ここ最近日本人宿に泊まる機会が多かったため、割と色々なタイプの旅行者と話す機会があった。そういう人達の旅行スタイルを見ていると改めて「自転車旅行」というのが少々異質なスタイルであるのだと思ったのであり、改めて私の自転車における旅行のあり方を書いておきたい。
んで、私が1番強く感じたのが自転車旅行というのは「他を当てにする割合が極力少ない旅行」ということ。
バックパッカーと呼ばれる人たちはサイクリストに比べてその分母が桁違いに大きいためか、その旅行スタイルも千差万別に富んでいて面白い。1つの箇所に留まり続けて終いにゃ働き始める人や、現地でお金を稼ぎながら旅行をしてる人もいた。
だがまぁ基本的に共通して「移動はバス」なのだ。ついでに言うと「宿泊はほとんど宿」である。テントを持ってる人もいたけれど、それが主要な宿泊の手段になってる人にはまだ会ってないので割愛。
つまり旅行を続けていくことは、常に人の力を頼りにしなくてはならない。
この点で自転車旅行というのは、その道中における他人との関わりを究極「食料の売買」という1点にまで狭めても旅行を継続することが可能なスタイルだといえる。
その旅行の期間中における生活用具一式を持ち運ぶという点で、自転車旅行者はバックパッカーよりも登山者に近い存在なのではないかと私は思う。
これが何を意味するかというと、我々は「すげぇ身勝手」であるのだ。オブラートに包むと「自由」であると言い換えることもできる。
特に移動手段と宿泊先を自己意志で決定できるというのが大きい。同宿者の人たちが先のバス予定や宿の予約に精を出している中で、サイクリストというのはとにかく無計画極まりない。これは多分、私だけじゃないと思う。
疲れたら走るのやめてしまう、合わないと思ったらサッサと移動する。そうした自分の都合で移動する際のフットワークの軽さが自転車乗りにはある。とにかく食料さえ確保しとけばその他の制限が(あんまり)ないのである。そして人の住む場所であれば食料はどこにでもある。
別に自転車旅行にも1カ国の滞在できる限界日数とかあるので完全に好き勝手できるわけではないし、そもそも道の上しか走れない不自由さがある。それでも自転車旅行は自分で選択できる範囲が非常に大きいスタイルの旅行であると思う。
ところで私は割に「自由に生きてる」とか「好き勝手やっている」という評価を受けることが多い人なのだが、そんなことは全くない。むしろ人生は妥協の連続だと思っている。
でも多分、誰しもその一生の内に自分の意思を貫き通す「引いちゃ駄目な局面」というのが何度かあると思うのだ。どんなに周囲に迷惑がかかろうとも、死ぬ気で勝負すべき天王山が。
多分、私の自転車における世界1周旅行を決意したのはそうしたターニングポイントの1つであったのだと思う。その時に自分の要求を一切妥協することがなかったからか、まぁその他の小さい細々としたストレスに対しても平気な顔して日々楽しんでいられるのではないかと。
バックパッカースタイルの旅行はまた自転車旅行にない楽しさがあるのかもしれないが、恐らく私にはそうした旅行ができない。やれないではなくできない。
それは知識とか経験とかではなくて、私がそうして望んだ旅行のあり方が「自分の意思で好きに移動する」ことにあるからだ。そこを妥協することは、私にとってこの旅行が死んだことを意味する。
まぁそういう気持ちを持ち合わせていることもあり、他者に合わせて予定を変えたり1人で行動せず常に誰かと一緒にいる旅行者を白眼視している向きがあると思う。たかが遊びで何と偉そうな。
だがこうして色んな旅行者と話してみると、それぞれに自分の内に抱えた旅行における「譲れない一線」というものを感じたような気がする。そういうの全く感じない人もいたけれど、それはそれで。
とりあえず私が旅行で大切に思っていることは、大多数の旅行者にとって「かなりどうでもいいこと」に位置付けられてることが多いようである。
自転車旅行者が理解される日は遠い。