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2015年06月10日

その"表現の自由"で世界にコミットできるか

池田信夫 blog : 「脱宗教革命」としてのフランス革命
 
なぁんでこのエントリーを考えたかっていうと、結構自分の中で考えた事もあって
一言で"表現の自由"なんて、自分もだし周囲もマスコミメディアも、割と簡単に発する言葉だけど、それって本当に正しいのかいな?って疑問があって
"表現の自由"って事を、世界共通の言論のルールに出来んのかって
  
例えば、フランス
新聞社へのイスラム過激派のテロなんかもあって、テロへの反発やそれを支持するデモもあったし、"テロへの反発"って部分では先進国の間では足並みが揃った感はあった
ただし、肝心の"表現"に関しては各国結構バラつきがあったように思えた
日本でもそうで、あんな風刺画に…って気持ちが、どこか下手したらテロへの共感になりかねない感情も伴う違和感があって、それがあと一歩"世界へ、なのか?国内へ、なのか?"向きの定めきれない座りの悪さを感じてた人も多かった様に思った
 
当時思ったのは、これは当事者のフランスが考える事で、これからの行動にしろ何にしろフランス国民自体が決めて責任を負うのであれば、その選択や行動を支持しない理由はない。と云う事
理由は、それが一国の民主主義国家に対する信頼じゃないかなって事が一つ
もう一つ、果たして日本がフランスに他に有効な道を提示出来るのか?っていう事があった
 
で、上のリンクだ
読み解こうと思ってキーワードを遡って考えたりもしたが…

ライシテ - Wikipedia
 
マルティン・ルター - Wikipedia
 
贖宥状 - Wikipedia
 
…フランスの歴史、特に宗教が絡むと難しいね。学校でも習った筈だけど、大まかな触りしかやってなかった事を今この歳になって知る

フランスにとって、権力が自明に政府・国家だけでなく宗教こそが権力であった時代があり、そこからの脱却こそが市民革命であったと…そんな感じなんだろうか
確かに、アメリカ・イギリスを例にすると、カトリックやプロテスタントなんかの対立はあっても、宗教とそれが造り出す階層・社会構造そのものを権力と定義した国は、フランス以外にあるんだろうか?
 
自分自身ぼんやりとしか把握出来ない(でも頭ん中はフル回転)けど、欧米の様に生活の隅々にキリスト教が浸透し、社会の運用やその考え方(法律解釈や行政手段)にまで浸食した場合、その判断として"偉いのは大統領か大司教か"みたいな話になるなら、フランスが歴史的に(それが当事者にとって本意でなかったとしても)選択した民主主義は間違ってはいない気がする
そこに矛盾を孕む(だって普段の生活では、個々には宗教観も無意識には出るだろうし)としても、だ
 
そこでイスラム系労働移民の立場は…と思ったけど、そっちは考えるのを止めた
そこの矛盾を解決するのは、どこまでいってもフランス国民だ
極東の島国でちっぽけに考えるのには、出来るだけ血が流れず少しでも解決の方向に向かえばいいな、とは思うけど
 
少なくとも、他人様の神を面白おかしくするのは失礼だが、異教徒を殺してでも名誉を守る、のは法外だろう
それが言えなくなる状態が一番怖い事は、皮肉な事にフランス国民が一番知っている様に思う
 

日本人や、この国のマスコミはどうだろう
戦後このかた、自国の歴史も思想史も知らない連中が海外からの借り物の思想で"観察"だけしてきた連中だ
そんな奴らが世界と繋がる事は期待出来ない
よくどこかの党派では、世界の集会への参加を機関紙で高々と報道(煽動だな)しているが、ありゃ勘違いも甚だしい
 
日本に限定すると、あと300年位掛からないと"この国の民主主義思想"は成立しないと思う
世界の思想史や宗教・哲学の歴史を考えたら、それでも促成栽培だと思うけど、みっともなくてもそういう物がないと、世界に繋がる事は出来ないと思う
その間数百年くらいは、勘違いしたマスコミや知識人が海外の事件に下らない聞くに堪えない総括を繰り返すんだろう
 

まぁた暗い結論になってしまった。基本、今のマスコミに期待できる事は何一つない
そういう事実を隠しているうちは、マスコミ不信報道不信は続くんだが、自分としてはもっと楽しい事を考えたい
 
面倒臭くなったんで今回はこれで。生きてたらまた、いつか

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