January 23, 2011

すいません。

またブログを移動します。

http://ameblo.jp/digitalkenchiro/



(15:33)

January 22, 2011

皆さん、野菜シスターズというのをご存知だろうか。
今飛ぶ鳥を落とす勢いのAKB48のメンバーが25種類のお野菜に扮しているキャラクターなのだが。
そのサイトの中で、アイドルらしく「はいっ、一緒に飲もうね!」みたいな動画コーナーが各キャラクター毎に設けられているのだ。

その中で、閲覧者に対して早飲みを挑んで来るキャラクターがいる。
アスパラガスだ。
早飲みで名を馳せたハヤシさんが、これに真剣勝負を挑んだ。


結果は・・・、は、早い。
何回やっても負ける。

これは何かのトリックだろうか?
よく見ると、アスパラガスのブリックには最初からストローが差し込まれている。
ズルしているのか?

しかし、そこはハンデを背負ってでも勝たなくてはいけない。
それが男の道ってもんだ。

こうして始まった今年最初の真剣勝負。
僕の闘いは続くのだった・・・。

(00:00)

January 20, 2011

1月4日にさかのぼる。
僕は大英帝国マンチェスターにいた。

マンチェスターと言えば産業革命で有名だが、それは昔の話。
街中を歩いても、あまりそれらしいものは感じられなかった。

・・・でなければ、やはりフットボール(以下サッカー)だろう。
この街には、ユナイテッドとシティというプレミアリーグ2大クラブが存在する。

僕は小さい頃からユナイテッドのファンだ。
当時のNHKーBSの録画放送で、ある一人の選手のプレーに釘づけになった。
その選手の名は、アンドレイ=カンチェルスキス。
ロシア代表(ウクライナの時期もあったが)の右ウイングだ。
ベッカムの前任者という言い方が相応しいかもしれない。
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当時のユナイテッドはすごかった。
トップにキングと称されるエリック=カントナ、そしてウェールズ代表・マーク=ヒューズ、左ウイングには若き日のライアン=ギグス、中央にはイングランド代表のポール=インス、ブライアン=マクレアー、そして出たてのロイ=キーン、バックスにはブルース、パリスター、シャープ、アーウィン、そしてキーパーは不動の守護神・ピーター=シュマイケル。
その中で、僕はこの右ウイングの選手に目を付けた。
肩を張ったような走り方で、相手の寄せに屈せず、尚かつ俊敏な動きでかわして行く。
僕はサッカーをする時は、いつも右ウイングを希望し、背番号は14だった。

少々長くなったが、そんなこんなで、ユナイテッドのファン歴は長い。
今回、「Theatre of Dreams」と呼ばれる聖地オールド=トラフォードで、試合を観るチャンスを得た。
また、1つ夢が叶った訳だ。

・・・が、スタメンを聞くと、現在の主力となる選手が何人か欠けとる。
ルーニー、ファン=デルサール、パク=チソン・・・。
何だ?
正月ボケか?
まあ、ギグスがプレーするから良いか。
そう納得させた。

相手チームのストークのことは良く知らない。
だが、試合は圧倒的にユナイテッドの支配で進む。

試合は、チッチャリート(エルナンデス)の活躍で、2−1で勝利した。
一度追いつかれる展開は、より感動を大きくする効果があった。

だが、僕の中で目が付いた選手は、セントラルミッドフィルダーのダレン=フレッチャーだった。
バックラインでボールを回している時、必ず顔を出すのは彼であり、敵のカウンターの芽を摘むのも彼であり、ユナイテッドの攻撃は殆ど全て彼を経由したものであり、かと思えば意表を突いたノールックパスを出して、決定的な仕事も出来る。
ボールキープ力も素晴らしく、簡単にボールを失わない。
彼の出来は、ユナイテッドの出来そのものだった。

フッティのポジションで言うとローバーだろう。
自分もこんなプレーに憧れるが、如何せんスタミナがない。
高い位置で相手の攻撃の芽を摘む仕事は得意なんだが・・・。
まあ、その辺は加瀬や白井さんに任せるとしよう。

2点目のナニのゴールが決まった時、自分もプレミアリーグ特有の歓声「...Yeaaaaaah!(イッェヤー!)」と叫んでいた事は、素晴らしい経験だった。
色々と勉強になった、夢の劇場だった。
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(03:09)

January 16, 2011

2011年の開始を宣言して2日。
この3ヶ月余りの怠惰な生活を正すべく、少し走り始めました。

とにかく休まなくてはいけない身体だったので、良く食べ良く寝た為に、筋力は落ちウェイトは重くなり・・・。
とても運動を出来る身体ではなかったのね・・・。

昨日久々に走ってみると、やはり身体は重い、足は痛い。
まぁしょうがないわけね。

今日も走ったけれど、筋肉痛で余計に足が重い。
3キロばかしでこの調子。

まあ、怪我した左足の具合が悪くなかったのが、唯一の救いかね。
カカトはしっかりと靴ズレしましたが。

ともあれ、リスタートです。
何とか間に合わせたいですな。

(00:52)

January 13, 2011

2011年が始まりました。
僕はちょっと事情があって、新年をパリで迎えました。

昨年は自分にとって、本当に良くない一年でした。
開幕戦名古屋での開始5分の捻挫に始まり、9月の骨折、上海での大けが・・・。

今年は、言うまでもなくインターナショナルカップの年。
自分のすべてをかなぐり捨ててやってきたものが、すぐそこまで来ています。
最後の力を振り絞って、挑みます。

もう少し、です。

(23:07)

December 07, 2010

上海で踏んづけられた左足の痛みが引かない。 GF前座試合も、これが原因で出場しなかった。 右手骨折した時の医者には、塗り薬と湿布を貰ったが、効果がない。 どうしたものか。 僕は仕事の先輩で、帰宅マラソンの知恵を貰った人に相談した。 「前に捻挫した時、事務所近くの[おくむら整形]に行って、変なライトみたいなのを当てたら治った。まずちゃんと診てくれる」という事だったので、行ってみることにした。 11時頃、受付。 1時間程度待つと言われたが、最終的には2時間。 1時間のプラスって、どういうことだ。 そして先生とご対面。 怪我の経緯を話すと、先生はそれをパソコンに打ち直す。 足を診て、また待ち、レントゲン、また待ち。 そしてまた診察室へ。 診断結果は「外反母趾と扁平足」。 「普段もうちょっといい靴を履くこと。靴屋を紹介する」との事。 そういうと、僕の左足に包帯を巻き、少しでも矯正するのだと。 正直、ガッカリした。 ライトみたいなので治してくれるのではなかったのか。 しかも、その夜包帯を巻きっぱなしにしたら、痛くて眠れなかった。 夜中、また医者に騙されたと、悔しい思いで一杯だった。 翌朝。 何故か左足の痛みはかなり引いていた。 何だこれは。 この奥村医師は、本物だったのだ。 そして、本物を疑った自らを恥じた。 あれから数日、痛みは少しずつ引いてきている。 復帰は、できそうだ。 僕の今年の流行語大賞は、 ゴメンね、奥ちゃん に決定した。

(16:50)

November 22, 2010

11月21日。 グランドファイナル。 我がホークスのいないグランドファイナル。 その前座試合。 僕は出るつもりだった。 しかし駅からグラウンドに向かう道すがら、加瀬Cに止められた。 「怪我が完治していないのに、出るからまた怪我する」 これまでの怪我の連続性は、因果関係があるとは思えなかったが、彼のいう事も一理ある。 出場は見送る事にした。 しかしやる事はある。 前座試合のバウンダリ・アンパイアをやる事になった。 バウンダリは実はとても運動量を要求される審判だ。 僕の左足は上海から痛いままだ。 その間走ることはできず、休日は動かさないようにしていた。 筋力はすっかり落ちた。 スタミナが切れないか心配もあった。 しかし。 意外と走れる。 ステップを踏むと痛みもあるが、直線は悪くない。 まるで地面を跳ねるように。 恐らく肺活量は落ちているので、これは頑張らないと行けないが。 まだやれる。 12月の代表トレーニングに向けて出来る準備をして行きたい。

(00:44)

November 11, 2010

シーズンが終わってしまった。 とにかく怪我と病気に悩まされたシーズンだった。 初戦の名古屋で捻挫をし、全く治ってないまま駒澤戦で悪化させた。 大阪には行けず、夏はウイルス性の扁桃腺炎に倒れた。 アラスカ帰り直後の練習で右手中指を骨折し、無理矢理臨んだ上海では出場5分で味方に足を踏まれ帰国後重度の打撲と診断された。 右手はスポーツを出来るまではあと一週間程掛かるらしく、右足の痛みは医者の診断の通りと行かず、まだ完全に引いていない。 何と不毛な一年だったろう。 怪我から学んだ事は何一つない。 戸惑いながら時間を徒に過ごしただけだった。 怪我をするのは本人に何か原因があるからだと言う人がいた。 ただ怪我を恐れることは、自分のプレースタイルを変えることだ。 相手より一瞬先にボールに触れる。 その一瞬の差を追求する事が自分の生きる道なのだ。 手に触れた後の自分の身体のその他の部位の事を考える事を始めたら、積極的なプレーは出来なくなる。 そういう意味で、僕は白井さんという選手を尊敬している。 シーズンは終わってしまった。 だが、まだ選手生命もう少しだけ残っている。 最後の力を振り絞って、次に臨む。 まず、gfの前座試合。 少しでもプレーできれば。

(23:39)

September 21, 2010

多分あの時だと思う。 20日の練習で、丁度レーンハンドをやっている時だ。 キッカーがワザとローボールを蹴り、それをキャッチ又はピックするという練習だ。 少し突き指したかな、と思った。 そして少し指を回そうとした瞬間、パキッという音がした。 その後もプレーは続けた。 そして今日病院へ行った。 レントゲンを見ると、僕の右手中指の第一関節の部分はポッキリ折れていた。 骨折。 ここまではっきりとした骨折は、生まれて初めてだ。 さらに近日中に手術が必要だとの事。 悪夢のようだ。 これで次戦ゴアナーズ戦と上海遠征でのプレーが絶望的となった。 悔しいのは、足の怪我の時と違って、プレーは可能な状態にあるということだ。 それにしても今年は怪我が多過ぎる。 上手くなろうにも、プレーをさせてもらえないのでは・・・。 気持ちと裏腹に上達を許してもらえない状況の連続に、流石に気持ちが萎えているのがわかる。 引退、という文字が頭をよぎる。 目標を失った人間、死も同然だ。

(14:58)

September 19, 2010

アラスカ帰り。 トレッキングはしたものの、とにかく重くなって日本に帰って参りました。 どうも、機内食ってやつが合わない。 時差がある国への移動は、食べるタイミングがわからない。 でも出された物は食べてしまうから、太る。 女子にブーデーと揶揄されても仕方ない。 19日、久しぶりに走った。 最寄り駅と隣り駅まで。 前に計った時には、確か3kmだったはず。 走ってみると、とにかく身体が重い。 掛かった時間は、19分。 大分掛かった。 掛かり過ぎ。 ちょっと掛かり過ぎ。 改めて距離を計ると、3.8kmだった。 3キロ換算で15分。 まあ、普通か。 でも重いのは事実。 ここから調整が始まる。

(20:00)