「自転車での世界1周」には厳密な規定が存在している訳ではない。だからまぁどんな形であれ異国を自転車で走って無事に戻ってきたのなら、それで自転車世界1周したと言っても構わない気もする。旅行は誰かに認めてもらう類のものではないし、本人が満足していればそれで良いからだ。
私だって自転車ときどき世界1周なんて銘打ってブログ書いたけど、世界中全ての国に訪問した訳じゃないし、大陸別で考えても南極には足を踏み入れてない。それで全然構わないと思っている。
というか最初の頃こそ「自転車で世界1周すること」に価値を感じていたのだが、旅行を続けていくにつれ世界1周するということ自体には意味を見出さなくなっていた。
自転車世界1周とは単に自転車旅行を続けた末の結果であり、それ自体は単なる言葉でしかない。私は自転車で知らない道や世界を体験したくて旅行していたのであり「自転車世界1周」という称号を得るために旅行していたのではなかった。この違いは大きい。
自転車で世界1周!と称して旅行始めたサイクリストがかなりの割合で挫折し途中でリタイアしている・・・ということを前にも書いたことあるのだが、無事帰国した今だからこそ言えることがある。それは「そもそも自転車旅行にゃ成功も失敗もない」ということだ。
あるのはただ、その土地を自転車で走ったという事実だけで、その積み重ねが結果として大陸横断であったり世界1周という結果となるだけ。この結果をどう捉えるかは人それぞれだと思うけど、大切なのはそんな結果や言葉よりも「旅行していた日々が楽しかったか」ということなんだよ。
どんな壮大で誰もが驚嘆するような旅行をしても、本人が辛いと思ってるなら意味がない。我慢して達成した自転車世界1周なんて豚の餌にもなりゃしない。
だから私は国の数も気にしなかったし、このことを自覚して以降は「世界1周している」という表現も使わなかった。数字や言葉を前に出すと、旅行の大切な部分が見えにくくなってしまうから。
本旅行において、私は結果的に日本人サイクリストとして走行距離では他に並び立つ人がいない程の記録を残したワケだが、大切なのはそんな上っ面の数字じゃない。胸を張ってそう言えることがとても嬉しい。
私は自転車乗りとして特別速くないし、もっと強いサイクリストは山ほどいる。かといって自転車の技術や知識が秀でている訳でもない。だけど全ての自転車乗りの中で、自転車旅行を誰よりも1番、1番楽しんでいたのはさ
茶壺さんなのです。
私だって自転車ときどき世界1周なんて銘打ってブログ書いたけど、世界中全ての国に訪問した訳じゃないし、大陸別で考えても南極には足を踏み入れてない。それで全然構わないと思っている。
というか最初の頃こそ「自転車で世界1周すること」に価値を感じていたのだが、旅行を続けていくにつれ世界1周するということ自体には意味を見出さなくなっていた。
自転車世界1周とは単に自転車旅行を続けた末の結果であり、それ自体は単なる言葉でしかない。私は自転車で知らない道や世界を体験したくて旅行していたのであり「自転車世界1周」という称号を得るために旅行していたのではなかった。この違いは大きい。
自転車で世界1周!と称して旅行始めたサイクリストがかなりの割合で挫折し途中でリタイアしている・・・ということを前にも書いたことあるのだが、無事帰国した今だからこそ言えることがある。それは「そもそも自転車旅行にゃ成功も失敗もない」ということだ。
あるのはただ、その土地を自転車で走ったという事実だけで、その積み重ねが結果として大陸横断であったり世界1周という結果となるだけ。この結果をどう捉えるかは人それぞれだと思うけど、大切なのはそんな結果や言葉よりも「旅行していた日々が楽しかったか」ということなんだよ。
どんな壮大で誰もが驚嘆するような旅行をしても、本人が辛いと思ってるなら意味がない。我慢して達成した自転車世界1周なんて豚の餌にもなりゃしない。
だから私は国の数も気にしなかったし、このことを自覚して以降は「世界1周している」という表現も使わなかった。数字や言葉を前に出すと、旅行の大切な部分が見えにくくなってしまうから。
本旅行において、私は結果的に日本人サイクリストとして走行距離では他に並び立つ人がいない程の記録を残したワケだが、大切なのはそんな上っ面の数字じゃない。胸を張ってそう言えることがとても嬉しい。
私は自転車乗りとして特別速くないし、もっと強いサイクリストは山ほどいる。かといって自転車の技術や知識が秀でている訳でもない。だけど全ての自転車乗りの中で、自転車旅行を誰よりも1番、1番楽しんでいたのはさ
茶壺さんなのです。