かなものにしてくれたのだ・・・という結論で如何でしょう?


 いやそれなら同じ自転車旅行者から「茶壺はやたら親切にしてもらってる」とは言われないんだよね。自転車旅行という同じスタイルにおける差異の話なので、同じような旅行してるならその結果に極端な違いが出てくるのはオカシイ。

 実際私はこの世界1周であまりにも多くの人に助けてもらい、親切を受けてきたな・・・と感じていて、今後こうした親切を返していくよう努めなくては!という思いがあるのだが、それは私個人の思想なので置いといて。

 この点考えてみると、私が多くの素晴らしい人たちと出会うことが出来た理由は、自らが良い出会いに繋がるような行動を取っていたという点が大きいのかな・・・とは思っている。これは人様からの施しを受けようと動いてた、みたいな話じゃなくて。

 例えば自転車旅行者って自身の格好に無頓着な人が多くてさ、無精髭が酷かったり何日間も身体洗ってないことを当然、何ならそれが正統派くらいの態度してるのです(誇張表現アリ)よ。

 私も個人の責任でやってる旅行に対してアレコレ文句を言うつもり無いのだけど、少なくとも世間一般の人にとって汚らしい身なりの人には声をかけづらいというのはある。そんな格好良くしろとかじゃなくて、最低限、本当に最低限の見た目を不快にならないよう努めるべきとは思うのです。

 その内容ってのも私で例えるなら長髪は整えるの大変だから常に短髪していたとか、無精髭にならないよう定期的に髭も剃って、どんなに冷たくても浴びれる時には水浴びしていたみたいなその程度の話。言い換えると長期の自転車旅行者はその程度のことすら気にしていない人が多いということだ。

 こうした行為が直接的に人との出会いに直接的な影響ある・・・かは定かでないが、訪問する国の人や文化に対してリスペクトを持って活動することが大切なのだと思ってる。

 私はイランを走る時に「イスラム教徒じゃないから(服装レギュレーション的に)短パンでも一応平気だよ」と言われはしたが「でもこの国の人たちは足を大きく見せる服装を好まないよね?」と確認したら「それはそう」と回答され、この国は長ズボンで活動することにしたのだが。

 結果としてその人たちからスポーツ用のズボンを頂いてる茶壺さん。私にとって彼らは、ひたすら親切で恐らく私以外の人にも同様に優しい人たちという認識だけど、プレゼントされる際「お前がイランのことを考えてくれて嬉しいんだ」と言われたことは胸を張っても良いんじゃないかな?

 その国を訪れるに当たって「情報調べると新鮮さが無くなるの嫌だから徒手空拳で向かう」というのは旅行経験ある人からまま聞く話だが、私個人としては観光地とかの情報はともかくその国の歴史と地理・宗教なんかは結構調べるようになった。

 その国へ行くということは「貴方(国)のことを知りたいですよ」と表明してると思うし、訪れる立場の人間が口開けて餌放り込まれるの待つのは「何か違うだろ・・・」と感じたからだ。歩み寄る姿勢というのは向こう方にも伝わるところがあるんじゃないか?

 ・・・とまぁ、自転車旅行のスタイルでそこら辺を意識してたことが、結果的に多くの人から良くして貰える結果になったのではなかろうか?

 そうじゃなくてあまりに私がカッコ良くて、溢れ出るオーラに猫も杓子もお世話したがる空気を作っていたのかもしれない。いやきっとそうに違いない!恐らくそれが真実だ!!とも思うけど、できればそうじゃない方が私としては嬉しく感じるのです。