2007年09月20日

清さ

五十嵐貴久さんの作品に何故惹かれるのだろう?




『Fae』(幻冬舎文庫 ) にはじまり

Fake (幻冬舎文庫 い 18-4)



『RIKA(リカ)』(幻冬舎文庫 )

リカ (幻冬社文庫)



『交渉人』(幻冬舎文庫 )

交渉人 (幻冬舎文庫)



『1985年の奇跡』 (双葉文庫)

1985年の奇跡 (双葉文庫)



そして、
『安政五年の大脱走』 (幻冬舎文庫)

安政五年の大脱走 (幻冬舎文庫)






読み進むにつれ、気付くのは作家として
劇中の『語り手』としての『五十嵐貴久』氏の存在を感じない
『清さ』のようなところにも魅力があるように思えてならない。



『登場人物が独り立ちしている』
五十嵐さんの言葉の選択により人格を得、「誇り」立ち。
描写力により、命が吹き込まれている。



登場人物の立ち位置としての視点が
劇中の『立体感』を生み出し。結果、作家の存在を意識させない。

小説としての文脈を構成する
言葉の選択が登場人物に人格を与え、
『作家一人が語り手』として存在感を持ち得ない作品に仕上がっている。


まるで。
役者を立てる(生かす)為に存在する、『舞台監督』のように。



考え抜かれた創造性は、要所に伏線が敷かれ、
読み進まないと予測し得ない意外性も生み出している。


更に書籍は生み出した物語を伝えるだけに留まらず
読み手への配慮も往き届いていることが『文脈を組み立てる言葉の選択』から
感じとれるように思う。

難しい言葉の選択を選ばず
一般的な生活者の予備知識範囲内であろうと憶測できる
言葉の選択をしている。



書籍中の物語構成を
客観的な視点で一歩引いたところで思索する作者を想像してしまう。



『作家の力』に惚れるとは、いままさに、初めての体験であり。
感極まり、言葉が止めどなく出てくる自分に、
思わず、『お前は書評家かっ』とつっこみたくもなった。

ワインに惚れ込み言葉を紡ぎだすソムリエの気持ちが共感できる。
などと、勝手に思い込み、ひとりうなずく。






のちに読み控える、



交渉人 遠野麻衣子・最後の事件



パパとムスメの7日間



シャーロック・ホームズと賢者の石



TVJ



2005年のロケットボーイズ




も、一語一句。
とても楽しみでならない。

まるで、休みを待つ子供心のように。
期待と楽しみが明日を近づかせる。

今、一番好きな作家さんです。



自分が惚れ込み、愉しいと思える
作家さんと出会えて幸せだ。