MYSTIC RHYTHMS

日常雑記、音楽報告、鉄塔そして詩など

ミスティック・リズムス

多摩の古書店主が綴る日常雑記。古本屋な日々...

Fe塔 カーヴに沿って 3

カーヴに沿って 3

 次の8号(標高78.2m)は今までと異なり、ノーマルな左右対称型。

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 桜ヶ丘線8号(昭和52年5月 43m)

 なぜならば、私が沿って来たカーヴはここで終わり、この先は、9号10号そして11号(郷地変電所)まで、暫らく直線が続くからだ。

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9号及び10号

 この8号、9号と10号で紹介した富士見町住宅の、その西端部にほぼ接する様な位置に建つが、その団地西端部分に「ぐるぐる公園西」がある。
 この公園でまた見つけてしまった。

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奇怪なる遊具

 出ましたよ、例の不可思議なる遊具。ここにもあったか。これで、広大な富士見町団地では、9号近くの「たぬき公園」内のもの、そして10号近くの「おもしろ公園」内のもの、この二つに続いて三つ確認されたこととなった。
 三つ共に、全体的には同じ様だが、微妙に細部は異なる。「ぐるぐる公園西」のもので目立つのは、中央上部の丸窓だ。これは他の二つにはない特徴である。
 そして、他の二つの傍にはなかったものが、すぐ隣りに。謎の宇宙船だ。

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宇宙船

 宇宙船と9号鉄塔のツーショット、頂きました。

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8号と宇宙船

 そしてまた、こんなスパイラルな遊具も南側の砂場にあった。

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スパイラル

 すべり台とは思うが、可也の急勾配だ。嘗ての私の様に三半規管の弱い子は、酔うぞ。

 やはり、この団地内公園の遊具は、シュールなものが多いな。団地建設の1960年代末(昭和43・44年(1968・1969)の築年)の、その時代の風潮、サイケデリック文化の影響であろうか。

 と、鉄塔(と団地)はここまでにして、別なるものもご紹介したい。「東京都農林総合研究センター」である。
 今回訪ねた鉄塔たちの、すぐ北東辺に、この広大な都立施設がある(立川市富士見町)。立川崖線上の奥多摩街道を挟み、立川段丘面上の北側エリアと多摩川低地上の南側エリアとに分かれるが、崖線下になる南側は可也広々としたエリアとなっている。通り抜けできる道があるので、そこから北へ崖線を上がると、センター内をほぼ一望することができる。

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抜け道から崖線を見る

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崖線からの眺め
東京都農林総合研究センター

 研究センターの前身は、明治33年(1900)中野に設立され、都市化により大正13年(1924)にここへと移転してきた「東京府立農事試験場」。WW2末期の昭和20年(1945)4月、この地(立川市富士見町)が空爆を受けた際には、ここに避難した人々もいた。
 中には入れないが、崖線からの眺望はなかなかのもの。下画像、右端は前回紹介の7号、その左手は今回紹介の8号だ。
 鉄塔ご訪問の際は、ここと、南東にある山中坂地蔵堂とを併せて訪ねることをお薦めしたい。

2018年皐月26日
(取材は4月初旬)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は昭島市郷地町、最寄り駅はJR中央線西立川駅です

*サイケデリック:LSDなどの幻覚剤服用による精神状態。その様な状態を想起させるような美術や音楽が1960年代に世界的に流行った。そうしたムーヴメントをサイケデリック文化と呼ぶ
*東京都農林総合研究センター:平成17年(2005)に農業試験場(東京府立農事試験場)、畜産試験場(東京府立種畜場)そして林業試験場が統合され設立。10月には「東京農林水産フェア」が開催される

Fe塔 カーヴに沿って 2

カーヴに沿って 2

 6号に続いては、崖線下、「あおぞら公園」南に建つ7号(標高79.8m)。こちらも6号同様、カーヴ鉄塔だ。

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桜ヶ丘線7号(昭和52年5月 56m)

 脚元から次の8号方向へは短い距離だが、6号方向からと同様に建物の無い空き地が架空線(がくうせん)下に続いている(同じく昭島団地自治会所有地だ)。直下の南東側には住宅がある為であろう、鉄塔のそちらに向いた面と同面の第三腕金にのみ落雪防止ネットが張られている。

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7号落雪防止ネット

 5号から6号そしてこの7号へと、ここまで、三つ連続でやや大きいカーヴが続く。三基ともにカーヴ外側の腕金が長く、縦の碍子連でジャンパー線を支持している。縦碍子は、以前(少なくも3年前)はV字であったが現在はI字に変わっている(5・6号の旧V字姿)。
 桜ヶ丘線の開設は昭和5年(1930)で、その前身の黒部幹線は更にその前の昭和2年(1927)の開設である。その当時この辺りは、一面農地で、何かをよける為のカーヴは必要なかったようにも思えるのだが。一体どのような必要性で、連続カーヴとなっているのであろうか。

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7号

 まあ、理由はどうあれ、私もそのカーヴに沿って進もう。

 「3」へ続く

2018年皐月25日
(取材は4月初旬)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は昭島市郷地町、最寄り駅はJR中央線西立川駅です

*落雪防止ネット:此方をご参照ください

Fe塔 カーヴに沿って 1

カーヴに沿って 1

 サクラも終わり、ケヤキの若葉が美しい時候となったので、訪ねてみた。この鉄塔なら、脚元の立川崖線斜面のケヤキの木立とコラボれると思ったのだ。

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桜ヶ丘線6号(昭和52年5月 50m)
下が崖線のケヤキ

 だが然し、である。もう一寸若葉が出ているかと期待したのだが、可也の強剪定が施されている所為なのか(不明だが)、葉の展開が大分遅れている。若葉というよりまだ若芽、と言った状態である。右手からも左手からも、何方から見ても全く変わるところがない。やや離れた場所にある、剪定されていないケヤキは見事に若青い葉を繁らせているのに。
 非常に、ネンザンである。

 幾ら眺めていたところで、葉が出てくるわけでもない。致し方もないので、崖線上の立川段丘面に上がってプレートをゲットする。

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6号(標高87.3m)

 プレートのある鉄塔北面は畑であるため、道路からプレートまではやや遠いが、視界はクリアである。
 下の多摩川低地から6-7mほど高い、鉄塔南面直下の崖線の際まで寄って望めば、次なる7号が屋波の上。

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 南進だ。

 崖を降り住宅街を行けば、7号手前には、北北東―南南西方向に細長く横たわる公園。「昭島団地自治会館」のあるこの広い原っぱな「あおぞら公園」からは、6号鉄塔が遮るものなくほぼ全身を崖線上に見せている。

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あおぞら公園から6号

 このアングルだと、カーヴ鉄塔であることがよく分かるな。
 場所も景色も時間も、丁度いい。ランチにしよう。

 ベンチに腰掛けパンをかじりながら、6号と先の7号を交互に見るうち気が付いた。この公園、送電線の真下にぴったりはまるように存在している。

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6号とあおぞら公園
確かに空が広く印象的だ

 思い返せば、時折、こうした送電線下に細長い公園を見ることがあった。車返線終点近く(50号51・52号)で紹介した団地内の公園なども同様のものであった。
 これは、偶然ではなかろう。明らかに、送電線下に意図的に公園が設けられている、様に思える。おそらくは、態々送電線下に公園をつくったというより、送電線の下を宅地にしにくいので公園になった、ということなのであろう。
 調べると、東電の場合、電圧が17万ボルト以上の場合は、架空線(がくうせん。送電線のこと)下及び最も外側の架空線下から水平距離3m以内は住宅建設ができないのだそうだ。桜ヶ丘線は15万4千ボルト(車返線は6万6千ボルト)だが、17万ボルト未満でも、建築は可能だが、一定の離隔距離(電線が伸びて一番下がった位置からの距離)を保つため高さに規制があったり、地権者との独自の契約で建築そのものが制限される場合などもあるそうだ。公園や公園の延長上に続いている空き地は、「昭島団地自治会所有地」と表記されているので、この自治会と東電との間で、何らかの取り決めがあったのかもしれない。
 この先の、富士見町団地(住宅)内に建つ9号10号の下も公園になっているが、高層住宅が建ち並ぶ中であるから、これは「離隔距離」の関連であるのであろうか。
 そういえば、先日紹介した、道路上ガントリーの昭島線46・47号(6万6千ボルト)だが、これが態々道路の上を通っているのも、若しかしたらこうした送電線下の規制に関係しているのかもしれない。古い航空写真では、送電線下は米軍ハウスが多い様だが、米軍側の都合で独自の契約があったりしたのであろうか。

 にしてもこのあおぞら公園、広々と気持ちが良く、シバは刈り込まれ、私がその下でランチにした藤棚のフジもしっかり手入れがなされいっぱいに蕾を付けているし、傍らに建つ自治会館は随分ときれいなのだが、南端に隣接し実際上はほぼ一体のように見える「東公園」にある遊具が、滑り台とジャングルジムは老朽化のため使用禁止、ブランコはチェーンと座板が外されて支柱のみと、可也残念な状態となっているのは、どういう事。なにか非常に、アンバランス。

 「2」へ続く

2018年皐月24日
(取材は4月初旬)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は昭島市福島町、最寄り駅はJR青梅線西立川駅or東中神駅です

*立川崖線:古多摩川により形成された河岸段丘の、立川面(立川段丘)と多摩川低地とを境する崖の連なり。青梅市から狛江市まで続き、場所により府中崖線、布田崖線とも呼ばれる

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Violin Sonata No. 9 in A major, Op. 47 "Kreutzer"/Ludwig van Beethoven (1803)
ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 作品47 「クロイツェル」/ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン order
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 今回紹介の、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番は、世の中で最も有名なヴァイオリン・ソナタであると思う。作品を聴いたことは無くとも、その通称である「クロイツェル・ソナタ」という名は、おそらくお聞きになったことがあるのではないだろうか。レフ・トルストイ(1828-1910)の小説のタイトルにもなっているし、チェコの音楽家レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)の弦楽四重奏曲第1番のタイトルにもなっているし(これは小説の方にインスパイアされている)。
 でも、元来は「ブリッジタワー・ソナタ」となるべきはずのものだったのである。
 ジョージ・ブリッジタワーはイギリスで活躍していた、アフリカ系の父を持つポーランド出身のヴァイオリニスト。ベートーヴェン(1770-1827)は若い彼(8-10歳下)をいたく気に入り、この作品を献呈し、ウィーンで初演(1813年5月24日)も共に行った。のだが、ブリッジタワーがベートーヴェンの女性友達を侮辱したとかで仲違いし、献呈は取り消され、以前にウィーンでその演奏に接した、当時フランスで活躍していたヴァイオリニストのルドルフ・クロイツェルに改めて献呈されたのだ。
 だが、自身作曲家でもあるクロイツェルは、ベートーヴェンの作品はあまり評価していなかったらしく、更にもう既に別の人―詰まり、ブリッジタワー―が弾いちゃってるから等の理由で、終に一度もこの曲を演奏しなかったと伝えられている。

 で、このお名前を冠されていながらご本人には理解してもらえなかった残念な「クロイツェル」であるが、古今最も有名であると同時に、古今最も優れたヴァイオリン・ソナタと一般には語られる。其れに異論はない。スケールは大きく、構成は豊かな起伏に富み、演奏はテクニカルで、紡がれる旋律は美しく華麗。非の打ち所がない。クラシック素人のメタル馬鹿が何を偉そうにと、言われるかもしれないが、そう思うのだから仕様がない。
 その名作「クロイツェル」は、ベートーヴェン33歳の1803年に書かれた(書き始めは1802年、出版は1805年)。

 ベートーヴェンは57年の生涯で10曲のヴァイオリン・ソナタを書いているが、その内1番から9番までの9曲は27歳から33歳という比較的若い時期のものである。最後の10番は前作から9年後の作であるから、時期で言えば例外的なものとなっている。

 1番・2番・3番(作品12-1):1797年
 4番(作品23)・5番(作品24):1801年
 6番・7番・8番(作品30):1802年
 9番(作品47):1803年
 10番(作品96):1812年

 今日、彼のヴァイオリン・ソナタの代表的作品とされる、4番、5番、7番そして9番は、何れも1801年から1803年の作品である。この時期は彼の「初期」から「中期」に渡る辺りで、「傑作の森」(byロマン・ロラン)等と呼ばれる1804年からの十年間を産まんとする頃だ。彼を悩ませていた難聴が進み、1802年には「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれており、かなり厳しい精神的危機に陥っていた時期とも重なる。
 同時期に書かれた、代表的な作品を以下に挙げてみる。

 1801年:ピアノ・ソナタ第14番「月光」・ピアノ・ソナタ第15番「田園」
 1802年:ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」・ロマンス第1番・エロイカ変奏曲
 1803年:ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」・ピアノ協奏曲第3番

 このすぐ後には、交響曲第3番「英雄(エロイカ)」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」(1805)、弦楽四重奏曲第7・8・9番「ラズモフスキー」(1806)等の傑作が産み出される。これ等で炸裂するベートーヴェンの個性が、確立されつつあった時代と言えると思う。

 以前モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを紹介した際にも書いたが、そもそもヴァイオリン・ソナタなるものは、「ヴァイオリン伴奏付きのピアノ・ソナタ」であって、基本的にはヴァイオリンは「主」ではなく「従」なのであった。なので、名前の割には、ヴァイオリンは余り目立つものではなかった。
 しかし、上記、ベートーヴェンの「中期」に差し掛かる頃、ヴァイオリン・ソナタで言えば4番辺りくらいからだんだんヴァイオリンの比重が大きくなって、終にこの9番で、ヴァイオリンとピアノは対等となりバトルを繰り広げるのである。そう、ピアノとヴァイオリンのバトル、こう形容しても強ち大袈裟ではないと思う。
 「クロイツェル」は後の人々が名付けたニックネームだが、ベートーヴェン自身は、「ほとんど協奏曲の様に相競って演奏されるヴァイオリン助奏付きピアノ・ソナタ」と、楽譜に書き付けたそうだ。
 この「相競って」が重要である。正に対等の立場でのバトルである。私の好きなハード・ロック/ヘヴィ・メタルに例えさせて頂けば、ディープ・パープルレインボー、またライジング・フォースチルドレン・オブ・ボドムにおける、エレクトリック・ギターとオルガンやシンセサイザーとのバトルの様なものだ(但しこれ等のバンドの場合は必ずしも「対等」とは言えない)。なので、若しお聴きになるのであれば、ヴァイオリンもピアノもそれなりのお方が担当されている録音がお薦めであるが、下に挙げた各盤ならば、(好みの問題は別として)ほぼ間違えは無いのでないかと、思っております。
 このバトルはなかなか聴き応えがあるので、サウンド的には決して重くは無いが、可也な緊迫感が漂い、イキフン的には結構「ヘヴィ」。演奏によっては、ヘヴィ音楽のページに載せる一歩手前くらいまで迫る感じだ。プログレ系のメタル・バンドがカヴァーしたら、なかなか面白そうなのだが、何方かやってくれないかないであろうか。

 2018 5/22

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お気に入り度:♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭
重度:♭♭ 硬度:♭ 暗度:♭♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭
私の聴いている盤をトップのジャケット画像で左から順に。
ギドン・クレーメルとマルタ・アルゲリッチの1994年3月録音盤。評価ナンバー1の一枚。達人同士の鎬を削るバトルが聴ける。のだが、余りにレベルが高すぎて理解できるまで時間がかかったのも正直なところ。また高レヴェルであるが故に、聴き応えあり過ぎてちょっと疲れるかも。
イツァーク・パールマンとウラジミール・アシュケナージの1973年10月録音盤。此方はレベルが高いながら非常に分かり易く聴き易い一枚。若干ヴァイオリンの線が細く輪郭のクッキリとしたピアノが目立ち気味で、私はこれでアシュケナージが好きになった。
ヨーゼフ・シゲティとベーラ・バルトークの1940年4月13日ワシントン国会図書館におけるライヴ録音盤(パブリックドメイン)。二人のハンガリー人による競演。ともにこの1940年、ナチスと手を結んだ祖国から逃れアメリカに移住した。二人ともに力強く熱いプレイである。バルトークはピアニストとしても一流だったのだ。
ジャック・ティボーとアルフレッド・コルトーによる1929年5月27-28日録音盤(パブリックドメイン)。此方は二人のフランス人による共演(チェロのパブロ・カザルスが加わればカザルス・トリオだ)。同じ5月28日に歴史的名演、セザール・フランクのヴァイオリン・ソナタが録音されているが、その充実が伝わるようなこちらも良い演奏だと思う。ハードさは無くベートーヴェンにはそぐわないかもしれないが、一寸シャレオツで私はこのコンビ好きだ。
寺神戸亮とボヤン・ヴォデニチャロフの2005年3月22-25日録音盤。これは今とは違うベートーヴェンのその時代の楽器を使用した所謂古楽器演奏だ。ベートーヴェンはこうした楽器を使い或いは想定して作曲しそして演奏していたのである。そう思い聴くとなんか嬉しい。現代楽器(モダン楽器)に比し大分素朴な音で迫力は無いが私は結構好きだ。
他に、フリッツ・クライスラーとフランツ・ルップによる1936年6月17-19日録音盤(パブリックドメイン)、ダヴィド・オイストラフとレフ・オボーリンの1962年6月録音盤(パブリックドメイン)もお薦め。他に、私は未聴であるが、ヘンリク・シェリングとアルトゥール・ルービンシュタインの1958年12月30-31日録音盤)、オーギュスタン・デュメイとマリア・ジョアン・ピリス(ご夫婦)による2002年1月録音盤など評価が高い。何れにせよ、流石に名曲だけあって高評価盤が目白押し。
なお、パブリックドメイン盤は、こちらこちらからダウンロード可能です〕

*ジョージ・ブリッジタワー(George Bridgetower 1778(1780)-1860):父はアフリカ系、母はドイツ人とされる。少年時代に王太子時代のジョージ四世に目を掛けられて教育を受け主にイギリスで活躍した
*ルドルフ・クロイツェル(Rodolphe Kreutzer 1766-1831):作曲家・指揮者・教育者でもあった
*初期・中期・後期:一般に、初期は1793-1802年、中期は1803-1812年、後期は1813-1827年。初期以前の1770-1792年はボン時代とされる
*1番・2番・3番(作品12-1):師匠の一人である、アントニオ・サリエリ(1750-1825)に献呈されている。サリエリは映画の影響で悪役的印象があるが優れた音楽家・教育者で無償で弟子に教えたり慈善活動に熱心だったりしたらしい
*「対等」とは言えない:多くの場合ハード・ロック/ヘヴィ・メタルはあくまでギターがメインである。そして、レインボーとライジング・フォースの場合は完全にギタリストのワンマン・バンドである

北の離れ カスク

カスク

 鉄塔巡りで自転車(マウンテンバイク)走行する場合、基本、住宅街の、車とも滅多に擦れ違わないような生活道路のような道をのんびりと行く。所謂ポタリングだ。だが、ショートカットしたい場合や帰りを急ぐ場合などは、やはりそれなりの速度で幹線道路的な交通量の多い道を、時に走らざるを得ない。そんな時は、正直コワイのだ。生命の危険を感ずるのだ。
 ので、ヘルメットの使用を以前から考えていた。
 だが、私は首が弱く、すぐ痛くなってしまい頭痛の原因にもなるので、ヘルメットの長時間着用は非常に心配である。そして頭髪が非常に残念な状態である為、帽子は常に着用していたい。となると、軽くて帽子の上から着用しても違和感のないものは・・・、とあれこれ調べ、これだ、となったのが、「カスク」だ。
 カスク(casque)とはフランス語でヘルメットの事で、現在の様なヘルメットが一般となる以前に使用されていた自転車用の頭部保護具である。ヘッドギア、に近いかな。

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カスク
サイズは後頭部の面ファスナーで調節

 後に写り込んでいる緑地は、三鷹市の国立天文台の敷地である。ご覧の如くこの日は日差しも強く、かなり気温も高かったが、カスクは隙間が多いので、キャップの上に装着しても風通しは良く特に暑かったり蒸れたりということはなかった。ただ、盛夏の候となれば、どうなるかは、現時点では分からない。

 私が選んだのは、「ドッペル◯ャンガー」さん(キャリーも愛用させて頂いている)のカスクだが、重量は185gと超軽量(でも俯くと結構重さは感じる)。折りたたんでバッグに入れることも可。キャップやニット帽の上からでもかぶれる。キャップの天ボタン(てっぺんのぽっち)が頭に当たって痛いかと思ったが、そこそこ空間があり大丈夫であった。
 そうそう、お値段も手ごろである。

 隙間も多く、プラスティックのシェル(外殻)もないので、保護機能はヘルメットには劣るが、何もかぶらないよりはましであろう(と思う)。ただ、他メーカーさんのカスクに比し、このドッペルさんのものは隙間は少なくサイド部分の面積も広いので、安全性は高そうに思える。

 ヘルメットやカスクを被ったりバックミラーを付けたりと、自転車に乗る側の安全対策は個人の責任でする必要はあるのだが、車道走行が基本である自転車とすぐ脇を走る自動車との距離(間隔)を、多くの道路で確保しにくい現状、これも何とかして頂きたい。最近増えた、自転車走行位置・方向を示す「自転車ナビマーク」、この上を走っていても、後ろから自動車が追い越してゆく際には、更に路肩側に寄らなければならない。路肩は凸凹していたりするし、縁石にペダルが当たりそうになるし、街路樹の枝が伸びていたりするし、路上駐停車中の自動車も避けなければならないし。アブナイのである。
 完全なる自転車専用通行帯(自転車専用レーン)を整備して頂くことを、切に願う次第だ。

 しかし、随分と久しぶりに自分用のものを買った。最近買っているのは、おばあちゃんの介護用品と猫関連のグッズばかりだ。

2018年皐月21日

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*カスク:「にっぽん縦断 こころ旅」で火野正平さんが被っているので見たことのある方もいるのでは。現在はヘルメットを指す語だが元来は兜を指すものだったらしい。またヘッドフォンは「カスク・オーディオ(casque audio)」と言うらしい
*ポタリング:自転車散歩を表す和製英語。ぶらつく意の「potter」に由来

Fe塔 移ろい―サクラと鉄塔

移ろい―サクラと鉄塔

 昨今の世を見れば、何でジャイアントパンダばっかりチヤホヤされるの、と動物たちから不満が出そうだが、植物界からは、何でサクラばっかり持て囃されるの、と怒られそうな春の時候。少し時期外れとなってしまったが、「サクラと鉄塔」を纏めて、これで今期の終了とさせて頂きたい。

 確かに何で、世の中こんなにサクラばかりを気にするのであろう―。等と言いつつ、私もやっぱり気になる。お酒も飲まず、団体行動もしない私としては、お花見に関心は無いが、「サクラと鉄塔」は気になるのだ。秋の「紅・黄葉と鉄塔」同様、僅かな時間のチャンスを思い、落ち着かない日々が今年もあった。
 鉄塔と花のコラボとなると、ナノハナ畑の様な広い面積ともなれば別だが、二つの被写体の高さがあまりに違うので矢張り草の花は難しい。どうしても、木の花とのコラボとならざるを得ない。木の花は、ウメやモクレン、サルスベリ等季節毎に見事な景はあるが、絶対数が少ないので、鉄塔と同じフレームに収まるようなシチュエーションはなかなかお目にかかれない。その点、サクラは並木でも孤木でも数が多い。至る所にある、と言って過言ではないであろう。鉄塔近くで花を咲かせているシチュエーション、これは流石に何所にでもあるとは言えないが、それでもちょっと探ればまあまあ見つかる。それに何と言っても、花自体に圧倒的な存在感があるので、ターヘーな私でも絵になり易いのだ。非常に有難い。

 ということで、今季、サクラと鉄塔でコラボったものを、以下に纏めてご紹介。「サクラと鉄塔」に拘るあまり、無理な或いは不自然なアングルになっているものも多々あるが、そこは寛大なるお心で、ご容赦願いたい。

 ではまず、府中線を二基。何れも他の季節に紹介済みだが、サクラの時候はお初の登場。

 43号(標高58.9m)は、この角度、ちょっとヤゴっぽいな。腕金と碍子連が六本の脚で、地線腕金が頭部で、鉄塔本体部分が腹部の感じ。村山線17号に少し似ている。

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府中線43号

 47号(標高56.5m)は、手前に田圃と中央フリーウェイの緑化された法面があってロケーションが良い所為か、田植え稲刈りの時期などで、たびたびご登場頂いている。特にこの鉄塔を意識しているのではないのだが、季節季節にあれこれシチュエーションを思い描くと、この鉄塔が浮かんでくるのだ。

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府中線47号

 次は、今年終にコンプリートした車返線。上の府中線はどちらも、まだ7-8分咲きであったが、こちらはほぼ満開。これも、過去にご登場願っているがこの時候はお初の二基。

 31号(標高54.5m)は、西武多摩川線の土手と(上)、野川を越える陸橋と(下)。

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車返線31号

 上画像、後は国分寺線63号、右手上がICU。下画像、手前が野川、右手が野川公園、右手上がICU。

 37号(標高60.4m)は、三鷹市ICUHS内最後の鉄塔。これは本当に無理があるが、最下部に辛うじてサクラが見える。

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車返線37号

 次は、桜ヶ丘線の二基。4号と5号。

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桜ヶ丘線4号

 4号(標高94.2.m)、左は昭和公園(昭和記念公園ではない)内から。ママたちと子供たちが、サクラの下でお弁当。右は5号横、奥多摩街道に架かる歩道橋から(向こうは3号鉄塔)。なかなか良い眺望が得られる歩道橋である。

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桜ヶ丘線5号

 此方5号(標高93.0m)は、下を通る奥多摩街道の歩道からなのだが、申し分のない咲き具合のサクラがあるにかかわらずなかなかうまい具合に鉄塔と並べられず、車道際、もうぎりぎりまで下がってやっと捉えたアングルだ。

 次は、私の好きな久我山線の、5号鉄塔(標高56.6m)。府中市の中央付近、稲荷木公園内鉄塔だ。

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久我山線5号

 咲くも見事だが、脚元、ブランコ周辺を埋める「落花の雪」も美しかった。

 最後は、昨季今一つの開花状況であった、国立市谷保の谷保第五公園から望む多摩橋線45号(標高75.5m)。今回は満開だ。

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多摩橋線45号

 でも、時はもう斜陽。暗い。
 どうも、この鉄塔さんとは、何時もタイミングが今一つである。

 ・・・・・・

 これにてサクラは終わり、次は若葉の候である。次回以降、少しご紹介できそうだ。

 それにしても、移ろう季節の場面場面を、こうして味わうことができるのは、なんという幸せであろう。有難いことである。

2018年皐月19日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は府中市四谷(府中線43号)及び日新町(府中線47号)、小金井市東町(車返線31号)及び三鷹市井口(車返線37号)、昭島市東町(桜ヶ丘線4・5号)、府中市幸町(久我山線5号)、国立市西(多摩橋線45号)です

*ICU、ICUHS:前者は国際基督教大学、後者は国際基督教大学高等学校

Fe塔 私鉄沿線―クサボケ

私鉄沿線―クサボケ

 前回68号鉄塔を正面から望んだ立6踏切から、南西へ西武拝島線の南側を線路に沿って行けば、拝島線69号(標高118.6m)下に出る。

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拝島線69号(昭和51年4月 26m)

 腕金や張り出したバルコニーが、他の一般的な引き下げ鉄塔より長く、直下から仰ぐと、なかなかに迫力がある。複葉の大型爆撃機の様な感じがしないでもない(違うか)。
 30度の角が北北東を向き60度の角が西北西を向くような直角三角形の形をした西武拝島変電所の、69号の建つ30度の角の辺りは、外から丸見えだが、

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屏と69号

他の道路に面した部分は、門のある部分まで、見たこともない様な鈍く光る銀色の頑丈そうな屏に囲われている。

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西武鉄道拝島変電所

 変電所の事はよく分からないので、撤収。

 エコ・パークに止めた自転車へ戻るため、立6踏切から上水遊歩道を歩いていると、足元にクサボケ(Chaenomeles japonica)が鮮やかな朱赤色の花を付けていた。

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上水遊歩道のクサボケ(草木瓜)

 「クサ」とは付くが草ではなく木である。高さ20cm程(大きくて50冂)のちゃいちいちゃいちい木なので「クサ」と付けられたのだ。春先、奥多摩辺りにハイキングに行くと、麓の農地周辺の日当たりのよい草地や斜面で鮮やかな花を付けているのをよく見かけるので、植栽された外国種とも思いたくなるが、日本固有の在来野生植物なのである。

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アップ

 私の大好きな歌川広重の生涯最後の作、「冨士三十六景」(描かれたのは死の年1858年、出版は翌年)中に、サクラの老樹に空いた洞(うろ)から富士山が覗いているという、少々奇をてらった感がなくもない「武蔵小金井」という絵がある。以前、中富線57号で紹介したことがあるが、この絵の右下隅に、このクサボケと思しき花が描き込まれている。背丈と言い色と言いサクラと同時期に咲いていることと言い、ほぼクサボケで間違えないのではなかろうか。
 描かれている場所は、大分下流だがこの玉川上水だ。よく見ると、対岸にもクサボケらしき花は小さく描き込まれている。

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「冨士三十六景 武蔵小金井」
右、クサボケアップ

 富士の右手が夕焼けている。小金井から富士山は絵と同様南西方向に見えるので、クサボケが咲いている右下の斜面は南向きだ。これは、クサボケの好む環境に合致する(小金井市HPでもクサボケとされている)。ついでに言うと、絵から推測する方角が正しければ、流れは画面の奥から手前への向きとなる。
 この絵が実際の風景を見て描いたものどうかは不明だが、広重を敬愛する私としては、160年の前、彼が、同じ玉川上水で同じクサボケを見ていたと、そう考えたい。

2018年皐月17日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は昭島市美堀町、最寄り駅は西武拝島線拝島駅です

・広重の絵の所蔵は東京国立博物館。サイズおよびコントラスト等を加工しました

・クサボケ参考:読売新聞「園芸ゼミ」4月7日記事

*クサボケ:シドミとも。本州(関東以西)・四国・九州の日当たりのよい山野に分布するバラ科ボケ属の落葉小低木。棘があるので要注意。よく似た花のボケ(ボケをかますのボケではない)は中国原産で、樹高は2-3mにもなるので判別は容易

Fe塔 私鉄沿線―エコ・パーク

私鉄沿線―エコ・パーク

 前回の拝島線64号から、二つ飛ばして(ごめんね、何時も飛び石で)、67号そして68号と、拝島線のガントリー鉄塔が終わる部分を訪ねる。丁度そのあたり、線路を挟んで南北に「昭島市エコ・パーク」が広がっている。
 この公園、その北と南はかなり姿が異なる。北側は、遊具やグラウンドなどあり(原っぱゾーン、スポーツゾーン、ドッグランなど)、春休み真っ最中、お花見の人々などで非常に賑やかだ。しかし、私が訪ねた南側は、ただ線路に沿って草原が広がるのみ(緑を育むゾーン)。私以外には、おばあちゃんとお孫さん(であろう)二人、そして小型ワンコ二頭のみ。静かなものである。

 この草原からは、67号(標高118.2m)が良く見える。と言うか手の届きそうな間近まで接近も可能だ。

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拝島線67号(昭和41年1月 23m)

 67号を視界に入れつつ、草原をぶらつきアングルを探っていると、丁度、お馴染みの黄色い2000系が、67号を潜っていった。

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67号と2000系

 残念乍ら、此方の公園にサクラは無いのだが、線路向こう側エリアには多く花を付けているのが見える。鉄塔を望めば共に視界に入ってくる。

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67号と向こうのサクラ

 いわば、借景かな。

 大分ペコハラなので、線路側を向いてベンチに座り、サクラを愛でつつランチにしていると、北に隣接する横田基地を離陸した米空軍C-130輸送機が時折、頭上を越えて行く。画像のものは、プロペラが6翅なので、おそらく、C-130J「スーパーハーキュリーズ」であろうと思われる。

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C-130

 一度は、二機のC-130が続けて北側公園の木立の向こうからいきなり現れ、モーターヘッド並みの途轍もない爆音を轟かせ、驚くほどの低空で頭上を掠めていった(撮る暇もなかった)。私の様な飛行機好きは気分がアガるが、毎日毎日これを聴かされる周辺住民の方はたまったものではないであろう。それに、問題は音だけではない。
 この公園のある美堀町の北東に隣接する立川市西砂町が、まだ砂川村であった昭和26年(1951)11月16日、当時朝鮮戦争真っ只中であった半島に向け横田基地を出撃したボーイングB29爆撃機―当然爆弾・燃料は満載―がここに墜落炎上し、消防隊員と住民計15名が亡くなるという大事故が起きている(搭乗員は脱出)。公園からは、1卍北の地点である。
 事故はそれだけではない。翌年の2月7日夜(吹雪であったそうだ)には、埼玉県入間郡金子村(現入間市西三ツ木)に同様に爆弾を満載したB29爆撃機が墜落炎上し、乗員13名と住民4人が亡くなる事故も起きている。ここからは大分離れた地ではあるが、しかし墜落したのは、同じ横田基地を離陸した機体である。
 横田には、CV-22(オスプレイ)も夏には配備予定である。基地の存在は、我々が考える以上に、住民の方々の生活に、大きな影を落としているのであろう。

 鉄塔に話を戻すと、お隣、ガントリー最終鉄塔68号(標高118.8m)は、草原の西の端っこ。

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拝島線67号(昭和41年1月 23m)

 草原の一部には、地元の子供たちがドングリを埋めたエリアがあるので、踏まぬように注意して接近する。
 線路南側のこの草原エリアは、直角三角形の底辺が南縁となり、直角が南南東方向を向くような形なので、68号辺りは可也先細り。しかもこの先細りエリアは木立が多く、鉄塔は園内からは可也見にくい。然も、ほぼ逆光だ。

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68号と2000系
手前の若木は子供たちが植えたらしいドングリの木

 あれこれ探ってみたが、園内のポジションには限界を感じ、新たなポジションを求めて公園を出る。
 公園南縁に沿って流れる玉川上水を渡り、上流側(西側)へ行くと、西武拝島線が上水を越える「玉川上水橋梁」横にある、「立6踏切」にぶつかった。
 この踏切上に立つと、丁度正面に68号を拝むことが叶った。後にサクラも見えるではないか。

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踏切から68号
左右を確認して即撤収

 その踏切辺りから、拝島線(送電線と鉄道の両方)の先を望めば、やや奇態なる引き下げ鉄塔69号がシルエットだ。

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拝島線69号

 行ってみましょう。

 次回へつづく

2018年皐月15日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は昭島市美堀町、最寄り駅は西武拝島線西武立川駅または拝島駅です

*エコ・パーク:昭島市が「武蔵野の自然環境再生のシンボル拠点」として整備した公園
*C-130J:傑作輸送機ロッキード社製C-130「ハーキュリーズ」の発展型。ロッキード・マーチン社製。1999年配備開始

Fe塔 私鉄沿線―北関東防衛局

私鉄沿線―北関東防衛局

 当然ながら、西武拝島線線路上に跨る拝島線の64号。その北側は「国有地」の黄色い立て札のある可也と言うか相当広い、空き地。丸くきれいに刈り込まれた、樹種不明の大柄な常緑広葉樹とやや小柄なツバキが整然と沢山植えられ、ツバキは多く花を付けている。が、他には草原が広がるのみ。嘗ては、植木畑ででもあったのだろうか。

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空地と64号(右はアップ)

 立て札に記された管理者は、「北関東防衛局」。北関東防衛局とは聞きなれない名だが、防衛省の地方防衛局の一つで、神奈川を除く関東地方と長野、新潟両県を管轄するそうだ。しかしこの、「地方防衛局」も聞きなれない名だ。調べると、自衛隊・米軍の基地のスムーズな運営のため、また自治体や地域住民との調整を行うための業務を主とするもので、2007年に設けられた組織だと出た。
 ここ以外にも、この美堀町周辺では「国有地」と書かれた黄色い看板が立てられた大小の空き地をよく見かける(車が止めてあったり家庭菜園的になっていたりしている場所もある)。横田基地の関係なのであろうか。管理は同じく北関東防衛局だ。

 空き地東側にある、立2-3踏切で線路を渡る。渡る途中で、64号(標高117.5m)を正面から。プレートの方は、当然渡り切ってから狙った。

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64号(昭和41年1月 23m)

 その渡り切った南側だが、線路との間に上記の様な空き地や住宅を挟み、大分広いが、可也荒れた公園があった。
 道路との境にロープや柵は無く、あちこち傾いた低い杭が疎らに打たれているのみ。間に車止めを挟んだコンクリートの門柱的なものが建ち、一応出入口となっている様だが、何所からでも出入りは自由な状態。とは言え、この雰囲気は閉鎖されているようにも見え、かえって入り難い。
 でも、64号の向こうにはサクラが見えていた。良いアングルが得られそうな気がして、勇気を出して入ってみる。と、砂場には枯れ枝や枯葉が散乱し何やら赤錆びた用途不明の物体も放置されている。苔むし或いは破れたベンチは、もう何年もお尻を支えていないような様子。失礼ながら大分ザンネンな状態である。だがしかし、期待通りと言うかそれ以上に、見事なサクラがあった。

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公園のサクラと64号

 ただ、64号は右の端っこ、公園に隣接するお宅の屋根上に辛うじて上部が覗くのみ。上手くいかないものである。

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64号アップ

 上部三分の一くらいしか、見えないな。
 致し方なし。次なる鉄塔を目指そう。

 次回へつづく

2018年皐月12日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は昭島市美堀町、最寄り駅は西武拝島線西武立川駅または拝島駅です

*北関東防衛局:埼玉県さいたま市にある

はけの下 科学絵本

科学絵本

 絵本作家の加古里子さんが、今月二日に亡くなられた。享年92。

 加古さんは、大正15年(1926)福井県生まれで、本名は中島哲(さとし)。「里子(さとし)」は俳号である。WW2中、成蹊高等学校(私立の旧制高等学校)に通っていた時、軍需工場への動員で友人たちに会えないため作った回覧雑誌「マント」に自作の俳句を載せる際使用していたペンネームが、この「里子」であったそうだ。(かこさとし公式HPより)
 氏はそのWW2当時、例にもれず軍国少年で、軍人(飛行機乗り)を目指すが近視が進み断念。結果氏は戦後を生き抜くこととなるが、陸軍士官学校へ進んだ友人たちは、多く特攻で命を落とした。この様な経験から、氏は、自身の無知が誤りを産んだ、だから子供達にはちゃんとした勉強をするよう伝えていかなければならない、そう思うようになったと語っておられる。(mi:te 絵本作家インタビュー vol.100より)

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 加古さんと言えば、「からすのパンやさん」や、月刊絵本「こどものとも」での「だるまちゃん」シリーズがお馴染みであるが、私は、科学者でもある氏が月刊絵本「かがくのとも」に書いた、科学絵本が好きであった。「あなたのいえ わたしのいえ」、「だいこん だんめん れんこん ざんねん」、「おおきい ちょうちん ちいさい ちょうちん」、「いろいろ おにあそび」、「わたしも いれて!」など。

 加古さんの素朴な味わいの絵が、好きであった。

 R.I.P

2018年皐月10日

*科学者:東大工学部応用科学科卒で、工学博士、(化学)技術士
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