MYSTIC RHYTHMS

日常雑記、音楽報告、鉄塔そして詩など

ミスティック・リズムス

多摩の古書店主が綴る日常雑記。古本屋な日々...

北の離れ 玉川上水川下り―浅間橋

玉川上水川下り―浅間橋

 昨晩秋、玉川上水を遡り、羽村取水堰(取水堰第一・第二水門)と言うその始点にまで達した。ので、今度は上水の開渠部分の終点を訪ねた。浅間橋(せんげんばし)、である。

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玉川上水緑道
右は東八道路(上り)

 場所は、杉並区久我山。男子ラグビーやサッカーで有名な国学院久我山高校から、東南東に900m少しの地点。
 上水開渠部分も、画像の緑道も、清流復活区間も、羽村の取水口方向を始点方向と見ればここで終点。国の史跡指定(2003年)の大半も、ここで終わりである。

 しかし、だ、橋って何処?

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上水案内板

 案内板には「浅間橋」と明示されているが、らしきものが見えない―。
 案内板イラストに示されている通り左手を見ても無いし、

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上水浅間橋付近
右の木立の下が上水

もっと先、交差点へ行っても、橋は無い。

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上水浅間橋付近交差点
左が東八道路(上り)、右の高架が中央道

 そう、今回ここを訪ねて判明したのだが、「浅間橋」と言う橋は存在しない、のだ。
 上下線が左右に分かれ上水を挟む形となって行く東八道路(都道14号線)と、南西へとカーヴする中央自動車道が上下位置で重なっているその僅か上流側、そこが浅間橋だが、そこに橋などは無い。ただ、玉川上水の流れが、道路下へと消えゆくのみなのだ。

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玉川上水開渠の終わり(標高48.4m)

 画像中央左に、上水の水が芥留(あくたどめ。ごみを濾すフィルター)に吸い込まれて行く。つまり画像左が下流側で、ここから先、上水は暗渠となる訳だ。
 嘗て、上水を渡る浅間橋が存在したかと思われる場所の辺りは、歩道となり、開渠側(上流側)はフェンスで囲われ行き止まりとなっている。
 上の案内板イラストに沿い、浅間橋と思しき辺りを南側から見ると、この様な感じ。

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開渠終焉部
南側から

 画像左橋の木立が上水開渠部、その右白い車止めが見えるのが行き止まり部分。この行き止まり部分やその右側の横断歩道の部分(ワンコお散歩中)などは、もう暗渠部だ。

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開渠終焉部
北側から

 これを北側から見る。画像右端の木立が上水開渠部。その左白いガードレールのある所が行き止まり部分。その辺りから左側が上水暗渠部となる。

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行き止まり部分から

 行き止まりの部分から、上水を見ている。奥方向が上流方向。手前のコンクリートの下に、水が吸い込まれる芥留。
 こうして、暗渠化する上水のその上をただ東八道路と中央道が通るのみとなる。

 そうなのだ、今は、浅間橋と言う名の橋はなく、浅間橋はこの地点・場所の名称としてのみ残っているのだ。ただ、浅間橋がどの様な橋で、何時まで存在していたのかなどは、残念ながら不明である。
 でも、ヒントはありそうだ。
 浅間橋から暗渠となった上水下流方向を見ると、

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下流方向の歩道橋

薄青い歩道橋の姿が、ちらりと見える。この中央道と東八道路に上下から挟まれるようにある歩道橋、この名が「浅間橋歩道橋」なのだ。
 少し、ツッコんでみよう。

 つづく

2020如月25日
(取材は1月初め・2月中旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この場所は杉並区久我山、最寄り駅は京王井の頭線富士見ヶ丘駅です

*玉川上水:羽村取水堰から新宿区の四谷大木戸迄およそ43丗海上水路。人口増激しい江戸に多摩川の水を引き入れる為計画され1653年(承応2年)4月4日に着工し11月15日竣功。上水の水は武蔵野を潤したのち江戸市中で様々に利用された
*国の史跡:指定範囲は羽村取水口から四谷大木戸までの開渠部分(約30.4km)。よって浅間橋より下流も一部開渠となっている部分は史跡。逆に浅間橋より上流でも一部暗渠となっている部分は指定外
*清流復活:1986年(昭和61年)下水高度処理水を流す形で流れが復活した

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

Fe塔 鉄塔 中富線―中央道

鉄塔 中富線―中央道

 その96号と97号(標高50.1m)の間で、中富線は中央自動車道を越える。

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中富線97号と中央道

 向こうが97号、手前やや右下に見えるのが中央道防音壁。元来高身長の中富線、中央道など易々と乗り越えて行く。

 私は中央道を潜り、中仙川通りより接近を試みる。

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倉庫の向こうの97号

 しかし、脚元へ回り込む道はなく、反対側の都道114号側より再度接近。すると、家々に囲まれた鉄塔が間近にあった。

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97号(平成5年6月 60m)

 97号は塔体下部に北面を除き落雪防止ネットを纏っている。これは、住宅密集地に建つことの多い中富線では、あるあるだが、注目はネットの更にその下。

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97号下の庇

 鉄塔敷内フェンス際から、外に向かって庇がせり出している。庇下には、鉄塔下のお宅のものであろう自転車やバイクが置いてある。鉄塔に付着した雪が落ちるのを防ぐため、急遽設えた感じだ。可也の手作り感を醸し出している庇の、その先端部分を支える赤いロープは鉄塔主脚に結び付けられているので、鉄塔管理者側で行った措置であるのは確かである。
 初めて見た措置だが、住宅密集地に建つ鉄塔ならではの事だ。

 98号を、訪ねる。西方を見れば、小学校校舎の向こうに97号。

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小学校と97号

 98号(標高51.4m)は、鉄塔自体も、その周辺も至って普通の住宅地である。

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中富線98号(平成5年6月 55m)

 裏手は、大原山春清寺(曹洞宗)の墓地。

 少し離れ東の方を望めば、春清寺越しに以前訪ねた99号が見える。

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99号と春清寺

 春清寺には、関ヶ原合戦で初陣を飾ったという柴田勝家の孫柴田勝重(1579-1632)のお墓(三鷹市史跡)があり、実は上の画像、本堂手前の墓地中央付近に小さくその宝篋印塔が写っている。勝重は徳川に仕え、98号や春清寺の建つ三鷹市新川周辺を領地としたらしい。

 あと少しで、中富線最下流部分は、コンプリートである。

2020年如月24日
(取材は1月初め)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は三鷹市中原(97号)・新川(98号)、最寄り駅は京王線仙川駅orつつじヶ丘駅です

*大原山春清寺:1602年(慶長7年)、大原文左衛門春清が開創。柴田勝重が中興開基
*柴田勝重:三歳の時北ノ庄城落城。父の勝政は佐久間氏の出だが母は勝家の姉で勝家の従兄弟に当たり、のち勝家の養子となった

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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北の離れ COVID-19

COVID-19

 新型コロナウイルス感染症―COVID-19―が可也拡大し、誰が何時何処で感染してもおかしくはない状況となった。全国的に、病院や高齢者施設での入院患者や入所者への面会が禁止される傾向がある。これは、当然と思う。COVID-19は、特別重症化し易いものでも死亡率が高いものでもない様だが、やはり体力・免疫力の低い高齢の方や病気療養中の方は、危険だ。院内感染が起こればエライことだ。
 という事を受け、我が家のおばあちゃんが入院リハビリ中である病院も、面会禁止となり、洗濯替えは看護師さんを通して行う事となった。
 私と顔を合わせ、話したりすれば、多少なり認知機能回復の一助となろうと思うけれど、致し方はあるまい。

 COVID-19は、全体的に見れば重症化率も死亡率も高くはなさそうだけれど、感染力は侮れない。おそらく、表には出ない軽症の方や無症状感染者或いは何時の間にか治癒している方など、もう全国に多くいるのであろう。
 感染予防対策は、それぞれの方がそれぞれ考える所があろうけれど、私は、COVID-19は「新型の風邪」と考え、今まで長年やってきた風邪・インフルエンザ予防法を徹底したいと思う。まずは人混み忌避、そして睡眠、栄養、手洗い、消毒。だ。

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 花粉症が本格化してきた。マスクが無いと困る方は多いと思うのだが―ホント、売ってないね。医療関係者や感染者など本当にマスクが必要な人々にマスクが行き渡らないのは、困る。ウイルスは直径約0.1マイクロメートルと直径約30マイクロメートルの花粉などより桁違いにちゃいちいので、一般的なマスクは、予防に関してはあまり効果は無いと思う。ウイルスが付着した指で口や鼻を触らなくする効果はあろうけれど、無感染者のマスク着用によるCOVID-19予防効果は、気休め程度なのでなかろうか(あくまで私の素人考えです)。

2020年如月23日

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・イラストはAiBONさんによるものをイラストACからお借りしました

*COVID-19:「coronavirus disease 2019」で「2019年に報告されたコロナウイルス感染症」の意。特定の人名や地名と病気のイメージが結びつかない様、今は病名に報告者名や発生地名などは冠さない
*マイクロメートル:1マイクロメートルは1000分の1mm

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Heavysphere DELIVER US

デリヴァー・アス/ウォーロード order

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DELIVER US/WARLORD (1983)

 知らずに聴けば、イギリスかスウェーデン辺りのバンドと思うであろう。この湿りと叙情と、クサイほどの濃厚なドラマ性。でも、ロスアンゼルス出身の生粋のアメリカン・バンドだ。ただ彼らは、レインボーはじめ、1970・1980年代のヨーロピアン・バンドの大ファンで、クラシックを学んだメンバーもいるそうだ。楽曲を聴けば、頷ける話である。
 なお、本作のオリジナルは6曲入りで、ミニ・アルバム或いはEP的扱いを受けるが、メンバーによれば、自分たちの「1st」フルレンス・アルバムと言う認識だと言う(日本盤は4曲目にヴォーナス・トラックが入っていた)。

 どの曲も、よく練られてハイなレヴェルであるが、三曲目六曲目等の怒涛の展開は、特筆もの。ああ、これを正統ヘヴィ・メタルと言わずして何としょう。「正統」とは何ぞや?と聞かれても困るが、まだヘヴィ・メタルと言う音楽が先鋭化もせず細分化もされていなかった時代、まだハード・ロックとの明確な差異も少なく混然としていた時代、謂わば様々に枝分かれする以前の「幹」の時代のものと言えるような音楽である。ジューダス・プリースト直系、と言う言い方をしても強ち遠くは無い様な、そんな音楽。パワー・メタルもスラッシュ・メタルも、みんなここから生まれたんだよと、そう言えるような「ヘヴィ・メタル」だ。

 こんな素晴らしいバンド・作品なのに、どうも全く日の目を見なかった。2012年に再リリースされるまで長年廃盤であった所為もあるだろうが、それ以前に、どうもなんか胡散臭いB級感が漂い手が出し難い雰囲気を当初より醸していたのだ、彼らが。
 四人のメンバーは其々、ダミアン・キング(vo)、デストロイヤー(g)・レイヴン(b)(同一人)、サンダー・チャイルド(ds)そしてセンチネル(key)と、ヴェノムにも通じるようなステージ・ネームを付けている。しかも、ステージ・ネームがありながらライヴは一切行っていない。どうです、胡散臭いでしょう。果たして実体があるのやらないのやら、それすら分からないという、謎のバンドだったのだ。ジャケットも、ちょっと諸星大二郎さんの漫画っぽい怪しげなイキフンで、右にはなんか天使がフラダンス踊ってるし。大してお小遣いも持っていない、当時のメタル・キッズは、なかなか手が出せないアルバムだった。
 のちに明らかになるが、このバンドはサンダー・チャイルドことマーク・ゾンダー(1988年からフェイツ・ウォーニングで活躍)と、デストロイヤー&レイヴンことウィリアム・J・ツァミス二人が作り上げたプロジェクトであった。この二人が、他にメンバーを集い、恰も実在する完全なるバンドであるかのように振舞ったのである。マークによると「レーベルの為に」。レーベルとは、彼らを見出したメタル・ブレイドである。
 本作当時、既に独特なセンスを発揮しているマークは24歳(1959年生)、ウィリアムは22歳(1961年生)だが、作曲もバンドのコンセプトもウィリアムによるもので、彼がこのウォーロードの核であると言えるのだろう。
 なおこの翌年には、ファンにライヴを見て貰うため無観客の疑似ライヴ・ヴィデオ&サウンドトラック・アルバムもリリースしている。彼らが実際にライヴを行えなかったのは、シンガーの技量的な問題と、レーベルからのサポートが無かったためだそうだ。

 バンドは1986年に解散するが、2002年にスウェーデンの「正統派」メタル、ハンマーフォールのヴォーカリスト、ヨアキム・カンスを迎えて再結成されアルバムをリリースした。ヨアキムは、ウォーロードの熱烈なファンであったという事である。その後も2013年にアルバムをリリースしている。ヨーロッパでは、根強い人気があるらしいが、ウィキペディアに日本語版が無い。ネンザン。

 2020 2/20

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭♭ 暗度:♭♭♭ 技巧度:♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭♭
〔WARLORDは軍閥とか将軍の意で、日本では戦国大名などがこれに当たる。当初の日本盤はFEMS(SMS)レーベルから出ていた(レーベルの第一弾だとか)が、あのバーニー・トーメと同じである。あの頃は何でもかんでもリリースされていたのだね。メタラーにとっては黄金時代だった〕

・参照:HMV&BOOKS online「伝説のUSメタル・バンド WARLORD」(2015年6月25日)

*メタル・ブレイド:1982年当時21歳のブライアン・スレイゲルによって設立されたアメリカのレコード会社。コンピレーション・アルバム「METAL MASSACRE」(全10作)で新人メタル・バンドを次々世に送り出した。そのバンドの中にはウォーロードの他にもラット、メタリカスレイヤー、オーヴァーキル、ヴァージン・スティール、リジー・ボーデン、ヴォイヴォド、フェイツ・ウォーニング、メタル・チャーチ、ヘルハマー、ポゼスト、メイヘム、ダーク・エンジェルなどなどと、後々活躍する内外のアーティストが多数含まれる

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Fe塔 公園7号地

公園7号地

 新年一月一日、夕陽を受ける新鶴見線19号(下)と中富線91号(上)との交差を、拝むことが出来た。

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19と91の交差

 気が済んだので、「交差」ヴューポイント(標高53.3m)から北東500m程の「公園7号地」(標高54.8m)で、たまらんにゃ〜会長と新年のご挨拶。

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今年もヨロシク

 この公園は、周囲より数十cm高く盛土された上にただ草が繁る原っぱ。そこに木のテーブルとベンチそして四つの陶器の椅子がポツンとあるのみ。金網フェンスに「公園7号地」と書かれた簡易な表示が掛けられている。

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公園7号地(撮影は後日)

 シンプルで良い公園だが、これが完成形、なのであろうか。それともこの後、本格的に整備されるのであろうか。この付近には、こうした「公園〇号地」と言う名の公園が彼方此方にあり、ちょっと気になっている。調べたが、調布市HPの「市内の公園」を見ても、そうした名の公園は一切記載がない。
 なんだ?気になる。

(おばあちゃんの脳梗塞発症による入院・転院など多々あり、新年の記事が今頃となってしまいました。申し訳御座いません)

2020年如月20日
(取材は1月1日)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は調布市深大寺東町(公園は深大寺北町)、最寄り駅は京王線つつじヶ丘駅です

*公園〇号地:この名と共に「○○広場」等と併記されている場合もある

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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Fe塔 普濟寺 弐

普濟寺 弐

 残堀川(嘗ては根川と呼ばれたが残堀川が合流するようになり現名称となった)からは、普濟寺(ふさいじ)はすぐ目の上だが、実は可也迂回しないと行き着けない。一旦西の桜ヶ丘線12号まで戻り、北上して馬場坂下橋で川を渡り、更に馬場坂を北へ上がって奥多摩街道に出、陸橋(りくばし。「りっきょう」ではない)でJR中央線を東に越え、住宅地を南下して、やっと、トウチャコ。

 ここ普濟寺は、

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普濟寺参道

南北朝の時代、文和2年(1353)(文和(ぶんな)は北朝の元号)開創とされる古刹。当地を治めていた立川(立河)氏の宗恒が鎌倉建長寺から禅師を招き開山したという。のち小田原北条氏に仕えた立川氏は天正18年(1590)の豊臣秀吉による攻撃を受け、堂宇は焼失したがのち万治年間(1658-1661)頃から再建され、元禄4年(1691)までには復興されて、大いに栄えたそうだ。
 そうした歴史的存在であると同時に、私の様な鉄ヲタ(鉄塔好き)にとっては、好展望台的存在でもある。
 では、境内南、崖線の上から残堀川と桜ヶ丘線たちを望む。

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普濟寺から

 左が12号、その右に11号。右端、残堀川を渡る鉄橋は、WW2末期にこの辺りが空爆された際の機銃弾痕が嘗て残っていた(今は無い)。

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12号

 12号アップ。手前を貨物列車が通る。

 左に13号

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13号

 次に15号

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15号
15号は第二腕金が長い

 14号は手前を横切る架空線の可也先で、見ることが出来ない。

 鉄塔ばかりでは失礼なので、お寺についても紹介したいと思う。
 当寺は、山中坂の記事でも書いたように昭和20年(1945)4月4日のアメリカ軍による空爆を受けた正にその地にあるので、こうしたものが建立されている。

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戦災殉難者慰霊碑

 「戦災殉難者慰霊碑」。場所は西側墓地の、北の住宅地に近い辺り。敷地内に独立してあるのではなく、一般のお墓の中に紛れるようにある。何故なら、4月4日の空襲で亡くなった方の内引き取り手のなかった方を埋葬した場所に、昭和50年(1980)春になってから建立されたからだ。

 また、慰霊碑とは別に、こうしたものもある。

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平和観音

 昭和39年(1964)、当時の住職が戦死者、戦災受難者および沖縄戦で亡くなった戦友の供養のため建立した観音像。本堂前、境内を流れる流れを渡る太鼓橋の袂に、建っておられる。

 当寺ご訪問の際は、是非、昭和20年4月4日の空爆で41名の方が亡くなった防空壕跡に建てられた「山中坂地蔵堂」も併せてご訪問頂きたいと思う。間をJR中央線が通るため少々迂回が必要だが、直線距離で言えば西北西に500mもない。
 軍事施設の多かった立川は、WW2末期に10回以上の空襲を受け、市内で300名以上の方が亡くなっている。4月4日の空襲では、山中坂のある富士見町で57名、普濟寺のある柴崎町で7名の方が亡くなった(立川全体では144名)。

 話は変わるが、こちら普濟寺には、なんと国宝が存在するのである。
 「六面石幢(ろくめんせきとう)」と呼ばれるもので、この覆屋(おおいや)に収められている。

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覆屋と解説石板

 阿吽の金剛仁王像(東南)、持国天(東)、広目天(西)、増長天(南)そして多聞天(北)とを刻んだ六枚の秩父産緑泥片岩の石板(高さ約1.66m 幅約42cm 厚さ約9cm)を、笠石と台座を使い六角形に組み合わせたものだ。

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東面:持国天

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東南面:仁王(阿像)

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北面:多聞天
国宝 六面石幢
(総高約204.5cm)

 造立は、延文6年(1361)7月6日と刻されているのでその頃であるようだ。普濟寺を開山した物外可什(もつがいかじゅう)禅師の弟子、性了禅師が発願して、唐の禅月大師による絵を彫刻師道円に彫らせたもの。信徒の安全を祈願してのことという。大正2年(1913)に国宝指定(昭和28年再度指定)。覆屋は昭和29年(1954)に造られたもの。と、以上は寺内の解説にある。

 石幢は上記の如く覆屋の中で、ガラス越しとなる為撮影は難しい。自分は映り込むし面によっては逆光にもなるしで、大分苦労した。六面すべて撮影はしたが、お見せできるようなものは半分しかなかった。
 しかし、実物はガラス越しとは言え詳細に見ることは十分可能だし、見学も無料・自由なので、是非一見して、その「歴史」の存在感を味わって頂きたいと思う。なお、レプリカは立川市歴史民俗資料館に展示されている。

 境内を散策させて頂き、本堂南の空き地から、14号と15号を望む。敷地の南東の端に近づいて、やっと14号が見える。

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14号と15号

 振り向けば、本堂とシーズン最後の輝きのイチョウだ。

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普濟寺本堂とイチョウ

 お邪魔致しました。
 撤収。

2020年如月18日
(取材は12月中旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・参照:総務省「立川市における戦災の状況」、普濟寺HP、他

・これら鉄塔の建つ場所は立川市富士見町・柴崎町、最寄り駅は多摩モノレール柴崎体育館前駅です

*普濟寺:臨済宗建長寺派。山号は「玄武山」。本尊は聖観音坐像
*立川氏:武蔵七党の西党に属した豪族。普濟寺の場所は立川氏の館であったとされる。仕えていた北条氏滅亡後は水戸藩士となったともされる
*幢:「どう」は元来旗の一種。魔軍を制する仏・菩薩の象徴で笠や棹から垂らしまた柱に掛け装飾としたもの。これを石で模したのが石幢。なお、普濟寺解説に「せきとう」とあるのでそう読んだ

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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Fe塔 普濟寺 壱

普濟寺 壱

 桜ヶ丘線上流の、今までなぜかすっ飛ばしてきた幾基かを取材。郷地変電所内に建つ11号の先、渡河鉄塔15号までの間。12号・13号・14号である。

 まずは12号(標高73.4m)。イチョウ並木が色付く新奥多摩街道(都道29号)の、そのすぐ脇。

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桜ヶ丘線12号(昭和58年3月 49m)
右下が街道

 12号から13号へは、JR中央線下を潜って行く。レールの響きに気付き振り返ると、列車が差し掛かり通過する所。

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12号と中央線

 ツー・ショットがいけると、反射的にカメラの電源を入れ構えてシャッターを切ったが、ほんの一寸お尻が写っただけ。もう少し、ほんのもう少し早ければ、もう一寸写ったのだが。おじさんだから、反応が鈍かった。

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桜ヶ丘線13号

 12号から14号は、おおよそ街道沿いに建っているので、道路沿いに行けば13号(標高72.7m)。
 駐車場奥に建つため、残念ながら小プレはゲットならず。

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残堀川から13号

 北を流れる残堀川(根川)沿いの遊歩道から、僅かに残るドウダンツツジの紅葉の向こうに13号。

 14号(標高73.8m)へは、自動車も多い街道からではなく、この人影も少ない(平日だからね)静かな遊歩道から行く。

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桜ヶ丘線14号(昭和58年12月 40m)

 14号は、遊歩道のすぐ脇、事業所の敷地内に建っている。見上げれば、なかなかの角度鉄塔である。

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14号

 街道からも、一つ。

 上記にもあるように、今回取材の鉄塔たちの北側には残堀川(根川)が流れている。この川の左岸(北岸)、多摩川の河岸段丘で多摩川低地と立川面を分ける立川崖線と、その一部とされる青柳崖線が合流するその辺りの崖っぷちに、古刹「玄武山普濟寺」(標高85.4m)がある。川からは、可也見上げる形だ。

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14号と残堀川と普濟寺

 手前が残堀川、右端は遊歩道。奥に14号が見え、左の崖上に普濟寺だ。ちなみに、残堀川は14号の先で新奥多摩街道を潜り(立川橋)、多摩川に合流する。

 さて、崖上からは鉄塔の眺めが良い。行きましょう。

 続く

2020年如月17日
(取材は12月中旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は立川市富士見町・柴崎町、最寄り駅は多摩モノレール柴崎体育館前駅です

*残堀川:狭山丘陵から多摩川に流れる長さ14.5kmの一級河川。通称「大滝」で根川に合流し、根川も残堀川の名となった

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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Fe塔 黄・紅葉2019―拾遺

黄・紅葉2019―拾遺

 もう2020年になって二か月近く経ち、スギ花粉症もそろそろ出始めたとう言うこの時に、今更黄・紅葉でもないのだが、昨秋冬に取材したblogの鉄塔黄・紅葉ネタで、他とのバランスの関係などで悩んだ結果惜しくもボツとなった写真を、供養のために幾つか載せたいと思う。

 堀之内(八王子市)の里山に建つ境八王子線86号。

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堀之内の里山と86号鉄塔

 「堀之内」の回に載せたものの方が、全体に里山感が出ていたし光の具合も良かったので、敢え無くボツ。でも86号のみに関して言えば、ほぼ横姿であった彼方より此方の方がやや正面に近い。でも、駐車場が―ちょっとネンザン。

 小山田緑地大久保分園(町田市)の、南多摩線22号。

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南多摩線22号

 紅葉は良いのだが、肝心の鉄塔が横姿だし枝が被ってるしで、敢え無くボツ。

 下小山田町(町田市)の谷戸田から望む南多摩線24号。

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南多摩線24号

 雰囲気は出ていると思うけれど、一寸似た絵を使ったし何となくインパクトにも欠けたので、敢え無くボツ。

 南多摩線25号と26号。こちらも谷戸田のイキフンは出ているし、26号も見えているし、架空線の向こうを海上自衛隊のP-3Cも横切っているし、良いのだけれど、何か似た様な絵ばかりになってしまうので、惜しくもボツ。

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南多摩線25-26号

 でも、捨てがたいので、此方で採用。

 鳩峯(はとがみね)公園(所沢市)の只見幹線499号。悪くは無いと思うのだけれど、ほぼ同じ様なアングルの引き絵を彼方で採用したので、惜しくもボツ。

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只見幹線499号

 それにしても、新カメラは青がやたらに強調される。旧カメラも青は矢張り強めに出たが、こちらの方が全体的に色が濃いので目立つ。この画像は敢えてそのままにしたが、他は皆、編集ソフトで少し青を抑え気味にして、実際の色に近づけている。

 鳩峯公園横、南部浄水場から僅かに樹林上に頂部が覗く、オカサカ98号。

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岡部境線98号

 あまりに一寸しか見えていないので、敢え無くボツ。でも樹々の紅葉は見事なので、此方で採用。

 499号と98号の、お馴染みツー・ショット。

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499号と98号

 多摩湖霊園からだが、同じアングルで引き絵を採用したので、惜しくもボツ。

 八国山緑地(東村山市)の東大和線27号。

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東大和線27号

 手前にカラスウリもたくさん実って、良いのだけれど、採用した引き絵とアングルが全く同じなので、惜しくもボツ。

 以上。
 供養になったであろうか。

2020年如月16日
(取材は12月中旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は八王子市・町田市・所沢市・東村山市です

*青が・・・:デジカメのオート撮影ではやはり青空が綺麗に写る様に設定されているのであろうか

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

Fe塔 鳩峯八幡 3

鳩峯八幡 3

 オカサカ99号及びトトロの森2号地から、鳩峯(はとがみね)公園内に建つ只見幹線499号へ向かえば、

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只見幹線499号

色付く雑木林の向こうに透け見える、巨大な躯体。

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499号(標高99.6m)

 下より見上げれば、やはり大型鉄塔は迫力が違う。チャイチイ鉄塔も可愛くて好きだが、事迫力に関しては、デカい鉄塔だ。
 以前に紹介したように、この鉄塔は結界どフリー。なので直下から見上げるが、前回と同じ絵では詰まらないであろうから、此度は少し変えてみた。

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499号

 一寸、斜めのアングルで。

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499号

 アートショットにも挑戦。紅葉の枝と、コラボ。

 499号はこの様に結界見上げは出来るが、樹林中に建つゆえ大分離れないと引きの絵で見ることができない。でも、何とか頑張ってトライしてみた

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499号

 これが精いっぱい。これ以上離れるとまた樹々に隠れてしまう。

 次に、オカサカ98号。499号からは、ほんの少し北西寄り。

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岡部境線98号(標高97.1m)

 ここも499号と全く同様、樹林中なので引き絵が難しい。よって、どうしても同じようなアングルばかりになってしまう。

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98号

 ので、こちらも趣向を変えてアートショット。

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98号

 鉄塔裏手(トイレと一寸した駐車スペースがある)に回ると、以外にも木立の隙間から辛うじてであるが全身を捉えることが出来た。

 鳩峯を下る前に、南部浄水場(標高99.1m)から望む499号。

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南部浄水場から

 この浄水場は、昭和42年(1967)着工、昭和44年5月運転開始と言うから、まさにこの周辺を含む東京近郊や東京郊外地域の宅地開発が進み人口増著しい時代に建てられたものだ。鳩峯八幡神社のある久米と、荒幡富士のある荒幡地区に給水しているという。

 浄水場下、光蔵寺多摩湖霊園から、少しお邪魔させて頂いて望む二基。

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霊園から499号と98号

 最後に、鳩峯公園南の、八国山緑地西端に建つ東大和線27号。

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東大和線27号

 この下も、オカサカ99号同様萌芽更新の為雑木林は伐採されている。

 八国山緑地も、真冬前の最後の賑わいだ。

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八国山緑地

 もう、鉄塔と黄・紅葉とのコラボは終了であろう。

 撤収。

2020年如月15日
(取材は12月中旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は所沢市久米・荒幡・松が丘、最寄り駅は西武西武園線西武園駅です

*鳩峯公園:面積86,721平方mの雑木林の公園。鳩峯八幡神社の鎮守の森的存在

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

Fe塔 鳩峯八幡 2

鳩峯八幡 2

 道すがら、折角なので水天宮様にも、お邪魔をする。ここは別個に参道(南から)もあり、独立した神社の様にも見えるが、あくまでも鳩峯八幡神社の摂社である。

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久米水天宮社殿(標高90.1m)
安産の神様

 こちらの祭神は、壇ノ浦で幼くして落命した81代天皇、安徳天皇(1178-1185)。
 此処で私が何より気になったのは、鳥居を潜った右手にある小屋。ベンチが置かれ、待合所の様にも見えるが、内部には種々の奉納された大型の「絵馬」が幾つか掛けられている。良くは分からないが、見た所戦勝祈念や誕生記念と言う内容の様に見える。―そうか、これは「絵馬堂」か。

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絵馬堂

 一番目立つ絵馬はこちら。甲冑姿の二人の武将が、一人は跪き一人は立ち姿。共に天から姿を現す龍を見上げている。

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絵馬

立ち姿の武将の胴には「丸に一つ引き」の紋があるが、これは新田氏の「新田一つ引」に似ている。

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義貞公ですか?

もしかしたら、新田義貞公なのかもしれない。此処は久米川の古戦場の一角、前述のように、お隣には「兜掛松」もあるしすぐ南の八国山には「将軍塚」がある。義貞公所縁のものには事欠かない地だ、可能性はありそうだ。
 絵馬の左隅に文字があるが、「町田萬吉」と言うお名前しか分からない。書いた方か、或いは奉納した方か、不明だ。

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何神楽?

 またこの様な額も掛けられている。ここには「〇神楽」とあるが、〇部分の字が「奉」と「載」と「武」とを混ぜ合わせたような字で、見たことが無い。「枡屋組合連名」で多くの方のお名前があり、昭和2年5月5日に奉納されたようだ。日付からすると、「武神楽」の様にも思えるが、そんなお神楽があるのであろうか。

 鉄塔紹介記事なのに、前回から名所・旧跡紹介的になってしまい申し訳ないが、ここからいよいよ鉄塔である。

 久米水天宮から、萌芽更新が必要そうな可也深く樹々生い茂る中の小径を西に行けば、「ナショナル・トラスト運動」の地であること示す看板。

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ナショナル・トラスト運動

 ナショナル・トラストは、1895年に英国の「ナショナル・トラスト」によって始められたとされる、寄付を募って自然地や歴史的文化財等を買い取り皆で管理・継承して行こうという活動。ここ狭山丘陵は1990年代から、「さいたま緑のトラスト協会」(公益財団法人)による「2号地」(1994年)や、「トトロのふるさと基金」(公益財団法人)による「1号地」(1991年)などが取得されて来た場所なのである。
 そんな木立ちの中を行けば、やがて左手に踏み分け道が見え、その先にはオカサカ99号が建つ。

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岡部境線99号

 前回訪問時は、寄りの絵ばかりだったので少し引き気味に見る。「角なし」がお分かり頂けるであろう。足元は可也の急傾斜地なので、ご訪問の際は充分お気を付けください。
 八国公園内の100号に向かう架空線下は、萌芽更新の為伐採され半ば草原の様になっている。

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99号

為に、空も広い。
 ここは、トトロのふるさと基金により取得された「トトロの森2号地」(1996年)内であり、萌芽更新も森の管理の一環として行われているものだ(雑木林は人工的な農用林なので管理が必要)。

 99号裏手には、以前紹介したように、「トトロの森」を示す看板とベンチがある。

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2号地表示付近

 さあて、結果どフリーの只見幹線499号はすぐそこだ。周囲の樹々の色付き具合は、如何に。

 3につづく

2020年如月14日
(取材は12月中旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は所沢市久米、最寄り駅は西武西武園線西武園駅です

*水天宮:祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇および母の建礼門院(平徳子)、祖母の二位尼(平時子)で水或いは安産の神

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)
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