鳩峯八幡 1

 雑木林の紅・黄葉を求めて、埼玉県所沢市久米の鳩峯(はとがみね)公園へやって来た。公園もお目当ての鉄塔も、すでに以前ご登場頂いているが、この季節はお初だ。あの時は、真冬であった。
 今回は、その時とは逆のコースをとる。東の端にある、「鳩峯(はとみね)八幡神社」がスタートだ。

 まずは、鳩峯の麓、松が丘の住宅街から目指す鉄塔たちをロックオン。

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只見幹線499号とオカサカ99号

 松が丘の住宅地から、仏眼寺脇の坂を上がると、オカサカ鉄塔列が、八国山緑地の雑木の紅葉の上に連なっている。

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右から100号101号そして102号
右が仏眼寺

 この坂を上がり切ると、神社だ。

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鳩峯八幡神社

 「鳩峯八幡神社」。平成31年1月1日奉納の真新しい鳥居(標高82.5m)が白い。右の石柱には「郷社八幡神社」とある。「郷社」とは神道が国家の宗教とされ神社が国の統制下にあった時代に設けられていた社格の一つで、府県社と村社の間。だが、なんとなくその「郷社」の部分だけ色が違う。WW2後、GHQにより国家と神道が切り離された際、社格の表示が消されたり埋められたりしたので、これもその所為かもしれない。

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参道

 鳥居をくぐってお邪魔して驚いた。その参道は幾つもの短い階段が連綿と続き、社殿は遥か遠い。神仏習合の名残りであろうか、参道脇には墓地や梵鐘の下がる鐘楼もある。

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社殿(標高94.0m)
室町時代より前の建造らしい

 鳩峯八幡神社は、延喜21年(921)創建とされる、非常に長い歴史を持つ神社。山城国男山(現京都府)の石清水八幡宮から勧請(かんじょう)され、男山の正式名「鳩ヶ峰」に因み「鳩峯」と名付けられた。
 ここは、新田義貞の逸話で有名である。元弘3年(1333)、討幕のため挙兵した義貞は、此処より南西に約800mの「将軍塚」に陣し、この社で戦勝祈願をしたのだ。その際、兜を掛けたとされる「新田義貞兜掛松」が左手にある。

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兜掛松石碑

 石碑の左にマツはあるが、まだ若い木である。
 義貞に限らず、歴史上の英雄に関わる逸話・伝説は各地に無数にあり、真偽のほどは定かではないが、将軍塚に陣を敷いたのが実際とすれば、ここで戦勝祈願すると言うは自然な事である。八幡神社の祭神は、武運の神「誉田別命(ほんだわけのみこと)」(応神天皇)であるから。

 鳥居に戻り、左脇に建つ「戦役記念碑」(大正9年11月建之)を拝見する。

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戦役記念碑

 裏面には、西南戦争戦病死者(三名)、日露戦争戦病死者(五名)、西南戦争従軍者(二名)、日清日露両戦争従軍者(六名)、日清戦争従軍者(五名)そして日露戦争従軍者(四十七名)の名がそれぞれ刻まれている。やはり、日露戦争従軍者数が圧倒的に多い。

 八幡神社を辞す。目指すオカサカ99号鉄塔への道は、神社とその摂社(本社境内内などにあるその管理下の小規模神社)である「久米水天宮」との間を抜けて行く。

 2につづく

2020年如月13日
(取材は12月中旬)

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・取材の際はマナー遵守を心掛け十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・これら鉄塔の建つ場所は所沢市久米・荒幡・松が丘、最寄り駅は西武池袋線西所沢駅・西武西武園線西武園駅です

*鳩峯八幡神社:祭神は誉田別命(応神天皇)、比売神(ひめかみ)(宗像三女神)、気長足姫尊(きながたらしひめのみこと)(応神天皇母、神功皇后)
*八幡神:誉田別命は神仏習合で八幡大菩薩と称された
*郷社:府県・郡・市から奉幣(幣帛(お供え)を捧げる)を受けた
*社格:延喜式に倣った制度で、近代社格制度と呼ばれる。GHQの神道指令(神道・神社を国家から分離する指令)で廃止

鉄塔に昇るのは非常に危険です。絶対にやめましょう

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