MYSTIC RHYTHMS

日常雑記、音楽報告、鉄塔そして詩など

ミスティック・リズムス

多摩の古書店主が綴る日常雑記。古本屋な日々...

Fe塔 八回線 5―水野

八回線 5―水野

 水野線だが、2号(標高63.3m)は制御所正門前から更に奥まった場所にある。
 制御所東に隣接する、畑の隅っこ。結界にフェンス等は無く、自動車から護るためのガードレールがあるのみで入れそうではあるが、畑と一続きの様にも見えるので、自重。

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水野線2号(平成4年8月 55m)

 こちらは3号と違って、小プレートは北西側主脚に簡単に見つかった。―いや、待てよ、若しかしたら3号の小プレもここと同じ場所にあるのかもしれない。後で、もう一度探してみよう。どうせ次は4号に向かうのだし、同方向だ。

 水野線は、四路線八回線計24本の架空線が架かるが、縦方向に三路線六回線計18本の架空線が並ぶ国分寺線鉄塔と異なり、縦と横の折衷方式なので、縦には二路線四回線計12本の架空線しか並ばない。

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2号併架略式図
縦横の線が鉄塔を示す

 よって、国分寺線ほどの迫力は、ない。だが、鉄塔本体の迫力は、こちらの方が遥かに優る。

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2号

 太い鋼管の主脚が収斂した上部に、短い腕金が密集し、ぐるぐると架空線が巻き付いている。ユニークな、ルックスだ。どうも私は、こうした変り者、いや個性派に惹かれる。

 水野線に併架された四路線のそれぞれは、この変電所に最初または最後の鉄塔が建つ。

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水野線1号

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東大和線76号

 左に水野線の始まり1号、その右に東大和線最終76号。ともに、敷地の南東隅近くで、私のすぐ背中側はお隣のゴルフ練習場だ。
 二基はクリソツだが、これらの右側に、同じ様にクリソツな鉄塔が更に二基建っている。きれいに刈り込まれて密に繁ったサワラの生垣(76号の右手前に見えている)に阻まれ見えないが、他のサイトさん(TinySlopeさん)を拝見すると、76号側に川越線1号、その右に膝折線1号である(膝折線だけ若干離れている)。

 地図に拠れば、制御所や2号のあるのは、新田義貞軍が分倍河原から退却した「堀兼(ほりがね)」だが、制御所の西から南西にかけての一帯は、狭山市大字「水野」となっている(制御所の西端が少し水野にかかっている)。普通に考えれば、これが水野線の名の由来と思われる。しかし、鉄塔あるあるの一つ「その地名の所通ってませんけど」パターン(久我山線桜ヶ丘線など)で、水野線は一つも水野を通っていない。堀兼と水野との境まで最も近い1号鉄塔でも、凡そ125m離れている。惜しい。惜しいが、全然掠ってない。

 さて、次は4号だが、その前に3号に戻り小プレを確保。

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3号少プレ(平成4年8月 53m)

 やっぱり、2号と同じ場所にあった。北西側の主脚だ。なぜ、気付かなかったのであろう。ここも見たと、思うのだが。ポンコツだなあ。

 6につづく

2019年霜月26日
(取材は10月下旬)

――――――――――――――――

・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これらの鉄塔の建つ場所は狭山市大字堀兼、最寄り駅は西武新宿線入曽駅です

*堀兼、水野:堀兼は元は堀兼村で合併など経、昭和29年(1954)他村と合併し狭山市となった。水野村は寛文6年(1666)に川越藩の領地として生まれ、明治22年(1889)他村と合併し入間村となる。昭和29年に入間村が堀兼村などと合併し狭山市となる
*退却:元弘3年(1333)5月15日、分倍河原で北条幕府軍と戦い破れた新田軍は一旦堀兼へ退却し、援軍を得て翌16日再度分倍河原で戦い幕府軍を破った

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

(スマートフォン版は、通信の最適化により画像の画質低下・サイズ縮小となっている場合があります。ご了承下さい)

Fe塔 八回線 4―制御所

八回線 4―制御所

 さて、変電所だが、その前に、右手の畑の中に建つ、新座線2号と思しき巨大鉄塔が気になるので、まずはそちらを取材。

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新座線2号(標高59.8m)
プレート向こうは3号

 新座線の2号。可也デカい。
 画像では左側になるが、2号すぐ手前右に、四回線の小柄な鉄塔が建ち、上段が2号の下段に続いている。

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脇田線3号(昭和50年11月 38m)

 これが脇田線で、下段は日高線である様だ。脇田線としては3号、日高線としては2号に当たるようである。
 この二鉄塔の建つ鉄塔敷は、一見開放されている様にも見えるが、道路際の柵の切れ目にはチェーンが渡され進入は拒まれている。ネンザン。

 振り向き、万年塀と金網の向こうの変電所内を見る。位置的に言えば、こちらが新座線の1号鉄塔であろう。

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新座線1号

 架空線も2号へと続いているので、間違えは無いと思う。後に見える鉄構から、供給を受けている。

 この1号の右手、敷地の北端辺り、笠をかぶった様な小さな鉄塔があり、これに脇田線3号の下段から続いているので、日高線の3号であろう。

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日高線3号
向こうは南狭山線42号、狭山線28号

 左手奥の赤白は南狭山線42号で、日高線は此処へと繋がり4号に相当するようだ。左端は、狭山線28号。新座線2号の中段からこれに繋がっている。
 大分ザツフクで分かり難いが、整理しよう。そうしないと、混乱する。
 新座線2号の上段は新座線で3号に向かい、中段は狭山線でこれが狭山線28号へと繋がる。そして下段に脇田線3号の上段が繋がり新座線3号へと向かっている。

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新座線2号
上段は新座線、中段は川越線、下段は脇田線

 脇田線3号の下段、日高線は日高線3号に繋がり、更に南狭山線42号の下段へと繋がっている。という事だ。

 私が居るのは変電所東側だが、反対の西側には只見幹線鉄塔が並んでいる。多摩変電所同様、ここも只見幹線から電気の供給を受けている様だ。行ってみたいが、かなり時間がとられそうなので、今回は、カッツアイ。何時か再訪し、じっくり取材したい。

 さて、新座線他の鉄塔の左手、変電所入口と思しき方(かた)へと向かう。

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志木制御所狭山分所

 変電所の表札を見たら、「志木制御所狭山分所」(標高61.5m)とある。あれ?「南狭山変電所」だと思っていたが。私が見た限り、「南狭山変電所」の文字はどこにも見当たらない。変わったのであろうか。

 ところで、制御所と変電所の違いは、何であろう。調べると、変電所は「変電」する所だが、制御所は変電するだけでなく、管轄区内にある他の変電所を「制御」する役割も担っている、という事の様である。東京電力の場合、約1,600箇所の変電所のうちなんと99%が無人化されており、それを65箇所ある制御所で、機器の監視制御をしているのだそうだ。
 発電所から送電されて来た電気を、最終的に住宅や商店などに届けるのが配電用変電所だが、これら変電所は制御所などによって遠隔制御されており、高圧配電線の故障時、詰まり停電時などは、昔のように制御所から作業員さんが現地出動しなくても、速やかに故障区間の自動検出・自動切離しが行われて、健全区間で送電を行えるようになり、停電時間が短縮出来るのだそうな。
 確かに、私の子供の頃に比べたら、停電は随分と早く復旧するようにはなった。がしかし、このシステム(配電自動化システム)も、今年の台風15号の際の様に多くの電柱が倒れ広範囲に渡って配電システムが破壊されてしまえば、効力は発揮できない。景観面だけでなく、こうした安全・防災面でも、電線地中化・無電柱化を進めて頂きたいと、改めて思う次第だ。

 では、水野線2号へと向かおう。

 5につづく

2019年霜月25日
(取材は10月下旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・鉄塔同定には「TinySlope」さん、「あこうホームページ」さんを参照させて頂きました

・これらの鉄塔の建つ場所は狭山市大字堀兼、最寄り駅は西武新宿線入曽駅です

*無人化:東電HPには、2017年度までに周波数変換設備を除く全変電所を無人化するとあるので、すでに無人化は100%かもしれない

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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Fe塔 八回線 3―農地

八回線 3―農地

 水野線3号から2号の建つ変電所へと向かう。
 すぐに、今まで歩いて来た(砂利道なのでロードバイクは押して来た)鎌倉街道が途切れ、並行する二車線道路へと出る。と、右手、だだ広い農地と、その向こうの鉄塔が、否が応でも視界に入る。

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狭山市堀兼の農地

 街道東側の木立に遮られ全く見えなかったので、突然の、広大なる風景展開。

 しかし、あの赤白鉄塔は何線だろう。

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何線であろうか

 それにしても広い。北海道の様だ(行ったこと無いけど)。秋留台地の農地も広かったが、桁違いな感じである。あちらの農地はあの場所だけだが、こちらは周囲も似たような環境だ。
 下は、私の背中側の景色。

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堀兼の農地

 あの、あきる野の風景と似てはいるのだが、何かが違う。でもその、何か、が何であるかは分からぬ。流石埼玉、東京とは違う、としか言いようがない。
 誤解のない様に言っておくが、埼玉をディスっている訳では全くない。シンプルに、この風景に感動しているのだ。

 もう、上の写真に一寸写り込んでしまったが、道路からクルリと180度方向転換し望めば、畑の向こうに変電所が、多くの鉄塔を建て並べているのがよく見える。

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南狭山変電所

 此処を目指す訳だが、まずは、その手前に建つ巨大鉄塔を確認する。これが分かれば、農地の向こうの名称不明の赤白の正体も知れる。

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何線?
右の道路は車が多いのでご注意を

 接近したが、手前にセイタカアワダチソウ(Solidago altissima)の群落があり、かなり離れないとプレートが見えない。

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セイタカアワダチソウと鉄塔

 遥かに遠いが、zoomingすれば、

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新座線3号

新座線3号(標高60.0m)だ。
 という事は、赤白さんは4号(標高61.6m)という事になる。初回「1 鎌倉街道」で、神米金(かめがね)から水野線を望んだ際、遠くに見えた赤白は、これだったのだ。

 さあ、気が済んだ。
 畑中の一本道を、変電所へと向かう。

 4につづく

2019年霜月24日
(取材は10月下旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これらの鉄塔の建つ場所は狭山市大字堀兼、最寄り駅は西武新宿線入曽駅です

*セイタカアワダチソウ:北米原産のキク科多年草。明治期に鑑賞用に持ち込まれWW2後米軍物資と共に持ち込まれほぼ全国に急拡大。侵略的外来種の代表的存在で要注意外来生物に指定されている。根から周囲の植物の成長を阻害する物質を出す(アレパシー)

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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Fe塔 八回線 2―楔

八回線 2―楔

 鎌倉街道を進み、水野線3号直下に達し仰げば、まあなんと厳(いか)つい。

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水野線3号(標高66.1m)
幅を1/3にすれば四角錐か

 こんな鉄塔初めてだ。四角錐でもない、ガントリー(門型)でもない。両者を折衷したようにも見えるが―。楔型或いはドアストッパー型とでも言っておこうか。一応。

 鉄塔敷は、砂利を敷き詰め、囲うものは何一つ無い。
 有難く入らせて頂く―、と思ったが、その前にプレートをゲット。結界フリーに浮かれて、忘れてしまうと大変である。

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3号

 埼玉では青文字になる大プレート(東京は黒文字)の他に、併架(へいが)された四路線八回線の架線場所の略式図がある。でも、小プレートが幾ら探しても見当たらない。
 略式図を子細に、見てみよう。

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3号併架略式図

 西側(画面左側)上段に水野線、下段に東大和線が架けられ、東側上段に川越線、下段に膝折線が架けられている。どちらも外側が1号線、内側が2号線となっている。鉄塔本体も描かれているが、褪色はげしくほぼ見えない。

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3号回線札
左、水野線・東大和線2号線 右、川越線・膝折線1号線

 複数の路線が併架された鉄塔は随分見て来たが、こんな親切に路線の表示がなされている鉄塔はお初にお目にかかる。この表示は私の様な鉄ヲタの便宜の為のものではなく、送電線管理の為のものであるから、管理関係者の方々も、この鉄塔は分かり難いということなのであろう(と思う)。

 少プレは気になるが、そうそうゆっくりもしていられないので、結界見上げを。

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3号

 初めて見る景色。鋼管型で部材が少なく、いやにスッキリとしている。横幅も広いので、妙にスカスカ。等辺山形鋼により構成された四角錐鉄塔(こちら)とは大分と異なる。個性的で、よろしい。

 鉄塔敷に入れるのは、滅多にない機会、360度じっくりと拝見。

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左、南西 右、東北

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左、南東 右、西北
3号

 鉄塔は、東は鎌倉街道、北は建設会社さんの資材置き場、そして南と西は休耕地的な空き地にそれぞれ面している。

 脚下部に被せられた、細長い鉄板が目に付く。

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昇塔防止装置

 昇塔防止装置、であるのだろうけれど、初めて見るタイプ。確かに、昇り難そうではあるが、裏側(主脚の反対側)は無防備である。大丈夫なのだろうか。

 鉄塔敷を歩き回っていて気付いたのだが、この3号鉄塔の脚基部にはいやにカマキリが多い。オオカマキリやハラビロカマキリだが、なぜかぽつりぽつりと彼方此方にとまっている。日向ぼっこか?それにしては今日は暑い。神無月も終わりに近いが、暑い。パンツは七分丈で丁度良かったが、トップスはロンTに半Tを重ね着してきたのだけれど、半T一枚で充分であった。空き地向こうの林からは、真夏の如く元気なアブラゼミの声も聞こえて来る。

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カマキリと影

 画像の個体は、前脚に黄色いぽつぽつもあるし、前胸が短く全体にぽっちゃりしているので、ハラビロカマキリ(Hierodula patellifera)であろう。腹部末端(オシリ)を見ると、♀である様に見える。可也警戒されてしまい、この直後部材の後ろに隠れてしまった(ゴメンナサイ)。

 3号の結界から北を望むと、2号鉄塔と変電所のマイクロ波塔が重なって見える。

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水野線2号とマイクロ波塔

 行ってみよう。

 3につづく

2019年霜月23日
(取材は10月下旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は狭山市大字加佐志、最寄り駅は西武新宿線入曽駅です

*回線札:通常送電線は二回線なので、二つの回線を1号線、2号線と区別し回線札で表す
*カマキリ:関東で普通に見る緑色のカマキリは、オオカマキリ、チョウセンカマキリ、ハラビロカマキリ辺り

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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Fe塔 八回線 1―鎌倉街道

八回線 1―鎌倉街道

 埼玉県所沢市大字神米金(かめがね)の、畑中の一本道。

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神米金の一本道

 ここから農地越しに北方を望めば、初夏の頃、荒幡富士の山頂から遠望した、特異な形態の水野線鉄塔の姿が見える。ついにやって来た。

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サトイモ畑の向こうに水野線

 四角いのが水野線で、おそらくは6号(左)と7号(右)。両者の間の赤白は何であろうか。
 この地域ではお馴染みの、お茶畑の向こうにも見える。

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狭山茶畑の向こうに水野線

 左端の四角い赤白は多分、水野線5号。6号との間に建つのは水野線の8号であろう。
 6回線、計十八本の架空線を支える国分寺線をここの所続けていくつか紹介したが、今回訪ねる水野線は、なんと8回線。計二十四本もの架空線を、支えているのだ。しかも、可也の異形。楽しみである。

 この辺り、初の訪問でまったく土地鑑が無いが、家々や雑木林の上にチラリチラリと見える鉄塔を目当てに、ロードバイクを走らせる。すると、意外と交通量の多い二車線道路の西側に並行し、木立の中を細道が通っているのが目に付いた。これは、旧鎌倉街道だ。

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鎌倉街道

 前回、小平線の13号と14号が跨いでいるのを紹介した、あの鎌倉街道上道(かみつみち)の続きである。また、ここで再び出会った。
 この辺りもう狭山市で、地図を見ると東側は大字堀兼(ほりがね)、西側は大字加佐志(かざし)なのだが、街道部分のみ細長く所沢市大字下富に属し、一部が市により「旧鎌倉街道沿里山保全地域」に指定されている様だ。部分的に舗装が無く、それは味わいがあって良いのだが、砂利が多くてロードバイクのやわなタイヤでは走るのがコワイ。ので、押して歩く。前日の大雨の影響で彼方此方に大きな水たまりがあり、少々難儀する。
 ここは、「元弘の乱」の合戦場で言うと、元弘3年(1333)5月11日に合戦が行われた小手指原からは5km程北北東に位置する。つまり新田義貞挙兵の地(新田荘)寄りである。まだ、北条幕府軍と相まみえる前の通過点という事だ。因みに、新田軍が5月15日の分倍河原の合戦で敗退した際、退いた先は「堀兼」。丁度この街道の東から北の一帯である。現在、分倍河原古戦場碑のある府中市分梅町までは凡そ20km。随分と退却したものだ。

 この、新田義貞軍の通った、かもしれない鎌倉街道を北へと進むと、水野線鉄塔が徐々に間近となり、横手、木立の向こうに赤白4号の横姿が見える様になる。

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水野線4号

 少し進めば、タケ林の上に4号が、大きくその威容を現す。

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4号

 初めて間近に見るが、異様だ。上の横姿のみ見れば、普通の四角錐鉄塔の様にも思えるが、この角度では、もはや普通ではない。破壊され骨組みだけになった立体駐車場の一部、或いは毀(こぼ)たれた港湾施設の一部、の様にも見える。四角錐鉄塔を見慣れた目には、もはや送電鉄塔とも思えない。タケ藪越しに見るそれは、ちょと廃墟チックだ。褪色気味のその赤白塗装も、妙なスゴミを醸しだしている。
 鉄塔に目を奪われて気付かなかったが、路傍には、「鎌倉街道」の表示も、しっかりとある。

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鎌倉街道標柱
枕木?か

 前方を見やれば、3号が大樹の狭間に姿を見せている。

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水野線3号
左下が鎌倉街道

 ストヴューでの予習に拠れば、3号はまったくの結界フリーのはずである。期待がふくらむ。

 更に街道を進むと、空を映す水たまりの向こう、ストヴューで見た通り、鉄塔は道端に建っている。

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鎌倉街道と3号

 そう言えば水たまりを見るのは、随分と久しぶりだ。

 2につづく

2019年霜月22日
(取材は10月下旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は狭山市大字加佐志(3号)・大字堀金(4号)、最寄り駅は西武新宿線入曽駅です

*神米金:明治9年(1876)、神谷新田、久米新田そして堀兼(堀金)新田が合併しこの名となった。この付近、所沢や狭山の大字が可也複雑に入り混じっている
*元弘の乱:元弘元年(1331)に起きた後醍醐天皇を中心とする鎌倉幕府討幕のための一連の動き
*新田義貞:元弘3年(1333)5月8日新田荘を発して鎌倉街道上道を南下し、11日に小手指原で、12日に久米川で、そして15・16日に分倍河原・関戸で幕府軍と戦った。分倍河原から一旦退却した際は堀兼で三浦義勝軍6,000騎の加勢を得、翌日再度分倍河原で北条軍と戦い破った

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Fe塔 鎌倉街道

鎌倉街道

 小平市内を通る、鎌倉街道。

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鎌倉街道表示

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鎌倉街道解説板

 「鎌倉街道上道(かみつみち)」であるとされるている様だ。地下を通るJR武蔵野線の新小平駅の西側、凡そ府中街道の東に並行し、青梅街道(都道5号)と交差している。

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鎌倉街道上道
解説板前から南を

 解説などは、交差点のすぐ南側である。道なりに、青梅街道を渡る。

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「鎌倉」と「青梅」の交差点

 奥(南側)と手前(北側)が鎌倉街道、横切るのが青梅街道。

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北側の表示
後は蔵の様だ

 新小平駅の近くなので、南北どちらもチャリ置き場が多い。
 青梅街道の南側は、可也狭い生活道だが、北側は大分拡張されている。

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北側の鎌倉街道
表示前から北を

 解説では、この鎌倉街道の前身は、天平の頃(730年頃)に造られた府中の武蔵国府と前橋の上野国府を結ぶ官道「東山道武蔵道」であるとされている。この道が、鎌倉に幕府が開かれた頃より「鎌倉街道」と呼ばれるようになったのだと。
 また、小平市域で鎌倉街道の道程は2kmしかないともある。

 これが真に鎌倉街道とすれば、鎌倉へと攻め上り、この北方の久米川で、そしてこの南方の分倍河原関戸で幕府軍と戦った新田義貞軍も、此処を通ったということになろうか。

 この鎌倉街道を、青梅街道の北で二基の小平線鉄塔が跨いでいる。

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鎌倉街道から小平線13号

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鎌倉街道から小平線14号

 左手(西側)に13号(標高77.6m)、鎌倉街道を挟んで、右手(東側)に14号(標高76.8m)。道の両サイドは農地だ。

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小平線14号

 14号側の畑は、広い。

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鎌倉街道・青梅街道航空写真(1956)
昭和31年(1956)3月10日米軍撮影

 今から凡そ60年前の鎌倉街道と青梅街道との交差点付近の古航空写真。周囲は田園で、上の畑はこの頃から変わらないという事か。
 水玉が両街道の交差点(上から四枚目の写真の場所)。鎌倉街道は、この頃は畑の中の畦道に過ぎない。中央、横切るのが青梅街道。水玉左でクランクする縦線が府中街道。三つの鉄道路線は全て西武線。aは陸軍兵器補給廠小平分廠跡(のちにブリヂストン東京工場)、bは東部国民勤労訓練所(現職業能力開発総合大学校ほか)、cは津田塾大学、dは蚕糸科学研究所小平養蚕所。
 やはりここにも軍事施設があり、「軍都多摩」の一角であったのだ。

 鉄塔をアップれば、小平線独特の、一本角四回線鉄塔の形態がよく分かる。

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左13号、右14号

 腕金の長さは、子細に見ると第一・第三腕金だけが短くなっている。腕金の長さを変えるのは、風で揺れたり、送電線に付着した雪が落ちた反動で跳ね上がったりした際、上と下の架空線が触れないようにするためと思うのだ。だとしたらば、第五腕金も短くするだろうに、小平線はそうはなっていない。何故であろう。

 最後に14号直下へ。

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14号
脚下部のみ白いのがお分かり頂けるであろう

 家々に囲まれ、接近は不可、プレートも確認不可。よって、大プレは畑側から遠く望んだものでご勘弁を。

2019年霜月21日
(取材は10月下旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・航空写真画像出典:国土地理院ウェブサイト

・この鉄塔の建つ場所小平市小川町は、最寄り駅はJR武蔵野線新小平駅です

*新田義貞:元弘3年(1333)5月8日新田荘を発して鎌倉街道上道を南下し、11日に小手指原で、12日に久米川で、そして15・16日に分倍河原・関戸で幕府軍と戦った。今回紹介した鎌倉街道の場所は久米川と分倍河原の間となる
*abcd:津田塾大学は昭和6年(1931)に当地へ移転、蚕糸科学研究所小平養蚕所は昭和16年4月開設(1941)、東部国民勤労訓練所は昭和17年1月開設(1942)、陸軍兵器補給廠小平分廠は昭和18年(1943)開設

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Heavysphere THUNDER IN THE EAST

サンダー・イン・ジ・イースト/ラウドネス order

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THUNDER IN THE EAST/LOUDNESS (1985)

 すぐれた音楽作品に、バンドの出身地域や国など一切関係するものではないのだが、なぜか私は洋楽専門で、日本のバンドはほとんど聴かずに来た。十代の頃、最初に出会ったハード・ロック/ヘヴィ・メタル・バンドがKISSであった所為、なのかもしれない。
 とは言っても、まったく日本のアーティストを聴かなかった訳ではない。多少は聴いたのだが、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルと言う音楽に、力強さや迫力を強く求める傾向のある私には、どうも日本のバンドの音は、線が細くて馴染めなかった所がある。作品の完成度や個性或いは演奏技術などは、欧米のアーティストに決して引けを取るものではない事は分かっても、感覚的に馴染めなかったのだ。
 スポーツを見ていれば理解できると思うのだが、日本(或いは東アジア)の選手に比し、欧米の選手のプレイで、こんなの日本人にはできない、と思わせる様なものが多々ある。主にリストの強さなど、筋力的な部分だと思う。楽器演奏と言うのは身体を使うものなので、この筋力の違いと言うのは如実に音に現れる。特にハード・ロック/ヘヴィ・メタルの様な音楽は、基本体力勝負的な要素が強いので、この筋力の違いが音の違いとして非常に目立つ(殊にドラムやベース)。私の感じる欧米ミュージシャンと日本人ミュージシャンの音の違いは、楽器や録音機材・スタジオなどの違いによるものではなく、この「身体」の違いに起因するのではと思うのだが(まったくの私見です)、理由はどうあれ、上手いとか如何とかではなく、単純に欧米ミュージシャンの出す音は強く迫力があり、私は、如何もこうした辺りに非常に惹かれる。ので、洋楽専門となったのではなかろうかと、自己分析する次第である。

 そんな、音楽の「音」に関しては非常に欧米偏重の私だが、このバンドに関しては、まったく違和感が無い。バンドの名は、ラウドネス(意は、音の大きさ・強さ)。日本が世界に誇る、一流ロック・バンドである。おそらくは世界中どこへ行っても、ハード・ロック/ヘヴィ・メタル好きならば、聴く聴かないは別として、まず知らぬ人はいないであろう様な、そうした存在だ。
 ラウドネスのデビューは古く、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルの世界的なムーヴメントが巻き起こっていた当初の1981年(昭和56年)。もとは、レイジー(ディープ・パープルの楽曲に由来)というアイドル・バンドに所属していた、高崎晃(g)と樋口宗孝(ds)を中心に結成された。アイドル・バンドと言うと、失礼ながら、音楽的には如何なの?となりがちであるが、元々小学校の同級生やその友人たちが自ら結成したバンドで、「アイドル」は、当時非常に人気のあったイギリスのアイドル・バンド、ベイ・シティ・ローラーズの様にしたかった事務所側による後付けだ(レイジーを見出したのは、ムッシュことかまやつひろし)。メンバーは其々「スージー」「ミッシェル」「デイビー」「ファニー」「ポッキー」のニックネームを付けられ、アイドルとしてのその置かれた状況に大分戸惑ったという。実際、私も当時、お揃いの衣装と振付で演奏する彼らをテレビで何度も見たが、のちにこの中のメンバーがかなり本格的なメタル・バンドを結成したことを知り、驚いたのを覚えている。尚、レイジーのヴォーカルを務めていたのは「ドラゴンボール」で有名な、「ミッシェル」こと影山ヒロノブである。
 このレイジー解散後、「スージー」こと高崎晃と「デイビー」こと樋口宗孝が、高崎の幼馴染の山下昌良(b)と彼の推薦した二井原実(vo)と共にラウドネスを結成するのだが、高崎晃は、私の記憶が確かならば、レイジー時代からギター演奏の能力の高さは評判になっていた。

 アルバムであるが、当初より世界指向であったバンドの、本格的な海外(アメリカ)進出第一弾。前作「DISILLUSION 〜撃剣霊化〜」(1984)が当初日本語で歌われ、後に英語バージョンが出されたのとは異なり、ATCOレコードからの至上命令もあって当初より英語で歌われた。作品全体としても、前作はテクニカルで複雑な演奏・楽曲で、且つ何方かと言えば欧州的ウェット感やダークさが顕著であったのに対し、大分演奏も楽曲もシンプルで、全体にアメリカンなドライさや明るさが漂う。この辺りは、当時大人気のオジー・オズボーン・バンドの一連の作品をプロデュースしていた、プロデューサーのマックス・ノーマンの意向であったらしい。この変化に関しては、いろいろ見解はあるのであろうけれど、好みの問題は別として、これはこれで「正解」であるのではなかろうかと、個人的には思う。今回、本作同様、ラウドネスの名作とされる前作と、何方を紹介しようかと迷ったのだが、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルに余り馴染みのない方々を念頭に置いた本blogでは、やはり本作の方が相応しいように感じた。前作は十分に世界レヴェルに達した作品だと思うが、何方かと言えばコアなファン向きで、本作の方がより多くのリスナーに訴えかける内容の作品ではないかと考える。実際、このアルバムはアメリカのビルボード誌のアルバム・チャートで74位にまでなった。これは日本のロック・バンドでは「快挙」とされる成績である。ちなみに、国内ではオリコン4位になり、第27回レコード大賞の最優秀アルバム賞も受賞している。純粋なメタル・アルバムが、である。これも、「快挙」。
 売れればいい、という訳ではない。チャートの順位と作品の内容は、必ずしも比例関係にある訳ではない。しかし、芸術作品として、多くのリスナーに受け入れられるという事は、やはり素晴らしいことなのである。芸術は、人々の人生を豊穣へと導くものなのだから。

 前作についても少し触れたが、前作が世界レヴェルなら、本作は世界レヴェル・オーヴァーである。少なくもこの当時―1980年代前半頃―、雨後のタケノコ的に世界中でハード・ロック/ヘヴィ・メタル・バンドが出現し、数え切れぬほどのアルバムがリリースされていたが、其の中で本作は、同年発表のハロウィンの「WALLS OF JERICO」、イングヴェイ・マルムスティーンの「MARCHING OUT」、セルティック・フロストの「TO MEGA THERION」、アンスラックスの「SPREADING THE DISEASE」、スレイヤーの「HELL AWAITS」、そしてメガデスのデビュー作「KILLING IS MY BUSINESS... AND BUSINESS IS GOOD!」等の名作に比しても遜色なく、他からは群を抜いていると思う。少なくも、私が知る中においては、そうである。あくまでも個人的見解だが、一般的評価ともそう大きくずれてはいないのではなかろうか。楽曲、演奏、プロダクション、どれをとってもハイなレヴェルだ。特に、高崎晃のギターは格が別。完全に、世界のスーパー・ギタリストの仲間入りを果たしている。タッピングを多用したそのプレイは、基礎的な部分を含めたテクニック、そしてセンス共に群を抜き、スピードや旋律、オリジナリティなど含め、そのギタリストとしての総合力は非常に高い。多くのハード・ロック/ヘヴィ・メタル系ギタリストが、彼を高く評価した或いは彼に影響を受けたとされているのも頷けるプレイである。
 その他全般、作品の完成度は高い。まあ完成度でいえば次作「SHADOWS OF WAR」(1986)、次次作「HURRICANE EYES」(1987)の方が高くまた聴き易くもあると思うが、ロックには重要な要素である所の「荒削り」感とのバランスは本作の方が非常によいと思う。何れにしろ、ビギナーの方々にも安心してお勧めできる内容だ。強いて難を言えば、そのパワフルでドスの効いた歌唱そのものは非常に素晴らしいのだが、ヴォーカルの英語が余りに「ジャパニーズ」であることが少々気になることくらいである(他人の英語をとやかく言える私ではないが―)。英語に関しては、二井原実はレコーディング前に一人先に渡米し、相当厳しいレッスンを受け、相当に苦労したという(彼は現在非常に英語が堪能だそうです)。

 でも、こんな世界的バンドの母体となったレイジーを見出した、かまやつさんは、やはりスゴイ人だったんだなと、改めて思う。

 2019 11/18

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お気に入り度:♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭♭ 暗度:♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭
〔本作当時のメンバーは全員関西出身(高崎、二井原、山下は大阪、樋口は奈良)。旭日(あさひ)をイメージしたジャケット(上画像はアメリカ盤で日本盤と若干異なる)は、当時の彼らの心意気と内容の高さを示している様で純粋にデザインとしてインパクトがある。当時の海外ハード・ロック/ヘヴィ・メタル・ファンには新鮮・斬新であったであろう。30年を経た後もこのジャケットにサインをねだられることが多いそうだ。バンドは、この後多くのメンバー・チェンジを繰り返す事となるが、現在、49歳で亡くなった樋口宗孝を除きオリジナルのメンバーで活動中 official

*レイジー:かまやつさんに見出される切っ掛けになった演奏はディープ・パープルの「BURN」(なんとYouTubeで聴ける。かまやつさんベタ褒め)であるのを見ても、彼らが当初からハード志向であったことが窺える
*ベイ・シティ・ローラーズ:スコットランド出身のロック・バンド。タータンチェックの衣装に身を包み、1970年代にポップな楽曲でワールド・ワイドにヒットを連発。日本でも大大大人気であった
*ATCOレコード:アメリカの大手アトランティック・レコードのレーベル
*タッピング奏法:ピッキングする方(右利きなら右手)の指を指板上で弦に叩き付け音を出す奏法。ジャズでは1950年代からあったそうだがロックでは1970年代以降に一般化した
*SHADOWS OF WAR:米ソ冷戦只中であったのでアメリカではアルバム・タイトルが「LIGHTNING STRIKES」に改題されたリミックス盤となった(曲名・曲順も異なる)

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北の離れ HONG KONG

HONG KONG

 香港の民主化デモで、11日、警察官に実弾発砲された学生が、重体を脱したと13日報道された。依然重傷とは言うが、取り敢えず容体は持ち直したようだ。

 今年の春から始まった、香港の民主化・反政府デモは、8日、警察による強制排除中に駐車場から転落した学生が亡くなった辺りを境に可也破壊的・暴力的な様相を呈してきている様に見える。
 私は、「自由」であることを何よりも支持するが、何方に対しても、暴力的行為は望まない。

 香港は、1842年から1990年まで「イギリス」であった。香港の歴史にはまったく詳しくないが、中国本土とは可也異質な歴史を歩んできたのであろうことは、想像できる。その香港を、中国政府が「一国二制度」を蔑ろにし「本土化」しようとしているのであるから、反発が起きるのも無理はないと、これも想像できる。
 今回の香港市民と政府との対立も、嘗ての植民地政策の、一つの負の遺産と言えるのかもしれない。

hongkong

 何れにしろ、双方が剣を棄て、対話の席に着くことを、心から望む。

 それにしても、各国、特に我が政府は今回の弾圧に対して沈黙傾向である様に思えるが、なぜであろう。中国政府に対する忖度?なのであろうか。

2019年霜月16日

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・画像は、イラストACからのjohanさんによる

*一国二制度:香港は社会主義である中国の中で資本主義システムが継続され高度な自治権を有している

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北の離れ 霊園夜景

霊園夜景

 「霊園夜景」と題したが、霊園は夜間立入禁止なので、正確な表現ではないかもしれない。この時期、多磨霊園閉園時間は17:30。そのギリギリの時間に訪ねたが、僅かに夕明かりの残る時間帯で、「霊園夕景」の方が、近いかもしれない。
 とは言っても、霊園内の園路(道路)は照明など一部を除き無く、自転車のライトは「点灯」にしないと路面が見えず走れない。

 しかし、この可也に暗い中、ワンコのお散歩をされている方が非常に多いのに驚く。流石にほとんどの方がご夫婦或いは親子とみられる様な二人連れで、単独の方はあまり見かけない。彼方此方、園路の上でワンコ談義をしていらっしゃりもする。

 さて、私は二つの噴水塔の夜の姿を狙っている。まだ、若干空に薄明かりが残るので、冒頭に書いた如く厳密には「夜景」と言い難いが、これより遅い時間は入れないので致し方ない。冬になれば、この時間もう真っ暗だが、その頃は寒さの問題が出て来る。霊園内は、流石に周辺より気温が低いのだ。

 まずは、大のオキニ、11区の噴水塔。


 これが建つのは墓域の中心なので、周囲に一切の灯りが無い。画像は多少明るく写っているが、実際辺りは、もっと真っ暗である。

 シンボル塔こと旧噴水塔。ここ多磨霊園を代表する、アールデコ建造物だ。


 こちらも周囲に一切の灯りが無い。大分実際の暗さに近く写っているが、空はもっと暗い。
 昨年(2018)の今頃の記事で、シンボル塔基部が掘り返されていると書いたが、それはもう、階段含めすべて元通りになっている。キレイに復元されて、発掘の跡など知りようもない。
 しかし、まだ整備の始まる気配はない。何時になったら、また中に入れるのであろう。

*多磨霊園:用語集 索引

2019年霜月15日
(取材は10月下旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・霊園ご訪問・ご探訪の際は、マナーを守り節度ある行動をお心がけ頂けますよう、お願い致します

・この場所は府中市多磨町、最寄り駅は西武多摩川線多磨駅です

*シンボル塔:老朽化のため現在は立入禁止。整備ののち再解放とされているが・・・

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北の離れ ラグビーワールドカップ2019

ラグビーワールドカップ2019

 これは、調布飛行場北端、武蔵野の森公園の「展望の丘」から見た、東京スタジアム(標高39.1m)の夜景。

choufu_tokyostadium_night
「日本対南アフリカ」開始前の東京スタジアム

 これから正に、ラグビーワールドカップ2019日本大会、決勝トーナメント「日本対南アフリカ」戦、試合開始直前の姿だ。スタジアムや最寄り駅周辺は、各国のお客さんとお巡りさんとボランティアの方々がイッパイで、エライ状態になっており、撮影などできる空気ではなかった。ので、このような遠目の姿となった。
 私の立つ丘から、スタジアムまでは1.5km程の距離があるが、間にはグラウンドや滑走路しかないため、試合前パフォーマンスの音響が間近の如くに聞こえてくる。
 丘の上には、私と同じ様な考えの方がちらりほらりと立ち、スタジアムを遠望しておられる。

choufu_tokyostadium_night_a
引きの絵
手前は滑走路北端

 日本代表、四強進出はならなかったが、ベスト8は誇るべき結果であると思う。多摩には、二つもトップリーグの強豪チーム(共に府中市)があるので、結構ラグビーには親しみを感じているのだ。サイクリング途中、両チームの練習場横を通りしな、グラウンドを子細に拝見したこともある(練習には遭遇したことは無い)。ただし、ラグビーには全然詳しくない。ルールも、今回のワールドカップの試合中継で初めて覚えたものが大半だ。
 でも、ラグビーはやったことはある。高校の体育の授業で、ラグビーがあったのだ。新設校でまだ校庭が完成していなかったため、学校横の線路脇の空き地を借り、生徒たちで整備して即席のラグビー場にした。石を拾い草を抜き、ローラーを曳いて、それだけで可也の労苦である。しかも、一寸キックが逸れると線路にボールが入ってしまい大変であった。幸い東京でも大分田舎の路線で、滅多に電車は来ず勝手に入って拾ってきたが(何十年も前の話。ほんとはそんなことしちゃ絶対ダメ)。

 俄(にわか)ファン、とはどのフィールドでも良い意味で言われることは無いが、でも、「俄」の中から真のファンも生まれるのである。私なども、嘗てのハード・ロック/ヘヴィ・メタルの一大ムーヴメントの中で、結構「俄」でヘヴィ・メタル・ファンになった様な所も否めない存在だが、今ではファン歴〇十年の可也筋金入りのファンを自認する、メタルおやじだ。ラグビーの俄ファンも、馬鹿にしてはいけない、其の中にラグビーを世に根付かせる、将来の筋金入りファンが、きっと多く存在するのである。
 俄ファンを寛容に受け入れる世界にこそ、未来はあるのだ。

 それにしても、ラグビー代表チームはいい。国籍・出身地域の異なる選手たちが混然となっているのは、人類が理想とする姿の縮図ではないか。

(スプリングボックス、優勝おめでとう!でも、なんで南半球がこんなに強いの?9回のワールドカップで8回南半球のチームが優勝してるよ)

2019年霜月14日
(取材は10月下旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この場所(展望の丘)は三鷹市大沢、最寄り駅は西武多摩川線多磨駅です

*スプリングボックス:アフリカに生息する「スプリングボック(Antidorcas marsupialis)」(ウシ科スプリングボック属)という中型のレイヨウ(アンテロープ)に因む

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