自転車ときどき世界1周

2020年07月

 前回の一時帰国に引き続き、今回も自転車見聞店様のご好意でイベントを開かせてもらいました。2度目ということもあり、誰も来ないでそのまま終了・・・というパターンも想定してたので良かったヨカッタ。


 今回はロシナンテ号を持ち込んでるため自転車を脇に置いて荷物やパーツをお見せしながら実際の使用感想や、そこから付随するエピソードを中心とした話をしていった・・・つもりだ。


 ちなみに来訪してくれた方の半数程が面白い自転車に乗って来てまして、それも装備やパーツがコアな人たちばかりということもあり、割と序盤からマニアックな方面というか突っ込んだ方向に話が展開してしまった気がしないでもない。


 後になって「自転車を語るにしても、このポイントは必要なかったのでは?」と思ってしまう部分が多々思い出せるのであり、来て頂いた皆様がどこまで満足してもらえたのか今になって戦々恐々としてたりする。



 とりあえずこの閑談会をもって私の自転車旅行に関連するタスクは一区切り。そろそろ気持ちを切り替えて、再出発するためにも仕事探して旅行資金の捻出に入らなければ!なのである。働かざる者、旅行するべからず・・・と6年遊んでた私が言いますか。


 改めまして、今回のイベントを開いてくださった自転車見聞店様、イベントにご来場してくれた方々、どうもありがとうございました。

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 トラブルが起きる度、自転車世界1周の大先輩である自転車見聞店の店長に助けを求めている私。そんな経緯もあって1年ほど前に一時帰国した時にはお店で「お話し会」というイベントを開催させてもらったりした。

 そして今回も新たに閑談会という形でお店にてイベント開いてもらうこととなりました。感謝に絶えない。

 ちなみに今回の帰国では自転車一式も持ち帰っているので、フルパッキンのロシナンテ号をお店に持っていきます。一応事前に整備・掃除は済ませて綺麗だけど、ゴルゴ13の如く全身傷だらけの自転車は、好意的な言い方をすれば「歴戦の兵士感がある」とか何とか。

 ブログにはアップしてない写真をお店のディスプレイに上げて、ここだけの話をしたりとかも考えております。


 日時:2020年7月12日(日)14時から
 場所:自転車見聞店(東京都武蔵村山市緑が丘1460-49-49 村山団地中央商店街)
 西武線、JR中央線、京王線、小田急線から眺望良好な多摩モノレールへ乗換え可能。多摩モノレール終着駅の上北台駅から徒歩約10分
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 ということで轍会議もこれで最終回。緊急事態宣言の発令によって外出が憚られる事態となった事態を受け作られた企画なので、宣言解除と共に終了する方が一本芯が通っていたよなぁとか思いつつ。いざ実施してみたら自転車旅行者に色々話を聞くのが思ってた以上に面白く、ここまで続ける原動力となりました。

 そもそもこの終了のきっかけとなった出来事が、次回ゲストを考えるミーティングの最中に「そろそろ外に出てキャンプとかしたいんだけど」という発言に端を発している辺り、現役の海外自転車旅行者同士が次々とインタビュー対象を替えてく動画シリーズというのが長続きするコンテンツになる訳ないのだ。

 とはいえウガンダで動けない日々が続く間、私はこの轍会議を実施することに随分助けられたし自転車で走ることもできずにいた状況で、旅行モチベーションを維持するのに大きな力となった。

 やっぱりさ、自転車旅行を続けるのって大切なのは体力じゃなくて精神力だから・・・と第0回のテーマ内容に帰結したところでまぁお後がよろしいようで。

 轍会議:最終回放送
 ゲスト:なし
 テーマ:自転車旅行の過去と未来

 

 他2人MCの紹介
 ◎久保田翔
2014年7月、アラスカから自転車世界一周をスタートとした元書店員。
アメリカ大陸縦断中にユーコン川をカヤックで川下りした他、アマゾン川を自作した筏で下ったり釣りのためにアマゾンの奥地に行ったりと、自転車以外の経験も豊富だが、寄り道ばかりで全く進まない。
一説には日本人サイクリストでは最大の積載量を持っているとかいないとか。
これまでの走行距離:33,500km

 ◎沖野直嗣
2016年5月、アラスカから自転車世界一周をスタート。
北南米大陸縦断、北欧周遊を経て、ユーラシア大陸横断半ばで一時帰国中。
山岳地帯での走行をこよなく愛するサイクリスト。アンナプルナサーキット(ネパール)、マナリ・レーハイウェイ(インド)など、標高5,000mを超える道を自転車で走る。
これまでの走行距離:63,000km
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 遠いアフリカのウガンダから出る臨時便は、飛行場で8時間半の遅延をぶちかますスタートだった上に乗客が少ないことから来る節約のためか、機内は全ての電気設備が切られている始末。

 幸いと言うべきか機内の乗車率が10%を切ってるガラガラの状態だったので、3席占領してゴロ寝してるウチに気づけば飛行機到着してました、韓国に。

 いやいや何処だよ!韓国での乗り換えなんて予定に無かったぞ!と私は声を大にして言いたいのだけど、誰に文句を言えば良いのかそもそも英語でどう言うのか分からない。こういうとき外国人ってのは損だと思う。

 その後、言われるがままにスタッフに連れられ3本目の飛行機で成田に到着。ちなみにこの機に乗ってたお客の数は7人で、多分パイロット含めたスタッフの数より少なかった。

 成田飛行場で早速PCR検査を受けるのかと思いきや、私が滞在していたウガンダは検査指定国から外れているとのことで滞在先となる場所の住所と電話番号を記入し、2週間は滞在先から動きませんという用紙に署名後即解放と相成った。遅延の関係で深夜1時なんだけどまぁ。

 そのまま朝までベンチで過ごし、近場の宿で2週間の隔離生活。なんか厚生労働省から電話連絡が来るとか色々噂を聞いたけど、結局1度も連絡が来ることないままであった。

 長い長い2週間が過ぎようやく釈放されたので、自転車乗って妹夫婦の家まで移動。このタイミングでウガンダから成田へのフライト臨時便情報が流れてきたのだが、私が利用した便より13万円も安くなっていた事実。あまりのショックにしばらく立ち直れる気がしない。

 何はともあれ一時帰国からだと1年、日本を発ってから5年半ぶりの日本である。情勢が落ち着くまで様子を見つつ、エグい値段だったフライト料金の回収や旅行資金捻出のためにもとにかく仕事を探さねば。

 ところでこのブログもどうすっかね?
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