MYSTIC RHYTHMS

日常雑記、音楽報告、鉄塔そして詩など

ミスティック・リズムス

多摩の古書店主が綴る日常雑記。古本屋な日々...

Heavysphere TURN LOOSE THE SWANS

ターン・ルース・ザ・スワンズ/マイ・ダイイング・ブライド order

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TURN LOOSE THE SWANS/MY DYING BRIDE (1993)

 ヘヴィ・メタルにも種々多様なスタイルがあり、前回のアンスラックスや以前に取り上げたレイヴンの様に可也「おバカ」(ディスりではない)で元気なものから、聴く者の気分を滅入らせてしまう様な可也ダウナー(鎮静剤。気持ちを落ち込ませるような音楽)なものまで幅が広い。熱帯から極北迄、と言った形容も出来そうだが、それに沿えば、この作品など、正に極北、それも極夜(きょくや。一日中薄暮や夜の様な状態が続く現象)の音楽だ。スウェーデンのオーペスが「北欧暗黒神」なら、こちらは「英国暗黒大将軍」である。

 「私の死にゆく花嫁」と、なんとも切なく悲しい名を持つこのマイ・ダイイング・ブライド(以下MDB)は、1990年、イギリスのブラッドフォード(イングランド北部、ウエスト・ヨークシャー州の都市)で結成されたバンド。今回取り上げた「ターン・ルース・ザ・スワンズ」は、MDBの2ndアルバムに当たる。バンドは、ドゥーム・メタルおよびゴシック・メタルと言う、暗い音楽性のものが多いメタル界でも特に暗いと言われるジャンルの代表格で、中でもゴシック・メタルではその先駆者の一つとされている。
 しかし、暗い。バンド名も暗ければジャケットも暗い。曲も暗ければアレンジから何から何まで、暗い。鬱い。あの「Yellow Raven」が、全編に渡り続く様なイメージだ。だが、とめどなく暗で鬱であると同時に、美しい―。
 ゴシック・メタルと言うスタイルは、昔紹介したパラダイス・ロストもそうであるが、非常に耽美的である。それが、このジャンルの大きな特色だ。このMDBもそうであるけれど、しかし前作の1stは、ヴォーカルはほぼディストーション・ヴォイスで唸り可也デス・メタル或いはメロ・デス的な要素の強いもので、彼らならではの個性も薄い。しかし、本作だ。ヴォーカルはノーマルなクリア・ヴォイスとイヴルなディストーション・ヴォイスを絶妙に織り交ぜ、歌っている。それも、悲しく。
 まず、アルバムをスタートさせて耳に流れ込んでくるのは、厳かな鐘の響きの如きピアノ。そして囁くようなヴァイオリンが重なり、次いで呟くような低音ヴォイスが更に重なる―。ピアノのアルペジオに乗せた歌も織り交ぜながら、ギターもベースもドラムも無いまま、これが延々7分ほども続くのだ。その後も、普通のメタルではほぼ聴かないようなスローな曲が5曲(時々速いのでダレることはない)。そして最後には、また冒頭とほぼ同スタイルに女性ヴォーカルを加えた厳かな曲で、荒涼とした悲しき葬列の様な音楽が静かに幕を閉じる―。
 ああ、こちらの人生の幕まで、下りてしまいそうだ。

 本作当時、ヴォーカルのアーロン・ステインソープは25歳、バンド創設者のアンドリュー・クレイガン(g)はまだ23歳。この暗さは、一体この若者達の何処から湧き上がって来たものかと、訝しくも思うが、我が23-25歳頃を思い起こせば、納得はいく。私も、可也暗かった。日々落ち込み、暗き精神の深淵にもがき、やり場のない不安や怒りを拙い詩にこめて吐き出していた。しかし、そうした状態に身を置き、苦悩するには可也のエナジーが必要で、歳と共にそのエナジーが不足し、悩めなくなってくる。三十代終わりくらいからであろうか、何かとても、生きるのが楽になって来た。これは有難いことではあるのだが、あるのだが・・・、同時に何か大きなものを失った寂しさの様なものも、感じないではない。
 苦悩の中においては、安穏を希求し、安穏の中では苦悩を懐かしむ。ヒトとは、誠に贅沢な存在である。

 2020 7/14

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭
重度:♭♭♭♭♭ 硬度:♭♭♭ 暗度:♭♭♭♭♭ 技巧度:♭♭♭ 旋律度:♭♭♭♭ ポップ度:♭
〔この当時は、上記二人の他カルヴィン・ロバートショウ(g)、エイドリアン・ジャクソン(b)、リック・マイアー(ds)そしてマーティン・パウエル(vn,key)の六人組(ゲストにジーナ(vo))。全般、マーティンのヴァイオリンが寂寥感を醸し良い味わいである。バンドは今も現役〕

*ゴシック・メタル:アーティストにより特色は様々だが、全般的には暗黒性、耽美性などがそのカラーとされる。ヘヴィ・メタルとゴシック・ロックの融合とも言われる。初期ブラック・サバス的要素が強くドゥーム・メタルと近しい間柄だが「耽美」である。女性ヴォーカルが多いのも特徴だ
*ゴシック・ロック:1970年代に生まれたスタイル。テーマの暗さや虚無性、黒基調のファッション等が特色。ゴメンナサイ、よく分からない
*耽美的:美に最高の価値を見、美にひたる傾向のこと
*Yellow Raven:スコーピオンズの傑作「ヴァージン・キラー」アルバムの最後を飾る名曲。北ヨーロッパの凍てつく冬を思わせる只管暗く悲し気な曲である

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

Fe塔 竹やぶ

竹やぶ

 梅雨前線が南に下がり気味で、北から寒気が入り易く、涼しいを通り越して寒いと言えるくらいの日が多い今季の梅雨。でも、今日は、暑い。陽射しは少ないが、湿度も可也高い。

 そんな、熱中症に厳重警戒レヴェルの真夏日に、久方ぶりに自転車で鉄塔を訪ねた。訪ねたとは言っても、鉄塔巡りで出掛けた訳ではなく、他の用事で出掛けたのだが、自転車で走行中鉄塔が視界に入ったら、やはり鉄塔好きの気持ちがうずきだし、思わず取材をしてしまった。まったく予定外の行動なので、カメラは持参しておらず、画像はスマフォによるものである。予め、お断りしておきたい。

 まず訪れたのは、今までにも幾度かご登場頂いている西北線の21号。今回は、少しアングルが異なり、脚元の住宅地から。

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西北線21号(標高75.1m)

 傾斜地に立地する、比較的に最近造られたここ多摩丘陵では見掛けるタイプの住宅地。手前の木立の緑は美しいが、この肌に纏いつくような多湿の中では、少々暑苦しくも見えてしまう。

 この21号下付近からは、22号下へ竹やぶの中の小径で続いている(標高52.8m)。僅か60m程の、短いものだが、趣は、ある。

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んー、モスキートが多い

 この竹やぶ、保全の意味合いで意図して残されたのか、立地的に手が付けられなかったから結果的に残ったのか、定かではないが、どうも、後者っぽい気がする。単なる私の、根拠もないカンだが。数年後訪ねたらば、きれいさっぱり消えている可能性が大、な気がする。

 22号下は、以前は雑木の山であったが、すっかりと宅地化され、真新しい家々が斜面に建ち並んでいる。

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22号(標高69.3m)

 然し、この右手方向、22号の東から北にかけては「天神山東緑地」となっており、深く木々繁る一帯。

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天神山東緑地登り口付近(標高43.2m)

以前訪ねた頃は、22号下周辺は凡そこの様な姿であったが―、世の変化の速き事に、驚くばかりだ。
 緑地だが、狭い「山崎通り」の際から、ここへと入る石段が直に続いており、自転車を止めて置くスペースが全くないので、まだ先まで続く道を上まで登るのは断念した。私有地であるこの緑地の所有者のお家の、古い代々墓が道脇にあったのは確認できたが、その先は、ちょっと気になる。機会があったら、上まで行ってみよう。
 ただ、稲城市HPによると、緑地指定期間は10年と言う。2016年に指定されたものであるから、21-22号下の竹やぶ同様、あと数年で消えてしまうことも、可能性としてはある。のんびり構えて、久しぶりに訪ねたら緑地がすっかり消えていたとは、多摩地域のカナシキあるあるだ。

 航空写真を見て見よう(何れも国土地理院撮影)。

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1961年(昭和36年)8月31日
西北線鉄塔はまだない

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1979年(昭和54年)11月14日
開発が急速に広がる

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2009年(平成21年)4月27日
もう現在に近い
西北線21-23号周辺航空写真

 「A」第三小学校と「B」第一中学校は、建替えはあるが1961年から変わらない。また「山崎通り」、「用水路」および右上隅にチラリと見える川崎街道も、幅やカーヴに多少の違いがあるが何れも基本的には変わるところがない。しかし、ここも例にもれず、緑地や農地については激しい変化を示している。2009年にはまだ見えないが、現在は「21(号)」と「22(号)」の間は、竹やぶ部分を除き上の22号画像に見えるように、すっかり住宅地である。こういった変化は、これからもまだ続いてゆくのであろう。
 ただ、「C」の天神山東緑地付近のみ、1961年から現在まで特に変化が見えない。土地所有者の方にはそれぞれ御事情もあろうから、他人がとやかくと言える事柄ではないが、これからも、変化なきよう、願うものである。

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23号(標高38.8m)
その向こうに24号と稲城変電所

 緩く曲がりながら、緩く下る山崎通りを行けば、多摩川低地「山崎公園」横に23号が見えて来る。以前訪ねたのは2年の前の夏であった。あの「激暑」の夏だ。あの年は、例年より三週間ほども早い6月の末に梅雨が明け、其の後ずっと連日の如き猛暑日。でも、そんな激なる暑さに可也痛め付けられながらも、何所かその暑さを楽しんでいたのを思い出す。
 しかしもう、あんな暑さ味わいたくないな。ちょっと、シンドイよ。

 追記:
 後日、今回取材した鉄塔の東に位置する、稲城大橋で多摩川を渡る際に21と22号が良く見えたので、ご参考までに写真を載せてみる。

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西北線20-22号

 「西北線三姉妹」。左が超長身の20号、右が21号そして中央が22号だ。22号下にあるこんもりとした緑地が、天神山東緑地である。緑地下には、第三小学校も見える。
 三姉妹の向こうに三角の山が見えるが、これは富士山の左手によく目立つ多摩ではお馴染みの山で、神奈川県の大山(おおやま)(標高1,252m)。別名を「雨降山(あふりやま)」といい、古くから山岳信仰の対象とされ、江戸時代の宝暦年間(1751-1764)頃からは「大山講」が大流行。さらに南東にある江ノ島とセットにされ、大山詣(まいり)がレクリエーションとして江戸庶民に愛された。ので、多摩地域を自転車で走っているとあちらこちらで大山詣に使われた「大山道(おおやまみち)」に出会う。

2020年文月7日
(取材は6月下旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これ等鉄塔の建つ場所は稲城市向陽台(21号)・大丸(22・23号)、最寄り駅はJR南武線稲城長沼駅です

*天神山東緑地:稲城市HPには、所有者の協力により7,306.79平方mを自然環境保全市域に指定したとある
*大山:山頂に雨乞いの神様「阿夫利神社」があり信仰された。修験道場としても有名
*大山講:大山への参詣や寄進をする人々が作った団体。一人で遠くへ出かけるの大変なので近所の人々などでお金を出し合ったりしたのである

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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・単独でのサイクリングと言う野外活動は、フィジカル・ディスタンシングを守る前提のもと、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)感染リスク(感染しない・感染させない)の極めて低い行動と考え行いました。出先で長居はせず、食事は人気のない場所で一人で行い、家を出てから戻るまで店舗等への立ち寄りは最低限にとどめています
・鉄塔ご訪問の際は引き続き新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染拡大防止にご配慮をお願い致します

Fe塔 永遠の出発点 IV

永遠の出発点 IV

 10号から、700年の昔、新田義貞軍が南下した(かもしれない)旧鎌倉街道を挟み、「恋ヶ窪閻魔堂霊園」越しの、11号。

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国分寺南線11号(標高77.2m)

 霊園はこの少し南にある東福寺の墓地で、前回出て来た「東福寺霊園」と同一のもの。なぜか、東側と西側の出入り口で名が異なっている。
 「閻魔堂」の名の通り、嘗てここには1725年(享保10年)以来閻魔堂が建っていたそうだが、WW2中の1945年(昭和20年)空爆により焼失したという。

 ご覧の如く11号は段違い型だが、こうした鉄塔は通常、直角に近い角度でのカーヴや分岐がある際などに採用される形態だ。しかし現在は、その段違いであることがほぼ無意味となっている11号。おそらく、以前は北か南(左か右)のどちらかへ急角度のカーヴがあったはずである。

 この段違い11号(住宅密集地なので接近はカッツアイ)から西武多摩湖線を越えて建つ最終12号。

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12号と電車

 丁度通りかかった黄色い電車は、2000系であると思う。本来この路線は新101系と言うのが走っているらしいが、不定期でこの2000系も運用されることがあるらしい。

 小さな「国1」踏切で、多摩湖線を渡れば、鉄塔北側の「東恋ヶ窪でんしゃ公園」(標高76.8m)の向こうに11-12号を見渡せる。

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でんしゃ公園向こうに11号と12号
手前は熊野神社通り

 以前は造成中であったが、今は東側にマンションが建ち鉄塔横は斯様に公園となり、接近も可能となった。

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12号(標高76.6m)

 公園フェンス向こうの脚元に、大き目の物置ぐらいの大きさの建屋があり「東恋ヶ窪分岐所」と記されている。

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東恋ヶ窪分岐所

 プレートを見れば、「ルネサス武蔵」へと分岐されている様だが、これは半導体メーカー「ルネサス エレクトロニクス武蔵事業所」を指すものであろうか。でも、その事業所はここから北東に1.2Km程も離れているが―。12号の東側には「日立製作所中央研究所」(1942年創設)が隣接している。この三枚のプレートの内、下二枚のプレートが示すのは、この研究所への分岐ではなかろうかと思う。
 どうも、これだけではよく分からないが、この路線は「中央研究所」に給電するために敷設されたと考えるのが自然である。だが、詳細は不明だ。尚、「ルネサス」は日立製作所を母体の一つに持つ企業である。

 ここで、古航空写真を三枚見て見よう。三つ共通で「K」は熊野神社、「S」は西武多摩湖線、「H」は日立中央研究所そして「F」は国1踏切だ。

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国分寺南線・日立研究所航空写真
1961年(昭和36年)9月5日国土地理院撮影

 1961年では現在の11号と同じ場所に一基見え、その北側、踏切近くの現在は鉄塔など無い場所に更に一基見える。「?」とした。現在の12号位置には何も見えない。

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国分寺南線・日立研究所航空写真
1974年(昭和49年)12月26日国土地理院撮影

 1974年では現11号は何故か確認できないが、上画像にあったその踏切近くには明らかに一基「?」が長い影を落としている。こちらも、現在の12号位置には何も見えない。

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国分寺南線・日立研究所航空写真
1992年(平成4年)10月22日国土地理院撮影

 1992年のここでは今と同じ場所に11号があり、同様に12号も今と同じ場所にある。踏切近くの「?」鉄塔は見当たらない。
 ―これらは何を意味する?普通に考えると、現11号から今は無い北側鉄塔「?」へと直角に曲がり、そこから線路向こうの研究所へと繋がっていたのが、北側鉄塔が無くなり、新たに建てられた現12号へと現11号から繋がった、とそう考えたくなる。11号が直角分岐型なのも説明できる。でも、1974年写真で現11号が確認できないのが気になる。現11号の北に嘗てもう一基あったあったことと、現12号は昔は無かったことは確かだが―。詳細は、分からない。

 最後に、でんしゃ公園北、熊野神社通り拡幅予定地の原っぱの向こうの、国分寺南線鉄塔列を。

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3号から9号まで

 手前に大きく9号、その向こうに8、7、6、5号そして4号が重なり、左端に3号が見える。9号と3号の間に見える大きな鉄塔は、国分寺線23号。

 私にとっての「永遠の出発点」であるところの、国分寺南線だが、ちょっと余りに無沙汰がすぎた。

2020年文月6日
(取材は5月末−6月初め)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・航空写真画像出典:国土地理院ウェブサイト

・これ等鉄塔の建つ場所は国分寺市日吉町・西恋ヶ窪・東恋ヶ窪、最寄り駅はJR武蔵野線西国分寺駅です

*新田義貞:1333年(元弘3年)、鎌倉討幕のため(元弘の乱)新田軍は鎌倉街道上道(かみつみち)を南下したとされる。この北方に久米川の、南方に分倍河原の古戦場がある
*ルネサス エレクトロニクス:三菱電機と日立製作所から分社したルネサステクノロジとNECから分社したNECエレクトロニクスの統合により2010年設立

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

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・単独でのサイクリングと言う野外活動は、フィジカル・ディスタンシングを守る前提のもと、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)感染リスク(感染しない・感染させない)の極めて低い行動と考え行いました。出先で長居はせず、食事は人気のない場所で一人で行い、家を出てから戻るまで店舗等への立ち寄りは最低限にとどめています
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Fe塔 永遠の出発点 III

永遠の出発点 III

 JR武蔵野線の高架横から、国分寺南線9号。昔の面影を伝える、日本瓦の屋根が趣(おもむき)ある農家さん越しに。

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国分寺南線9号(標高77.0m)

 8号以上に周囲を家々にびっしりと囲まれ、接近は物理的に不可能な鉄塔だ。生活道路に少し深く入れば近くから望むのは可能だが、今の時期は遠慮すべきだろう。

 ここで、国分寺南線は、JR武蔵野線と府中街道(都道17号)を越え10号へ向かう。

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9号と府中街道

 右奥に中央線のガードと、その下に熊野神社通り。手前下が街道。
 正反対のエックス山横から見る10号と、その向こうの11号。手前を中央線の電車が通る。

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中央線と10号、11号

 9号はこの画像の右手に建つ。

 10号は武州交通さんの敷地向こうの、更にその奥にあり、送電線を引き下げている。

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10号(標高74.7m)

 脚元は、建築資材的なものやフォークリフトのパレットなどが山積みされている。
 路線が沿って来た熊野神社通りは、この10号手前で一旦途切れ、付近は道路拡幅予定地となっているので民家は無く、ゆっくりプレートを確保できる。
 そのプレートによれば、引き下げられるのは「恋ヶ窪線」で、

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恋ヶ窪線

この北200m強にある、「恋ヶ窪変電所」(鉄塔なし)に、地下で繋がっている様だ

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恋ヶ窪変電所(標高77.8m)

 この変電所と10号の間には、「恋ヶ窪村分水」跡に沿って作られた「恋ヶ窪用水路周辺緑地」(標高74.7m)があり、短いが雰囲気の良い遊歩道があるので、訪ねてみては如何であろう。

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恋ヶ窪用水周辺緑地
右手が水路跡

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恋ヶ窪村分水

 下画像左奥が水路跡で、只今清掃作業が行われている。
 この分水は、1657年(明暦3年)に玉川上水から分水された国分寺分水が途中で三本に分かれたうちの一つ。1965年(昭和40年)頃までは、水田用水として使われていたそうだ。殆んど暗渠となって姿を消した分水だが、この部分は明暦当時の姿が今も残るという。水は無いが、残された水路は幅6-9m、深さは約5mもあり樹陰の下でほの暗く、ちょっとコワいくらいの迫力がある。

 ここで、「恋ヶ窪(こいがくぼ)」と言う地名だが、少々めずらしいものなので、気になった方も居られると思う。地名の由来は諸説あるが、一般に有名なのは、鎌倉時代の武士、畠山重忠(1164-1205)と傾城(けいせい。遊女)夙妻太夫(あさづまだゆう)とのこの地を舞台にした「恋」物語に由来すると言う説である。源頼朝と共に平氏討伐に赴いた重忠の留守中、横恋慕する男の「重忠は討ち死にした」との虚言を信じ、重忠を慕って太夫が池に身を投げた―、との悲恋物語。これが、地名の元とされるが、真相は不明。個人的には「恋」は当て字っぽい気がするが―。

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姿見の池(標高67.3m)

 10号東側を通る旧鎌倉街道上道(かみつみち)を、南に400mほど行った場所にある「姿見の池」がその伝説所縁の場所である。鎌倉街道の宿場であった恋ヶ窪の遊女らが、その姿を映し見たとの謂われある池。カキツバタ咲くその奥が池である。高度成長期の昭和40年代、ご多聞にもれず恋ヶ窪村用水同様、埋め立てられ姿を消してしまったが、20年ほど前に復活した。周辺は「国分寺姿見の池緑地保全地域」として整備されているので、休憩には好地。なお、池の東側は古代の官道(今の国道みたいなもの)「東山道(とうさんどう)」の支道である「武蔵路(むさしみち)」が通っていたと推定されている。

 「恋ヶ窪」の名だが、これはすでに室町時代後期のエッセイ「廻国雑記(かいこくざっき)」中の和歌に見られ、旧鎌倉街道を挟んだ10号向いの熊野神社境内に、著者道興准后(どうこうじゅんごう)(1430-1527)の詠んだその歌の碑(1874年(明治7年)建立。有栖川宮幟仁親王筆)がある。

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熊野神社(標76.5m)

 「朽ち果てぬ 名のみ残れる 恋ヶ窪 今は訪ふも 知記(ちぎ)りならずや」

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歌碑
達筆過ぎて読めず

 1486年(文明18年)5月、鎌倉から入間に向かう途上の著者が詠み奉額したものと言う(解説板より)。

 ちょっと、鉄塔から外れた話が続いてしまった。ので、最後に鉄塔画像を二つ。

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10号

 旧鎌倉街道から、見上げる10号。
 更に、街道を越え「東福寺霊園」越しに。

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10号
脚元向こうはエックス山

 この近辺は、古多摩川が形成した谷地形が発達しており、高低差大きく自転車での移動は結構シンドイ。

 つづく

2020年文月5日
(取材は5月末−6月初め)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これ等鉄塔の建つ場所は国分寺市日吉町・西恋ヶ窪・東恋ヶ窪、最寄り駅はJR武蔵野線西国分寺駅です

*恋ヶ窪(こいがくぼ):行政地名としては東恋ヶ窪と西恋ヶ窪とがある。西武多摩湖線の恋ヶ窪駅は戸倉にある
*畠山重忠:秩父氏の出身で源頼朝に仕え重きをなしたがのち北条氏と対立し討たれた
*熊野神社:創建不明。14世紀に新田義貞と北条軍の戦火で焼失。16世紀にも兵火で焼失。関東大震災およびWW2の空爆で大破。現社殿は1966年の改築。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊
*道興准后、廻国雑記:道興准后(「みちおき」とも)は関白近衛房嗣の子で聖護院門跡。廻国雑記は道興が1468年(文明18年)に京都を出、北陸・関東・東北を旅した際の紀行歌文集
*東山道武蔵路:武蔵野国が771年(宝亀2年)に東海道に所属が移ると官道からは外れたが、その後も平安時代の終わりまで広く利用されていた。のちの鎌倉街道上道はこれと似たルート

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

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・単独でのサイクリングと言う野外活動は、フィジカル・ディスタンシングを守る前提のもと、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)感染リスク(感染しない・感染させない)の極めて低い行動と考え行いました。出先で長居はせず、食事は人気のない場所で一人で行い、家を出てから戻るまで店舗等への立ち寄りは最低限にとどめています
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Fe塔 永遠の出発点 II

永遠の出発点 II

 さて、国分寺南線5号だ。
 これが、私を鉄塔巡りへと導いたプレートと、その鉄塔。

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国分寺南線5号(標高82.1m)

 何の変哲もない鉄塔だが、そのプレートがバイト中の私の目に留まった。そしてこれを見て、送電線に鉄道のような名前があり、各鉄塔に個別番号が振られている事を私ははっきりと知ったのだ。これを知ることによって、他の路線や他の鉄塔への興味が生まれて来たのである。どんな路線名なのだろう、1号は何所にあり最終鉄塔は何号なのだろう、何所から来て何処へ行くのだろう―などと。
 「鉄塔 武蔵野線」著者、銀林みのるさんは、「中富線106」の番号プレートを見て、送電線に名称があり鉄塔に番号があることを知り、宝探しの様な気持ちで「1」方向へ鉄塔を追ったと書かれているが(参照)、言ってみればこの「国分寺南線5」プレートは、私にとっての「中富線106」である。
(註:この「中富線106」は改修・編成替え以前のもので現在の106号とは全く異なる)

 そしてその、奇妙な形態(当時そう思えた)で、鉄塔に興味を覚え始めた私の心を捉えた最初の鉄塔が、次なる6号である。

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6号(昭和63年3月 38m)
日吉町ミニ公園(標高81.2m)内に建つ

 これだけ一基、他と形態が異なる不可思議なる6号。フォルムの違いは、素人目にも顕著。

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6号
左下に5号

 手前の青いネットは、小平線記事で触れたと同様のブルーベリー畑。こうした畑が、この多摩地域ではとても多く見られる。東京が、国内ブルーベリー生産量第2位を争っていることが頷ける。

 しかしだ、見る度思うが、なぜにこの6号のみ、通常の四角錐型ではなく矩形なのであろう。周囲はごく普通の住宅と農地の混在環境。ここだけ矩形とする意味が不明だ。架空線を北側(画像で右)へ少しずらせている様に見えるが、そのずらす意味が不明だ。

 古航空写真を見よう。
 1974年写真で見ると、はっきりとは言えないが、先代鉄塔は通常四角錐型にも見える。

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国分寺南線6号航空写真
1974年(昭和49年)12月26日国土地理院撮影

 下は、最近の6号周辺写真だ。

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国分寺南線6号航空写真
2008年(平成20年)5月6日国土地理院撮影

 何方も写真の中心、市立第五小学校プールの南側に6号がある。周囲に住宅は増えてはいるが、34年後も左程の環境変化はない。1988年(昭和63年)の建替えで(一回り大きくなり)四角錐から矩形に変わった様にも見えるが、だとして理由は何か?―分からない。

 因みに、6号の横姿はこんな感じ。

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6号(2016年撮影)

 一見普通だが、四角錐型に比し、ちょっと、ぽっちゃり。

 この6号と、また四角錐に戻る次なる7号との間を、以前取材した当時とは異なり、今は四車線の広い都道17号線(新府中街道)が通る。

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7号と17号線

 あの時はまだ、工事中であった。長閑な住宅地だったが、風景が一変してしまった。
 しかし、17号線と6号との間には、まだ農地が広がり、以前の面影は完全には消えていない。

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6号と農地

 しかしこの風景も、何時までも残るものではあるまいな。

 さて7号だが、生活道路脇とは言え住宅の只中(アパート敷地内)なので、接近はカッツアイ。

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7号(標高80.3m)

 少し離れて、東側の「西恋ヶ窪こずえ公園」(標高79.0m)からも望む。

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7号
奥に6号

 手前の農地には、無人販売所もあり、私はキュウリを頂いた(三本百円)。

 公園から反対を向けば、7号同様V字懸垂型の8号が間近。

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8号(標高78.5m)

 しかし完全に家々に囲まれ(個人宅敷地内か)接近は困難なので、道路を挟み北に広がる雑木林「西恋ヶ窪緑地」、通称「エックス山」から望む。萌芽更新で開けた林から、遠望することが出来る。ランチや休憩には、良い場所だ。

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エックス山から8号

 余談だが、あの昭和の大事件、「三億円事件」では、奪われたジュラルミンケースに付着した土の成分が、国分寺市恋ヶ窪の雑木林の土と酷似しており、容疑者のアジトがあったのではと、付近は徹底的な捜索の対象となった。このエックス山は、まさにその「恋ヶ窪の雑木林」の一つである。結局捜索の成果は無かったようだが、もしかしたらこの林と容疑者に接点があったのかもしれない、等と妄想するのも一興かも。

 「エックス山」と言う変わった名についてだが、林中を通る小道が「X(エックス)」字状に交差していたから、だとか。

 この8号辺りからは、路線はほぼ「熊野神社通り」に沿う形となる。

 つづく

2020年文月4日
(取材は5月末−6月初め)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・航空写真画像出典:国土地理院ウェブサイト

・これ等鉄塔の建つ場所は国分寺市日吉町・西恋ヶ窪・東恋ヶ窪、最寄り駅はJR武蔵野線西国分寺駅です

*三億円事件:1968年(昭和43年)東京都府中市の府中刑務所北側道路で発生した現金窃盗事件。東芝府中工場のボーナスが偽白バイ隊員に奪われた。奪われた金額は当時の最高額で日本中が大騒ぎとなった。1975年時効成立。容疑者が逃走に使った自動車の中に残された現金を入れていたジュラルミンケースに土が付着していた

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

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・単独でのサイクリングと言う野外活動は、フィジカル・ディスタンシングを守る前提のもと、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)感染リスク(感染しない・感染させない)の極めて低い行動と考え行いました。出先で長居はせず、食事は人気のない場所で一人で行い、家を出てから戻るまで店舗等への立ち寄りは最低限にとどめています
・鉄塔ご訪問の際は引き続き新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染拡大防止にご配慮をお願い致します

Fe塔 永遠の出発点 I

永遠の出発点 I

 私が鉄塔に興味を持つ切っ掛けとなった路線であるのに、随分と久しく取材していなかった。
 国分寺南線、である。PC内の写真フォルダを見たら、最後の取材は2016年であった。

 今回のタイトル「永遠の出発点」は、鉄塔者を自認するお方であれば、お分かり頂けるであろう。唯一無二の鉄塔小説「鉄塔 武蔵野線」中に登場する、武蔵野線75-1号(現10号)を指すものである。この鉄塔が、少年たちをある夏の日の冒険へと誘(いざな)ったのだが、私を鉄塔巡りと言う趣味に誘ったのが、何を隠そうこの国分寺南線なのだ。
 この路線中の、5号鉄塔に掲げられた「国分寺南線 No.5」のプレートが、バイト(ポスティング)中の私の目に留まり、おじさんの心の中に、なぜか鉄塔への興味が俄然湧き始めたのである。
 と言いながら、短い路線であるにも関わらず今まで全基追跡もしなければ、4年もほったらかしだ。お恥ずかしい限りである。今回、遅まきながら、全基コンプリートした次第だ。
 ただし、COVID-19パンデミックと言う現状況下である。全てが住宅地に建つこの路線、鉄塔下に長居は出来ず、プレートの確保はなかなか難しく、なお且つ引き絵が大半となることを、予めお断りさせて頂きたいと思う。
 僅か12基のみ、可也短い路線である。1号から12号まで、順番通りに紹介して行こう。

 これが当路線の始まり。国分寺24号(標高85.6m)と、そこから分岐した南線の1号(標高85.4m)。

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24号と1号

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1号
左は24号の脚

 お馴染み三路線併架の国分寺線最下段、高木線から分岐している。

 ここから東の方(かた)を望めば、畑奥に2号(標高84.2m)と、そしてその向こうに小さく3号。

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2号と3号
間に見えるは只見幹線526号

 近づいてはみたものの、3号は完全に家々の中で、接近はとても困難。

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3号(標高84.0m)
内藤橋街道から

 航空写真で見ると、個人のお宅の敷地内にある様だ。ただ北側にあるプレートは、たまたま私の背中側が空き家さんだったので、確保可能であった。

 4号は此方も家々の中で、なお且つ練習場「国分寺セントラルゴルフ」のネットぎりぎりに建つ。

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4号(標高83.4m)

 3号以上に、接近は困難な鉄塔である。

 この4号から次の5号へと向かう架空線のその遥か上を、只見幹線が越えている。

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只見幹線526号(標高83.2m)
向こうは525号

 鉄塔は526号だ。架空線下あるあるで、下には建物は無く駐車場やテニスコートとなってる。

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架空線下テニスコート(標高82.8m)
向こうは527号528号

 このテニスコート、「電源開発(J-POWER)」のテニスコートだ。

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電源開発「国分寺テニスコート」

詰まり、只見幹線鉄塔を建てこの路線を敷設したその管理企業のものだ。

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526号
送電線を越すのでイエロー・ハット

 少し東に移り、市民農園越しに526号。このすぐ横に、「永遠の出発点」国分寺南線5号がある。

 つづく

2020年文月3日
(取材は5月末−6月初め)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これ等鉄塔の建つ場所は国分寺市日吉町、最寄り駅はJR武蔵野線西国分寺駅・国立駅です

*電源開発:愛称「J-Power」。1952年(昭和27年)政府出資で設立された発送電企業。60か所以上の水力・火力発電所を持つ。只見幹線は当社管理の田子倉発電所(福島県会津郡只見町)に発する

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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Heavysphere AMONG THE LIVING

アマング・ザ・リヴィング/アンスラックス order

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AMONG THE LIVING/ANTHRAX (1987)

 「アンスラックス=炭疽」である。炭疽(たんそ)は、炭疽菌により引き起こされる人畜共通の感染症。バンド名に冠したのは、単純に「メタルっぽい」かららしいが、この名が一時問題となった事があった。
 それは、ご記憶の方も多いと思うが、2001年のアメリカ同時多発テロ後に続発した「アメリカ炭疽菌事件」の際である。2001年9・10月に炭疽菌入り容器の入った封筒がテレビ局、新聞社、議員事務所などに送りつけられ、5人が死亡し17人が被害を受けたバイオテロが起き、アメリカ中がパニックになった際だ。バンドは無関係ながら当然注目を浴び、メンバーは、「子犬いっぱいのバスケット(Basket Full of Puppies)」に名前変えようか、などと冗談で答えていたが、実際は可也のショックを受けていたらしく、本気で改名を考えたそうだ。だが、音楽仲間やファンから励まされ、思いとどまったという。

 行き成り脇の話から入ってしまったが、今回ご紹介するはそんなアンスラックスの3rdアルバム。彼らアンスラックスは、メタリカメガデスそしてスレイヤーと共にスラッシュ「BIG 4」とされ多大な人気と影響力を持つバンド。他の三バンドが西海岸出身であるのに対し彼らは東海岸出身(ニューヨーク)で、その所為か否かは分からぬが、何所かあっさりとした無機的なにほいがする。また彼らの大きな特徴だが、一般にメタル・バンドはバンド・ショットなどで、メンバーが腕組みしコワイ顔でカメラを睨みつけている様なイメージがあるが、アンスラックスは結構笑っている印象がある。作風も、どこかカラッと明るく、AC/DCに通ずるような「おバカ」感が濃い(ディスりではない)。良い意味で深刻さが無く、おふざけなイキフンが漂い、一種独特な「かろみ」がある。大きな魅力だ。
 スラッシュ・メタルは、ヘヴィ・メタルとハードコア・パンクの融合とされるが、アンスラックスは可也そのハードコア的な要素が強く、これもまた彼らの大きな特徴。アンスラックスで楽曲制作の中心となるドラムのチャーリー・ベナンテと、リズム・ギターのスコット・イアンは、本作制作前に「ストーム・トゥルーパーズ・オブ・デス(S.O.D)」という、可也ハードコアなバンドでアルバムをリリースしていたりもする。本作は、まだ「普通」なメタル要素が濃かった前作よりそのハードコア色が顕著である。音は重くなったが、メロディはやや後退し、パンク的突進感が目立つ。なので、若干聴く人を選ぶところがあるかもしれないが、メタル或いは広くロックの名作の一つと言える完成度の高さを持つ作品。チャーリーも、インタビューの中でこの作品がバンドのキャリアを築いたと、ナンバー1アルバムに挙げている。

 前作から参加しているヴォーカルのジョーイ・ベラドナは、スラッシュ・バンドでは珍しく可也正統派に近い歌いあげるタイプで、これも他のスラッシュ・バンドとは大きな違いとなっている。彼はカナダ系ネイティブ・アメリカンの血を引き、ステージでも有名なウォーボンネット(羽根冠)を付けたりもしている。
 その影響であろう、本作には「INDIANS」と言うそのものずばりのタイトルの曲が収録されている。ヨーロッパからの入植者によるアメリカ先住民に対する侵略や略奪を告発する内容だ(と思う。英語自信なし)。ライヴでは、この曲の後半で「War Dance!」の掛け声に続き上記ウォーボンネット姿でジョーイが登場するのが定番だ。


「INDIANS」1987年のオフィシャルMV
この頃はメタラーも必ずしも黒Tではなかった

パイセン、アイアン・メイデンの「RUN TO THE HILLS」と同様な内容の曲であるが、ジョーイの出自を思えば、こちらの方が重みを感じないでもない。名曲である。他に、ロシア人だって同じ人間、SDIより平和を、と米ソ対立を批判する「ONE WORLD」など、冷戦只中のこの時代らしい曲もある。メタルはパンクと異なり、社会的内容の楽曲は少ないが、この頃は、多かった。世界の核兵器数がピークであったとも言われる1980年代、何時核戦争が起こっても不思議ではないような、そんな空気感が何処か漂っていた時代だ。ゲイリー・ムーアアイアン・メイデンジューダス・プリーストも、メガデスもメタリカも、スパイ衛星や核戦争・核兵器について歌っていた時代である。

 最後に、このアルバムの私的な聴き所を書かせて頂くと、それはドラム。音楽的知識の貧弱な私は何と表現して良いのか分からないが、チャーリーの、メタル的或いはロック的な中には収まり切らない独特のセンスを漂わすプレイ。ジャズ的でもないしフュージョン的でもない。アンスラックス自体、可也広い音楽性を感じさせるが、チャーリーも同様で、彼独特としか言いようのないフィーリングだ。ストロークやリズムの正確さ、アタックの強さまたキレの良さ、フレーズの豊富さや構成の巧みさなど、基礎的部分のレベルの高さは勿論なのだが、それだけだったら他にも素晴らしいドラマーは幾人も存在する。それだけでは説明できない、良いドラマーなのだが―。・・・だめだ、あれこれ考えても言葉が出てこない。単純に、カッコいい、としか言えない。
 ああ、我が語彙力の乏しさが、うらめしい。

 2020 7/1

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭♭♭ 暗度:♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭ ポップ度:♭♭♭
〔当時のメンバーは上記三人の他にフランク・ベロ(b)、ダン・スピッツ(g)の計五人。因みにフランクはチャーリーの甥。アートワークはチャーリーによると「ポルターガイスト2」がモチーフだそうだ。
なお本作は、前年に事故で亡くなったメタリカのベーシスト、クリフ・バートンに捧げられている〕

・参考:チャーリ・ベナンテが選ぶANTHRAXのアルバムベスト10(VICE 2016年11月記事)

*炭疽:「炭のかさぶた」の意。感染力も死亡率も高い。経口感染、創傷感染、吸入感染があるが、ヒトからヒトへの感染はしない。抗生物質で治療可能
*炭疽菌(Bachillus anthracis):バチルス科バチルス属の細菌。1850年に発見された。生物兵器として研究される
*アメリカ炭疽菌事件:微生物研究者ブルース・イビンズの単独犯行とされたが当人は2008年自殺しており結論付けられたのは2010年
*S.O.D:アンスラックスの2ndアルバム制作後遊びでやっていた曲をマネージャーが気に入ってアルバム制作に発展。1stアルバム「SPEAK ENGLISH OR DIE」は三日で作った。これも名作だ
*ウォーボンネット(War bonnets):ヘッドドレスとも。現在では広くインディアンの象徴的アイテムとなっているが元来はスー族、クロウ族、シャイアン族などの平原に暮らす部族のもので、勇気や名誉の証として部族の男性に贈られた
*SDI:戦略防衛構想。1983年に米レーガン大統領が提唱。敵(旧ソヴィエト)の大陸間弾道ミサイルをレーザー・ビームやミサイルで迎撃する。偵察衛星や迎撃衛星なども使われるのでスター・ウォーズ計画と呼ばれた

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Heavysphere TOOTH AND NAIL

トゥース・アンド・ネイル/ドッケン order

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TOOTH AND NAIL/DOKKEN (1984)

 タイトル「TOOTH AND NAIL」は「歯と爪」で、「手段を尽くして、全力で、必死に」的な意味。噛みついてでも、引っ掻いてでも、と言った事であろうか。
 こうしたタイトルに相応しい、見事な内容の作品は、ドッケンにとっては2ndアルバム。一般に、LAメタルの代表格である彼らの、その出世作とされている。

 バンド主宰者は、ヴォーカルのドン・ドッケン。メタル・ヴォーカリストとしてはめずらしく、そのちょい鼻にかかった甘い歌声が彼の大きな魅力だ。ロニー・ジェイムス・ディオロブ・ハルフォードブルース・ディッキンソンウド・ダークシュナイダーの様にヘヴィ・メタルを歌うために生まれて来たような方々とは大分趣(おもむき)を異にする。よって、その一般ロックを歌っても違和感のない声、オジー・オズボーンアクセル・ローズまたボン・スコットの様にアクの塊の様な方々の歌声に馴染んだメタル耳には、逆に違和感さえ覚えそうな中音域中心の柔らかでストレートな歌声は、ハード・ロック/ヘヴィ・メタル・ファン以外の方々にも、きっと受け入れやすいものであると思う。作品もメロディアスで、少し靄(もや)の掛かったようなミステリアスなにほいが漂い、メタルなんて暑苦しくって―と仰る皆様にも十分アピールする作品と思う。

 ドッケンの最大の特徴であると同時に、大きな魅力となっているのは、ドンの甘い歌だが、バンドのもう一つの看板は、ギタリスト、ジョージ・リンチの「剃刀」と形容される、切れ味鋭いフラッシー(Flashy。派手)なプレイだ。テクニックもセンスもトップ・ギター・アイドルの名に恥じない、一聴に値するものである。此の激しいギターとドンの艶っぽいヴォーカルが、不思議とマッチングする。

 本作は2ndアルバムであるから、バンドとしてはまだ「若手」だが、この当時ドンはすでに31歳(1953年生)、ジョージも30歳(1954年生。ユーミンとタメ)。20代前半でのデビューが普通で、10代デビューも左程めずらしくはないロック界においては、もうオジサンの部類だ。
 ドッケン結成は1979年で、1981年に「BREAKIN' THE CHAINS」でフランスからデビューしたが、メジャー・デビューは2年後の1983年、デビュー作を「BREAKING THE CHAINS」に変更し一部リミックスや再録音される形で成った。

 大人なバンドだけあり、作品も演奏も安定感があり、感性の暴走は無くしっとりと落ち着いたメタル・サウンドである。逆に言えば刺々しさが無く、若干の物足りなさもあるにはあるのだが、客観的に見れば非常に良質なメタル・アルバムと言える。ジャケットの「ガメラの手」は少々戴けないが(個人の意見です)、上にある様に一般ロック・ファンの方々にはお勧めし易い作品だ。

 三十路になっての成功と、なかなかの苦労人ドンだが、二枚看板であるところのジョージとは犬猿の仲であったらしい。
 ロック・バンドの中には、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモアとイアン・ギラン、クリームのジンジャー・ベイカーとジャック・ブルースまたオアシスのギャラガー兄弟に代表されるような、メチャ仲悪だが、共に遺したバンドの作品は奇跡の如き逸品、と言う例がめずらしくない。人としてはどうにも馴染めんが、アーティストとしての能力は互いに認め合っていたという事があるのだろうが、間に漲る緊張感が、良き方向に働いた、という事もあるのやもしれない。
 補足しておくが、不仲バンドばかりではなく仲良しバンドでも名バンドは沢山おり名作も遺していると思う。思う、と言うのは、私には仲良しバンドと見えるバンドはあるのだが、バンド・メンバーの仲が良いことを書いた記事にお目にかかることが殆んど無いからだ。メンバー間の不仲は面白ネタとして需要があって良く書かれるのだろうが、メンバーの仲が良いことを記事にしたところで喜ぶ人は余り居らず、書かれることが少ないからであろうと、そう思うのだけれど、如何なのであろう。私には不明である。クイーンとかレッド・ツェッペリンとか、AC/DCとか、仲良さそうに見えるのだが―、本当の所は如何なのだろう。
 知らない方がいいことも、世の中には多いか。

 2020 6/29

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お気に入り度:♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭♭
重度:♭♭ 硬度:♭♭ 暗度:♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭♭ ポップ度:♭♭♭♭
〔ドンとジョージの他は、ジェフ・ピルソン(b)とミック・ブラウン(ds)の計四人組。ここから三作ヒットを連発するもドンとジョージの確執は続き1988年解散。1994年に再結成されるもまたもやモメてジョージ解雇。バンド自体は今も現役〕

*LAメタル:1980年代、米西海岸を中心に活動し人気を博したバンドやムーヴメント或いは音楽性など指すもので日本独自の解釈。モトリー・クルー、ラット、クワイエット・ライオットなどなど。何方かといえばカラッと明るく軽快でハード・ロック的要素の強い親しみやすく聴き易いスタイル。故に、派手なルックスもあってコアなメタル好きには「軟派」視されがち

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Fe塔 小平―、だな II

小平―、だな II

 小平変電所は、その名の通り確かに小平市にある。

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小平変電所(標高76.8m)

 東に面する「市役所西通り」からは、斯様に変電所の全景を見ることが出来る。

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19号

 此方からは、前回は分かり難かった19号の腕金も、その下段の変則具合が分かり易い。

 通りからは、変電所前へと行くことが出来る。

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小平変電所

 変電所フェンス際からネット越しのプレートを見れば、最終19号(標高77.4m)が、僅かに変電所外にあることが分かる。変電所内には建屋の他には引き込み用の鉄構があるのみで、鉄塔は無い。ごく小さな変電所だ。

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19号

 しかし、その変電所内の鉄構は、随分と大きい。・・・ん?若しかしたら。

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鉄構(実は20号)のプレート

 念のため鉄構のプレートをzoomアップして見れば、これが真の最終鉄塔、20号であった。中富線の例もあるので、或いはと思ったが、やはりそうであった。良かった、気付いて。危うくスルーするところだった。

 変電所東側には、通りを挟んで西武多摩湖線が走り、その向こうに周辺では数少ない高層建造物、小平市庁舎(標高76.3m)が見える。

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小平市庁舎と赤電

 電車は所謂「赤電」で、通常は黄色い101系車両を昔の赤×ベージュに復活塗装したものの様である。西武鉄道「NEWS RELEASE」(第17-083号)を見ると2017年12月17日から2018年1月19日までの運用(以降は多摩川線で運行)と記されているが、今は2020年だよな。予定が変わったのであろうか。鉄ヲタの私だが、鉄塔の方なのでよく分からない(いろいろ間違えていたら御免なさい)。何れにしろ、私の様なおじさんには、確かに、西武線=赤色のイメージは強い。懐かしい。

 上の画像にも写り込んでいるが、変電所前には小さな畑があり、ムギが麦秋を迎えようとしている。

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麦秋

 因みに、「小麦色」とはコムギの穀粒の色の事で、こうした穂や茎また葉の色ではない。

 畑横のカーヴミラーに私が写っていたので、

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若作りだな・・・

COVID-19パンデミック下の、ゆるサイ(緩いサイクリング)・スタイルを一枚。
 流石に、もう、マスク装着での行動は暑くって少々しんどいが、致し方ない。
 でも、ランチした玉川上水の涼しき樹陰では、まったく無問題。

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玉川上水にて

 上水沿いの道はウォーキングや散策の方が多いが、皆さんマスク装着。率で言えば99%装着と言った感じである。していないのは、小さな子供くらい。こういった行動が、「ミラクル」とも称される日本の新型コロナウイルス感染者・COVID-19発症者数の少なさ、死亡率の低さに繋がっているのやもしれない。
 でもこの「ミラクル」、奇跡なのか或いは必然なのか私には謎だが、「日本人はスゴイ」的なことになると、アブナイ。そんな慢心、ウイルスは見逃してくれないぞ、きっと。

 とは言え、これからの季節、マスク装着での屋外活動はキケンを伴う。フィジカル・ディスタンシングに問題がない場合など、適宜マスクを外す工夫も必要だな。自転車は走行中常に風を受けているので、走っている間はマスクに関しては無問題だが、降りて歩き回る場合は注意しないと。

 今回は、緊急事態宣言解除(5月25日)後、初のサイクリング&鉄塔巡り。独自制定の「COVID-19パンデミック下でのサイクリングの新条件」に従えば、サイクリングも可能とは考えるが、でもまだ「Stay Home」は原則として存在させねばならぬだろう。
 ステイ・ホーム、フィジカル・ディスタンシング、マスクそして手洗い・・・、これが、これから暫らくの標準(スタンダード)として適応せねば。

2020年水無月9日
(取材は5月末)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これ等鉄塔の建つ場所は小平市小川町、最寄り駅はJR武蔵野線新小平駅、西武多摩湖線青梅街道駅です

*小平市:東京中北部、多摩地域東北部の市。面積20.51万平方m、人口約20万人。17世紀後半玉川上水開通以降開拓が進む。1889年に7か村合併で小平村となり、1944年(昭和19年)に小平町そして1962年(昭和37年)市制施行された
*麦秋(ばくしゅう・むぎあき):初夏であるがムギにとっては収穫期なので「秋」。夏の季語

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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Fe塔 小平―、だな I

小平―、だな I

 送電路線名には、通過市域の市名が冠される場合がある。国分寺線(国分寺市)、東大和線(東大和市)、昭島線(昭島市)など。他に、実際その地名の地域を通ってもいるが終点の変電所名に市名が冠されている為路線名にも市名が付けられたのかもしれない場合もある。八王子線(八王子変電所)、久留米線(久留米変電所)、稲城線(稲城変電所)など。今回ご紹介の小平線は後者の例の一つで、小平変電所で終点となる。しかも、始めの1・23・4号こそ東大和市に建つが、それ以降はずっと小平市内に建っているという、その名に相応しい、正に「小平(こだいら)」な路線だ。

 15号ブリジストン小平線を分岐させてのち、小平線は、16号で南へそして17号で東へと大きく屈曲することは少し前に書いた。今回は、この17号から出発。

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小平線17号(標高78.8m)

 16号から南へ向かい、五日市街道を越えた17号は、ご覧の如く家々に囲まれている。よって今の時期―COVID-19パンデミック下―、接近が必要なプレート撮影はカッツアイとさせて頂いた。然し、幸い周囲には農地があるので、それらを挟んでそう離れずに望むことが出来る。

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南寄りから

 東方向、詰まりは終点方向だが、トウモロコシ畑越しにそち方を望めば、小平市役所と、小平線鉄塔が同じフレームに収まる。

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左18号、中19号そしてその右に小平市庁舎
右端はNTT基地局

 市名を冠した鉄塔と市庁舎のツー・ショット。同様な例は、他にあるかもしれないが、私的にはお初の事である。
 まったくの余談だが、私はこの景色を「警察通り」から見ているが、このすぐ南に小平警察署がある。農地の混在する住宅地の中に突然大きな警察署があるので、少々驚いた。

 さて、18号だ。
 こちらも住宅地の只中なので、接近してのプレート確保は断念。しかし、東(19号)寄りからの絵はどうしても一枚ほしく、ほんの一寸だけ、住宅地にお邪魔した。

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18号(標高78.2m)と奥に17号

 1-2分で、撤収。早業だ。
 また余談だが、この画像に見える白いネットが被せられている畑、これは多分ブルーベリー畑。実は小平は、日本でのブルーベリー栽培発祥の地なのだ。17号画像に写り込む青いネットも、おそらくは同様ブルーベリー畑。1968年(昭和43年)、東京農工大学の岩垣教授の主導によりブルーベリーの経済栽培・商業生産がこの小平(花小金井南町)で始まったのである。ブルーベリーの国内生産量一位は長野県だが、東京は群馬と二位を争う存在なのだ。確かに、自転車で走っていても、ここ小平や国分寺、小金井、三鷹また府中や日野などあちらこちらでブルーベリー畑はよく見かける。

 次は、いよいよ最終地点。
 上の住宅地からほんの僅か離れると、19号(標高77.4m)と変電所内鉄構が良く見渡せるポイントがある。此方の周囲は道路、農地そして駐車場である。

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19号と変電所内鉄構

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各アップ

 青々と葉繁るウメ畑、その向こうに二基。市街地ではあるが、高層建築物が無いとこれだけ空が広い。これぞ「多摩」な風景だ。
 ここ、小平と言う地名は、1889年(明治22年)に七か村が合併した際、中心であった小川村の平らな土地、という事で新しい村の名として生まれたものであるそうだが(市HPより)、確かに、平らだ。実際はこの東方にある「平安窪」など結構大きな窪地地形があったりして、多少の高低差はあるが、全体としては平らである。でも、多摩は西部の山地や南部の丘陵地を除けば、大体、何処も平ら、ではあるのだけれど―。

 では、変電所へゴー。

 to be continued

2020年水無月8日
(取材は5月末)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これ等鉄塔の建つ場所は小平市小川町、最寄り駅はJR武蔵野線新小平駅、西武多摩湖線青梅街道駅です

*小平市:東京中北部、多摩地域東北部の市。面積20.51万平方m、人口約20万人。17世紀後半玉川上水開通以降開拓が進む。1889年に7か村合併で小平村となり、1944年(昭和19年)に小平町そして1962年(昭和37年)市制施行された
*通過市域名:路線名の市域はほんの一寸で大半は他の市域を通っている場合もある
*窪地:平安窪の他、山王窪、天神窪など。例によって、だいだらぼっちの足跡伝説があるが、成因は風食、地下水の湧きだしなど諸説ある様だ。平安窪は東西500m、深さ3m程もあるとか。昔は水たまりが出来て大変だったそうだ(市報「こだいら」2019年4月20日号「窪地から見る小平の歴史」、地盤環境エンジニアリング「新藤静雄の地下水四方山話 玉川上水”水喰らい土の謎を追う(2)“」より)

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

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・単独でのサイクリングと言う野外活動は、フィジカル・ディスタンシングを守る前提のもと、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)感染リスク(感染しない・感染させない)の極めて低い行動と考え行いました。出先で長居はせず、食事は人気のない場所で一人で行い、家を出てから戻るまで店舗等への立ち寄りは最低限にとどめています
・鉄塔ご訪問の際は引き続き新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染拡大防止にご配慮をお願い致します
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