自転車での海外旅行では所謂「外国人慣れ」してない人と会話する機会が多い。というか後進国の田舎だったりすると出会う人間のほぼ100%がそうした方々である。
そんな状況でもコミュニケーションってのは交わせるものだし、場合によっては(ネット環境があれば)Googleさんに翻訳して貰うこともできる。何より実際に顔を合わせて行うコミュニケーションってのは思った以上に通じ合える・・・ような気がするよ。
ちなみにおそらく多くの日本人サイクリストは語学が堪能ではないと私は(勝手に)踏んでいる。私もその例に漏れず英語での会話すら目を覆いたくなる残念なレベルなのだが。
さてさてそんな茶壺さんだが、スペイン語やれアラビア語圏の国で本当にちゃんとコミュニケーション取れてるのか?話した気になってるだけじゃないの?とか思われる方も多かろう。
だが問題ない。何故ならそうした外国人慣れしてない人がする質問というのは「どこから来た?」「結婚してるのか?」「家族・子供はいないのか?」「何で結婚しない?」のほぼ4項目で占められているからだ。「何で旅行してるんだ?」とか「仕事してるのか?」と聞いてくる人すら珍しい。
民度の低い国だと日本人と答えた時点で「金持ってるのか?」とか「日本人は幾らくらい稼げるんだ?」みたいなパターンに発展していくこともあるけれど、基本的に彼らが質問してくる内容というのはほぼ同じなのだ。
国にもよるが場合によって1日10回近くこうした会話を繰り広げるのがサイクリスト。必然的にこの辺の単語は覚えるし、いくら物覚えの悪い私でも受け答えくらいできるようになってしまう。
面白いのが相手が旅行者だったり外国人慣れしてる人の場合、このテの質問がほぼ出てこないということだ。
これは後進国の田舎に住む地元民がコミュニティ外の人間と触れる機会をほとんど持っておらず、その地域内のみで生活が完結しているからだと思っている。
知らない外国人に興味を持って話しかけてくる人は多いのに、その人が何故この地(国)に来たのか?ということには興味を持っていない。
知らない外国人に興味を持って話しかけてくる人は多いのに、その人が何故この地(国)に来たのか?ということには興味を持っていない。
というのも「知らない異国を旅行する」といった考え方が彼らの世界にないから。考えもしないことは疑問に浮かばない。結局自分の物差しで計れることを聞く事になる。こういう土地というか地域は案外多い。
私はこうした自分の周辺のみで構成された極々小さな世界で生きてる彼らに対し、もっと外の世界に興味を向ければいいのにという傲慢な考えと、だけど私も彼らと同じで自身の興味あることしか知ろうとしてないという寂寥感を感じてしまう。
井の中の蛙は幸せか?みたいなことを私がどうこう語る気持ちはないけれど、海外を自由に旅行できる身分というのは非常に恵まれている存在なのだということは強く感じる。コロナで自由に海外旅行できない今の状況だと尚更。
ちなみに私はこうした「お決まり質問」に返答するのが結構好きである。「独身だよ」と答えて「何でだよ?」みたいに返されるのは、大きなお世話じゃい!とも思うけど。