MYSTIC RHYTHMS

日常雑記、音楽報告、鉄塔そして詩など

ミスティック・リズムス

多摩の古書店主が綴る日常雑記。古本屋な日々...

Fe塔 移ろい―サクラと鉄塔

移ろい―サクラと鉄塔

 昨今の世を見れば、何でジャイアントパンダばっかりチヤホヤされるの、と動物たちから不満が出そうだが、植物界からは、何でサクラばっかり持て囃されるの、と怒られそうな春の時候。少し時期外れとなってしまったが、「サクラと鉄塔」を纏めて、これで今期の終了とさせて頂きたい。

 確かに何で、世の中こんなにサクラばかりを気にするのであろう―。等と言いつつ、私もやっぱり気になる。お酒も飲まず、団体行動もしない私としては、お花見に関心は無いが、「サクラと鉄塔」は気になるのだ。秋の「紅・黄葉と鉄塔」同様、僅かな時間のチャンスを思い、落ち着かない日々が今年もあった。
 鉄塔と花のコラボとなると、ナノハナ畑の様な広い面積ともなれば別だが、二つの被写体の高さがあまりに違うので矢張り草の花は難しい。どうしても、木の花とのコラボとならざるを得ない。木の花は、ウメやモクレン、サルスベリ等季節毎に見事な景はあるが、絶対数が少ないので、鉄塔と同じフレームに収まるようなシチュエーションはなかなかお目にかかれない。その点、サクラは並木でも孤木でも数が多い。至る所にある、と言って過言ではないであろう。鉄塔近くで花を咲かせているシチュエーション、これは流石に何所にでもあるとは言えないが、それでもちょっと探ればまあまあ見つかる。それに何と言っても、花自体に圧倒的な存在感があるので、ターヘーな私でも絵になり易いのだ。非常に有難い。

 ということで、今季、サクラと鉄塔でコラボったものを、以下に纏めてご紹介。「サクラと鉄塔」に拘るあまり、無理な或いは不自然なアングルになっているものも多々あるが、そこは寛大なるお心で、ご容赦願いたい。

 ではまず、府中線を二基。何れも他の季節に紹介済みだが、サクラの時候はお初の登場。

 43号(標高58.9m)は、この角度、ちょっとヤゴっぽいな。腕金と碍子連が六本の脚で、地線腕金が頭部で、鉄塔本体部分が腹部の感じ。村山線17号に少し似ている。

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府中線43号

 47号(標高56.5m)は、手前に田圃と中央フリーウェイの緑化された法面があってロケーションが良い所為か、田植え稲刈りの時期などで、たびたびご登場頂いている。特にこの鉄塔を意識しているのではないのだが、季節季節にあれこれシチュエーションを思い描くと、この鉄塔が浮かんでくるのだ。

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府中線47号

 次は、今年終にコンプリートした車返線。上の府中線はどちらも、まだ7-8分咲きであったが、こちらはほぼ満開。これも、過去にご登場願っているがこの時候はお初の二基。

 31号(標高54.5m)は、西武多摩川線の土手と(上)、野川を越える陸橋と(下)。

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車返線31号

 上画像、後は国分寺線63号、右手上がICU。下画像、手前が野川、右手が野川公園、右手上がICU。

 37号(標高60.4m)は、三鷹市ICUHS内最後の鉄塔。これは本当に無理があるが、最下部に辛うじてサクラが見える。

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車返線37号

 次は、桜ヶ丘線の二基。4号と5号。

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桜ヶ丘線4号

 4号(標高94.2.m)、左は昭和公園(昭和記念公園ではない)内から。ママたちと子供たちが、サクラの下でお弁当。右は5号横、奥多摩街道に架かる歩道橋から(向こうは3号鉄塔)。なかなか良い眺望が得られる歩道橋である。

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桜ヶ丘線5号

 此方5号(標高93.0m)は、下を通る奥多摩街道の歩道からなのだが、申し分のない咲き具合のサクラがあるにかかわらずなかなかうまい具合に鉄塔と並べられず、車道際、もうぎりぎりまで下がってやっと捉えたアングルだ。

 次は、私の好きな久我山線の、5号鉄塔(標高56.6m)。府中市の中央付近、稲荷木公園内鉄塔だ。

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久我山線5号

 咲くも見事だが、脚元、ブランコ周辺を埋める「落花の雪」も美しかった。

 最後は、昨季今一つの開花状況であった、国立市谷保の谷保第五公園から望む多摩橋線45号(標高75.5m)。今回は満開だ。

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多摩橋線45号

 でも、時はもう斜陽。暗い。
 どうも、この鉄塔さんとは、何時もタイミングが今一つである。

 ・・・・・・

 これにてサクラは終わり、次は若葉の候である。次回以降、少しご紹介できそうだ。

 それにしても、移ろう季節の場面場面を、こうして味わうことができるのは、なんという幸せであろう。有難いことである。

2018年皐月19日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は府中市四谷(府中線43号)及び日新町(府中線47号)、小金井市東町(車返線31号)及び三鷹市井口(車返線37号)、昭島市東町(桜ヶ丘線4・5号)、府中市幸町(久我山線5号)、国立市西(多摩橋線45号)です

*ICU、ICUHS:前者は国際基督教大学、後者は国際基督教大学高等学校

Fe塔 私鉄沿線―クサボケ

私鉄沿線―クサボケ

 前回68号鉄塔を正面から望んだ立6踏切から、南西へ西武拝島線の南側を線路に沿って行けば、拝島線69号(標高118.6m)下に出る。

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拝島線69号(昭和51年4月 26m)

 腕金や張り出したバルコニーが、他の一般的な引き下げ鉄塔より長く、直下から仰ぐと、なかなかに迫力がある。複葉の大型爆撃機の様な感じがしないでもない(違うか)。
 30度の角が北北東を向き60度の角が西北西を向くような直角三角形の形をした西武拝島変電所の、69号の建つ30度の角の辺りは、外から丸見えだが、

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屏と69号

他の道路に面した部分は、門のある部分まで、見たこともない様な鈍く光る銀色の頑丈そうな屏に囲われている。

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西武鉄道拝島変電所

 変電所の事はよく分からないので、撤収。

 エコ・パークに止めた自転車へ戻るため、立6踏切から上水遊歩道を歩いていると、足元にクサボケ(Chaenomeles japonica)が鮮やかな朱赤色の花を付けていた。

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上水遊歩道のクサボケ(草木瓜)

 「クサ」とは付くが草ではなく木である。高さ20cm程(大きくて50冂)のちゃいちいちゃいちい木なので「クサ」と付けられたのだ。春先、奥多摩辺りにハイキングに行くと、麓の農地周辺の日当たりのよい草地や斜面で鮮やかな花を付けているのをよく見かけるので、植栽された外国種とも思いたくなるが、日本固有の在来野生植物なのである。

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アップ

 私の大好きな歌川広重の生涯最後の作、「冨士三十六景」(描かれたのは死の年1858年、出版は翌年)中に、サクラの老樹に空いた洞(うろ)から富士山が覗いているという、少々奇をてらった感がなくもない「武蔵小金井」という絵がある。以前、中富線57号で紹介したことがあるが、この絵の右下隅に、このクサボケと思しき花が描き込まれている。背丈と言い色と言いサクラと同時期に咲いていることと言い、ほぼクサボケで間違えないのではなかろうか。
 描かれている場所は、大分下流だがこの玉川上水だ。よく見ると、対岸にもクサボケらしき花は小さく描き込まれている。

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「冨士三十六景 武蔵小金井」
右、クサボケアップ

 富士の右手が夕焼けている。小金井から富士山は絵と同様南西方向に見えるので、クサボケが咲いている右下の斜面は南向きだ。これは、クサボケの好む環境に合致する(小金井市HPでもクサボケとされている)。ついでに言うと、絵から推測する方角が正しければ、流れは画面の奥から手前への向きとなる。
 この絵が実際の風景を見て描いたものどうかは不明だが、広重を敬愛する私としては、160年の前、彼が、同じ玉川上水で同じクサボケを見ていたと、そう考えたい。

2018年皐月17日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は昭島市美堀町、最寄り駅は西武拝島線拝島駅です

・広重の絵の所蔵は東京国立博物館。サイズおよびコントラスト等を加工しました

・クサボケ参考:読売新聞「園芸ゼミ」4月7日記事

*クサボケ:シドミとも。本州(関東以西)・四国・九州の日当たりのよい山野に分布するバラ科ボケ属の落葉小低木。棘があるので要注意。よく似た花のボケ(ボケをかますのボケではない)は中国原産で、樹高は2-3mにもなるので判別は容易

Fe塔 私鉄沿線―エコ・パーク

私鉄沿線―エコ・パーク

 前回の拝島線64号から、二つ飛ばして(ごめんね、何時も飛び石で)、67号そして68号と、拝島線のガントリー鉄塔が終わる部分を訪ねる。丁度そのあたり、線路を挟んで南北に「昭島市エコ・パーク」が広がっている。
 この公園、その北と南はかなり姿が異なる。北側は、遊具やグラウンドなどあり(原っぱゾーン、スポーツゾーン、ドッグランなど)、春休み真っ最中、お花見の人々などで非常に賑やかだ。しかし、私が訪ねた南側は、ただ線路に沿って草原が広がるのみ(緑を育むゾーン)。私以外には、おばあちゃんとお孫さん(であろう)二人、そして小型ワンコ二頭のみ。静かなものである。

 この草原からは、67号(標高118.2m)が良く見える。と言うか手の届きそうな間近まで接近も可能だ。

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拝島線67号(昭和41年1月 23m)

 67号を視界に入れつつ、草原をぶらつきアングルを探っていると、丁度、お馴染みの黄色い2000系が、67号を潜っていった。

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67号と2000系

 残念乍ら、此方の公園にサクラは無いのだが、線路向こう側エリアには多く花を付けているのが見える。鉄塔を望めば共に視界に入ってくる。

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67号と向こうのサクラ

 いわば、借景かな。

 大分ペコハラなので、線路側を向いてベンチに座り、サクラを愛でつつランチにしていると、北に隣接する横田基地を離陸した米空軍C-130輸送機が時折、頭上を越えて行く。画像のものは、プロペラが6翅なので、おそらく、C-130J「スーパーハーキュリーズ」であろうと思われる。

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C-130

 一度は、二機のC-130が続けて北側公園の木立の向こうからいきなり現れ、モーターヘッド並みの途轍もない爆音を轟かせ、驚くほどの低空で頭上を掠めていった(撮る暇もなかった)。私の様な飛行機好きは気分がアガるが、毎日毎日これを聴かされる周辺住民の方はたまったものではないであろう。それに、問題は音だけではない。
 この公園のある美堀町の北東に隣接する西砂町が、まだ砂川村であった昭和26年(1951)11月16日、当時朝鮮戦争真っ只中であった半島に向け横田基地を出撃したボーイングB29爆撃機―当然爆弾・燃料は満載―がここに墜落炎上し、消防隊員と住民計15名が亡くなるという大事故が起きている(搭乗員は脱出)。公園からは、1卍北の地点である。
 事故はそれだけではない。翌年の2月7日夜(吹雪であったそうだ)には、埼玉県入間郡金子村(現入間市西三ツ木)に同様に爆弾を満載したB29爆撃機が墜落炎上し、乗員13名と住民4人が亡くなる事故も起きている。ここからは大分離れた地ではあるが、しかし墜落したのは、同じ横田基地を離陸した機体である。
 横田には、CV-22(オスプレイ)も夏には配備予定である。基地の存在は、我々が考える以上に、住民の方々の生活に、大きな影を落としているのであろう。

 鉄塔に話を戻すと、お隣、ガントリー最終鉄塔68号(標高118.8m)は、草原の西の端っこ。

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拝島線67号(昭和41年1月 23m)

 草原の一部には、地元の子供たちがドングリを埋めたエリアがあるので、踏まぬように注意して接近する。
 線路南側のこの草原エリアは、直角三角形の底辺が南縁となり、直角が南南東方向を向くような形なので、68号辺りは可也先細り。しかもこの先細りエリアは木立が多く、鉄塔は園内からは可也見にくい。然も、ほぼ逆光だ。

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68号と2000系
手前の若木は子供たちが植えたらしいドングリの木

 あれこれ探ってみたが、園内のポジションには限界を感じ、新たなポジションを求めて公園を出る。
 公園南縁に沿って流れる玉川上水を渡り、上流側(西側)へ行くと、西武拝島線が上水を越える「玉川上水橋梁」横にある、「立6踏切」にぶつかった。
 この踏切上に立つと、丁度正面に68号を拝むことが叶った。後にサクラも見えるではないか。

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踏切から68号
左右を確認して即撤収

 その踏切辺りから、拝島線(送電線と鉄道の両方)の先を望めば、やや奇態なる引き下げ鉄塔69号がシルエットだ。

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拝島線69号

 行ってみましょう。

 次回へつづく

2018年皐月15日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は昭島市美堀町、最寄り駅は西武拝島線西武立川駅または拝島駅です

*エコ・パーク:昭島市が「武蔵野の自然環境再生のシンボル拠点」として整備した公園
*C-130J:傑作輸送機ロッキード社製C-130「ハーキュリーズ」の発展型。ロッキード・マーチン社製。1999年配備開始

Fe塔 私鉄沿線―北関東防衛局

私鉄沿線―北関東防衛局

 当然ながら、西武拝島線線路上に跨る拝島線の64号。その北側は「国有地」の黄色い立て札のある可也と言うか相当広い、空き地。丸くきれいに刈り込まれた、樹種不明の大柄な常緑広葉樹とやや小柄なツバキが整然と沢山植えられ、ツバキは多く花を付けている。が、他には草原が広がるのみ。嘗ては、植木畑ででもあったのだろうか。

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空地と64号(右はアップ)

 立て札に記された管理者は、「北関東防衛局」。北関東防衛局とは聞きなれない名だが、防衛省の地方防衛局の一つで、神奈川を除く関東地方と長野、新潟両県を管轄するそうだ。しかしこの、「地方防衛局」も聞きなれない名だ。調べると、自衛隊・米軍の基地のスムーズな運営のため、また自治体や地域住民との調整を行うための業務を主とするもので、2007年に設けられた組織だと出た。
 ここ以外にも、この美堀町周辺では「国有地」と書かれた黄色い看板が立てられた大小の空き地をよく見かける(車が止めてあったり家庭菜園的になっていたりしている場所もある)。横田基地の関係なのであろうか。管理は同じく北関東防衛局だ。

 空き地東側にある、立2-3踏切で線路を渡る。渡る途中で、64号(標高117.5m)を正面から。プレートの方は、当然渡り切ってから狙った。

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64号(昭和41年1月 23m)

 その渡り切った南側だが、線路との間に上記の様な空き地や住宅を挟み、大分広いが、可也荒れた公園があった。
 道路との境にロープや柵は無く、あちこち傾いた低い杭が疎らに打たれているのみ。間に車止めを挟んだコンクリートの門柱的なものが建ち、一応出入口となっている様だが、何所からでも出入りは自由な状態。とは言え、この雰囲気は閉鎖されているようにも見え、かえって入り難い。
 でも、64号の向こうにはサクラが見えていた。良いアングルが得られそうな気がして、勇気を出して入ってみる。と、砂場には枯れ枝や枯葉が散乱し何やら赤錆びた用途不明の物体も放置されている。苔むし或いは破れたベンチは、もう何年もお尻を支えていないような様子。失礼ながら大分ザンネンな状態である。だがしかし、期待通りと言うかそれ以上に、見事なサクラがあった。

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公園のサクラと64号

 ただ、64号は右の端っこ、公園に隣接するお宅の屋根上に辛うじて上部が覗くのみ。上手くいかないものである。

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64号アップ

 上部三分の一くらいしか、見えないな。
 致し方なし。次なる鉄塔を目指そう。

 次回へつづく

2018年皐月12日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は昭島市美堀町、最寄り駅は西武拝島線西武立川駅または拝島駅です

*北関東防衛局:埼玉県さいたま市にある

はけの下 科学絵本

科学絵本

 絵本作家の加古里子さんが、今月二日に亡くなられた。享年92。

 加古さんは、大正15年(1926)福井県生まれで、本名は中島哲(さとし)。「里子(さとし)」は俳号である。WW2中、成蹊高等学校(私立の旧制高等学校)に通っていた時、軍需工場への動員で友人たちに会えないため作った回覧雑誌「マント」に自作の俳句を載せる際使用していたペンネームが、この「里子」であったそうだ。(かこさとし公式HPより)
 氏はそのWW2当時、例にもれず軍国少年で、軍人(飛行機乗り)を目指すが近視が進み断念。結果氏は戦後を生き抜くこととなるが、陸軍士官学校へ進んだ友人たちは、多く特攻で命を落とした。この様な経験から、氏は、自身の無知が誤りを産んだ、だから子供達にはちゃんとした勉強をするよう伝えていかなければならない、そう思うようになったと語っておられる。(mi:te 絵本作家インタビュー vol.100より)

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 加古さんと言えば、「からすのパンやさん」や、月刊絵本「こどものとも」での「だるまちゃん」シリーズがお馴染みであるが、私は、科学者でもある氏が月刊絵本「かがくのとも」に書いた、科学絵本が好きであった。「あなたのいえ わたしのいえ」、「だいこん だんめん れんこん ざんねん」、「おおきい ちょうちん ちいさい ちょうちん」、「いろいろ おにあそび」、「わたしも いれて!」など。

 加古さんの素朴な味わいの絵が、好きであった。

 R.I.P

2018年皐月10日

*科学者:東大工学部応用科学科卒で、工学博士、(化学)技術士

北の離れ ハーネス練習

ハーネス練習

 少し前、「北の離れ」の「ハーネス」記事で触れたように、ハーネスが超苦手なミケさんだが、最近ほんの少ーしだけ慣れてきた。
 と言っても、装着するときはめちゃオコるし、装着してもほぼ動けず固まる。
 ハーネスは、はじめ式部と巴と共用のMサイズを使っていたのだが、最小まで絞ってもどうも緩い。ので、同じ56nyanさんオリジナルのSサイズを新たにミケさん用に購入。でもこれだと最大まで緩める状態となり若干きつそうだ。ミケさんの胴回りはSとMのぴったり中間なのだ。しかし、当初は硬かったハーネスの生地も徐々に馴染んできて、やや余裕は出てきたようである。

 下は、散歩に連れ出したが、伏せて動かぬミケさん。

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 こちらは、その伏せた状態で、横倒しになるミケさんだ。

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 大分不満そうな気持がもろに表情に出ている。しかし、この状態から、結構気持ちよさそうにころころ転がったりはする。ゴロゴロ喉を鳴らしているので、満更ではないのかもしれない。
 今ではすたすた歩く巴さんも、当初の頃は彫像の如く動かなかった。毎日少しづつ練習すれば、歩けるようにはなるであろう(今でも若干は歩く)。装着時のオコも大分減ったし。

 何度も書くように、15年以上野良さんとして自由に生きてきたミケさんだ。好きな時に外に出られないのも、ハーネスなど付けられるのも嫌であろう。下の写真の顔を見ればよく分かる。でも、なんとか完全室内方式に馴染んで頂きたい。
 完全室内方式が両者において(特に猫において)ベストな方法とは必ずしも思わないが、現状ではベターな方法であると考える。嘗ては出入り自由方式も採用していた経験上で言えば、出入り自由に比し完全室内は、病気もケガも(事故の危険も)少なく、ご近所へ迷惑をかけることもほぼ無く、また食事や治療の管理も容易で、私(人間)としては、より良い方式であると実感している。
 猫に対しては、人間の都合で申し訳ないとは思うのだが、宜しくお願い致します、と言いたいところである。

2018年皐月9日

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*ハーネス(harness):馬具に由来するもの。ロッククライミングなどで使う安全ベルトや犬・猫の胴輪のこと

Fe塔 私鉄沿線―見影橋

私鉄沿線―見影橋

 ガードの下を潜って、拝島線線路南側へ出る。ガードの名前は「御影橋架道橋」であった。
 南に出てすぐに、東方(ひがしかた)を見れば、三つの鉄塔がそろって緑の土手の上だ。右が線路南側に建つ拝島線38号、中と右は前回紹介の北側に建つ村山線16号と17号だ。

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鉄塔三基とスマイル・トレイン

 拝島線と村山線の間を、ブルーとグリーンのグラデーション・ラインが印象的な30000系が通る。ラインは、都市と自然あふれる街並みを結ぶ、ことを表しているとか。「スマイル・トレイン」と言うのはこの車両の愛称で、意味は、先頭部分を見れば一目瞭然である(画像検索してね)。

 今回紹介する拝島線の38号(標高103.5m)だが、これは、土手の法面に建つので南側の脚が北側のものより長い。

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38号基部

 次に全身とプレートをご覧頂くが、どうもこの鉄塔、塗装の剥がれが目立つ。

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38号(昭和41年1月 25m)

 何故であろう、この拝島線もすぐお隣の村山線も同じ立川支社の管理なのに、拝島線の方だけいやに塗装の劣化が目立つ(以前紹介の拝島線鉄塔もそうであった)。下地の錆止めが顔を出して、全体が赤っぽい。「赤い鉄塔」東大和線ほどではないが。

 鉄塔を辞して、ガード下から続く道をそのまま南に向かえば、玉川上水を渡る「見影橋」に出る。
 こちらは、ガード名の「御」とは異なり「見」だ。江戸の頃は村を流れる上水の上流から四番目だったので「四ノ橋」と呼ばれたり、名主の屋敷に近かったので「旦那橋」とも呼ばれたと、解説板にある。大正の頃に「御影橋」とされ、のちに今の字が当てられたらしい。
 名を刻んだ橋標が鉄製で、いやに立派だ。

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見影橋橋標

 その見影橋の上から振り返り、先ほどの三基を望む。

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三基

 手前には花畑。ちょっと気になるので、道路を渡って接近。

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花畑と二基

 花畑とは言っても、草の花ではなく、木の花である。黄色いのは奥にトサミズキ(Corylopsis spicata)手前にヒュウガミズキ(Corylopsis pauciflora)そしてその間に白いユキヤナギ(Spiraea thunbergii)。植木畑の様である。一番奥、アパートの手前に並ぶピンクは、サクラであろうか。

 そのサクラだが、橋上からは、上水両側に沿って咲く姿が、見事に望める。

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上水のサクラ
上、上流側 下、下流側

 この辺りの上水は、若葉の頃晩秋の頃の絵を見て頂いてもお分かり頂けると思うが、ここよりも下流の区間とは大分表情の異なる、コンクリート河床と石垣護岸の人工的な姿だ。この少し東、小平監視所から先の下流部分は土むき出しとなって周囲には樹木の生い茂る自然度の高い環境となる。こちらこちら或いはこちら(ちと古いが今もほぼ変化は無い)等をご覧頂ければ、ある程度お分かり頂けるかと思う。
 何方かというと、私は少々荒れた雰囲気の下流区間の方が好きなのだが、でもこの辺りの整然とした雰囲気も、これはこれで、やっぱり良いなあ。

2018年皐月8日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は立川市砂川町、最寄り駅は西武拝島線武蔵砂川駅です

*トサミズキとヒュウガミズキ、ユキヤナギ:前者二つはマンサク科の落葉低木。両者よく似ている。後者はバラ科の落葉低木。三種どれも日本に自生し庭木・公園樹に利用される

Fe塔 私鉄沿線―ひょっこり

私鉄沿線―ひょっこり

 村山線は、以前紹介した15号(標高100.3m)で突然地下に潜り、1.6kmほど西進して、突如地上に現れ16号(標高104.5m)となる。

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村山線16号
ひょっこり

 その16号、建つ場所は、15号同様西武拝島線北側(上画像左が線路)。後々線路に沿っている道路が拡張されたためであろうか、片側車線は鉄塔北側をカーヴを描きながら迂回する形となっている。結果、16号下の敷地は島状となっている。以前紹介の車返線44号の建つ敷地より、もっとはっきり「島」である。

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16号の島

 東西に細長いその「島」の、中央部分が金網に囲まれた鉄塔敷で、西側と東側は空いている形だ。そのうち西側はガードレールでぎっちり囲われ中はきれいに刈り込まれた植え込み(サツキかな)となっており、進入は不可だが、東側は草地でガードレールに開放部分もあり、中に入ることが可能だ。よって、小プレートを間近に見ることも可能。
 
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金網の向こうを2000系が行く

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16号(昭和48年6月 24m)

 いつこの「島」が誕生したのか気になって、例によって古い航空写真で確認してみた。

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昭和49年(1974)12月26日航空写真(国土地理院撮影)

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昭和59年(1984)10月26日航空写真(国土地理院撮影)

 16号が建てられた翌年の上写真では、敷地は島状ではなくきれいな三角形で、線路沿いの道路はあるのかないのかよく分からない。昭和54年(1979)12月9日の写真でも同様よく分からない。あったとしても可也細い道の様だ。10年後の下写真では、ほぼ現在と同様の島状となっている。昭和57年(1982)11月13日写真も島状になっているので、1980年から1982年頃の間に、道路と敷地は変わった様だ。現在の金網で囲われた鉄塔敷部分が、嘗ての三角形の名残の様にも見える(因みにだが、昭和36年(1961)9月5日の写真では鉄塔も線路も無いが後の三角形とほぼ同様の形の畑か草地が写っている)。

 誕生から30数年らしい「島」から出、左右を確認しつつ線路際に寄り老番側を望むと、ほんのすぐ先に17号(標高103.6m。土手の上にあるのになぜ16号より標高が低いのか)が建っている。
 
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17号
細っ

 なんか、イトトンボのヤゴのような形だ。地線腕金が頭部と複眼、腕金が六本の脚、塔体は細い胸部・腹部。
 近くへ行ってみよう。

 村山線は、この17号から暫らく、西武拝島線の線路を挟み、南側の拝島線(送電線の方)に並行して北側を進んでゆくのだが、自転車を止めてあった道路北側から接近して行くと、ちょうどその並行する拝島線も同じフレームに収まった(手前のガードレールは「島」の西側部分)。

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村山線17号と拝島線38号

 二基の間が線路、向こう側に建っているのが拝島線の38号だ。

 近くで見ても、17号はやっぱり細い。

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17号(昭和48年6月 25m)

 西側、少し先にガードが見える。潜って向こう側へ行ってみよう。

 次回につづく

2018年皐月7日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は立川市砂川町、最寄り駅は西武拝島線武蔵砂川駅です

航空写真画像出典:国土地理院ウェブサイト

*イトトンボのヤゴ:イトトンボはトンボ目イトトンボ亜目に属するが、トンボ亜目に属するトンボ(ギンヤンマやオニヤンマやシオカラトンボやアキアカネなど)のヤゴとはだいぶ姿が異なる

Heavyじゃないsphere Violin Concerto No. 2 Op. 7

Violin Concerto No. 2 in B minor, Op. 7/Niccolo Paganini (1826)
ヴァイオリン協奏曲第2番 ロ短調 作品7/ニコロ・パガニーニ order

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 「19世紀のジミ・ヘンドリックス」、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)。前代未聞の超絶技巧と派手なパフォーマンスでヴァイオリンを歌わせ名曲を残した時代の革命児を、独創的な奏法でエレクトリック・ギターの持つポテンシャルを最大限に引き出し奇抜なパフォーマンスで聴衆の度肝を抜いたロックの革命児に擬え、私が勝手にそう名付けた。
 彼の楽曲は以前にも紹介したが、彼方の「24のカプリース」はヴァイオリン独奏曲、此度はオーケストラを従えたヴァイオリン協奏曲(コンチェルト)である。
 彼のヴァイオリン協奏曲は、現在六曲が知られているが、有名なのは第1番作品6と、今回取り上げた第2番作品7で、この2番には「ラ・カンパネッラ」或いは「ラ・カンパネラ」とタイトルが付けられることもある。

 上に、協奏曲は六曲知られていると書いたが、実際は八曲あったとも言われているようだ。その辺り、はっきりとはしないのだ。
 パガニーニは、相当な秘密主義で、自身の技術が知られることや曲がパクられることを恐れ、楽譜を徹底的に自身で管理し、他人には渡さず、コンサートでのオーケストラ用譜面も開演直前に団員に配り終演後にはさっさと回収したそうだ。そんな状況であるから、譜面はしっかりとは残っておらず、散逸してしまい、作品の多くも時の流れの中に消え失せてしまったとされている。
 そのような中で、めずらしくオフィシャルで出版され楽譜が完全に残っているのが、第1番と第2番の協奏曲である。
 一般的に、もっともすぐれた作品とされ録音も多いのは第1番であるが、捻くれた屈折者の私は、あえて第2番を押したい。確かに作品としては、1番の方がなかなかに風格もあり、華やかな歌に満ちて聴き映えが良い。でも、私にはちょっと、華やかすぎるのだ。2番のややくすんだ、墨色漂うような味わいが、私は好きなのだ。
 まあ、1番、2番どちらにしても、現代のハード・ロック/ヘヴィ・メタルにも影響を与えているパガニーニのデモーニッシュな魅力は変わらないので、そこはお好み次第。何か面白いクラシック作品はないかなあ、と若しお思いであったなら、是非聴いて頂きたい逸品である。

 で、今回取り上げたこの第2番だが、「ラ・カンパネッラ」或いは「ラ・カンパネラ」と題される場合があると上に書いた。それは第3楽章、鐘の音を模したヴァイオリンのフラジオレット(ハーモニクス)とオーケストラのグロッケンシュピール(鉄琴)或いはトライアングルとの掛け合いが有名だからである。「Campanella」とはイタリア語で「鐘」の意である(「銀河鉄道の夜」の主人公、カンパネルラも同じだと思う。キキョウ科の花カンパニュラはラテン語だが意味は同じだ)。
 この題名を聞いて、ん?と思った方も多いであろう。そう、日本ではフジ子・ヘミングさんの演奏で有名なあのピアノ曲と同じ題名(ラ・カンパネッラもラ・カンパネラも読み方が違うだけ)である。こちらの「ラ・カンパネラ」は、前回まで紹介した、「ピアノの魔術師」フランツ・リストの作品だが、これはこのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章を基に編曲したものなのだ。リストはピアノの名人であると同時に、こうした編曲の名人でもあったのである(ベートーヴェンの交響曲も全曲ピアノ用に編曲しているぞ)。
 何方かというと、というかはっきり言って、パガニーニの本家オリジナル「ラ・カンパネッラ」より、ピアノ曲の方が有名になっているが、是非ともにこちらオリジナルも聴いて頂きたいものである(勿論ピアノの方も名曲だが)。ヴァイオリンの魔神、19世紀のジミヘンが、超絶技巧だけではない、「歌」を大切にした優秀なコンポーザーであったことがお分かり頂けると思うのだ。シューベルトもウィーンで、この曲に天使の声を聞いたのである。
 曲全体としては、スタンダードな急−緩−急の三楽章形式で、あくまでもパガニーニ自身のヴァイオリンを際立たせるための楽曲であるから、オーケストラは控えめでシンプル。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1806)の様な、ヴァイオリンとオーケストラが対等に近い様な比重で書かれた曲とはまったくコンセプトが違うのだ。なので、本作などに対する、深みがないとか、虚仮威しだとかいった批判は筋違いである。彼の協奏曲は、彼の華麗な技巧と、自ら歌うようなヴァイオリンの旋律を味わうものなのである。その味わいの中に、自ずと世界の美しさも儚さも、にじんでくると言うものだ。

 なお、本作の作曲年をこの記事のタイトルでは1826年としたが、実はホントの作曲年が判然としないのだ。パガニーニ29歳の1811年であるとか、第1番と同時期の1817-1818年頃であるとか、諸説あるらしいことを、付け加えさせて頂く。1826年としたのは、この年の12月、クリスマスの後に第2番を演奏する予定である、と書かれた手紙が残されているからである。

 2018 5/2

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お気に入り度:♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭
重度:♭♭ 硬度:♭ 暗度:♭♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭
〔左端画像はパガニーニの再来と呼ばれた名手、イタリアのサルヴァトーレ・アッカルド。一寸線は細いが技のキレと「歌」は見事だ。私の大好きなヴァイオリニストである。アルバムは、シャルル・デュトワ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とによる1975年録音盤。長年評価・人気No.1の演奏だ。古いといえば古いがまったく問題は感じられない私的には一押し。
左から二番目画像のアレクサンドル・ドゥバッハはスイスのヴァイオリニスト。日本では無名に近く詳細は不明だが、アッカルドの弟子であるようだ。やや線の太いがっちりとした音で技のキレは申し分ない。師匠ほどの華は無いがなぜ無名なのか不思議。2012年、ストラディバリウスを列車に置き忘れるという大ボケをかましたらしい(因みにパガニーニはグァルネリを主に愛用)。アルバムは、ローレンス・フォスター指揮モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団との1993年録音盤。新しいのが良いという方には良いかも。因みにジャケットの絵はドラクロワによるパガニーニの肖像だ。
左から三番目画像のルッジェーロ・リッチはハイテクで鳴らしたアメリカのヴァイオリニスト。同じパガニーニの名作「24のカプリース」の全曲録音を世界で初めて行った人物だ。アルバムは、アンソニー・コリンズ指揮ロンドン交響楽団とによる1955年録音盤。古い録音(モノラル)だが、技巧的には遜色ない。この演奏はパブリックドメインなのでフリーで聴くことが可能。
右端画像はフランスのジャン=ジャック・カントロフ。アルバムはベルナール・トマ指揮トマ室内管弦楽団との1982年録音盤。ライヴなので少々荒っぽい感はあるが臨場感があって良い。でもいろいろノイズが聞こえるので気になる人は気になるかも〕

*ジミ・ヘンドリックス:27歳で夭逝した不世出のギタリスト。実働僅か四年ほどだがロック・ギターの礎を築いた「神様」の名が相応しい存在。派手なパフォーマンスも有名
*六曲の協奏曲:第3番から第6番までは20世紀になってから知られるようになった。
第3番 パガニーニの子孫の持つ譜面をヴァイオリニストのヘンリク・シェリング(20世紀の代表的ヴァイオリニスト)が探し出し、1971年に蘇演された
第4番 屑屋さんの買取った中からオーケストラ譜が見つかったり、ミュージシャンの遺品の中からヴァイオリン譜が見つかったりなどし、アルトゥール・グリュミオー(こちらも20世紀の代表的ヴァイオリニスト)によって1954年に蘇演された
第5番 おそらく未完成で残されたものと考えられている。ヴァイオリンのソロ譜のみ残っており、1958年にオーケストレーションが施され翌年演奏された
第6番 実は最初に作曲されたと考えられている。元ネタはヴァイオリンとギターの為の曲とされる。1973年にオーケストレーションが施された
*ハード・ロック/ヘヴィ・メタルにも影響:1980年代、ギター・プレイに革命をもたらしたハード・ロック/ヘヴィ・メタル界を代表するアーティスト、イングヴェイ・マルムスティーンはパガニーニに多大な影響を受けたとしている
*リストのラ・カンパネラ:幾つかあるが、一般にリストの「ラ・カンパネラ」と言えば「パガニーニによる大練習曲 S.141」の第3番 嬰ト短調である。リストはパガニーニの演奏に接して感激し「ピアノのパガニーニ」を目指したのは有名な逸話
「パガニーニよる大練習曲」はゲイリー・グラフマンによる演奏(1959)、第3曲はジョルジュ・シフラによる演奏(1959)がパブリックドメインとなっており、自由にダウンロードが可能です
*シューベルト:1828年パガニーニはウィーンで数か月ライヴを行い市民を熱狂させた。シューベルトは家具を売り払ってまでしてチケットを買いライヴに行き「アダージョでは天使の声を聞いた」との言葉を残した。彼の死の数か月前の事である

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鉄塔 中富線―サクラ 弐

 76号に続いては、その南に建つ77号(標高57.9m)。

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中富線77号

 三鷹市高齢者施設「けやき苑」の敷地に接する、と言うかほぼ敷地内。だが、此方も道路際なので、接近は容易。

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77号

 でも、あまり見ないな、丸く刈り込まれたサクラというのは。こういう剪定の仕方(刈り込み仕立て)も有るのだな。確かに、道路際でスペースのない場合など、枝の張り出しを防ぐにはよいだろう。勉強になった。

 しかし、前回の76号に続き、今回も同様に高齢者関連施設が絡んでいる。これは、必ずしも偶然とは言えまい。
 この東京郊外は、最近―ここ十数年くらいであろうか―こうした高齢者関連の施設が非常に増えた。何か大きな建物が作られているな、マンションかな?などと思っていると、その多くが介護付きの有料老人ホームその他の高齢者に関わる施設だったりするのだ。比較的交通の便が良く、都心からも遠くは無く、また転用可能な土地(農地)も多く且つ周辺環境も静かで緑も多い。条件としては良い、と言うことなのであろうか(地価も比較的低いのかな。その辺よく分からないが)。
 介護付き有料老人ホームではないが、我が家のおばあちゃんが、一時介護施設(介護老人保健施設)にお世話になる際、いろいろと入所先を探したが、立地がみな似た様な場所であった。まあ、比較的近くで、と言う条件の下で探したせいもあるのだが、東京郊外、多摩丘陵の丘の上であったり、多摩川沿いの低地であったり、農地が多い里山地域だったりそして今回の様な比較的農地の多い住宅地だったりした(名前も似てるんだよな。なぜか花や木の名前が多い)。
 で、今挙げた様なこうした場所は、イメージして頂けばお分かりのように、鉄塔もまた多いのだ。このサイトで紹介させて頂いているような鉄塔の大半は、こうした場所に建っている。鉄塔を訪ね廻っていると、近くに高齢者関連施設を、しょっちゅう見かける。
 しかしだ、結構施設は多いのに、おばあちゃんの入れる施設はなかなか見つからなかった。要するに満杯なのだ。今は無理な状況です、とか、しばらくお待ち頂く状態です、等と言われることが殆んどであった。
 有料老人ホームとなると状況は多少異なるのかもしれないが、待機高齢者問題もまた、深刻なのだ。

 話がそれたが、けやき苑前から南望すれば、懸垂型78号がシルエット。

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78号と向こうに79号

 更にサクラと鉄塔のコラボを求め、南進する。

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農地の木立越しに

 春を迎え、葉に柔らかみを帯びた常緑樹の上に77号の半身を望むことができたが、次なる78号周囲にサクラは無く、カッツアイ(御免ね)。

 78号すぐ南を、東西に走る人見街道から、民家のサクラ咲くお庭越しに77号が遠く見えたので、最後に一つ。

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人見街道と77号

 この人見街道は、狭い割に交通量が多く、正直、自転車走行は余りしたくはないのだが、一部、丁度この中富線が街道を越えるその前後辺りだが、なかなか風情が感じられる歴史ある道なのである。
 この道は、道沿いの解説板によると、高井戸から人見村(現府中市浅間町)に通ずる甲州街道に並行した街道で、嘗ては甲州裏街道とも呼ばれたそうだ。一部では、街道沿いのケヤキの枝が両側から覆いかぶさり、暗闇街道とも呼ばれたとか。
 他の場所と異なり、街道両脇に農家や農地があり、そのケヤキの大木が、今も多いのが、中富線が越えるこの三鷹市の野崎辺りである(画像左端はそのケヤキの影に覆われている)。

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人見街道解説板
(取材は後日)

2018年卯月29日
(取材は3月末)

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・取材に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は三鷹市深大寺(78号は三鷹市野崎)、最寄り駅は西武多摩川線新小金井駅です

*人見街道:これも解説板によるが、空襲で焼かれた家の用材として使われ、街道沿いのケヤキはWW2中に多く減少してしまったのだと言う
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