ウガンダ14〜97日目 カンパラの町〜日本
続き。そんな感じでウガンダでの生活は序盤の混乱期を抜けて以来、少なくとも日本よりは落ち着いて推移しているよう私の目には映っていた。
ホステル内における人の食材を勝手に使った(名前書いてたのに!)とか8時間停電が続いた・・・みたいな小さな問題はままあれど、治安も良い地区だったし外国人向けのホステルでオーナーもアメリカ人という環境は私みたいな立場の人間にとって安心材料の1つにもなった。
最初の2週間くらいで大使館から日本へと向かう臨時便のメールが2度ほど来たのだけど、これが通常時の約4倍という価格設定になっておりとてもじゃないが利用できないと見送った。この時期にウガンダに居る在留邦人300人強のうち200人くらいは日本へ帰国したらしい。
ちなみに観光ビザの旅行目的でウガンダに入国した日本人は、大使館が把握してた人に限るが5月の時点で私含めて残り2人だったとのこと。
6月の頭にオーナー夫婦が宿は現地マネージャーに任せて母国へ一時帰国。この頃には大型車両の移動規制も解除されて一見するとコロナの影響は感じないほどにカンパラの町にも活気が戻ってきていた。
このタイミングで大使館から再び日本への臨時便フライトの報。多少料金下がったとはいえ非常に高額な料金で利用する気にはなれなかったのだが、日本の両親にこの件を話したら「とにかく死ぬ前に帰ってこい」と無茶苦茶な要請が。
この点に関してはアフリカ缶詰生活始まってから色々話していたけども、向こうの価値観が「アフリカは危険である」という絶対不変の基準に根付いているため「コロナの感染者数は少ない」とか「もう少し航空券の値段が下がったら帰る」等々、何を言っても「いいから帰ってきて」と言われる始末。泣く子と母にゃ勝てん。
ということで日本へ帰国する準備をば。大使館はフライトがある旨を伝えるだけなのでチケットの購入手続き諸々は自分で行わなければならないのだが、私の進捗状況を自分にも伝えるように指示されていた。
そこでチケット会社とのやり取りをメール転送して送っていたのだが、この大使館職員がクセある人で突然横から「今日の12時までに振り込みしないと間に合いません」とか言い始める。
フライト情報が金曜に来て搭乗を決め、土日の会社が営業してない関係で月曜の朝から旅行会社とやり取りしてた上、ウガンダのネット振り込みはエラーが頻発していてマトモに機能しておらず。直接しないの旅行会社に行くのは時間的に不可能なのであった。
んで一度は諦めてたのだが、旅行会社から
「あなたの来店を待ってるよ、早く来て」と続報が。
「大使館の職員がお昼になったら時間切れだと言ってきたけど?」
「そんなことはない、普通に処理するよ」
ということで走行距離11kmはここで走ってます。余談だけどこの宿は日本へ帰国する人が数日間だけ宿泊してたのだけど、その際この大使館職員がとにかく口と態度が悪いと噂を聞いて、今回私もそれを実感した。自転車積載の別件で質問したら「あなたは嘘つきだ!」とかワケ分からん非難されたし。
ともあれ前日に宿のスタッフが手伝ってくれて、近くのお店で大きめの段ボールをもらい切り貼りして自転車の梱包を済ます。今回はネットで申し込みとかしてないので荷物が23Kg×2と最初から規定されており、限界まで荷物断捨離してまとめたのだけど当然のように超過重量になってしもうた。
んでフライト当日。もう1人の親切な大使館職員に車で飛行場まで送ってもらい、フライト4時間前には飛行場到着。建物に入るためには搭乗券と体温チェックが必要らしく、本日2本の臨時便があるその乗客全員が飛行場前に長蛇の列。
案の定荷物は超過重量だったけど、自転車の預け荷物料と合わせて追加料金を支払ったら免除され一安心。チェックインの時点でフライト予定時刻30分前とかだったけど、そこから搭乗ロビーで実に11時間待たされることになるとは思わなんだ。
エチオピアのボレ国際空港から成田へ直行予定だったけど、何故か韓国を経由して翌日23時に無事成田へ到着する。エチオピアから韓国は30人、韓国から成田は10人程度の利用客で節約のためなのか機内の電源は落とされており真っ暗の中で20時間。大体寝てた。
成田空港ではPCR検査対象国から外れていたため検査は実施されず即解放。でも公共交通機関の利用はダメとのことで、朝までベンチで休んだ後に自転車走らせ隔離先の宿へ投宿。2週間の禊を終えて現在私は日本です。
2020年3月26日〜6月16日 走行距離11Km 累計112152km