MYSTIC RHYTHMS

日常雑記、音楽報告、鉄塔そして詩など

ミスティック・リズムス

多摩の古書店主が綴る日常雑記。古本屋な日々...

Fe塔 x=10

x=10

 西武池袋線ひばりヶ丘駅から、駅のある西東京市と隣接する東久留米市及び埼玉県新座市との境界付近の住宅街を北へ向かって自転車で走っていると、左手西側方向、東久留米市側に久留米線の鉄塔達が現れてくる。やや低い位置に見えるので、どうも落合川や黒目川の流れる低地に建っているようだ。

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久留米線の鉄塔

 この周辺、短いが可也急こう配の坂が北西側に向かって下っている道を幾つか見る。武蔵野台地の台地面から黒目川・落合川の流れる低地面へと下る斜面の坂、という事であろうか。そうであれば、私は台地の縁から鉄塔を見ていることになる。鉄塔の建つ辺りの標高は46-47mほど、私が鉄塔を見ている辺りの標高は53-54mほど。高低差は6-8m。
 上画像、鉄塔下部の奥に見える緑地は、低地向こう側の台地の縁であると思われる。

 訪問予定も無いが、どうも気になる。旅の途上でもあるし、どう致そうか逡巡したが、二度とない機会かもしれぬので、いくつか見える久留米線鉄塔の内、私のいる位置から比較的近そうな一基に目星をつけ、坂を下り接近を試みることとした。この鉄塔を仮に、久留米線x号、としよう。

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台地の上から久留米線x号

 坂の下、いつぞや田無線で出会った、立野川(たてのがわ)の細い流れを渡り、住宅地の細い路地を進むと、その鉄塔は、せんげん第七広場と言う小さな可愛らしい公園の向い、農地に囲まれて建ち、台地上の鉄塔と送電線を繋いでいた。

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台地の下から久留米線x号

 直下への接近を試みたが、その為の道は見付けることが出来なかった。基部は樹木に覆われ大プレートは見えない。探し方が下手だったのか小プレートも確認できなかった。確認できたのは、角度鉄塔であるため「第四腕金」含め北側の腕金がジャンパー線を縦碍子連で支持するため四角形になっていることだけであった。何号なのか、さっぱり分からない。
 致し方ないので、再び坂の上に上がり、お隣の鉄塔が9号であることを確認。東方の武蔵野変電所に発する久留米線であるから、xは老番側の「10」であることが判明した(標高45.8m)。

 もっとじっくり拝見したかったが、これから「鉄塔 武蔵野線」へ向かわねばならぬ。思いの外、雲が増え始めて来た。あまりノンビリはしておられぬ。急がねば。
 ネンザン、である。

 最後、久留米線の名前について。
 久留米線の名は、この路線が通る地の名前、東久留米(市)に由来するのであろうと思うが、その東久留米の「久留米」は、冒頭に書いた、現在黒目川と呼ばれる川を指す「久留米川」から付けられたと一般に考えられている。「久留米」と言う行政地名は、明治22年(1889)の町村制施行の際、久留米村として生まれたが、その後昭和31年(1956)に久留米町となった。ここまでは久留米に「東」は付かない。昭和45年(1970)に市制施行された際、福岡県の久留米市との混同を避けるため、「東」が付けられたのである。西武池袋線の駅名は、大正4年(1915)の開業当初(その頃は武蔵野鉄道)から東久留米であり、その名が馴染まれていたことも、市名決定に大きく関係しているようである。

 「武蔵野線」につづく

2017年水無月21日
(取材は5月中旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・地名の由来等は、東久留米市HPを参照させて頂きました

・標高は国土地理院地図(電子国土web)によります

・この鉄塔の建つ場所は東久留米市浅間町、最寄り駅は西武池袋線ひばりヶ丘駅or東久留米駅です

*黒目川:小平霊園内に源流を持つ東京と埼玉を流れる一級河川。古くは久留米川、来目川、来梅川などと書かれた。東久留米市内に源流を持つ落合川は黒目川の支流。立野川はその更に支流

Fe塔 横断

横断

 日電府中線脇を流れる、府中用水。多摩橋線58号近くの多摩川から取水され、国立市と府中市の低地を流れて、再び多摩川に戻る農業用水(全長凡そ6km)だ。

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府中用水
向こうは日電府中線3号

 その流れに沿う遊歩道を自転車を転がしながら歩いていると、前方、道を横断するものが見えた。

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横断者

 体長1.5mは超えるであろう、アオダイショウ(Elaphe climacophora)である。日電府中線の2号と3号の間だ。

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日電府中線2号

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日電府中線3号
向こうは4号

 ただ、ヘビさん、遊歩道を横断したはいいが、その先にあるのは、路面より一段高くなっている畑の、「石垣」風の壁。
 アオダイショウの腹板(お腹の鱗)の両端には「側稜」(キール)という角張った部分があり、これを引っ掛けて木や壁を登るのだが、どうも上手く行かぬ。一所懸命登ろうとするが、垂直な壁はなかなか攻略できぬ。

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登攀を試みるアオダイショウ

 人間にとっては如何と言うことも無い構造物も、小動物にとっては越えられぬ「壁」だ。何度も場所を変えては、挑んでいた。

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場所を変えるアオダイショウ

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新たに登攀を試みるアオダイショウ

 無理だよ、もう諦めて引き返したら、等と小声で話しかけたりなんぞしながら、そばでウォッチングしているうちに気付いた。私の存在が、ヘビの行動に影響を与えているのでは、と。私が近くにいるから、戻りたくとも戻れないのではないか、と。
 慌てて、私はヘビの傍を離れた。

 遠目に、さり気なく見ていたが、アオダイショウは暫く壁伝いに移動し、横断しきれる場所を探していた。
 遊歩道なので、自動車の危険はないが、子供たちの集団にでも見つかると、ちょっと心配だ。この辺りの子は、ヘビなど珍しがりもしないであろうとは思うが、子供は集団となると、一人の時とはまた違った、別の心理状態になったりするからな。

 東から雷雨が来そうな気配なので(3号画像の黒雲を見て頂きたい)、私はその場を去ったが、無事に渡り遂(おお)せたであろうか。

2017年水無月19日
(取材は5月半ば)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は府中市日新町、最寄り駅は南武線西府駅です

*アオダイショウ(青大将):日本固有種で全国に広く分布。多摩の市街地でも左程珍しくはない。伊豆諸島のものは国内移入種の可能性があるが不明

Fe塔 高幡不動、線 2

高幡不動、線 2

 23号は、当然ながら引き下げ鉄塔であるが、この様な長身の引き下げ鉄塔は、あまり見掛けない。
 
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桜ヶ丘線23号(平成2年6月 59m)

 ケーブルによって、高幡不動線は地下に吸い込まれて行くが、

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高幡不動線
桜ヶ丘線No.23(鉄)〜日18号YJ、とある

23号からは、何事もなかったかのように次なる24号へと、併架(へいが)された送電線が伸びている。

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23号と、向こうに24号

 実は、高幡不動線から分岐した百草線がここから始まっているのだ。然し23号に「百草線」の表記は無い。それが現れるのは24号からだ。24号も、何れご紹介したいと思う。
 しかし、高幡不動線の行先「日18号YJ」って何じゃ?「日」は日野の「日」と思うが、「18号YJ」はヤンジャン18号、ではないよな。不明だ。

 と、ここまで読んで来て頂いて、高幡不動線の「高幡不動」って何?とお思いの方もいらっしゃるのではなかろうか。
 「高幡不動」は、我々多摩育ちにとっては子供の頃から馴染みのある存在だが、多摩地域以外の方には左程の知名度は無いのかもしれないので、少し紹介したい。23号からは約1.5km離れその名を冠した送電路線とは関連はなさそうにも思えるが、でも同じ名だ。やはり触れておくべきであろう。

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高幡不動尊、不動堂(重文)

 高幡不動の正式な名称は、高幡山明王院金剛寺(真言宗智山派別格本山)。一般には高幡不動尊或いは「お不動さん」の名で親しまれているお寺である。多摩育ちなら、遠足等で一度は訪ねているであろう(と思う)。
 当寺が菩提寺と言うことで、歳三さんもおられる(お墓は石田寺にある)。

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高幡不動尊、土方歳三像

 比較的最近建てられた五重塔もある。どうも子供の頃見た記憶が無かったので、不思議に思ったが、昭和55年(1980)建立と言うことで納得。

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高幡不動尊、五重塔

 塔の裏手辺りから、急な斜面がせり上がっている。不動ヶ丘あるいは高幡山または愛宕山と呼ばれる丘だ。ここは高幡城と言う城の址でもあり、標高126mの山頂本丸址からは、北から東にかけての多摩川、武蔵野台地方面の眺望が広く得られる。下はその内の、北東の万願寺駅方面と北の甲州街道駅方面だ。

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左、北東万願寺駅方面 右、北方向甲州街道駅から立川市街方面
高幡不動尊、高幡城本丸跡から

 高幡不動線の大元、多摩橋線61号と桜ヶ丘線19号も、その先23号まで高幡不動線は全て見ることができる。余りに遠く小さいが、当然画像にも写ってもいる。下に大元の二基だけアップにしてみた。赤白でデカイ19号はお判り頂けるであろうが、61号はバックの巨大マンションに全身が完全にとけ込んでしまい良く解らない。左下に白く横長の甲州街道駅があるが、その右端近くにあるのだが。

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61号と19号アップ
身長差(31m)がゴイスー
19号向こうに見える緑のラインは狭山丘陵

 お不動さんの詳細については、こちらで紹介しているので、若しご興味がお有りであったらば、ご覧ください。

2017年水無月18日
(取材は5月中旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は日野市万願寺、最寄り駅は多摩モノレール万願寺駅です。高幡不動の最寄り駅は多摩モノレール・京王線高幡不動駅です

*高幡山明王院金剛寺:本尊は大日如来。平安初期に霊場として高幡山中に不動堂を建立したのが起源とされる

Fe塔 高幡不動、線 1

高幡不動、線 1

 桜ヶ丘線21号の記事で少し触れた時書いたように、高幡不動線は独自の鉄塔が無い。多摩橋線61号から桜ヶ丘線19号に向け分岐し、23号まで行ったところで地下ケーブルとなり地中に潜り、後はどうなるのか解らない。
 名前も気になるので、訪ねてみた。

 まずは、高幡不動線へ行く前に、近くを通ったのでサクラ満開時を紹介した多摩橋線56号下の、根川緑道へ寄ってみた。

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新緑の根川緑道

 花が散った後のサクラに、人々はとても無関心だ(そんな歌もあった)。花の候はあんなに人だかりであったのに。今は木蔭で休憩する方と散歩する近所の園児達くらいしか見掛けない。

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56号と根川

 あの時、淡紅の花に囲まれていた56号も、今は葉桜の向こう。
 鉄塔下、土手上の右の低いグレーの建物が例の「水車業跡地」銘板のある場所である。

 ここからメインの高幡不動線だ。
 根川緑道から少し南へ行けば、日野橋。これで多摩川を渡河すると、凡そ正面に、段違い分岐鉄塔61号が見える。脚元へ行けば、すぐ傍らは、多摩モノレール甲州街道駅だ。鉄塔は自転車置き場横。

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多摩橋線61号(平成2年6月 44m)
 左端は、甲州街道駅昇降口

 ここから、高幡不動線は分岐する。下画像、右上から左へ向かう送電線は多摩橋線、左斜め上へ向かう送電線が、高幡不動線である。

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61号

 高幡不動線の向かう先はすぐ東隣り、長身赤白の桜ヶ丘線19号。

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桜ヶ丘線19号

 他のサイトさんによると塔高75mなので、61号よりは30m以上高い。小さ目の鉄塔一つ分違う訳だ。
 うーん、確かにデカい。
 
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19号

 両鉄塔の位置関係を西側から見れば、この様な感じである。

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61号と19号
右下が甲州街道駅昇降口(上のものとは逆方向)

 桜ヶ丘線は多摩川南岸堤防下の19号からは、凡そ多摩モノレールと並行して進む。昭和5年(1930)開設の桜ヶ丘線の方が平成12年(2000)開設(この区間)のモノレールより70年もパイセンなので、モノレールの方が桜ヶ丘線に沿って作られた形とはなるが。
 何れにしろ、高幡不動線は桜ヶ丘線と共にモノレールに沿って南東方向へ進み、19号から四つ目の23号で、その短い路線を終え地下に潜る。

 つづく

2017年水無月17日
(取材は5月中旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔達の建つ場所は日野市日野、最寄り駅は多摩モノレール甲州街道駅です

*そんな歌もあった:風の「ささやかなこの人生」(作詞・作曲:伊勢正三)のこと。1976年リリースの名曲だ
*日野橋:日野の渡し近くに大正15年(1926)竣工。一度架け替えられている

Fe塔 台地を貫く 二

台地を貫く 二

 日野線は、3号から4号へと中央線鉄路を越える。径間は非常に短い。
 送電線を追って、私も線路を渡る。渡る神明橋(しんめいばし)のフェンスは、ひどく錆びている。

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3号-4号間を神明橋から

 フェンスの網目にレンズを差し込まねば上手く撮れないのだが、可也ざらざらとした錆の感触に、少々躊躇う。
 歩道も非常に狭いので、この神明と大坂上を繋ぐ橋、可也古いものなのであろう。

 橋を渡り切ると、右手に線路際へ降りる歩行者用階段があるが、自転車なので4号までは住宅地を少し迂回することとなる。
 若干遠回りして行きついた4号は、3号同様道路から間近に拝むことが可能だ。

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日野線4号(昭和41年9月 28m)(標高90.6m)

 4号も角度鉄塔なので、1号同様の九つ腕金である。
 鉄塔脚元向こうに見えるのが、赤錆びた神明橋だ。

 4号から先は、また緩やかな坂を、北へと下って行く。

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4号を北から

 5号鉄塔を前方に捉え乍ら下った先の左手道路脇には、この日野台地に刻まれた谷の斜面に、「坂西横穴墓群(さかにしおうけつぼぐん)」がある。7世紀後半頃(古墳時代・飛鳥時代)のものと、推定されているそうだ。

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都指定史跡坂西横穴墓群

 昭和49年(1974)、道路工事中に発見され、全七基中1号、3号そして4号の三基が保存されている。解説板によると1号は内部全面に白色粘土が塗布されており、また1号と4号壁面には馬などの線刻画や、「永仁二年」(1294)及び「永仁六年」(1298)と言う年号も刻まれているとか。700年前の「落書き」であろうか。是非見てみたいが、公開はされていない。

 さて、ついに最終5号。墓群の100m程先である。

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日野線5号(昭和41年9月 27m)(標高88.4m)

 何であろう、腰のあたりに横棒が取り付けられ、そこから南向きに伸びたロープに小さな三角形のフラッグがはためいている。旗は赤と黄色なので、明らかに危険を示す標識であると思われる。線路敷地内での作業に対し送電線への接近注意を促すものなのであろう。土木研究所の関係か、鉄塔すぐ後ろに建設会社さんの出張所がある。

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5号横棒

 横棒は可也しっかりと取り付けられている。

 鉄塔敷きは一応杭と針金で囲われているが、可也ゆるゆる。一般人は立ち入りできない場所であるから、問題は無いだろうけれども・・・、それにしても、ユルイ。

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5号鉄塔敷

 目と鼻の先の終点は、日野変電所。鉄塔無しの小さな変電所。1号からここまで、距離にして僅か六百数十m。

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JR日野変電所
右画像鉄塔は5号

 変電所北側、中央高速道下に入る手前には、旧日野停車場跡の写真パネルがある。以前紹介した、日野の街角に掲示された写真の内のひとつだ。当初の日野駅は、複線化に伴い昭和12年(1937)に移転するまで現在の駅より300m程南の、この変電所辺りにあったそうだ。

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旧日野停車場跡昭和30年代前半頃の姿

 変電所から西側の丘上住宅街に上がり、古びた大坂西公園でランチ。

 帰りのルートを探っていると、これまたひどく錆びたフェンスの陸橋に出合う。中央フリーウェイを越える大坂橋だ。これを渡り、高速道に沿った細道の向こう西北西を見ると、前方に遮るものが無い。一寸、絶景の予感がする。
 進んでみれば、細道突き当りは、丁度中央高速と甲州街道とがクロスする辺りの、日野台地の縁に架かる長い階段の頂部であった。そこから、昭島市や福生市方面の眺望が、なかなかに見事。変電所からは、300m程の距離の場所だ。

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日野台地の縁から

 武甲山(1,304m)など、奥武蔵の山々まで見通せる。赤いアーチの多摩大橋も、小さくだが見ることが出来た。

 今回の巡礼のフィナーレとして、嬉しい眺望である。

2017年水無月14日
(取材は5月初め)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・標高は鉄塔基部付近の値(国土地理院による)

・この鉄塔達の建つ場所は日野市大坂上、最寄り駅はJR中央線日野駅です

*多摩大橋:昭島市と八王子市を繋ぐ。2005年竣功

Fe塔 台地を貫く 一

台地を貫く 一

 JR中央線日野駅の南、東京都内方面から向かうと、中央自動車道を潜ったすぐ先に、ほんの短い送電線路がある。JR日野線だ。古い、可愛らしい鉄塔がたった五つだけ、線路際に並んでいる。
 この日野線の建つ区間、中央線は、東の日野市役所と西の実践女子大学の間を切通し(きりどおし。山・丘を掘削して通した道)の形で日野台地を貫いている。よって線路の際に建つ鉄塔達は、谷の底に建つような形となっている。

 順番通りに行くこととしよう。

 まずは、日野線が分岐する高幡線37号。典型的な分岐段違い鉄塔だ。

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高幡線37号(標高102.1m)

 西側、斜め下のJR中央線際に向け分岐している。左右方向の高幡線は、直線であるように見える。

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37号

 ここからは日野線だ。
 1号。小柄で、少々白っぽい塗装が施されたその姿の印象は、繊細華憐。

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日野線1号(昭和41年9月 25または26m)(標高92m)

 下を走るオレンジのラインはE233系、谷向こうは実践女子大学。
 プレートによると「JR日野線」とはなっているが、管理は東電のようである。
 標高を見ると、1号の建つ「谷底」は、高幡線37号の建つ台地上からは約10m低い。

 そこそこの角度が付いているため、1号は37号方向に向く面に腕金が一つずつ増設されている。計九つの腕金は、あまり見かけるものではない。

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1号腕金

 視線を北に移し見やると、I字懸垂型の2号鉄塔が線路際の木立の上に抜きん出ている。1号よりは、やや背が高い様だ。

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1号方向から2号

 2号へと進むと、手前には矢頭橋(やがしらばし)が横たわる。その橋の中程まで行き南望すれば、37号・1号方向が見渡せる。切通しの様子が、お分かり頂けるであろうか。

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矢頭橋から1号方向
右の鉄塔は高幡線36号

 手前の建物は、鉄道総合技術研究所日野土木実験所の設備。実験所は線路設備に関した比較的規模の大きな屋外・室内試験を行うところだそうだが、谷底には似た様な設備が他にも見られる。

 橋上から振り向けば、2号は至近である。

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日野線2号(昭和41年9月 31m)(標高90.5m)

 橋袂(たもと)からでは、少々角度が無い。2号については、矢張りベストポジションは橋上となろうか。

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矢頭橋袂から2号

 次なる3号鉄塔は、緩やかな坂の下である。

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2号方向から3号
貨物が通る

 ここまで来ると、もう、谷底感はない。

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日野線3号(昭和41年9月 23m)(標高90.5m)
「あずさ」が通る

 通り行く電車には目もくれず、フェンス越しに鉄塔を見る私を、通り行く人びとが怪訝そうに見る。鉄道鉄ちゃんは社会的に認知されているが、鉄塔に注目する鉄塔鉄ちゃんなどほぼ知られていないから、当然だ(しかも恰好は若いがよく見るとオッサンだし)。
 しかし、注目する者の数少ない鉄塔、詰まり人の目に晒されることの少ない鉄塔には、だからこその美しさがある。それはニンゲンの容赦ない視線攻撃からは無縁の、無垢の美しさである。

 続く

2017年水無月12日
(取材は5月初め)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・標高は鉄塔基部付近の値(国土地理院による)

・この鉄塔達の建つ場所は日野市大坂上(高幡線は神明)、最寄り駅はJR中央線日野駅です

*東京都内:字義的には東京全域だが一般には区部(23区)を指しここでもその意味で使った。多摩は一般には、東京都下と言う
*日野台地:日野市西部に広がる台地。縄文時代早期(約一万年前)には集落が形成されていた
*日野土木実験所:昭和45年(1970)に千葉県の津田沼から移設された

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激階段下

 遠くから見ると、高幡線は、41号43号の間で架空線が緩い「V」時になっている。詰まりこの42号は、前後に比し大分低いという事だ。

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高幡線42号
引下げ用の腕金は使われていない

 他のサイトさんによると41号、42号共に33mである。42号の建つ場所が標高72m、41号が建つ日野台地の縁は20m程の崖線上なので標高は98.9m。数字だけ見れば、26.9m下がっていることになる。

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42号下から激階段と41号を見上げる

 最終の43号は塔高不明だが、石田大橋から眺めると、お隣の高さ47.5mの多摩橋線63号より少し高い様に見えるので、

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石田大橋から(撮影は後日)
デッカイ桜ヶ丘線23号の左下二基、右が63号、左が43号

仮に50mとすると、標高が71.9mだから、42号から約17mほど上がっていることになる。

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42号と左下43号

 42号から43号へと中央フリーウェイ(中央高速道)を越えるが、42号の高さはこれで十分という事なのだろう。

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42号と中央フリーウェイ

 右手を見れば、日野台地の上に41号と40号が連なっている。

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日野台地上の41号と40号

 これらは、北側の畑の畦道から撮らせて頂いた。お邪魔しました。

 まだ時間も早いので、42号を後に日野の街をぶらつく。
 43号の時に、「日野本陣」を紹介したが、今回は同じ市街の、街角に展示された写真たちを、そのほんの一部だが幾つか紹介したいと思う。
 日野の街には、その場所の古(いにしえ)の姿を写した写真パネルが、あちらこちらに掲示されており、非常に興味深いのだ。

 まずは、日野警察署近く、大正15年(1926)に日野橋が開通して間もない昭和2年(1927)頃の甲州街道と、パネル前の現在、90年後の甲州街道(都道256号線)。当時の道路は、今再注目されているコンクリート舗装。

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甲州街道−下町・下河原付近−

 このパネルの向い側、甲州街道を渡って、写真の中央辺りに当たる新奥多摩街道入り口付近の道路(都道149号線)脇にあるパネル。

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日野橋竣工間際の日野渡船場

 大正15年開通の日野橋がまさに建設中の頃の渡船場。日野橋ができるまでは、冬場は仮橋、夏場は渡し船で往来していたのだそうだ。

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左、日野尋常高等小学校 右、日野町役場

 左は大正15年(1926)撮影の日野尋常高等小学校校庭に集まった生徒と先生達。現在の中央公民館と福祉センターなどの場所。生徒たちの向こう中央正門前が町役場で、右画像がその町役場(昭和26年(1951)撮影)。明治10年(1877)建設の尋常高等小学校校舎を明治45年(1912)に移築して使用したもの。オッサンの私もさすがにこの手の古い建物を実際に見たことは無いが、なぜか懐かしさの込み上げる風姿である。出来得れば、残して頂きたかった。

 最後のパネルは、違う意味でも興味深かった。

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日野用水−精進場付近−

 昭和4年(1929)撮影の日野尋常高等小学校裏の日野用水。校外授業を受ける女の子たちの向こうは田圃を挟んで多摩川なのだが、その対岸に、薄っすら可也大きそうな鉄塔が写っているのだ。中央右、皆より一段高い所に立つ四人の子の右、電柱との間だ。現在で言うと、桜ヶ丘線15号の辺りに建っている、様に思える。
 パイセン鉄塔サイトさんの桜ヶ丘線に関する記述によると、桜ヶ丘線開設は昭和5年だが、元はそれ以前に開通した幹線送電線の一部であったのだそうだ。すると、やはりこの鉄塔は、翌年桜ヶ丘線として開通する鉄塔であるのであろうか。解らないが、興味深いぞ。

 これ等パネルの掲げられた街々は、距離的には42号から西北に数百mほど。鉄塔をお訪ねの際は、少し足を延ばして市街もあわせて訪ねては如何であろう。

 端午の節句間近。鯉のぼりも元気だ。

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民家の鯉のぼり
手前にチャイチイのもいるぞ

 見事な泳ぎっぷりに、通りすがりの車の方も、助手席の窓からスマフォを出して写しておられたよ。

2017年水無月9日
(取材は4月末)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は、最寄り駅はです

*街角の写真パネル:常設のものの他に、「まちかど写真館inひの」と題され期間限定で掲示されるパネルもある。上の「日野町役場」はそれである。なお、これら写真につきましての詳細は「日野宿発見隊」HPをご参照下さいませ
*コンクリート舗装:現在一般国道の数パーセントに過ぎないが、耐久性が高く長寿命で白っぽいため高温になりにくくヒートアイランド現象緩和にもつながりアスファルトよりエコであると最近見直されている
*尋常高等小学校:旧学制当時のもので尋常小学校と高等小学校を併せたもの。尋常小学校は義務教育で6年制(当初は4年)。高等小学校は尋常小学校卒業者が行く更に程度の高い学校で2年制(当初は4年)。義務制ではない。昭和16年(1941)国民学校令により前者は国民学校初等科(6年)後者は国民学校高等科(2年)に改編され、計8年の義務制となった

Fe塔 曲者―三鷹旅 2

曲者

 車返線45号は、44号からは可也短い径間で建っている。

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車返線45号(平成11年3月 41.2m)
道路南から

 架空線(がくうせん)は、44号から再びバス通り上空を渡り、45号に続いている。

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45号
道路北から

 詰まり、バス通り北側の43号から南側の44号に渡り、また45号へと北側へ戻る訳である。
 なぜに一旦道路を越えるのか。昔の航空写真(1947年)を見ると現在の44号と45号に相当する鉄塔は、共に道路の南側に並んでいる。新旧写真を見比べると、道路の方が位置を変えた、という事の様にも思える。でも、詳細は不明だ。

 次なる46号は、かえで通りを越えた住宅街。

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車返線46号(平成11年3月 41.2m)

 南北に超細長い通りの、そのすぐ脇に建っている。


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46号と南北に長い通り

 これは、バス通りから僅か入った南側から、通りと46号を見た図。

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46号と南北に長い通り

 こちらは、同じ通りを200m程奥へと入った北側から見た図。
 この南北方向に伸びる通り、曲者で、この地域には似た様な道路がとても多く、東西に走る車返線を追って東西方向に走ると、あちらこちらでこういった路に行く手を阻まれる。

 曲者、とは言ったが、これ等道路、地域の歴史を語る立派な遺産なのである。

 この鉄塔達が建つのは、三鷹市の深大寺(44号)および井口(45・46号)という辺り。以前書いたように、ここは車返線の北をほぼ並行して走る連雀通りを中心に、江戸時代の新田開発の際、短冊形に地割(じわり。土地を区画し割り振ること)されたその名残が、南北に細長い街区として今も見られる地域。既に紹介済みの49号、これが建つお隣上連雀などは更に顕著に残っている。

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45号46号の間(井口3丁目)

 上の場所は45号北200m少しの小学校横で、通りの中央辺りから、左は北を右は南を見ている。下は44号の北約600m程の連雀通りを北に渡った辺り。

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連雀通り北(井口3丁目)

 これ等の南北に細長い通りは、短冊と短冊を仕切る細道が幅や形を変え現在に残るものだ。46号直下の通りなど、まさに典型的なそれであると思う。
 井口から1km少し東の下連雀辺りでは、連雀通りを中心に北の玉川上水と南の人見街道との間に並ぶ短冊の、その一つ一つは、長さ南北約720m、幅東西約65mで、それが林、畑(上畑・中畑・下畑)そして屋敷に大別されていた。不明ではあるが、井口の短冊も似た様な規模だったのではなかろうか(素人考えです)。

 正直、自転車では走り難さを感じては仕舞うが、この細長い街区や通り、古の先人たちの生活の痕跡と思えば、何とか、現代の生活の中でも工夫して伝えていきたいものと思う。勿論、それは、これら街区・通りに限ったことではないが。

 最後、46号の正面を拝んで、撤収。

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46号を西から

 おまけ。
 今回紹介した鉄塔達からは、2km程と少し距離があるが、南西に少し足を延ばせば、国際基督教大学(ICU)に隣接して野川公園がある。

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野川公園北東部

 これは公園北東の隅「わき水広場」辺りだが、園は広大で季節問わず、落ち着いた雰囲気の中で休息できるお薦めの場所だ。公園北縁の国分寺崖線(はけ)下には、自然観察園もある。

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野川公園自然観察園ゲート

 公園から、もう少し西行すれば、車返線ガントリー列や「霊園鉄塔」も拝める。自転車ならほんの僅かである。

2017年水無月7日
(取材は4月末)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・スマフォで閲覧されている場合マップの航空写真が見られないことがあります。その際はお手数ですがPC版サイトに切り替えてご覧ください

・この鉄塔の建つ場所は三鷹市井口、最寄り駅はJR中央線武蔵境駅です

*短冊形地割:青梅街道沿いに残る小平市も有名である(こちらこちら
*都立野川公園:昭和55年(1980)開園。調布市、小金井市そして三鷹市にまたがる。元は国際基督教大学のゴルフ場

北の離れ 悪夢

悪夢

 「テロ等準備罪」は心配である。テロ対策には国際間の緊密な連携、情報の共有など絶対不可欠なので、相応の国内法の整備は必要ではあると思う。しかし、だ。いろいろ心配である。
 「一般市民」は捜査対象とならないとは言うが、テロを行おうという人々は、まさにその「一般市民」に紛れることに心砕いているのではなかろうか。そうした人々と無関係な人々を区別するためには「一般市民」とて捜査対象とせざるを得ないのではないであろうか。
 「思う事は自由」の内心の自由や「言う事・書く事は自由」の表現の自由は、人権の基本中の基本である。これが脅かされれば、環境問題に関する運動や反原発運動或いは反戦運動などにも広く影響しかねない。

 「テロ等準備罪」。どうも、「治安維持法」や「予防拘禁」などの名前が思い出されてしまう。
 「治安維持法」は、大正14年(1925)に制定された、天皇制・私有財産制否定を目的とする組織や行動を取り締まるための法律。お分かりのように、元来は当時の日本共産党を中心とした共産主義運動・革命運動を取り締まることを想定したものであったが、その後、共産主義運動・革命運動とは無関係な宗教団体や組合活動、政府批判などにも適用対象が広がり、思想統制・弾圧のために利用された法律。「予防拘禁」は、治安維持法違反者で、再犯の可能性ありと認められた場合、刑期満了でも既に出所した者でも拘禁可能とするもので、昭和16年(1941)に導入され思想犯に対し採用された。
 なんともオソロシイ法律だが、ほんの数十年前、この国に確かに存在していたものなのだ。

 自由が脅かされるときは、人間の人間らしい生活が脅かされるときなのである。
 そんな時代は、悪夢以外の何物でもないのだ。

2017年水無月6日

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*内心の自由、表現の自由:前者は憲法十九条で、後者は憲法二十一条でそれぞれ保障されている

Fe塔 用語集 あ−こ

Fe 鉄塔用語集

§索引

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さ行・た行

な行・は行・ま行・や行・ら行・わ行

*用語はこれからも少しづつ増やしてゆく所存です

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I字懸垂:「懸垂型」参照。

赤白鉄塔(あかしろてっとう):航空法第五十一条の二の規定により高さ60mを超える鉄塔は、下から赤白赤白赤白赤と交互に七分割で塗装する。これを昼間障害標識と呼ぶ。基本的に航空機からの視認性を高めるためのもの。高光度航空障害灯または中光度白色航空障害灯を設置している場合や法施行前に建てられた鉄塔などは60m超でも赤白ではない場合がある。

アーキングホーン:碍子連両端にある角状の電極。落雷時など安全に放電させ碍子を護る。アークホーンとも。



イエロー・ハット:塔頂部のみ黄色塗装が施されている鉄塔。只見幹線で見る。低空を飛行する事の多いヘリコプターに対するもの。鉄塔が目立たない場合、他の送電線と交差する場合、ヘリポートが近い場合、大きな道路を越える場合などに施されるものらしい(参考:12

烏賊さん:架空地線が一本で塔頂部が第一腕金と一体化し三角形を形作るタイプの鉄塔。昭和初期など古いものに多い(参考)。

イキフン:雰囲気の意。

一本角:架空地線が一本で、頂部に地線支持部が一つのみの鉄塔。



V字懸垂:「懸垂型」参照。

腕金(うでがね):鉄塔上部、左右に張り出した送電を支持するための腕状の部位。2回線鉄塔の場合、通常左右に三つづつ。私は上から、第一腕金、第二腕金そして第三腕金とそれぞれ呼んでいる。地線が二本の場合は地線用腕金もある。





老番(おいばん):番号の内で数の大きい方。鉄塔番号では終点方向。

オカサカ:岡部境線。

男鉄塔:男性型鉄塔。懸垂型鉄塔の事。女鉄塔に対するものと思われるが、肩いからせて男性的に見えないことも無い。「鉄塔 武蔵野線」内で主人公たちが使用する語。

踊場:作業員の方がメンテナンス時に使用するバルコニー用の構造物。有無や数、形状は種々ある。

女鉄塔:女性型鉄塔。耐張型鉄塔の事。ジャンパー線がまつ毛の長い女性の目やアクセサリーを連想させるため。「鉄塔 武蔵野線」内で主人公たちが使用する語。



碍子(がいし):磁器製の絶縁体(ガラス製等もある)。これを複数連ねたものを碍子連と言う。鉄塔と送電線を絶縁する。

回線:三相交流送電線三本一組の単位(「回線札」参照)。

回線札(かいせんふだ):送電線は通常、電線三本一組で「一回線」とし、それが事故防止のために二つ架けられ(2回線鉄塔)、両者を区別するため「1号線」「2号線」と称する。それを表した札が回線札。

カウンターウエイト:着雪による送電線のねじれを防ぐための錘。捩じれ防止カウンターウエイトとも。

架空線(がくうせん):架空送電線。鉄塔に架け渡された送電線の事。被覆の役割を空気が行う裸線が用いられる。亜鉛メッキ鋼線の周りに硬アルミ線を撚(よ)り合わせた鋼心アルミ撚り線(ACSR)が多く使用されている。

架空地線(がくうちせん):落雷除けのため鉄塔頂部に架け渡らせたアース線。グラウンド・ワイヤー(Ground Wire)。一本の場合(一本角)と二本の場合(二本角)があるが、まれに無いものもある。地線が一本となるか二本となるかは腕金の幅によって決まる(らしい)。

角度鉄塔:そこで送電線が角度を変え曲がる鉄塔。

嵩上げ(かさあげ):高上げ(たかあげ)とも。主に市街化により鉄塔の塔高が不足となった場合に行われる。都市部における鉄塔建替えの理由の多くは嵩上げのためと思われる(参考)。

嵩上げ工法、嵩上げ装置:活線状態の鉄塔を元位置のままジャッキ様装置で持ち上げて下部あるいは中途に部材を継ぎ足し嵩上げする工法及びそのための装置。

活線:通電している送電線。この状態での作業を活線作業と言う。停電状態での作業は停電作業。

カテナリー曲線(catenary):懸垂線。糸や鎖、電線等の両端を固定し吊り下げた時に出来る曲線。

カラス:通常見掛けるのはハシボソガラスとハシブトガラス(共にスズメ目カラス科カラス属)の二種。鉄塔にとっては最も近しい存在の鳥であると同時に、或る意味天敵とも呼べる存在。敵も近寄らず見晴らしも良い鉄塔上に春から夏にかけよく営巣するが、送電線への巣材の接触が送電トラブル(停電)の原因となる。よって営巣防止のための種々の工夫がなされている(参考:12)。

カリガツ:がっかりの意。

幹線:鉄道網・道路網・送電線網などで主要となる路線を指す。送電線では只見幹線など。

ガントリー:門型の構造物を指すが、ここでは門型の鉄塔を指す。鉄道、道路、水路上等に敷設される場合採用される形。



ギャロッピング現象:強風を受け、着雪・着氷した送電線に揚力が生じ不規則に激しく振動する現象。送電線の接触によるショートが起こり危険。



矩形(くけい):長方形。長方形をした鉄塔を矩形鉄塔と言う。

クリソツ:そっくりの意。



径間(けいかん):二点間の距離。ここでは鉄塔間の距離を言う。

下駄:何らかの理由による鉄塔の嵩上げのため脚下に付け足された構造物。通常コンクリート製(参考:123)。

結界:鉄塔敷内の鉄塔の四つの脚基部に囲われた四角の領域。「鉄塔 武蔵野線」内で主人公たちが使用する語。都市部では殆どがフェンスで囲われ滅多に入ることはできない。

結界見上げ:結界内から真上を見ての図。独特な幾何学的異空間。結界内に入ることが困難な都市部では滅多にお目にかかれない(参考:123)。

原子力発電:ウラン、プルトニュウムの核分裂エナジーを熱エナジーに変換して蒸気タービンを回し発電する。当サイトでは、放射性廃棄物処理また事故、軍事転用及びテロの危険性等、問題点が多いと考え否定的立場をとっている(参考:再生可能エナジー)。

懸垂型(けんすいがた):鉄塔に送電線を吊り下げる形で支持するタイプ。碍子の数が少なくて済むが強度が低いので主に直線区間で用いられる。碍子連がV字型となるものとI字型のもとがある。



ゴイスー:すごいの意。

鋼管タイプ:主柱等の部材がパイプ状の鋼管で構成された鉄塔。

国分寺崖線:武蔵野台地、武蔵野面と立川面を分かつ崖の連なり。多摩川により形成された河岸段丘。武蔵村山市辺から大田区辺まで連なる長大なもの。高低差は数mからは20mほど。緑地が多い。地元では「はけ(ハケ)」と呼ぶ。国分寺線、久我山線、中富線、境八王子線、新鶴見線などこれに沿うもの或いはこれを跨ぐものなど多くの鉄塔と関わる。

コロナ放電:局部的に高電圧が生じ部分的に絶縁が破壊され生じる発光放電現象。電力損失、電波・通信障害・音等が発生する。

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Transmission Tower in Japan

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